公益財団法人日本国際フォーラム

ロシア・ウクライナ戦争が何時、どのような形で終焉するか今日の時点(2022.5.25)では予想困難である。また、プーチン政権が何時まで続くか、いつどのような形で終わるかも、同様に予想困難だ。それらについて、様々なケースを想定して検討することは可能だが、正確な分析や予測は不可能だし、本稿はそれを目的にしていない。しかし、如何なる形でプーチン政権が終わるにせよ、プーチン後にロシアに成立する政権の一般的な性格については、ある程度正確に予測することは可能である。それは、誰がプーチンの後継者になる可能性が高いか、といったクレムリノロジー的な予想ではなく、ロシア人の発想法、メンタリティ、ロシア社会の伝統や性格などから予想されるプーチン後のロシア政権の性格である。また、プーチン体制が2024年の大統領選後も継続する可能性はあるが、プーチン後と言う以上、「院政」も含めプーチン政権が継続するケース期間は除外する。ちなみに、24年以後もプーチン政権が継続する可能性は、ウクライナ戦争以前はかなり高く8割以上と私は見ていたが、現在はその確率は5割くらいと見ている。

前置きが長くなったが、結論を先に述べよう。プーチンがいずれかの時点で政権を去り、後継者が政権を引き継ぐ場合、過渡期にはゴルバチョフ時代やエリツィン時代のようにリベラル派が台頭したり、混乱期を経たりする可能性があるかもしれない。しかし結局将来においても、ロシアで落ち着く政権は「第2のプーチン政権」ではないか、というのが私の見解である。以下、その理由を述べる。

ウクライナへの軍事侵攻は、事実上プーチン個人による比較的最近の決定であるとされる。だから彼に近いシロビキやオリガルヒの中にも、今回のプーチンの対ウクライナ政策に積極的には賛成していない者が多いということも既に知られている。そのことが最大の理由となって、彼が退任・死亡など何らかの形で政権の場(院政も含む)から去り別の人物がロシアの指導者になると(ロシア連邦が存続すると仮定して)、ロシアの政治や社会は大きく変わるだろうとの見解がある。しかし私は、そのようには見ていない。その理由を述べる。

ロシアには、「ルチノエ・ウプラブレーニエ(ручное управление)」という語がある。直訳すると「手動統治」という意味である。共産党一党独裁のブレジネフ時代に5年間モスクワ大学大学院に留学し、その後50年ロシアと交流してきた経験から確信をもって言えることがある。それはソ連時代から今日に至るまで、ロシアの国家組織、地方組織、民間企業、学術組織その他あらゆる組織は、法律とか規則、或いはそれぞれの組織の規約に従って本来の機能を果たすのではなく、強力な個人のリーダーシップがあって初めて機能する、ということである。したがって「計画経済」のソ連時代でも、実際の企業運営も「場当たり主義」というか「出たとこ勝負」というか、リーダー次第というか、日本の方がはるかに「計画経済」の国と見えたほどだ。具体例を挙げよう。

モスクワ大学が留学生用に計画した「修学旅行」の話である。ソ連時代の話だが、大学には外人課という組織がある。ある時、外国からの留学生数十人を招いて、当時ソ連の一部だったコーカサス地方のグルジア(ジョージア)、アルメニア、アゼルバイジャンの3共和国訪問の十数日の旅行を計画してくれた。せっかくの旅行なので、各共和国(当時は日本の県にあたる)で訪問するはずの名所旧跡について予備知識を得ておこうと思い、訪問先を外人課に尋ねると、この旅行を組織した外人課の担当者が驚いた。つまり、グルジアに行けば受け入れ組織が何処を訪問するか教えてくれる、という訳で、外人課では全く分からないと言う。グルジアに着いて初めて訪問先は分かるのだが、次の訪問地のアルメニアではどこを訪問するかは、やはり現地に行かなくては分からない。全体の日程も十日余りということで、正確には何日の何時にモスクワに帰ってくるのかも、出発時には分からない。列車旅行だったが、それぞれ現地でのチケットの手配次第なのだ。

日本の学校生徒の修学旅行と較べると面白い。修学旅行は学校と旅行代理店が提携して数か月前には、旅程は決まる。つまり、旅行先の訪問地はもちろん、何月何日の何時何分には旅行団が何処にいるかまで、はっきり分かる。日本の方がはるかに計画経済の国に見えたという意味もお解りだろう。

日露の共同シンポジウムを何回も組織した。日本側は参加者、報告者、討論者は少なくともひと月前には相手側に知らせ、シンポジウムの報告ペーパーも、翻訳の関係もあるので、1週間前には相手側に送る。しかしロシア側は、大抵の場合、現場に行かないと最終的な参加者は分からない。報告ペーパーも前日までに届けば良しとしなければならない。

ロシアのこのような社会の生地の部分は、ソ連時代から今日まで半世紀以上観察しているがほとんど変わらない。したがって、国家を含めて、どのような組織が何を行うにしても、強力なリーダーシップを発揮する人物がいないと、物事はまともに進まない。だからこそ一般の人々も、基本的な社会秩序のためにも、強力なリーダーを求めるのである。これが「手動統治」の社会的、あるいは社会心理的背景だ。また、ロシアでは職業上のポストは全て利権でもある。そして上層の利権集団(広義の「マフィア」)が、全ての支配権を握り、庶民もそれに従う。

ソ連時代と変わらないと述べたが、実は帝政ロシア時代の文学書、例えばゴーゴリ、レールモントフ、シチェドリン、ドストエフスキー、トルストイなどの作品を読んでみると、ロシア社会のメンタリティは、生地の部分は150年前も200年前も、ほとんど変わっていないことを痛感させられる。さらに言えば、社会心理の生地の部分が簡単には変らないということは、日本についても言えることだ。現代の日本人の心理構造は、現代のフランス人のそれよりも江戸時代の日本人にはるかに似通っている。わが国の近代的な大企業でも、大学でも組織内の諸決定の決め方は、伝統の「村の寄り合い」とさほど変わらない。

大きな視点で見ると、プーチン後のロシアでも、落ち着く先は結局「第2のプーチン政権」だろう、という意味もお解り頂けると思う。プーチン後に、民主主義ロシアを性急に期待しても実現は無理である。