[1] ”Ottawa Declaration (1996),” Contact the Arctic Council Secretariat, [https://oaarchive.arctic-council.org/items/fb29e6d2-d60c-43ca-8e46-fa7a505033e0].
[2] Michael R. Pompeo, Secretary of State, “Looking North: Sharpening America’s Arctic Focus,” U.S. Department of State, [https://2017-2021.state.gov/looking-north-sharpening-americas-arctic-focus/].
[3] カナダ、デンマーク、アイスランド、ノルウェー、アメリカはNATO創設メンバー。
[4] NATO, “Arctic security,” Updated: 18 June 2026 [https://www.nato.int/en/what-we-do/deterrence-and-defence/arctic-security].
[5] 防衛省・自衛隊『防衛白書(令和7年版 日本の防衛)』2025年、第I部第3章第2節および第4節。
[6] Sidharth Kaushal and Sam Cranny-Evans, “China’s New Hypersonic Capability,” Royal United Services Institute (RUSI)for Defence and Security Studies, October 26, 2021 [https://www.rusi.org/explore-our-research/publications/commentary/chinas-new-hypersonic-capability].
[7] Dennis, Hannah D & Feickert, Andrew, “The U.S. Army and the Golden Dome Program,” CRS Products, July 8, 2026 [https://www.congress.gov/crs-product/IF13264].
[8] Department of Defense, “Report to Congress:Arctic Strategy,” Department of Defense, June 6, 2019 [https://media.defense.gov/2019/jun/06/2002141657/-1/-1/1/2019-dod-arctic-strategy.pdf].
[9] Department of Defense, ” Arctic Strategy,” Department of Defense, July 22, 2024 [
https://media.defense.gov/2024/Jul/22/2003507411/-1/-1/0/DOD-ARCTIC-STRATEGY-2024.PDF]
https://media.defense.gov/2024/Jul/22/2003507411/-1/-1/0/DOD-ARCTIC-STRATEGY-2024.PDF]
[10] NATO, “Washington Summit: Secretary General underlines NATO’s deepening cooperation with Indo-Pacific and EU partners,” NATO, July 11, 2024 [https://www.nato.int/en/news-and-events/articles/news/2024/07/11/washington-summit-secretary-general-underlines-natos-deepening-cooperation-with-indo-pacific-and-eu-partners].
[11] 『中国的北极政策』中华人民共和国外交部、2018年1月26日[https://www.mfa.gov.cn/web/ziliao_674904/zcwj_674915/201801/t20180126_9869253.shtml]。
[12] 中国だけでなく、日本の国立極地研究所(NIPR)が運営するニーオルスン基地をはじめ、ノルウェー、ドイツ、フランス、韓国など11カ国の研究者が徒歩圏内に基地を構えている。
[13] 『中华人民共和国国家安全法』China Law Translate[https://www.chinalawtranslate.com/2015nsl/]。
[14] 中国科学院は、学院憲章に「国家に奉仕すること」が明記されており、先端技術を通じて国家の戦略的・軍事的な要求に応えることが求められている。
[15] Andrew S. Erickson, “Statement for the Record for the U.S.-China Economic and Security Review Commission Hearing on “Part of Your World: U.S.-China Competition Under the Sea,” U.S.-China Economic and Security Review, March 2, 2026 [https://www.uscc.gov/sites/default/files/2026-03/Andrew_Erickson_Statement_for_the_Record.pdf].
[16] Christopher Barich,” The Three-Fold Path of the Snow Dragon: China’s Influence Operations in the Arctic,” Journal of Indo-Pacific Affairs, September-October 2022, pp. 159-169.
