公益財団法人日本国際フォーラム

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第19回定例研究会合

「ロシアの論理と日本の対露戦略」研究会の第19回定例研究会合が下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところそれらの概要は下記4.のとおり。

  1. 日  時:2026 年8 月27日(木)15時00分-16時30分
  2. 場  所:日本国際フォーラム会議室にて対面およびオンライン(Zoom)開催
  3. 出 席 者:
[講  師] 保坂三四郎 エストニア国際防衛安全保障センター研究員
[主  査] 常盤  伸 JFIR上席研究員/東京新聞(中日新聞)編集委員
[顧  問] 袴田 茂樹 JFIR評議員・上席研究員/青山学院大学名誉教授
[メンバー] 名越 健郎 拓殖大学客員教授
廣瀬 陽子 JFIR上席研究員/慶應義塾大学教授
山添 博史 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長
吉岡 明子 キヤノングローバル戦略研究所主任研究員
              (五十音順)
[JFIR] 渡辺 まゆ 理事長
菊池 誉名 常務理事
佐藤  光 特別研究員
福居 莉音 JFIRインターン
  1. 内容
    冒頭、渡辺理事長および常盤主査から本研究会の主旨等について説明が行われた後、保坂三四郎・  エストニア国際防衛安全保障センター研究員による報告および自由討議が行われたところ、概要はつぎのとおり。

保坂三四郎・エストニア国際防衛安全保障センター研究員による報告:「ロシア研究の新たな潮流?:2022年は歴史的転換点となったのか」

(1)ソ連・ロシア研究の歴史的転換点

2022年のロシアによるウクライナ全面侵攻以降、シンクタンクのみならずアカデミアにおいても、従来のロシア研究・ウクライナ研究のあり方を見直す動きが始まり、「脱植民地化(decolonization)」「脱中心化(decentering)」「再考(rethinking)」などと呼ばれている。

ロシア研究は従来も歴史的転換点ごとにそのあり方が議論されてきた。ポスト・スターリン期の東西学術交流(1950〜60年代)、1970年代末から80年代の全体主義学派と修正主義学派の論争、ペレストロイカ・ソ連崩壊期の体制変革可能性およびソ連崩壊を予見できなかった要因をめぐる議論、1990年代末の民主化後退と体制転換論の適用の是非をめぐる議論などである。2022年の全面侵攻は、これらに匹敵、あるいは凌駕する規模の議論をアカデミアに引き起こしたように見える。

ロシアに偏重しウクライナを軽視してきたロシア中心主義への反省という点では、一定のコンセンサスがある。しかし、ロシア研究は多様な知的枠組みやディシプリンから成る。より深く観察すると、方法論以前の認識論のレベルで、個々の学会、グループ、研究者の立場が分かれているというのが現状であるように思われる。いずれの呼称を用いるかにもその差異が表れている。例えば、米国のスラブ・東欧・ユーラシア研究協会(ASEEES)は「decolonization」、米国の政治学系研究者は「rethinking」を用いる傾向がある。

(2)既存研究の問題点

これまでのロシア研究の問題点を探るうえで、「政治的巡礼者(Political Pilgrims)」と「隠れた問題擁護(Stealth Advocacy)」という二つの概念が有用である。前者はポール・ホランダー(Paul Hollander)による概念である。ホランダーは、西側知識人がソ連や中国、キューバなどを訪問する動機は共産主義への共鳴よりもむしろ、ベトナム戦争介入や貧富の差など自由な西側社会への幻滅や疎外感にあり、その結果として全体主義国家のプロパガンダを受容しやすくなると指摘した。後者はロジャー・ピールケ・ジュニア(Roger A. Pielke Jr.)が、研究者が科学的中立性を掲げながら、無意識のうちに特定の政策を擁護し、政策選択の幅を狭める危険を示したものである。例えば、ジョン・ミアシャイマー(John Mearsheimer)がIR理論に基づき西側がロシアの侵攻を誘発したと論じ、それがロシア大使館に引用されるなど政治的に利用されたことは、その典型である。

