公益財団法人日本国際フォーラム

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第11回定例研究会合

標記研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議事概要は下記4.のとおり。

  1. 日 時:2023年6月16日(金)17:00-18:30
  2. 形 式:オンライン形式(Zoom)
  3. 出席者
[講  師] 角  茂樹 元駐ウクライナ大使
[主  査] 常盤  伸 JFIR上席研究員/東京新聞(中日新聞)編集委員
[顧  問] 袴田 茂樹 JFIR評議員・上席研究員
[メンバー] 安達 祐子 上智大学教授
名越 健郎 拓殖大学教授
廣瀬 陽子 慶應義塾大学教授
保坂三四郎 エストニア・タルトゥ大学
山添 博史 防衛省防衛研究所主任研究官
吉岡 明子 キヤノングローバル戦略研究所研究員
[JFIR] 高畑 洋平 上席研究員
渡辺  繭 理事長

(五十音順)

  1. 議論概要

角大使による報告「ウクライナ戦争において分裂する正教会」

①正教会問題から見たウクライナ戦争の背景

ウクライナの複雑な歴史は、教会の歴史を見ると非常によく分かる。キリスト教は、初代教会から始まり、11世紀に正教会(ビザンティン帝国)とカトリックに分裂する。その後、カトリックはまたプロテスタントに分かれた。ウクライナは、キーウ・ルーシー公国の時代の988年にビザンティン帝国よりウラジーミル大公が洗礼を受けキリスト教化した。この正教会が13世紀にキーウ・ルーシー公国がモンゴルによって滅ぼされた後にモスクワ公国に拠点を移していく。モスクワ公国がロシアと名乗りだしたのはこのことをもってキーウ・ルーシー公国後継国であることを示すためである。ちなみにロシアは、ルーシーのラテン語読みである。ウクライナからしてみれば本来キーウ・ルーシー公国時代に存在すらしなかったモスクワ公国が勝手にロシアと名乗ったに過ぎないということになる。一方のウクライナにおいては、モンゴルが去ったあとポーランドの影響下に入る。その時代にギリシャカトリックという典礼は正教会と同じであるが、ローマ教皇の首位権を認める教会が新たに設立される。ロシアがウクライナに勢力圏を確立していくのは、17世紀の終わりに過ぎない。それまでのロシアとウクライナは、歴史的にも宗教的にも言語的にも別々の道を歩んできたと考えて良い。
 現在のウクライナにおいては正教会に関しても、モスクワ総主教のもとにあるウクライナ正教会、キーウ首座府主教のもとにあるウクライナ正教会に加え、ギリシャカトリックが主要な教会として並立している。このことは、ウクライナがロシアと西欧の双方の影響のもとに自国のアイデンテイテイを模索した歴史を理解する上で重要なポイントである。
 ウクライナとロシアにおいてラヴラと呼ばれる大修道院は5つしかないが、内3つはウクライナにある。その1つであるペチュルスカ大修道院が現在非常に大きな問題となっている。同修道院は法律上、国の所有であるが、これまでモスクワ総主教に属するウクライナ正教会が使用権を認められていた。しかし、ウクライナの最高議会がその使用権を3月をもって停止することを発表したからである。この決定により、本来ならばモスクワ系の教会は同修道院から退出しなければならないが、依然居座っているようだ。力で追い出すわけにもいかず、対応が難しい。
 また、歴史的には疑義が残るものの、ウクライナの教会は、キリストの12弟子の一人である聖アンドレアが1世紀にキーウを訪れ建てたということになっている。この点はロシアにとっても極めて重要である。正教会は、カトリックと異なりローマ教皇のような首位権を持った首長は存在せず、各国の総主教が同等の権威をもって横並びの存在であるというシステムをとっている。ただその中でもキリストの弟子による創立とされるコンスタンチノープル、アレキサンドリアといった総主教が高い権威をもつとされている。ロシア正教会にとって、モスクワ総主教の権威がローマ教皇、コンスタンチノープルの総主教に劣るものでないことを主張するには、アンドレアの後継者であることを主張する必要がある。ところがウクライナがロシアから宗教的にも分離してしまうと、モスクワ総主教は、アンドレアの後継者であるという主張をできなくなり、その起源はせいぜい13〜14世紀となってしまう。アンドレアの後継者は、ロシア正教会から独立しているキーウの首座府主教だからである。これでは、モスクワは、ローマやコンスタンチノープルのようなキリストの使徒によって作られた教会の権威にはとてもかなわない。
 ウクライナに対するプーチンの固執を顕著に示す例として、2016年にモスクワに巨大なウラジーミル大公像が建設された。ウクライナからすれば、モスクワはキーウ・ルーシー公国と全く関係がない。そこに巨大なウラジーミル大公像を建設し、ロシアこそがキーウ・ルーシー公国の後継者であると示そうとするプーチンの姿勢は、彼のウクライナに対する執念あるいは粘着質そのものだ。