[17] 「我国自主设计建造的新一代破冰调查船“极地”号交付」新华网、2024年6月24日[https://www.news.cn/tech/20240624/bb2bd685e0ef4c5bbfe5a9a5541d6c81/c.html]。
[18] 「“探索三号”交付启航」新华网、2024年12月27日[https://www.xinhuanet.com/science/20241227/0645decdd8c842829ce6659269ac108d/c.html]。
[19] 「中华人民共和国国民经济和社会发展第十四个五年规划和2035年远景目标纲要」中国政府网、2021年3月13日[https://www.gov.cn/xinwen/2021-03/13/content_5592681.htm]。
[20] 「中华人民共和国国民经济和社会发展第十五个五年规划纲要」中国政府网、2026年3月13日[https://www.gov.cn/yaowen/liebiao/202603/content_7062633.htm]。
[21] 「中国第16次北冰洋考察在辽宁大连启航」中国新闻网、2026年7月3日[https://www.chinanews.com.cn/gn/2026/07-03/10652088.shtml]。
[22] 正式名称は「海洋法に関する国際連合条約に基づくいずれの国の管轄にも属さない区域における海洋の生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関する協定」。
[23] 「2026年1月20日外交部发言人郭嘉昆主持例行记者会」中华人民共和国外交部、2026年1月20日[https://www.fmprc.gov.cn/fyrbt_673021/jzhsl_673025/202601/t20260120_11815950.shtml]。
はじめに:西側が警戒する中国の「近北極国家(Near-Arctic State)」という喧伝
中国は、近年、自らを「近北極国家(Near-Arctic State)」と位置づけ、「氷上のシルクロード」の構築を目指している。
中国北方の黒竜江省大興安嶺地区漠河市にある「中国の北極村」は、北緯約53.5°にあり、北極点から直線距離で約4,000km、北極圏境界線から約1,450kmに位置する。北極点から「中国の北極村」までの距離は、ドイツのハンブルク(北緯約53.55°)やイギリスのリバプール(北緯約53.4°)とほぼ同じである。地理的にヨーロッパの都市と同緯度に過ぎない中国は、「北極圏から近いとは言えない国」である。
1996年9月19日にカナダのオタワで署名された政治宣言「北極評議会(Arctic Council:AC)設立に関する宣言(オタワ宣言)」の第2条(Members)には、「北極評議会のメンバーはカナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア連邦、スウェーデン、およびアメリカ合衆国とする」[1]と明記されており、これら8カ国のみが「北極圏国(Arctic States)」であると規定されている。
そのため、中国がNear-Arctic Stateというレトリックを2018年に打ち出すと、翌年5月、当時のアメリカのトランプ政権で国務長官を務めていたマイク・ポンペオ氏は、フィンランド・ロヴァニエミにおける北極評議会閣僚会合において、「存在するのは“北極圏国”と、それ以外の“非北極圏国”だけである。第3のカテゴリーは存在しない」[2]
と中国を名指しして警戒感を露わにしていた。
Near-Arctic Stateとアピールすることで、中国が北極圏のルール作りやガバナンスに深く関与しようとしていることに対して、アメリカやNATO諸国は警戒を強めている。アメリカのドナルド・トランプ政権がグリーンランド購入を口にしてきた背景の1つは、中国による同島への積極的な進出が安全保障上のリスクになると強く警戒したことにあった。
こうした問題意識を前提に、本稿は以下の構成で論じていく。第Ⅰ節で、地球温暖化が北極をめぐる資源の奪い合いと軍事拡張を加速させており、北極は大国間競争の最前線の1つとなっている点を述べる。第Ⅱ節では、近年の北極圏における地政学論争において、中国がロシアと並ぶ西側の警戒対象になってきた流れを整理する。第Ⅲ節では、極地(北極と南極)・宇宙・深海底について、中国が国家安全保障で重視している点を論じる。第Ⅳ節では、「2026年7月の4隻による北極調査船」が意味している点を解説する。
