公益財団法人日本国際フォーラム

ウクライナ問題に関連して、国際的にエネルギー問題が深刻になった。その状況の中で、原発にも再び目が向けられるようになった。本稿では、福島第一原発事故を経験した日本の状況と、同事故の後、ドイツのメルケル首相が「宗旨替え」をして、2022年末に原発をゼロにすると発表したドイツの状況を取り上げる。大きな懸念は、かつて世界に誇った日本の原子力研究や原発技術などの衰亡である。

その前に、2011年3月11日に発生した福島原発事故の少し後、ロシアの高級誌『EKSPERT』誌が掲載した日本の原発を賞賛する記事を紹介したい。この記事が出たのは、地震の2か月余り後で、津波で原発の外部電源や自家発電が失われて既に深刻なメルトダウンが生じ、原子炉を覆う建屋も水素爆発して放射性物質が放出された後であった。この状況下での賞賛とはどういうことか。以下がその記事だ。

◆それでも、福島第一原発の建設者には真の敬意   『エクスペルト』2011.3.21-27 №11 p.23

「福島原発の事故は、チェルノブィリ事故以来ブレーキが掛かっていた原子力エネルギー産業がようやく迎えたルネッサンスの、早すぎる没落をもたらすのだろうか。驚くべきことに、福島第一原発6基は、マグニチュード9の地震には耐え支障は出なかった。このことは、この原発の建設者に対する心からの敬意を抱かせる。忘れてはならないことは、1号機はこの事故まで40年間稼働し、最も新しい原子炉でも36年稼働していたということだ。1号機は、1967年に建設が始められ71年に稼働を開始した。

福島第一原発の原子炉6基の内、地震の時稼働していた3機は、ちゃんと非常停止した。しかし停止しても稼働時の6.5%以下の熱を発するので、停止後、早期の冷却が死活の重要性をもつ。この肝心の数日間に、十分な対処ができなかったのだ。しかし想定外の大津波に対してさえも、原子炉自体は耐えた。しかし津波は外部電源を断ち、予備のディーゼル発電機と、原子炉および使用済み燃料貯蔵プールを冷却するポンプを破壊した。また、原子炉の建屋は水素爆発で破壊されたが、原子炉はこの建屋の爆発にも耐えた。しかし、この爆発と建物の崩壊により放射性物質が外部に放出された。」

ロシア専門家たちが注目したのは、福島第一原発が想定の3倍の高さの14~15mの津波に襲われ、電源が失われたので大惨事となったが、原子炉本体は日本の地震学者も想定できなかったマグニチュード9の地震にも耐え、緊急停止装置も正常に作動したということだ。つまり、津波に対する電源喪失への対応さえできていたなら、マグニチュード9の地震にも福島の原発は堪え得たとロシアの専門家たちは見ていたのだ。そして彼らは、その事に関して、この原発を建設した日本の原子力専門家たちを大いに讃えていたのである。わが国では一般には見られない記事だが、私はきわめて冷静な判断だと思う。

マグニチュードとは地震の震度ではなく発生した地震そのものの規模(エネルギー)で、阪神大震災は7.3であった。震度が1上がるとエネルギーは31.6倍になるので震度が2違うと、例えば7と9では、そのエネルギーは31.6の2乗つまり約1000倍にもなるのだ。後に東電にも知らされていたとされる2万人以上の死者が出た1896年の明治三陸地震のマグニチュードは長年7.6とされていたが、津波の大きさから近年8.2-8.5に修正された。わが国の歴史上最大級の地震は1707年の永宝地震で、推定8.6だ。

私は、東日本大震災の直後に、日本地震学会の重鎮たちが、沈痛な「地震学の敗北宣言」を出したのをはっきり覚えている。世界でも最先端を進んでいると自負していた日本の地震学者たちは、長期予測でも、実際に生じた規模の地震は福島沖の太平洋の地層帯には発生しないと判断していたのだ。

