公益財団法人日本国際フォーラム

12月16日に閣議決定された安保3文書の内、国家安全保障戦略(以下「新安保戦略」とする)について簡単に対露関係と対中関係に関して2点ほどコメントしたい。
 まず対露関係であるが、現在ロシアによるウクライナ侵略が続いている。世界の安定に最大の責任を負うはずの国連安保理常任理事国が21世紀においても、隣国を武力攻撃して、欧・米・日など西側諸国と露が真っ向から対立するという事態が生じ、平和ボケしていた日本国民も強い衝撃を受けた。最近の世論調査では、わが国の経済状況が厳しいにもかかわらず、防衛予算の増額に国民の半数以上が賛成し、「反撃能力」の保有にも65%の国民が賛成している(日経新聞 11月世論調査他)。これは当たり前のことだが、昨年までは考えられなかった事態だ。皮肉な言い方をすれば、日本国民が少しだけ「普通の国の国民」に近づいたのは、「プーチンのお蔭」とも言える。自国の野心のためなら国際法も国際秩序も踏みにじるロシアの行動と、それに対するウクライナ国民の果敢な対応が、国際社会の本質とは如何なるものであるかについて、日本人の目を少しだけ開かせた。
 ただ、長い人類の歴史を俯瞰すると、今年2月以来のロシアの行動が異常で例外的なのではなく、むしろ人類の歴史の生地の部分がむき出しになっただけであって、第2次世界大戦後数十年続いた「冷戦時代の安定と平和」(1961年のキューバ危機などは別として)の方が、歴史的には例外なのである。
 

「新安保戦略」は2013年のわが国初の「安保戦略」以来、最初の改定であるが、日本周辺国で安全保障の焦点となる中、露、北朝鮮に関する記述で最も大きな変化があったのは、当然のことながら露だ。前「安保戦略」では露に関して次のように述べられていた。
 「安全保障、エネルギー分野をはじめ、あらゆる分野で露との協力を進め、日露関係を全体として高めて行く。」
 これが今回の「新安保戦略」では、次のように大きく変えられている。
 「ロシアが目的達成のために軍事力に訴える姿勢は顕著だ。……近年は、我が国周辺で中露両国の艦艇や爆撃機による共同演習・訓練を実施するなど……我が国を含むインド太平洋地域における露の対外活動や軍事動向は、安全保障上の強い懸念である。」
 

この事態を国際基準で認識するために、わが国やウクライナと同じく、ロシアに領土を侵されている旧ソ連諸国の一つで、小国だが独立国となったモルドバの2005年当時の大統領が述べた言葉を以下紹介する。ちなみにモルドバは、自国の沿ドニエストル地域を事実上ロシアに占領されて今日に至っている。
 「モルドバは、たとえ露のガスを失っても、また露のワイン市場を失っても、沿ドニエストルに関して譲歩はしない。我々はたとえ露のガスがなくても、震えながら冬を過ごす覚悟が出来ているし、決して降伏はしない。モルドバはその代価がいかに高くつこうとも、自らの領土保全、主権、自由を犠牲にはしない。」
 

国際社会では、ある国が国家の主権と独立や領土を他国に侵されている場合、残念ながら何処にも痛みの出ない形で友好的な話し合いで解決するということはほぼあり得ない。モルドバの今日の大統領も、エネルギーゆえに露に譲歩することを拒否している。
 わが国はロシアによる日本領土の侵害に対して、対露経済協力などを積極的に行って、日本も口シアも利益を得るWIN・WINの関係を構築し、国家間の信頼関係を強化すれば、そして首脳間の個人的関係を強くすれば、領土問題などの困難な問題もおのずと解決するなどというナイーブな考えに囚われていた。筆者としては、経済的にも政治的にも、日本よりもはるかに弱小、弱体だったモルドバやウクライナの対露対応とこれまでのわが国のロシアによる領土侵害の対応の違いに、考えを巡らさざるを得ない。「新安保戦略」の中でロシアの行動がわが国にとって「安全保障上の強い懸念である」と結ばれているが、「懸念である」との表現は、少し弱過ぎるのではないか。
 

次に、中国に関する叙述について所感を簡単に述べたい。
 Ⅳ章の「我が国を取り巻く安全保障環境と我が国の安全保障上の課題」では中国に関し
「軍事力を広範かつ急速に増強し台湾統一に関し武力行使の可能性を否定していない、現在の中国の対外姿勢や軍事動向は、国際社会の深刻な懸念事であり、国際秩序にとって最大の戦略的な挑戦である」と述べている。
 一方で、Ⅵ章の「我が国周辺国との外交、領土問題を含む諸懸案の解決に向けた取り組みの強化」という項目の最初に、対中政策について述べられているが、その結論部分を筆者が、述べられている順に次のように3項目に分けた。
①「意思疎通、対話、共通の課題などについての対中協力など建設的かつ安定的な関係の構築が国際社会に不可欠」と強調
②中国の「力による一方的な現状変更、急速な軍事力強化、軍事活動拡大」について警告
③「経済、人的交流面での協力、再活性化の必要性」に再度言及。
 

率直に言うと、きわめて折衷的な表現で、何を主張しようとしているのか、どこに力点が置かれているのか、理解に苦しむ。習近平政権の戦狼外交や南シナ海、東シナ海、尖閣諸島周辺の危険な行動を考えると、これが国家安全保障戦略である以上、まず②を最初にきちんと述べるべきではないか。もちろん軍事対立を煽るためではなく、それを抑制するためにも、②で述べられている中国の軍事力強化、軍事活動拡大を最初に警告するとともに、このような中国を抑制するためにこそ、わが国の防衛力を整備し、米国などとの安全保障関係の強化を強調すべきだ。
 もちろん、外交や対話、交流や協力なども重要である。しかし国家間の主権にかかわる深刻な紛争や諸問題の外交的・対話的解決は、きちんとした防衛力・軍事力の整備が背景にあってこそ可能となるのである。「新安保戦略」における中国への焦点のボケた折衷的対応に疑問を感じる。