Ⅰ 北極圏は地政学的競争の最前線:中国はNATOによる警戒・監視の対象
地球温暖化という地球規模の危機が、資源の奪い合いと軍事拡張を加速させている。未開発の石油、天然ガス、レアアース、水産資源が豊かな北極圏は、地球の他の地域に比べて約4倍のスピードで温暖化が進んでいる。
気候変動と同様に、北極をめぐる国際秩序も再編の最中にある。北極圏の重要鉱物、海上航路、漁業、天然資源、海底採掘、衛星通信をめぐり、大国間競争が激しさを増し、北極はいまや世界で最も「熱い」地政学の最前線となっている。
ロシアによるウクライナ侵略戦争を機に、北極をめぐる協調関係は完全に溶解し、新たな軍事境界線が引かれつつある。フィンランド(2023年4月)とスウェーデン(2024年3月)がNATOに加盟したことで、ロシア以外の北極圏7ヵ国はすべてNATO加盟国となった[3]。北極圏を「国家の死活的利益」と位置づけるロシアは、北極圏の軍事拠点を急速に再整備しており、2024年8月には海洋戦略を統括する「海洋参議会」を新設した。
NATO側も2026年2月に北極圏での統合運用能力の向上を目指す多領域軍事活動「アークティック・セントリー(Arctic Sentry)」を始動させた。グリーンランドを含む北極圏での警戒・監視を強化するこの新しい活動は、ノーフォーク統合軍司令部が主導している。同司令部の主な任務の1つは、大西洋を横断する戦略的な海上交通路の安全を確保することである。同司令部は、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)や在欧州米軍とも活動を連携している[4]。
ここで注目するのは、「アークティック・セントリー」によるNATOの警戒・監視対象には、ロシアだけでなく、中国も含まれているという点である。中国は、エネルギー、重要鉱物、海上交通路に加え、ミサイル防衛や衛星などの宇宙政策に直結する極軌道へのアクセスなどを求めて、北極圏への関心を高めている。さらに、ロシアと中国の協力強化は、同地域におけるNATOの抑止力と防衛態勢に戦略的および作戦上の影響を及ぼす。
また、NATOが「アークティック・セントリー」を開始した背景にある中露の連携強化は、日本海やオホーツク海など日本周辺における共同航行や共同爆撃機飛行などの威圧的行動によって顕在化しており、日本の防衛省はこうした中露連携を「我が国への直接的な安全保障上の課題」として捉えている[5]。
このように、激しさを増す北極圏の大国間競争において、ロシアとの連携でその一翼を担い、欧米諸国に新たな地政学的緊張をもたらしているのが中国である。
Ⅱ 北極圏をめぐる中国の軍民両用の研究活動
地球温暖化による海氷の減少は、北極海を、かつて戦略原子力潜水艦にとって理想的な隠れ場所であった「厚い氷による防壁としての世界」から「大国間の戦いの要衝」へ変化させている。そうした緊張の高まりで、極超音速兵器が注目されている。マッハ5(時速約6,000km)以上で飛翔する極超音速兵器は、広大な北極圏を短時間で制圧できる。低空を不規則な軌道で飛ぶ「極超音速滑空兵器」(HGV)や「極超音速巡航ミサイル」(HCM)は、既存の北極防空レーダーや迎撃システムを回避・無効化できる。
中国からアメリカ本土を攻撃する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の最短飛行ルートは、北極上空を通過する軌道である。しかし、中国は、2021年8月と11月、核弾頭を搭載可能なHGVを宇宙の低周回軌道に乗せる「部分軌道爆撃システム」(FOBS)の実験を行った[6]。FOBSは地球を周回できるため、「特定方向からの飛来」という概念がなくなり、アメリカは全方向からの奇襲に対する警戒態勢の構築を強いられることになった。
そこで、アメリカのトランプ政権は、「ゴールデン・ドーム」と呼ばれる、「あらゆる敵からの航空攻撃」からアメリカを守る統合型ミサイル防空システム[7]を2025年5月に正式に打ち出した(同年1月には計画の指示が報道されていた)。
さらに、こうした軍事上の脅威にとどまらず、商船や調査船による「軍民両用(デュアルユース)」の活動も西側諸国を警戒させている。2023年10月には、北極海航路を運航していた中国のコンテナ船の錨が原因で、フィンランドとエストニアをバルト海で結ぶ海底天然ガスパイプラインが損傷する事件が発生すると、軍艦だけでなく北極海航路を利用する中国の商船や調査船がNATO諸国の重要インフラを脅かすハイブリッド攻撃や事故のリスクになり得ると、NATO諸国は中国に対する警戒レベルを著しく引き上げ、監視を強化していった。
