公益財団法人日本国際フォーラム

この10月14日には、CIS(独立国家共同体)首脳会議がカザフスタンで行われ、その後プーチン大統領はロシア人記者を集めて記者会見を行った。その時、記者たちから今日のロシアで最も深刻な社会問題に関して、相当厳しい質問がプーチンに浴びせられた。また、10月27日には、大統領府主催の恒例のヴァルダイ会議が開催されて、招かれたロシア国外の専門家たちなどからも、様々な質問が出た。

やはり毎年行われている「プーチン大統領と国民のテレビ対話」(モスクワやロシア各都市のテレビ・スタジオにそれぞれの地域の住民が招かれて、プーチンと質疑応答をする番組)でも、プーチンの政策や現在のロシアの諸状況を厳しく批判し大統領を詰問するような激しい言葉もしばしば聞かれる。

その様子はテレビでロシアの全国に報道されるが、大統領府の動画で直接視聴もできるし、プーチンとのやり取りの議事録全体を、大統領府のサイトで読むこともできる。国外からもオンラインで視聴可能だ。このような国のトップに国民や外国人が厳しい政策批判の言葉を投げかけ、それを一般報道することは、中国や北朝鮮、イランなどの独裁国や他の多くの権威主義国では想像できないことだ。

これらを見ていると、ロシアではテレビを始めとするメディアへの統制が近年ますます厳しくなっている、という事実との整合性をどう考えるべきか、という疑問が生じる。以下、プーチンとの幾つかの質疑応答の例を示して、プーチン政権がメディアを如何に利用しているかについて考えたい。

ウクライナへの軍事侵攻の失態・遅延に関連して、プーチンが国防省や参謀本部の提案を装い、9月21日に出した大統領の「部分的動員令」(軍隊経験のある予備役を30万人召集予定)が、ロシア社会に大きな混乱とパニック、大統領や政府への強い疑念や不信を生んでいることはわが国でも詳しく報道されている。すでに召集される可能性のある者が、三十数万人ロシア国外に移住したと報じられた。ウクライナの戦況とウクライナの前線への動員問題は、プーチンにとっても、現在最も頭の痛い問題である。

CIS首脳会談後のロシア人記者との記者会見では、複数の記者から次のような厳しい問が出た。

 

「動員された者は一定期間軍事訓練を受けるとされているが、モスクワで動員された軍事経験もないある公務員は、すぐウクライナの前線に送られ、20日後にはモスクワで葬儀が行われた」
「動員数が30万人というのは本当か、新たな動員の波が来るのではないか」
「国会では、国外逃亡者は裏切り者として、車など資産を没収せよとの声も出ているがどう考えるか」「今日の事態が収まった後、ウクライナは国家として存在しているか」
「あなたは(ウクライナ問題で)後悔していないのか」
ヴァルダイ会議では、招かれた外国人から次のような質問も出た。
「2年後にウクライナ南部のオデーサへ行く時、必要なのはロシアのビザかウクライナのビザか」

 

これらの厳しい問いに対して、プーチンはおよそ次のように答えている。
「召集方法や軍事訓練の問題点は認めるし、改めさせる」(彼の訓練所視察、銃撃の姿をテレビ放映)
「動員は今後約2週間で終える。見通せる将来、動員は再開しない」(10.28に30万人動員終了宣言)
「国外移住者への対応は、個々の事例が異なるので、事例毎に法的対処を考慮すべきだ」
「ウクライナ国家の撲滅は考えていない」 「ウクライナ問題に関し、後悔はしていない。今日の事態は遅かれ早かれ、より酷い形で生じるものだった。私の行動は正しく、時宜を得たものだった」
「オデーサのビザ問題だが、米国が対露交渉の合図さえロシアに出せば、全ての問題は解決する」

 

このような、一見プーチンをコーナーに追い詰める「詰問」の意味を具体例で考えてみたい。

その為に、ある年の「大統領と国民のテレビ対話」を紹介しよう。ロシアで物価が大幅に上昇している年だったが、政府が公表するインフレ率は年間2‐3%で、国民は納得していなかった。地方局のスタジオから質問者に選ばれた一主婦が、プーチンに次のような厳しい質問をぶつけた。

「政府が公表する公式的なインフレ率は、私たち庶民の生活実感とは全く異なる。私は毎日の買い物のレシートを保存している。昨年と今年の同じ期間のレシートを比べても、わが家の生活様式は変らないのに、生活費は25%以上増えている。国の発表と私のレシートと、どちらを信じるべきか」

これは、ほとんどのロシア国民が痛切に感じている政府への強い不信感だ。プーチンにとって最も答えにくい、また受けたくない質問の筈である。にも拘わらず、実はこのテレビ対話の質問者は、予め当局が用意した人物という確率が極めて高い。プーチンとの合意の上で、あるいはプーチンの指示で、この質問が出されている、というのがロシア問題研究者の常識でもある。説明しよう。

 

この主婦の質問に対するプーチンの返事は次のようなものだった。

「インフレ率は、消費者物価だけでなく、経済全分野の価格変動に関わる。従って、日常生活用品の価格だけで判断できない。経済の他分野の価格変動も含めると、政府の公式インフレ率は正しい。」

つまり、大部分の国民が感じている不信感を払拭する必要性をプーチン政権は強く感じており、そのために、「地方の平凡な一主婦の質問」という形式を当局が考案したと考えるのが自然だ。そう考える理由は、インフレ問題は、本来は複雑な専門に関する事柄の筈だが、この質問形式が、専門の用語も知識も使わず、一見主婦が考えた誰でも理解・同意できる簡潔かつ見事な形になっているからである。

このプーチンの回答に多くの国民が納得したとは思えない。しかし、国民の政権への不信感を無視できないというプーチン政権の焦りと、国民を煙に巻く政権側の心理構造やレトリックはよく解る。前述のモスクワからの召集兵に関する質問も、当然、モスクワからの召集兵が少ない事を念頭に置いている。

 

ここで私が言いたいことは、プーチンとの記者会見とか対談などで、敢えてプーチンに厳しい問題を突き付ける場合が少なくないが、その多くが、次の3つのケースに当てはまるということだ。

①「出来レース」、即ち八百長によって国内外にロシアの「言論の自由」を演出し、しかも国内的には政権側の論理を浸透させる方便にしているか、
②「ガス抜き」、即ち言論を統制されている知識人たちが抱く不満の吐け口にしようとしているか、
③「煙にまく」、つまり焦点をずらしてはぐらかし、実際は嘘をついて国民を騙しているかであろう

 

ただ、トータルに言論を統制されている知識人にとって、このような小細工ではガス抜きにならない。

また、「出来レース」と私が述べる理由が他にもある。

プーチンは大統領選挙で候補者討論には一度も出ていない。大統領選挙での彼のある対立候補は――その対立候補は私のよく知っている人物である――幾度もテレビ討論を望んだが、彼は常に拒否した。つまり、本当の議論はしたくないのである。

更に言うと、初期のヴァルダイ会議では参加者の質問は予め届けないで自由に出来たが、真の批判者はすぐ招かれなくなった。また、質問に対してプーチンが一方的に彼の論理で答えるというのがヴァルダイ方式で、プーチンの論理が間違っていると反論して彼としっかり論戦を行うという機会は与えられない。