標題研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議論概要は下記4.のとおり。
記
- 日 時:2021年12月22日(金)17時より19時まで
- 形 式:Zoomによるオンライン会合
- 出席者:11名(以下、五十音順)
[主 査] 常盤 伸 JFIR上席研究員/東京新聞外報部次長 [顧 問] 袴田 茂樹 JFIR上席研究員/青山学院大学名誉教授 [メンバー] 安達 祐子 上智大学教授 伊藤和歌子 JFIR研究主幹 名越 健郎 拓殖大学教授 廣瀬 陽子 慶應義塾大学教授 保坂三四郎 エストニア・タルトゥ大学 山添 博史 防衛省防衛研究所主任研究官 [JFIR] 高畑 洋平 主任研究員 ハディ・ハーニ 特任研究助手 渡辺 繭 理事長 - 議論概要:
袴田茂樹氏報告
「日本の対露政策の問題点および最近のウクライナ問題」
1943年以降の戦時中の日本の対ソ認識と、近年の対露認識にはネガティブな共通点がある。かつてのスターリンの厳しい対日姿勢に比して、日本政府・軍部の対ソ姿勢はナイーブなものだった。これを近年の安倍政権におけるナイーブな対露姿勢と比較してみたい。
ドイツや日本の敗色が濃くなった1943年頃以降、日本はいかに有利な形で連合国と平和条約を結ぶかという点に腐心していた。この際、日ソ中立条約への過信を背景として、日本側にはソ連を仲介者として連合国と交渉しようとする動きがあった。しかし1943年から45年にかけ、スターリンはドイツ降伏後に対日参戦の意向を示し、日本を「侵略国」と非難するなど厳しい姿勢を見せていた。
1945年2月のヤルタ会談においても対日参戦や南樺太・千島の返還・引き渡しに関する密約があり、これを入手した日本の情報士官もいたが、政府・軍部はソ連に仲介を期待していたため、この情報を握りつぶした。その後、1945年4月にソ連は日ソ中立条約の破棄を通告したが、それでも日本側はソ連への期待を変えなかった。一方、当時の佐藤尚武駐ソ大使は正確で冷静な情勢判断で知られ、軍部の姿勢を非難していた。佐藤の見方では、ソ連にとって日本は表面上のみの友好国で、実際には準敵国扱いを受けており、両国関係の強化などとソ連側に持ち出せば、ソ連も驚くだろうし、あきれて日本を見下すだろうと分析していた。しかし東郷茂徳外相の判断は異なり、佐藤大使はモロトフ外相と会見の機会を得た(8月8日)ものの、ソ連側からの返答は対日宣戦布告であった。
この経緯は、現在のプーチンによる厳しい対日姿勢とどのような共通点があるか。前提として1956年の日ソ共同宣言では、平和条約締結を条件に、歯舞・色丹を引き渡すことを約束した。その後1993年の東京宣言では、択捉・国後・色丹・歯舞の4島の帰属問題を解決して平和条約を締結するという交渉の基本方針が日露間で合意された。「返還問題」ではなく「帰属問題」というニュートラル(中立的)な表現はあくまで交渉の基本方針である。もちろん日本側の原理・原則においては、歴史的にも国際法的にも4島は日本固有の領土だ。このように東京宣言でニュートラルな表現を用い、原理・原則を別建てとしたのは、ロシア側が交渉テーブルにつかない事態を避けるための措置だが、当然リスクのあるものだった。ただし東京宣言では4島全ての帰属問題が未解決の領土問題だとの認識を両国のトップの間で確認した点に大きな意義があった。プーチン大統領も2001年のイルクーツク声明、2003年の日露行動計画の2つの両国首脳間の合意では、東京宣言が平和条約締結のための重要な合意であることを認めていた。
しかし2005年、プーチンは歴史修正(あるいは改竄)を通じて「第二次大戦の結果、4島はロシア領となり、国際法的にも承認された」と主張し、これを認めることが平和条約交渉の前提とした。「4島がロシア領」であることを認めることが平和条約交渉の条件というのでは、そもそも平和条約交渉の意味がなくなるナンセンスな言い分だ。両国間の戦後処理で残されていたのは、領土問題だけだったからだ。この歴史改竄について、私がバルダイ会議(当初はアジアからの参加者は日本からの一人のみ)で「あなたは何故対日政策を強硬化したのか」と批判の意味を込めてプーチンに直接質問したところ「政策を先に強硬化させたのは日本だ」と答えた。これはプーチンが大統領として初めて訪日した2000年に、46年の日ソ共同宣言を認めさせようと働きかけた日本側の政治家、外務省関係者が、2島返還で平和条約締結と錯覚させるようなアプローチをした可能性が極めて高いこと、また東京宣言の中立的表現の意を汲まずに、「4島の帰属問題解決」を4島一括返還論として理解したためとも思われる。またプーチンが各国主要メディアと懇談する機会があった2012年、日本メディアは、柔道用語の「ヒキワケ」「ハジメ」という言葉を述べたプーチンが4島領土交渉の妥協に意欲を示したとして持て囃した。