「北極における中国の活動」に対する急激な警戒の高まりは、アメリカ国防総省が2019年と2024年に公表した2つの『北極戦略』を照らして読むと、一目瞭然である。
2019年版のアメリカ国防総省による『北極戦略』[8]は、中国が「Near Arctic State」と自称することに批判的であったものの、「中国の北極圏における作戦上のプレゼンスはロシアに比べて限定的」、「その活動は、将来的に北極海への潜水艦配備を含む、中国の軍事的プレゼンスの強化を支援する可能性がある」「北極ガバナンスにおける役割を求めている」という分析であった。
しかし、5年ぶりに改定された2024年版の『北極戦略』は、戦略的環境変化について、ロシアよりも前に中国を掲載し、中国が非北極圏国家でありながら北極圏を「グローバル・コモンズ」と位置づけて同地域での影響力拡大を狙っていることへの強い懸念を示した。また、同戦略は、中国が砕氷船を利用した軍民両用の研究活動を実施していることに注目し、中露の北極圏における軍事協力や法執行機関の連携を最重要監視対象として位置づけ、宇宙軍やサイバー部隊などとのクロスドメインでの対応を強調した[9]。
このアメリカの『北極戦略』が公表された同月の2024年7月、ワシントンで開かれたNATOサミットでは、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド(IP4)の首脳が招待され、サイバー防衛や偽情報対策など、ヨーロッパ・大西洋とインド太平洋の「安全保障の不可分性」を強調したNATOのグローバルな拡大戦略が再確認された[10]。
このように、中国による砕氷船を用いた海洋調査や重要インフラ周辺での商船活動は、単なる環境調査や経済活動の域を超え、軍事目的に転用可能な「軍民両用リスク」として、いまやアメリカおよびNATO諸国による警戒対象となっているのである。
Ⅲ 主権とルールを超えて「人類の未開拓領域」での利権獲得へ向かう中国
中国の北極政策には、3つの目的がある。第1に、軍事・安全保障の戦略的空間を確保し、原子力潜水艦(SSBN)の隠蔽運用を進めるとともに、科学観測を名目として北極圏での衛星や通信網などのインフラを構築・整備し、全地球的な警戒監視能力を強化することである。これには、海軍部隊も民間商船も必要とする航海図を作成するための海底地形調査から潜水艦部隊が効果的に活動するための作戦海域における水中音響環境調査など、軍民両用の調査活動が含まれる。第2に、マラッカ海峡などの地政学的リスクを回避するための代替ルートとしての北極海航路(NSR)を確保しつつ、北極圏の天然ガス・石油、希少金属(レアアース)などの未開発資源を獲得することである。第3に、北極圏ガバナンスに参加して発言権を担保・拡大していき、北極海を「人類共通の財産」と位置づけていくことで、沿岸5か国(アメリカ・ロシア・カナダ・ノルウェー・デンマーク)による独占を防ぐことである。
中国が2018年に公表した『中国的北極政策』いわゆる『北極白書』[11]をはじめ、中国は「北極圏問題において重要な利害関係者である」との主張を繰り返している。
同白書は、1925年に中国がスピッツベルゲン条約に加盟して以来、中国が北極問題へ長年取り組んできたと訴えている。ただし、当時の中国は中華民国であったため、1949年に建国された中華人民共和国による北極進出の歩みをたどると、1996年に国際北極科学委員会へ加盟し、1999年以降、調査船「雪龍(Xuelong)」号を科学探査に北極へ派遣したことが実質的な北極進出の始動となる。2004年にノルウェー領スピッツベルゲン諸島のニーオーレスンに北極黄河基地を建設し[12]、常設観測所のプラットフォームを展開していった。2013年には、北極評議会(AC)のオブザーバーとなり、北極ガバナンスの議論に加わるプラットフォームを確保した。
2015年7月に施行された「国家安全法」第32条が、「国家は、宇宙、深海底および極地(=北極および南極)の平和的な探索と利用を堅持し、安全な進出・帰還、科学的調査、開発利用の能力を強化し、国際協力を強化し、宇宙、深海底、極地における中国の活動、資産、その他の利益の安全を維持する」と規定した[13]。同法施行以降、中国は「宇宙・深海底・極地」を「新領域」「戦略的新領域」と呼ぶようになり、法整備や探査活動を急速に強化していった。これにより、中国は、国家主権の枠を超えて、「人類の未開拓領域」における国家権益を獲得するための軍民融合の科学技術覇権と軍事力の強化を本格化させていった。