こうした批判的視点からみると、既存研究には二つの問題がある。第一に、反覇権主義やポスト構造主義の立場から、ロシアを西側中心の世界構造に支配される犠牲者として描くことで、帝政期からソ連、現在に至る周辺民族への支配や加害の歴史、帝国主義的ナショナリズムを過小評価する傾向である。第二に、数量データによる比較を重視する実証主義的研究において、研究継続や現地調査への影響を懸念し、政治的にセンシティブな論点を避ける傾向である。そうしたアプローチを主導してきた『Post-Soviet Affairs』編集長のティモシー・フライ(Timothy Frye)自身も、プーチン体制の暗部に触れれば研究の継続が困難になるため、そうした論点を避けてきたと自著『Weak Strongman: The Limits of Power in Putin’s Russia』(Princeton University Press、2021)に記している。

(3)ロシアを犠牲者と見る反覇権主義・ポスト構造主義

2022年までの統計では、中心的な学術誌『Post-Soviet Affairs』の掲載論文の7割以上がロシア関連であり、『Europe-Asia Studies』『Post-Communist Studies』『Problems of Post-Communism』等を含めても全体の約5割を占める。こうしたロシア中心主義は質的研究にもみられ、歴史学ではウクライナなど非ロシア人の歴史がロシア史の枠組みで捉えられ、2014年のクリミア併合後もロシア側のナラティブが研究者・ジャーナリストを通じて再生産されてきた。ただし、この問題は全面侵攻後に広く認識されるようになった。

そのうえで現在まで続く問題の一つは、反覇権主義的・ポスト構造主義的視点からロシア(人)を犠牲者として捉え直す議論である。その起点はソ連崩壊期にあり、ユーリ・スレズキン(Yuri Slezkine)はソ連を「コムナルカ(共同アパート)」にたとえ、ロシア人は家全体を所有しながら自室を持たなかったとしたうえで、独立した各住人の壁を壊し、家を取り戻すべきかと論じた。30年以上前の議論だが、まさに現在プーチンが実行していることである。

ソ連崩壊後には、ロシア人の屈辱や苦難に同情的な議論が西側でも広がり、アレクセイ・ユルチャク(Alexei Yurchak)が議論するように、「ソ連型社会主義は必ずしも悪ではなかった」とするオルタナティブな見方が一部の研究者の間に広まった。また、雑誌『Ab Imperio』は「新しい帝国史」の視点から固定的な支配・被支配の枠組みを批判し、帝国的関係はウクライナ国内にも存在すると論じて、帝国主義を想像上の「帝国性(empireness)」へ矮小化した。その一方で、基幹民族の視点から書かれる歴史を「方法論的ナショナリズム(methodological nationalism)」と呼び批判しており、この立場は全面侵攻後も維持されている。アレクサンドル・エトキント(Alexander Etkind)の「自己植民地化(internal colonization)」や、ヴャチェスラフ・モロゾフ(Viatcheslav Morozov)の「従属的帝国(subaltern empire)」も、ロシアを西側秩序の客体・従属者として捉える点で共通する。これらの議論はロシアによる周辺民族への植民地化を過小評価し、加害・被害の非対称性を曖昧にする傾向がある。

(4)非政治化する実証主義的ロシア研究

上述した反覇権主義・ポスト構造主義的アプローチとは対照的に、政治現象を自然現象と同様に計量・実測しうるとする実証主義的アプローチには別の問題がある。1960年代の行動論革命以降、ジェリー・ハフ(Jerry Hough)などの米国の政治科学者は、近代化論、制度的多元主義などの西側社会を分析する概念を用いてソ連の政治や社会を説明しようとしてきた。この流れを引き継ぐフライは、西側のロシア観は政治化されているとし、研究者は、調査報道に従事するジャーナリストとは異なり、経験的に検証可能なデータから一般的傾向を明らかにすべきだと主張する。全面侵攻後の『Post-Soviet Affairs』でも、ロシアは、比較政治研究者にとっての「権威主義の実験ラボ」に例えられた。

