公益財団法人日本国際フォーラム

1.ヒルビリー・エレジーからホワイトハウスへ: オハイオ州の政治的意味

『ヒルビリー・エレジー』、日本でも翻訳本が公開され、ネットフリックスでも映画化されたオハイオ州出身のJ・D・ヴァンス副大統領の自伝である。オハイオ州をはじめとしたラストベルトと呼ばれる地域では製造業が海外へ工場を移し、産業の空洞化が進んだ末、地域経済の悲惨さと混乱がヴァンスの青年時代を通じて描かれている。同書は、ドナルド・トランプが大統領選を制した2016年に刊行され、泡沫候補だったトランプの強固な支持者となった中西部の白人労働者層を理解する上でも広く読まれた。同書によりヴァンスはラストベルトの白人労働者への理解者として捉えられ、2024年大統領選のトランプの伴走者として副大統領に選ばれた。

アメリカの製造業の衰退を象徴してきたオハイオ州とは対照的に、過去30年間の大半において、アメリカ経済の未来を象徴してきた地域はカリフォルニア州のシリコンバレーであった。半導体から検索エンジン、ソーシャルネットワークなど、シリコンバレーはアメリカ経済を牽引する地域として羨望の眼差しを浴びてきた。しかし、最近の動向はこれまでとは異なる物語を示唆している。シリコンバレーが依然として技術革新の中心地であるとは言え、人種別マジョリティが白人ではなくなり、アメリカの中流階層を理解できないほどの富が集中する一方で、オハイオ州は全米の縮図とされる平均的な人口構成を持ち政治戦略的に重要な地域であることをふまえ、国内の政治的優先性と産業政策・対米投資が接合する場として変貌を遂げつつある。

2.オハイオ州における日本:ホンダからソフトバンクへ

オハイオ州に代表されるラストベルトの政治的復活は、ヴァンスの副大統領就任に象徴される。それは地域経済の復活をも牽引しつつある。グローバル化の敗者となり、政治的に「忘れられた人々(forgotten people)」とされた人たちの地域社会が、トランプ大統領の支持者となって「忘れられない人々(unforgettable people)」へ変わり、今や経済安全保障、国家競争力、地経学の観点からアメリカの産業の未来を決める議論の中心的な存在を占めるまでになった。

この変容は、オハイオ州における日本企業の投資の歴史を通じて見ると、如実に表れている。あまり注目されてこなかったが、オハイオ州は歴史的に日本企業との繋がりが深い。1980年代、日米の貿易摩擦が深まるなか、ホンダはオハイオ州のメアリーズビル工場を開設した。ホンダは、自動車生産を行う最初の日本メーカーとなり、日本企業の製造業の現地化が始まった。その後もホンダはオハイオ州にて事業を続け、総額130億ドルの設備投資が行われ、オハイオ州のホンダ製造事業を支える従業員は1万2,000名以上に上るとされる[1]。オハイオ州における日本企業の投資はホンダに留まらず、安川電機、三菱電機など多数の日本企業が進出する。同州における日本企業による事業所は434ヶ所にも上り、雇用者は6万8,000人を超え、中西部で最多数となっている[2]。オハイオ州における日本企業の投資は、40年以上にわたり、市場参入を目的とした製造から、徐々に地域生産エコシステムを構築し、地域経済に深く根差してきた。こういったホンダを中心とした日本企業の投資はグローバル化における製造業の現地化という論理によって進められてきた。

しかし今日、日本企業による投資の様相は一変している。ソフトバンクグループが同州への大規模な人工知能(AI)のインフラプロジェクトを進めていることは、オハイオ州がもはやグローバル化の単なる製造拠点に留まらないことを示唆している。ソフトバンクの同州へのAIインフラ投資は、米政治の変容により、そこで生み出される経済政策において、対米投資へのインセンティブの論理が経済安全保障と地経学競争へと変わった結果を物語っている。

3.経済的貢献が政治的評価へ繋がらず

ホンダの製造業の現地化やソフトバンクによる巨額投資の構想は、日本企業がアメリカの地域経済において不可欠なパートナーであることを表している。しかしながら、ホンダをはじめとした日本の企業が数十年にもわたって投資をし、雇用を創出し、地域経済に貢献してきたからといって、より大きな政治的影響力や政策の確実性を得ているわけでもない。実際には逆の問題が残っている。その際たる分野が移民政策である。

昨今のアメリカの移民政策に関する議論は非正規移民の処遇と南西部国境沿いの国境管理に支配されており、それが政党間の対立を深め、議論が硬直化している。この議論に巻き込まれる形で、移民政策は安全保障上の問題として議論されるに留まり、その結果としてビザ制度の硬直性が生み出す課題は、アメリカ進出の日本企業にとって不確実性を生み出している。JETROの調査結果では、ビザ発行の不確実性がオハイオ州に進出する日本企業に否定的な影響を与えている[3]

ビザに関する不確実性が解消されない状況は、日本企業の経済的貢献の限界を浮き彫りにしている。日本企業による投資は政治的に目立たず、米大統領選であれ、地方選挙であれ、選挙の議論にて外資系企業の経済的貢献が取り出されることは少なく、日本企業は経済的貢献が自動的に政治的評価に繋がるわけではない。これは、政党問わず、選挙の論理である。雇用創出が重要であるにもかかわらず、そうした雇用が外国資本によるものであることは滅多に強調されない。経済安全保障と地経学といった、ホンダの時代の論理とは異なる形でAIインフラプロジェクトに巨額投資で参画するソフトバンクへの対米投資の変遷は、重要な疑問を呈する。すなわち、その経済的貢献は実際にどれほどの政策の不確実性を解消するのだろうか、ということだ。

4.結論

歴史に「もし」という仮定を問うことはタブーだが、オハイオ州といったラストベルトを強力な支持者としたトランプ大統領の登場、同州出身のヴァンスの副大統領の就任といった米政治の変容がなければ、経済安全保障と地経学競争が中心になることはなく、オハイオ州へのAIインフラ投資は実現しなかったのではないだろうか。それは逆説的に、オハイオ州は、アメリカの政治において「忘れられた人々」から「忘れられない人々」へと政治的位置づけが変わっていくことにより、グローバル化の敗者として見なされた地域が、対米投資を通じて先端技術を支えるインフラの重要拠点として変わっていく姿を表している。他方、同盟国である日本企業の対米投資や地域経済への貢献が政策の不確実性を解消するわけではない。つまり、オハイオ州の事例は、経済的貢献が政策の確実性を保証するものではなく、国内の政治情勢が企業の戦略的投資の行方を変えることを明らかにしている。それは、日本企業が対米投資の経済的意義を米国内政治にて効果的に発信する必要性が今後ますます問われていくことを意味するのである。

*本コメンタリーは、2026年3月のオハイオ州コロンバスへの出張をもとに執筆した。

[1] Honda, “Celebration Celebrates 40 Years of Production Engine Plant in Ohio”, July 21, 2025, https://hondanews.com/en-US/honda-corporate/releases/release-ccb19723f8c4bc9d353bc56a2c0f5f92-honda-celebrates-40-years-of-production-at-anna-engine-plant-in-ohio (Access May 26, 2026).
[2] Consulate-General of Japan in Detroit, “Japanese Direct Investment”, Oct 1, 2023, https://www.detroit.us.emb-japan.go.jp/files/100672490.pdf (Access May 26, 2026).
[3] JETRO, “オハイオ州編(第39回調査)”, https://www.jetro.go.jp/ext_images/usa/2020/ohio-results.pdf(Access May 26, 2026).