2026年3月に中国で採択された「第15次5カ年計画(2026〜2030年)」では、「戦略的フロンティア」として、深海・極地などの極限環境探査能力の強化が位置づけられた。「5カ年計画」とは、中国共産党(中共)の指導に基づいて、国務院(中央政府)が進める5年間の経済・社会の運営方針である。
Ⅳ 「2026年の4隻の調査船」の意味
この「第15次5カ年計画」を受けて、2026年7月3日、自然資源部極地研究所所属の「雪竜(Xuelong)」号、「雪竜2」号、自然資源部北海局所属の「極地(Jidi)」号、中国科学院[14]深海所所属の「探索(Tansuo)3」号の4隻による共同調査隊が、遼寧省大連市を出航した。10月上旬に終了予定である。
同調査は、北極海の重点海域で海氷、生態系、大気環境などに関する調査・観測のみならず、ガッケル海嶺の拡大形成メカニズムや海洋地殻の動的進化などについても探査・研究を行う。北極海中央海嶺として知られるガッケル海嶺は、グリーンランドの北方からシベリア沖のラプテフ海まで延びる全長1,800キロメートルの海底山脈である。
中国は国家戦略として「軍民融合(デュアルユース)」を掲げており、国家機関や研究機関の観測船が収集したデータは、人民解放軍の作戦能力向上に使われている。2026年3月2日に開催された米中経済安全保障調査委員会(USCC)の公聴会における米海軍大学校・中国海事研究所(CMSI)のアンドリュー・S・エリクソン教授の指摘によれば、中国科学院などのトップクラスの科学者が、北極および南極における通信施設、砕氷船、無人潜水艇などの開発・運用において軍民融合による活用を推し進めている。同氏の指摘によれば、中国の海洋調査船団はすでに「北極圏への玄関口」となるベーリング海などでアメリカの延長大陸棚上の広範な海底マッピングや海洋調査を実施しており、こうした中国の科学者たちの研究活動が将来的な北極海での潜水艦運用における技術的・運用上の基礎を築いている[15]。
また、北極における中国の科学調査には、いわゆる「三戦」(輿論戦・心理戦・法律戦)がある。「輿論戦」とは、中国に対する国際社会の支持を築くものである。「心理戦」とは、心理作戦を通じて敵の戦闘作戦の遂行能力を低下させるものである。「法律戦」とは、国際法・国内法を利用して国際的な支持を獲得したり反発へ対処したりするものである。中国は長期的な戦略目標の達成を目指し、北極圏の統治体制、科学研究、経済投資を標的とした影響力工作を展開している[16]。
2026年に北極へ出航した上記4隻からは、それぞれ「軍民両用」の戦略下での「輿論戦」と「心理戦」における政治的な意味を読み取ることができるであろう。
1993年にウクライナから購入した「雪竜」号は、1999年に初の北極探査を実施した。それ以来、中国の北極・南極進出を30年以上にわたり支えてきた中国の極地政策の象徴的な存在である。中国が長年にわたり極地へのコミットメントを続けてきたというナラティブを国際社会に誇示する役割がある。
2019年に就役した「雪竜2」号は、中国初の国産の極地調査用砕氷船である。砕氷船建造の自立を世界に見せる政治的意味がある。
2024年6月に中国自然資源部北海局へ引き渡された新世代科学観測砕氷船「極地」号は、中国が独自に設計・建造した船で、北斗衛星と直結し、ドローン、無人船、自律型水中ロボット(AUV)などのハイエンド海洋調査設備を搭載し、海氷分析、3次元水域調査、地球物理探査、大気モニタリングなどを含むさまざまな海洋環境の包括的な観測とデータ収集が出来るように設計されている[17]。言い換えれば、表向きは海氷や大気の環境調査と宣伝しながら、軍事的な通信網の確保にも直結している。
2024年末に引き渡された深海・遠洋多機能科学調査船「探索3」号は、世界の深海・遠洋海域の探査に対応すべく中国が独自に設計・建造した船で、氷海域での有人潜水支援能力を持つ中国初の総合科学調査船である[18]。有人深海潜水艇を搭載できる多機能調査船である「探索3」号は、中国によって「科学調査・文化財考古船探索3号」と宣伝されてはいるものの、船底に開いたムーンプールから海氷の下へ直接有人潜水艇を投入できる機能を備えていることから、今回の4隻のなかで最も軍事や権益の目的が強い船と言える。今回のミッションでガッケル海嶺を調査することから、海底の地形や音響特性、水温などのデータを詳細に集め、中国海軍の潜水艦が北極海の氷の下を隠密航行したり、北極の海底に眠る莫大な天然ガスやレアメタルの利権を獲得したりしていくための地政学的な布石にしようとしているとも言えよう。また、氷海域での深海音響探査・通信及び測位設備、船舶動力測位システムなどの国産化技術の開発と搭載が初めて実現されたことから、「探索3」号の調査には、中国の有人深海潜水能力を拡大したことを宣伝する政治的な意味がある。