しかし、こうした研究は現地調査のためロシア側の研究資源に依存し、結果として政治的にセンシティブなテーマを避ける傾向をもつ。例えば、フライは、比較政治学的視点から、2003年のミハイル・ホドルコフスキーの逮捕と石油会社ユーコスの国営化は、他の権威主義的な産油国にも共通して見られる事象だとし、ロシア固有の政治的文脈を過小評価する。実際は、プーチンが、FSB経済保安局を使って政敵ホドルコフスキーを排除した事件である。フライ自身も、ロシア政府から多額の資金援助を受けて高等経済学院に研究機関を設置した際、汚職やオリガルヒの横領などのテーマを扱わなかったと記している。皮肉にもフライが在籍した当時、同学院はFSB経済保安局の管轄下にあった(2019年以降はFSB憲法秩序擁護・テロ対策局へ移管)。実証主義者による外見上の客観性や非政治性の追求が、実際には体制を刺激しないように研究対象を狭め、政治化してきた例である。

上記の例でも顕著だが、とりわけ看過されてきたのが、FSBなど情報保安機関の役割である。フライは、プーチン体制を個人主義的権威主義(personalist autocracy)と呼び、エルドアンのトルコ、オルバンのハンガリーなどと同列に扱う。しかし、そのようなアプローチは、軍を監視する情報保安機関が国家運営に占めるロシア固有の位置付けを見落としかねない。他の権威主義国は、自国の兵士100万人を失ったら体制そのものが持たないだろう。

冷戦時代に多くのソ連研究者がKGBを始めとする情報保安機関に関するテーマをタブー化して避けてきたのは、それを扱えばソ連留学が不可能になったからである。残念ながら、現在も一部の研究者には現地へのアクセスを失う懸念から同様の自己規制がみられる。近年欧州で議論される「研究セキュリティ」は、権威主義国家が研究資金や資料アクセスを通じて研究活動に影響を与える問題として、この点を捉え直す視角を提供している。

(5)結論:新しい象牙の塔からの脱却

『Post-Soviet Affairs』は、2023年に全面侵攻を受けたロシア研究の見直しを企画したが、ウクライナ研究者などを加えず、ロシアのみを専門とする研究者によって議論を行った。これはロシア研究を狭く定義するものである。今後は、少なくともウクライナ、中央アジア、コーカサスなど周辺地域の主体性や視点を取り入れ、体制のナラティブを相対化することが重要である。とりわけ歴史研究では、ロシアの資料や研究者だけに依存すれば、ロシアとウクライナを一つの国家・民族として捉えるナラティブを再生産しかねない(そうした研究者は、ロシアとウクライナを「兄弟民族」と表現してきた)。隣接する地域研究の知見や資料を取り入れることで、こうしたバイアスを減じることができる。また、ロシアでは秘密指定が続く旧KGB関係資料も、他の旧ソ連諸国では一部が公開されており、積極的に活用する必要がある。

こうした議論は、しばしば「ロシア・キャンセル」や「反ロシア主義」と批判される。しかし、隣接する地域研究の成果を取り入れることで、見過ごされてきた帝国的ナショナリズムや権力構造をより包括的に分析できる。ロシアを犠牲者として捉え直すポスト構造主義的アプローチや、過度な非政治化を志向する実証主義から距離を取り、適度に批判的なロシア研究へと発展させることが必要だろう。

全面侵攻後にユーラシア・東欧研究者の有志によって設立された国際学会「RUTA」は、こうした方向性を共有し、周辺の国家や民族からユーラシア・東欧を捉えることを目指している。2024年以降、ウクライナのザカルパッチャ州で年次大会を開催し、2026年7月には第3回大会が開かれた。戒厳令下で国外に出にくいウクライナの研究者が参加できる点にも意義がある。一方、近年はフェミニズムや環境問題を含む、よりグローバルな反覇権主義的・ポスト構造主義的議論も増えており、当初の方向性から変化もみられる。RUTA自体はまだ新しい学会であり、今後こうした傾向への批判も取り込みながら発展していくことが期待される。

(以上、文責在事務局)