東日本大震災の後、私が特に強い印象を受けたのがこの地震学者たちの敗北宣言と、ロシア専門家の福島原発に対する絶賛の言葉だった。地震学者たちは翌年、なぜ予測できなかったか、その反省のための研究大会を日本地震学会主催で開催し、数十人の論文集も公表され現在でもインターネット上で閲覧可能だ(『地震学の今を問う』(2012.5)。この地震学者たちの見解、行動も正直で納得できるものだ。

ロシア専門家は、ようやくルネッサンスを迎えた原子力利用が再び没落することを懸念している。簡単に説明すると、核技術の平和利用で原発が米ソで建設されたのが1950年代だった。1960-70年代には、日本を含む先進国では優秀な人材の多くが最先端の原子力研究や物理学研究を目指すという雰囲気さえ生まれた。後述のメルケル独首相もその一人だ。しかし79年の米国におけるスリーマイル島の原発事故、86年におけるソ連のチェルノブイリ原発事件などで、原子力研究にも黒い影が差す。福島原発事故が生じた2011年頃は、その黒い影を乗り越えてようやく世界的な「原子力ルネッサンス」という雰囲気が高まっていた頃だったのだ。

福島原発事故は、ドイツに強烈な政治的影響を与えた。政治的というのは、保守党キリスト教民主同盟(CDU)の党首で首相を務めていたA・メルケルが、この事件を口実に原発に関する見解の「宗旨変え」をしたからだ。彼女は2000年にCDUの党首となり、05年に社会民主党(SPD、G・シュレーダー党首)と大連立を組んで、対立する緑の党と僅差で総選挙に勝ち、首相となった。SPDは20年までに全ての原発を廃止する政策を出していたが、保守党CDUは原発推進派で、メルケル自身も元々原子力にも詳しい物理学者として推進派だったので、原発廃止の時期は延長された。09年に成立した第2次メルケル政権(CDU単独政権)は、前述の「原子力ルネッサンス」で原発推進政策を進めた。既に、前年の08年秋には、メルケル首相はドイツ保有の原子炉の稼働年数を12年延長する決定をしていた。

しかし政情が大きく変わったのは11年3月11日の福島原発事故の後だ。わが国の原発事故の報道も酷いと思う点は多々あるが、ドイツでは日本より遥かに煽情的にこの原発事故が報じられた。その結果、反原発の緑の党が各地で勢いを増し、11年3月27日の地方選挙でCDUが約60年にわたり単独支配していたバーデン・ヴュルテンベルグ州(原発が4基ある)でCDUが敗北し緑の党が州首相を出した。このままではCDUは政権を失うと恐れていたメルケルにとって、ある意味で福島原発事故は「救い」であった。これを口実に、脱原発へと政策転換してかろうじて政権維持が可能になったからだ。事実彼女は「宗旨変え」をして、22年末には全ての原発を廃止するとの方針を打ち出した。しかし、今日のショルツ政権が、ウクライナ問題との関連で原発稼働の延期を検討していることは、周知のことである。ドイツの輸入ガスの55%が対露依存だ。しかし、ロシアにノルドストリーム1を絞られたり、止められたりして、ガス供給の「武器化」が問題とされ、最近はパイプラインの爆破と思われる事件も生じた。

福島原発事故へのロシア専門家の見解やドイツの原発政策の転変を述べたのは、わが国も今エネルギー政策で、原発利用やサハリン2(日本のガス輸入の8.8%)の問題など、重大な決定を迫られているからだ。私が主張したいことは、原発政策におけるドイツの紆余曲折を反面教師とすべきということである。また、原発問題は単なるエネルギー問題ではなく、原子力という広範な先端科学の問題である。それらは核物理学、放射線、プラズマや粒子加速、ビーム科学、宇宙研究、医療、国家安全保障その他多くの研究分野と結びついている。原子力規制委員会が環境省の外局というのも、その名称もおかしい。わが国では今では有能な若者が原子力研究に進まない。このままでは日本は物理系科学の先端たる原子力科学の後進国になるし事実なりつつある。エネルギー分野でも、ドイツの二の舞になるのではないか。