ロシアやイランが軍事支援していたシリアのアサド政権が12月8日、あっけなく崩壊した。この政権崩壊劇は、筆者にとって国際情勢で今年最大の衝撃だった。アサド政権崩壊は、ロシアの世界戦略だけでなく、プーチン氏個人にとって屈辱となる重大事だ。それだけにそう簡単にはアサド政権は瓦解しないだろうとたかをくくっていたからだ。
ロシアやイランが軍事支援していたシリアのアサド政権が12月8日、あっけなく崩壊した。この政権崩壊劇は、筆者にとって国際情勢で今年最大の衝撃だった。アサド政権崩壊は、ロシアの世界戦略だけでなく、プーチン氏個人にとって屈辱となる重大事だ。それだけにそう簡単にはアサド政権は瓦解しないだろうとたかをくくっていたからだ。
なぜプーチン氏にとって、ロシアから遠く離れた中東シリアの独裁体制崩壊が屈辱なのか。説明しよう。遡ること1989年。若きKGB工作員だったプーチン氏は、東独ドレスデンで「ベルリンの壁」崩壊の衝撃を身をもって体験した。詳述できないが、民衆の力で一夜にして社会主義体制が瓦解したことは彼の価値観を揺るがす出来事であり、トラウマ(心的外傷)となっている。
プーチン氏自身は、東欧、ロシアや旧ソ連諸国での下からの体制転換を最も嫌悪し、国際的にも権威主義国家を支援する。中東については2010年から12年にかけて連鎖的に起きた民主化運動「アラブの春」について、「米欧が扇動するクーデター」だと、根拠のなき非難を繰り返してきた。2015年にアサド政権を崩壊の淵から救った背景として、民主化や体制転換を心底嫌悪するプーチン氏の妄執も見逃すべきではないだろう。
ロシア国内でも今年死亡した反体制政治家ナワリヌイ氏ら政敵を厳しく弾圧し、長期に及ぶ権威主義体制を維持する。プーチン氏にとって、10年以上支えてきたアサド大統領の肖像画が反体制派によって引き裂かれる映像は、あたかも「悪夢の再来」に映ったに違いない。プーチン氏が即座にアサド氏を亡命させたのはアサド氏が反体制派に拘束され、イラクのサダム・フセイン氏や暴徒に惨殺されたリビアのカダフィ氏のような惨めな末路を辿ることだけは阻止したかったからだ。
ただし、シリアでの大失敗がプーチン氏の権威低下や支持率低下に結びつくことはないだろう。統制された情報空間の中で暮らす多くの国民はさほどの重大事だとは思わないからだ。
とはいえ政権に近いある軍事ブロガーは、「テレグラム」のチャンネルで「10年間も(シリアに)駐留し、ロシア兵士が死んで、数十億ルーブルが費やされ、弾薬数千トンが浪費された。何らかの形で補償されなければいけない」と批判するように不満は沈殿しているというべきだ。
さて、シリアでの予想外の事態は、ロシアにとって、ソ連崩壊以来の地政学上の挫折である。プーチン政権は2015年、イスラム国(IS)や反体制派武装勢力の猛攻で、崩壊寸前だったアサド政権を延命させるため、航空戦力を中心に大規模な軍事介入を行った。ソ連崩壊後、ロシアが旧ソ連域外で初めて行った軍事介入で戦況は一変した。当時の米オバマ政権はシリアへの軍事的関与に消極的で、米国の影響力は低下していた。その間隙を縫うようにして行ったロシアの介入は、ソ連消滅で劇的に低下していたロシアが国際舞台に華々しく復帰したとして、国際的な影響力復活を象徴する出来事だった。
当時、モスクワに駐在中だった筆者が強く印象に残ったのが2016年に、ISから解放したパルミラ遺跡で、マリンスキー劇場の音楽総監督であるゲルギエフ氏が行ったコンサートだ。グローバルパワーとしてのロシアの再登場を物語るイベントとして主要テレビが繰り返して放送し、国民は愛国心を高めたことをよく覚えている。
ロシアにとって最も深刻なのは中東での軍事戦略上の重要2拠点を失う可能性が高まっていることだ。ロシアはアサド政権から北西部の地中海沿いにあるフメイミムの空軍基地の使用権のほか、地中海で唯一の補給・修理拠点であるタルトゥースの海軍施設を49年間使用する権利を得ていた。ロシアが東地中海でのプレゼンスを劇的に向上させた。これはロシア皇帝やソビエト指導者も果たせなかった戦略的野望の実現だとする賞賛もあった。
しかもウクライナ侵略を受け、トルコはロシア軍艦のボスポラス海峡封鎖を続けており、現在ロシア黒海艦隊は地中海に自由に展開できず、シリアでの軍事基地の重要性は高まっていた。
政権の懸念は深まるばかりだが、しばらくするとダメージコントロールが始まった。プーチン氏以下、ロシアの政権幹部やそれに近い「専門家」は、「シリアの政変はロシアにとって何ら影響はない」とのコメントを内外に向けて発信し始めた。
中でもプーチン氏は、一年で最大のイベントであるプーチン氏と国民の対話及び記者会見を利用して、「ロシアはシリアで失敗していない」「基地の維持を続けたい」などと話し国民の懸念を振り払って見せた。しかしこれが根拠のない強弁に過ぎないことは明白だ。
一部情報では暫定政権はロシアに対し2月20日を期限にシリアの基地からの撤退を求めているとの情報もあり、交渉は難航しているようだ。ロシアの武器輸送貨物船がシリアに向かっており、メディア情報やSNSなど周辺情報を見る限り、ロシア軍はシリアからの相当大規模な撤収を行う準備を進めていることは確実なようだ。
興味深いのは、プーチン氏お気に入りの国際政治学者フョードル・ルキヤノフ氏ですら、アサド政権崩壊後、発表した評論で、「2015年の(シリア介入」作戦で示された(ロシアの)世界舞台への復帰という課題はもはや価値がない)と指摘し、「地域大国」ロシアの絶対的最優先課題はウクライナだとの見解を発表したことだ。ロシア中東政策に関する米国の専門家アンナ・ボルシェフスカヤ氏は、ロシアのウクライナ侵攻の直前の2022年1月に、米国との対比の上で「ロシアの対シリア政策は成功した」と述べていた。
交渉が最終的にいかなる着地点を見いだすかは不透明だが、シリア情勢は今後、安定化より混迷に向かう可能性の方が高いようだ。政治の世界では昨日の仇敵と手を結ぶことも希ではない。それでもロシアがアサド政権下で獲得していたような特権を享受できる可能性は低いとみるのが妥当だろう。暫定政権が国際社会に復帰しようとすれば経済制裁の解除や国際社会からの早期承認が必要だからだ。戦争研究所は「HTSはシリアにおけるロシアの存在を完全に排除するよう、国際社会から相当な圧力を受けている可能性が高い」と分析している。日本外務省関係者によれば、日本政府も既にHTSとの接触を始めているという。ならばG7諸国など同志国と歩調を合わせ、シリアからのロシアの影響力排除を働きかけるべきだろう。