公益財団法人日本国際フォーラム

ロシアの「特別軍事作戦」と称するウクライナ本土への本格的な軍事侵攻、すなわちウクライナとの戦争が始まったのは2022年2月24日であるが、ロシアの「クリミア半島の併合」は約8年も前の2014年3月18日であった。特別軍事作戦は22年2月21日の「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」による「独立宣言」の3日後であった。

実は、2つの「人民共和国」は、2014年の「クリミア半島併合」に続いて、遅かれ早かれ「ロシア併合」となるだろうと国際社会は考えた。しかし、プーチン政権がそれを8年ほど抑えた。両人民共和国も、クリミア化を望んだ可能性は大いにある。ロシアへの「クリミア半島併合」が、米トランプ大統領だけでなく、西欧諸国や日本を含む西側メディアも既成事実のように扱い始めたからである。例えば日本のメディアも、かつては「クリミア半島併合」と「」付きで報じていたが、最近は「」無しで論じるケースの方が多い。

プーチンが「クリミア半島併合」後8年近くも、2つの人民共和国の「独立」も「ロシア併合」も認めなかった理由は、ロシアの自由になる両「人民共和国」をウクライナ国内に残し、ウクライナの政権の国内政治だけでなく、対外政策にも影響力を有するような「強い自治権」の共和国にしようとしたからだ。もちろん、ウクライナがEUとNATOに加盟するのを抑えるためである。つまり両「人民共和国」は、プーチン政権が「トロイの木馬」として利用するために、「独立」も「ロシア併合」もさせず、ウクライナ国内に残したのだ。しかし、このロシアの「トロイの木馬作戦」はプーチン政権の思い通りには進まなかった。そこでプーチン政権の本音丸出しの軍事侵攻となったのである。

一方、ウクライナ側であるが、ロシアによる「クリミア半島の併合」後には、ウクライナ政府のEUやNATOへの加盟要求は以前よりも強まった。ウクライナの世論調査では元々は、つまりソ連崩壊後のエリツィン時代も、プーチン時代初期も、軍事組織である NATOへの加盟希望はそれほど強くなかった。しかし、ロシアによるクリミア半島の強奪後 (ロシア軍支配下の「住民投票」で96.77%がロシア併合に賛成したと報じられたが)、それに危機感を抱いたウクライナ国民の間で、EUやNATOへの加盟希望は一気に高まった。それがまた、プーチン政権の危機感をさらに強めると言う悪循環に陥っていた。

つまり、ウクライナでのNATO 加盟要求の強まりに危機感を抱いたプーチン政権は、ウクライナへの軍事進攻、つまり対ウクライナ戦争の実行を決断した。ただ、プーチン政権は、「トロイの木馬」作戦が失敗したので戦争を始めたというのでは、国際法的に通らない。そこで軍事侵略の3日前に、両人民共和国に「独立宣言」をさせて、この「2つの主権国家の要請により」、「ウクライナ政権がジェノサイドを行っている」 両人民共和国に「平和維持部隊」としてロシア軍を派遣した、というのが、これまでのロシアによるウクライナ軍事侵略正当化の苦しい筋書きである。

ここには、ロシア政権による「クリミア半島併合」が国際的に、事実上認められた、つまり先述のように「」無しで語られるようになった、あるいは米国大統領でさえも、既成事実としてそれを認めている、という状況がある。

ロシア・ウクライナ戦争に関して、目下世界が驚いている事態が生じている。第1は、軍事的に弱小国と見られていたウクライナが、世界屈指の軍事大国と自他共に認めるロシアによる軍事攻撃に、第2次世界大戦、すなわち太平洋戦争や独ソ戦よりも長期間耐えていることだ。最近は巧みなドローン戦で、むしろウクライナ優勢との情報さえも伝えられる。「軍事大国ロシア」は自ら攻撃を仕掛けながら、兵器・兵力不足に陥り、これまた世界が驚いたことだが、大国ロシアが最貧国の一つとされる北朝鮮から、砲弾やミサイルだけでなく、万単位の兵士までも提供されて、何とかウクライナ攻撃を続けているのである。
ここでは、この戦時下のクリミア・黒海地域の情勢に関し、ロシアメディアが如何に報じているかについて、立場が異なる有名なロシア紙の内容を伝えたい。

第1の立場は、ロシア当局の宣伝に沿い、黒海やクリミアを含む黒海周辺の港湾地帯で、ロシア軍が如何に優勢に戦っているかを報じる、大衆紙『MK (モスコフスキー・コムソモレッツ』の記事の一部だ。同紙は7月24日に、次のように伝えている。

「ロシア軍がウクライナの黒海に面するオデッサ港だけでなく、黒海と繋がっているアゾフ海でも船舶の航行を停止させ、港の作業場や倉庫も攻撃している。…… ウクライナ側の不満は、ドナウ川、ドニエプル川やそのデルタ地帯にある倉庫や港湾インフラに対しても、ロシア側が定期的に攻撃していることだ…… ロシア軍は、欧州諸国がウクライナへの軍事物資供給に使用する港を、今後も破壊し続ける。」

あたかも黒海やアゾフ海の制海権は完全にロシア側が握り、ウクライナも欧州諸国もクリミア半島や黒海周辺には手も出せない、との報道だ。

実はこれとはニュアンスの異なる立場からの報道もある。知識人向けのロシア高級2紙は、既に6月に、ウクライナの攻撃でクリミアが陥った電力・ガソリン不足やロシア全国から8万人も集まるクリミアのサマースクールの中止について、以下のように伝えている。

「クリミアの国営電力企業は、エネルギー施設の事故により、電力供給が統制下にあると発表した。ウクライナのドローン攻撃を受けて、地域毎に停電が順番に実施され、クリミアではガソリンも配給制か、販売停止になっている。これら燃料は、住民の生命・安全に関わる国営の病院や保安施設のみに供給される」 (『独立新聞』2026.6.22)

「クリミア当局は、ウクライナ軍による攻撃が激化する中で、各種のサマースクール活動を停止させた。すでに到着している生徒たちの一部は、ロシアの他の地域に移され、それ以外の者は家に帰る。クリミアでの一般旅行者向けの各種観光行事の停止も発表された。既にクリミアに来ている人たちの避難ルートの安全確保に必要な措置は、全てしっかりと講じられる。ロシア旅行企業連合の関係者は、クリミアでのサマースクールの突然の中止には驚かされた、と述べた。」『コメルサント』 2026.6.23

今日の知識人向け高級紙は、勿論当局に不都合な記事と共に当局寄りの記事も載せて、『ノーバヤ・ガゼータ』紙のように、当局により潰されるのを避けようとしている。ちなみに同紙は体制批判的な知識人向けで、2022年9月に発行免許停止で、廃刊となった。

クリミア半島は風光明媚で、帝政ロシア時代から夏場には避暑ならぬ暖かい海を求めて、ロシア各地から多数のロシア人が押し掛けた。ここでの半月からひと月の夏休暇が最高の楽しみなのだ。一般のロシア国民は、ロシア側が圧倒的に有利に戦っていると知らされていた。国際的にも、もはやウクライナによる取り戻しは困難と見られていた南方のクリミア半島である。このクリミアがウクライナ東南部ドンバス地方の戦闘の最前線と変わらぬ状況だと知ったロシア国民の心理的ショックは強烈だろう。