②政教分離の問題:国家と教会の分離

政教分離に対する各国教会の考え方は様々だ。共産主義的な反教会、英国のように国王にによる教会のコントロール、フランスのように教会と国家の分離、米国のように国教を排するとの考え方、イタリアのように教会と政府の間でコンコルダートという協定を結ぶ等々である。また、カトリック教会の説明によれば、教会と政治の扱う分野は異なる。教会は永遠の精神の幸せを、政治は現世での物質的な幸せをそれぞれ求めながら、協力する分野もある、という事になる。他方、正教会はビザンテイン時代には、統治権は神によって与えられたものであり、政治と教会の関係は、政教分離ではなく政教調和であるという考えをとっていた。現在では正教会内においても「政教べったり」なビザンティン調和を否定する考えも強い。
 ところが、政教の関係に関するロシア正教会の考え方は他の正教会とも異なる。ロシアの正教会は、13世紀から15世紀にかけてタタールのくびきと呼ばれる時代に、ギリシャ文化、ラテン文化と隔離された考えを独自に発達させてきた。この結果、ロシアこそがビザンティン帝国を受け継いだ国であり政教は分離ではなく調和すべきとの考えがいまだに根強い。共産党時代も政治権力への従属ということで何とか生き残りを確保してきたし、現在も政治権力を支持することがビザンティンの後継者を名乗るロシア正教の伝統であると考えている。このようなロシア正教会のビザンティン調和とは、他の正教会とも異なる特殊な思考である。

③キリスト教会と戦争論

初代教会は「絶対平和」が主流であったが、キリスト教徒の中には、皇帝の崇拝を拒否したものの、戦争には従軍した軍人も多数存在していたことも事実である。4世紀にキリスト教が国教となると5世紀に、西ローマ帝国において蛮族の侵入があったのを受け、アウグステイヌスが神の国と地上地方の国を分離し、地上の国における不正義に対応するためには、軍事力が必要であるということを神学的に認めた。13世紀のトマス・アクイナスは、『神学大全』において「正戦論」と題する章を設け、このような考えを整理した。
 現在のカトリック教会は、次のとおり正戦論に関する指針を設けている。①侵略戦争の禁止、②侵略された場合の自衛は、武力を行使してでも行う国家の責任であり義務である、③国際社会は、生存が脅かされているか、基本的人権が脅かされている集団のために介入する道徳的義務がある(いわゆる「保護する責任」)。
 他方、正教会では蛮族の侵入を受けた西ローマ帝国と異なりビザンティン帝国が長く存続したので正戦論に関し神学的な大きな議論を行う必要がなかった。2000年に出された「ロシア正教会の社会的概念の基礎」という文書においては、戦争は無条件に悪とされているものの、自衛のため、隣国の防衛、および踏みにじられた正義の回復を図る場合においては、戦争が必要であるとも述べている。
 また、コンスタンチノープルの全地総主教庁は、現世における暴力の存在を認め、暴力を終わらせるための暴力の必要性も「悲しい現実」として認めている。

④ウクライナ侵攻とロシア正教会

ウクライナ侵攻について、ロシア正教会のキリル総主教は、ロシア兵士はウクライナを西側の悲しき道徳から救済するため、この戦いで死ねば天国に行く、と発言してプーチンの侵略を積極的に支持している。また、ロシア軍によるウクライナ市民に対する虐殺に関してそのような行為を禁じるジュネーブ4条約を軍に説くべきことを怠っており、カトリック、プロテスタント教会のみならず他の正教会からも非難されている。戦争当初は、ロシア正教会の司祭が連名で戦争反対声明を発表したものの、政府の取り締まりにより沈黙させられてしまった。

(以上、文責在事務局)