今回のミッションにこれら4隻が投入されたということは、「雪竜」号による実績のアピール、「雪竜2」号による技術のアピール、「極地」号による空海上の監視能力のアピール、「探索3」号による海底の掌握能力のアピール、という包括的な戦略的アピールを意味していると言えよう。それゆえ、西側諸国は、この4隻による北極調査を単なる「科学調査」としては受け止めておらず、軍事的な脅威として警戒を高めているのである。
おわりに:「新たなフェーズ」に入った中国の北極進出
以上本稿が論じてきた内容を、中国の「第14次5カ年計画(2021~2025年)」[19]ならびに「第15次5カ年計画(2026~2030年)」[20]と照らして考えると、「2026年の中国船4隻の北極調査団」に潜む中国の北極での野心が見えてくるであろう。
「14次5カ年計画」では、「公正で合理的な国際海洋秩序」の建設と「海洋運命共同体」の構築を推進し、北極における実務的協力に参加し「氷上のシルクロードを建設する」と明記されていた。その章題が「海洋経済の発展空間を積極的に拡大する」が示す通り、海洋経済の発展空間を積極的に拡大・拡張することに主眼が置かれていた。
これに対して、「15次5カ年計画」では、海洋について記された章題「海洋の開発・利用・保護の強化」の下に示されていた「陸と海の統括的管理(陸海統籌)を堅持し、海洋を経略する能力を高め、海洋強国の建設を加速させ、中国の特色ある「海洋強国に向かう(向海図強)」道を切り拓く」ということばが示すとおり、「海洋強国」「海洋の経略」を目指すことに主眼が置かれている(※「海洋強国へ向かう中国の海洋の経略」の「経略」とは、戦略的に統治・支配・管理することを意味する)。14次計画にあった「氷上のシルクロードを建設する」のことばは見当たらず、「深海および極地調査の支援・保障体制を整備する」と明記されていることから、北極における活動のトーンが変わっていることがうかがえる。
また、「深海」に対するアプローチについては、「14次5カ年計画」では深海資源の調査や海洋工学技術の開発・育成が中心であったが、「15次5カ年計画」では、「海洋における戦略的科学技術力を強化し、海洋科学技術イノベーションを推し進め、深海および極地調査の支援・保障体制を整備し、遠洋気象ナビゲーションサービスを発展させる。深海プロジェクトを実施し、深海へのアプローチ・探査・開発・安全確保の能力を高める」と、深海プロジェクトの実施が具体的に明記されている。
第Ⅳ節で述べたように、4隻の調査船団による2026年の北極調査では、ガッケル海嶺など重点海域において探査・研究を行うほか、ロシアやドイツなどの研究者と共同作業も実施し、北極の保全とガバナンスを推進するための科学的根拠を提供することが期待されている、と中国メディアが報じている[21]。
中露のみならず、NATO中軸の一角を担うドイツの極地研究者を同船させていることにより、「自分たちはルールを壊す存在ではなく、国際社会のために科学的根拠を提供する『責任ある大国』だ」とアピールし、将来的な北極の資源開発や航路利用のルール作りで発言権を確保しようとしている外交的なねらいがうかがえる。
さらに、「14次5カ年計画」では、国際的なルール制定への「参画」や沿岸国との「実務協力」が謳われていたが、「15次5カ年計画」では、ルール策定への「主体的な参画」に加え、「自国内への専門的な海洋国際機関の設置・誘致」や「法理的闘争・海上取り締まり能力の強化」が掲げられており、国際海洋秩序においてより主導的な立場を確保しようとする強い意欲が示されている。
2026年1月17日に「国連公海等生物多様性協定」[22](BBNJ協定)が発効する前日の1月16日に、中国は福建省厦門市をBBNJ協定の事務局設置候補地として申請すると国連事務総長に通知している[23]。これも、「15次5カ年計画」で示された「自国内への専門的な海洋国際機関の設置・誘致」の一環である。中国の北極ガバナンスをめぐる参画は、一層、活発化していくものとみられる。
「14次5カ年計画」で「海洋強国」に向けて基盤づくりと経済空間の拡大を図ってきた中国は、「15次5カ年計画」において、海洋を制し、深海・極地・国際ガバナンスにおける統括管理と権益確保を目指している。中国の北極を含む海洋戦略は、「拡大・拡張」から「経略」へと新たなフェーズへ大きく移行していると言えよう。