公益財団法人日本国際フォーラム

プリゴジンの「反乱」は、一見あっけなく僅か2日で「終わった」が、実際の終結形態はまだ進行形だ。したがって、この事件の今後のロシア体制あるいはプーチン体制への影響は今は未知数である。この観点から本稿では、民間軍事会社の問題を考えたい。(人名は敬称略)

民間軍事会社がなぜロシアに存在し得るのか
 プリゴジンのワグネルは民間軍事会社としてアフリカ、シリアなどの中東、ウクライナ、そしてロシア国内において、ロシア政権公認の下で、あるいは政権と一体となって活動してきたことは周知のことだ。ロシア軍のウクライナ侵略に関しても、バフムトの攻撃の主力になったのがワグネルだったことは世界が知っている。
 プーチンも今回の事件に関連して、民間軍事会社であるワグネルの費用は100%ロシア政府が支払ってきたと公然と述べた(6月27日)。そして、反乱を起こしたワグネルの指導者プリゴジンを抑え込むために、国家のワグネルへの支出に関連して、ワグネルの指導部が「何も盗んでいないことを祈る」として、国家が出した資金に関連した調査(捜査)を行うとも述べた。これは、事実上、プリゴジンやその同輩(ロシアには民間軍事会社は37あるとの情報もある)に対する懲戒宣言とも見える。しかし、ワグネルの活動は、ロシア政権と癒着していたことは広く知られている。となると、プーチンあるいはロシア政権に、民間軍事会社を懲戒する権利があるのか。形式的には処分して、実質的には残す可能性はあるのだろうか。
 興味深いのは、ロシアの著名なメディアが、「主権国家とは合法的な暴力(武力)の独占である」と1918年に述べたマックス・ウェーバーに言及しながら、「1世紀以上前にウェーバーが提示した概念の絶対的な正しさと普遍性が、2023年6月にロシアで示された」と述べていることである(『MK』2023.6.26 電子版)。さらに別の有力なロシア紙も、「今日のロシア憲法第13条、第5項に従うと、民間軍事会社は違法な武力勢力である。またロシア刑法の第208条では、民間軍事会社の組織、それへの参加または資金提供に対しては、最大20年の懲役刑が規定されている」とも述べている(『独立新聞』2023.6.28 電子版)。
 挙げられたロシア憲法の条項を調べてみると、確かに「……国家の安全保障の侵害、武装集団の設立……は禁じられる」とはっきり記されている。
 これらの記事は、ワグネルなどを認めて利用してきたプーチン政権への批判なのだろうか。
 プーチンはワグネル軍のモスクワへの侵攻が阻止された直後、6月26日の夜22:10の緊急テレビ演説で、「憲法秩序を支持する確固たる明確な立場が、社会諸組織、宗教組織、主要政党そして事実上ロシア社会全体によって示された」と述べた。
 前述のようにプーチンは、100%ロシア政府が賄ってきたワグネルの軍事活動に関して、違法な事が行われていないか(指導部が着服などしていないか)、調査すると述べている。
 では、ロシア憲法に明らかに違反している民間の武装集団に資金を提供し、その活動を支援してきた大統領や政府の憲法違反は、なぜ不問に付されて来たのか。プーチンに、憲法秩序を語る資格があるのか。プーチンはプリゴジンの事件に懲りて、彼自身がこれまで利用してきた民間軍事会社を、事件後は本当に無くそうとしているのか。
 ロシア下院の防衛委員会A・カルタポロフは、6月26日に、民間軍事会社の法的地位については、「今は明確にされていないが、今年秋に下院で検討する」と言う。またV・スルコフ元大統領補佐官も、「ロシアの民間軍事会社は非公然の形で戦争に関与するために作られた。今日ロシアは、公然とウクライナに対して特別軍事作戦を遂行している。ロシア軍の指揮の統一のためにも、もはや民間軍事会社は不要だ」と述べた。(『独立新聞』 2023.6.28同上)。
 ワグネルはロシアの民間武装組織としては、少なくともロシア国内ではその存在を否定されるだろう。しかし、ロシアは憲法に従って、民間の武装集団を無くすことができるのだろうか。もしそれが可能だとすれば、ロシアの政権が主権国家として法秩序を守る能力を有していることが前提となる。しかし、すでに述べたように、プーチン自身が憲法や刑法を無視して、民間軍事会社を黙認してきた。いや、彼自身が認めるように、積極的に助成してきた。以下、ロシアで民間軍事会社を無くすことが可能か否かについて少し考えてみたい。
 現在、ロシア最大のエネルギー企業ガスプロムも、企業活動の警護のために、3つの民間武装組織を有しているという。ウェーバーが述べるように、本来の主権国家であれば、武力は国家が独占し、民間・国営の企業であれ有力な財閥の長や著名な政治家であっても、銃や戦車などの武力は保有出来ない。猟銃などの保有許可証を有している者も、本来の目的以外には、自己防衛のためでも銃は使えない。その代り、武力を独占している国家に、国民や企業、諸組織の安全を保障する責任と義務がある。例えば偶然通り魔に遭い不慮の死傷事故に遭った場合は、国家が自己防衛の手段を奪っている以上、国が給付金を出さなくてはならない。それがわが国の犯罪被害者給付制度だ(最高で約3000万円)。開拓時代から自衛のため民間人の銃保有が常識であった米国では、今も自衛のための銃保持を許す州も多い。そのような州では、原理的には、わが国のような犯罪被害者給付金を国に請求する権利は無い筈だ。
 1990年代、ソ連邦が崩壊した後のエリツィン時代のロシアは文字通り無法状態だった。当時は、著名な財閥や政治家などは、クリーシャ(屋根=庇護組織)を雇っていた。クリーシャとは、銃などを所有する犯罪組織などが警備会社に変身したもので、警備を請け負う企業のことだ。警察やKGB組織が、本来の国家の任務としてではなく、商売としてクリーシャ稼業に励むという状況さえ生まれた。90年代に新興財閥のV・グシンスキーのオフィスを訪問したことがあるが、彼に会うまでに、通路で何回か銃を持った警備員(警官ではない)にチェックされた。彼のような人物は、モスクワ市内を移動する時も、乘る車の中に警備員を同乗させるだけでなく、警護車を随走させていた。90年代には、モスクワのゴーリキー通りの宝石店では、店の入り口だけでなく店内にも複数の銃を持った警備員を配置していた。
 プーチンは2000年に大統領になると早速「法の独裁」を唱え、今日のロシアの市民生活の安全性は、多くの途上国よりもはるかに良くなった。モスクワもたいへん安全な都市だ。しかし、プーチンが憲法や刑法を無視して、民間武装会社を認め、積極的に利用してきたように、また現在もガスプロムが3つの武装組織を有していると言われているように、90年代に露呈した「無法国家」の本質は変っていない。
 前述のように、プリゴジンの事件により、明らかに憲法や刑法に違反するはずの民間武装会社の法的な地位(?!)がロシアの国会で検討される動きが出ている。当然大統領やロシア政権のこれまでの明白な憲法違反には対処が必要だ。その場合、現実を変えないで憲法の規定を変えるか、憲法に沿った形に現実を変えるか、の二者択一になる。元大統領補佐官のスルコフの言や、事件後のロシアメディアのトーンを見ると、形の上では後者になる可能性が強い。形の上では、というのは、ロシアの本質的な無法状態(プーチンやロシア政府自体がそれを示している)を考えると、変装した形の民間武装組織が残る可能性が高いからだ。