ちなみに、その時プーチンと話し合った日本メディアの代表(朝日新聞主筆)は、その時プーチンが口にした強硬発言を伝えなかった。私がロシア政府サイトに公表された会談記録の原文を読んでみると、「日ソ共同宣言には歯舞・色丹の主権を引き渡すとは書かれていない」(平和条約締結後も島の主権はロシアが保有する可能性あり)とか、「如何なる条件で引き渡すかも書かれていない」(引き渡しも条件次第)との発言があり、また国後・択捉の交渉については問題外とされていて、驚くほど強硬な姿勢を示していた。朝日新聞が強硬発言を削除してほうどうしたので、それに続いてNHKや他の全ての日本メディアもプーチンの硬い発言を削除して報道した。これはかつて、日本の情報士官による極めて重要な情報が握りつぶされた状況と類似する。これにつき、駐日露大使や露外務省日本担当の局長なども、日本側の抗議がないどころか高く評価している状況に驚いていた。キスタノフ極東研究所日本研究センター長にも会ったが、彼は主権に関するプーチン発言を聞いて絶句し、それまでは日ソ共同宣言に関しては、平和条約が締結されたら、少なくとも歯舞、色丹の主権は日本に渡されるものと理解されてきた、と率直に述べた。
プーチンと安倍氏は、30回近い首脳懇談を通じて信頼関係を築いたとされているが、プーチンが安倍氏を評価・尊敬しているとは思えない。以下のように2016年から17年にかけての、日本メディアでは取り上げられていないプーチン発言を見る限り、安倍氏について突き放した言い方をたびたびしている。2016年、ウラジオストクでの東方経済フォーラムの後の中国・杭州でのロシア人記者相手の会見では「彼(安倍)は能弁家だが、彼の価値はそこ(我々の手で領土問題を解決して平和条約を結ぼうとの熱弁)にあるのではなく、彼が8項目の協力案とその実現について述べたことにある」と、かなり侮辱的に述べた。また平和条約について「次世代に先送りせず我々が終止符を打つとの意志を共有している」とした安倍の認識とは異なり、2017年ベトナムでのやはりロシア人記者相手の会見でプーチンは、「誰が平和条約締結を達成するか、安倍とプーチンか、別の首脳たちかという事は関係もなく、重要でもない、と述べている。これは「認識を共有している」という安倍氏の発言を否定している訳で、安倍首相時代には、日露間の首脳同士の本当の信頼関係は必ずしも構築されておらず、プーチンは安倍氏を必ずしも尊敬はしていなかったのである。
領土問題に関して大きな後退が見られた2018年シンガポール日露首脳会談では「日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速する」とされたが、ロシア語では「加速する」ではなく「精力的に行う」という意味の言葉が用いられている。ロシアにとっての精力的努力とは、加速という意味はなく、この文脈では関係改善や協力強化の努力を強めるということを意味する。ちなみに、この首脳会談では東京宣言ではなく日ソ共同宣言を基礎とするとした点について、プーチンは「日本側の提案だった」と強調している。なお安倍氏は東京宣言をほぼ取り上げなかったことについて質問された際「100を狙った結果が0では意味がない」との主旨の発言をしており、東京宣言ではあえて「四島の帰属問題を解決して」と日本側にリスクのある中立的表現を用いた意味、すなわち100を狙った表現ではなかったことを、そのとき彼は失念していた可能性がある。
安倍氏としてはラブロフやシロビキ等の軍・治安関係者こそが強硬派なのであり、プーチン自身は、「ヒキワケ」発言をし、自らの北方領土訪問も控えているので、柔軟派と見ていたように思われる。またロシアが対日姿勢を強硬化すると、日本はそれを懐柔すべく柔軟な姿勢を示してきた。ロシア側は、論理的に考えれば、「さらに譲歩させるためには対日姿勢をいっそう強硬化すれば良い」と考えるようになるはずだし、実際にそうなった。近年の状況はこのような論理の必然である。過去三代の露大統領補佐官だったプリホチコも「これまでのロシア首脳部の雰囲気は熟知しているが、日本に領土返還をしようとの雰囲気は全くない」と述べている。しかし日本側は、ロシア側の論理やメンタリティ、このような雰囲気などを掴めていない。一部の政治家が招待されてロシア指導部の人たちに公式的に何回会っても、このような面は全く理解できない。
従って岸田政権の最重要課題は、ロシア指導部の発想、ロジック、メンタリティをリアルに把握することであろう。そして安倍氏に「痛恨の思い」と自ら言わしめた、日本政府の対露認識・対露政策のナイーブさを克服することに尽きる。こうした日本の対露政策に強い危惧の念を抱く者は、戦時中にも安倍政権時代にも、また政府にも民間にも存在していたことに注意すべきだろう。
ウクライナについてだが、プーチンは近年、ロシア人とウクライナ人は単一の民族(国民)であると主張し、ウクライナに存するロシア人やロシア語話者の利益保護を強調している。また現在ウクライナ東部近くにロシア軍が展開しているが、プーチンはこれまでは東部の親露派の2つの「人民共和国」(ドネツク、ルガンスク)のロシア併合は狙っていなかった。プーチン自身も、併合も独立も求めていないとしてきた。最大の狙いはウクライナのNATO加盟を阻止することで、そのためにはウクライナを連邦制にして、その中に親ロシアの共和国をつくって、ウクライナの外交政策全体に影響を与える(NATOに加盟させない)ことを考えていた。そして「ミンスク合意」をその足場にしようとしていた。
仮にウクライナの東部や南部を独立させたりロシアに併合したりして国を二分した場合、ウクライナ西部が直ちにNATOに加盟申請する可能性が高いため、併合にも独立承認にも踏み切らなかった。代わりに、東部地域がウクライナ連邦における強力な自治州となるために、ロシア側は2つの「人民共和国」に軍事支援をしてきた。
※以下は2月24日に軍事侵攻が始まった後の3月4日の補足である。
大規模な軍事侵攻が始まったが、そのきっかけは、連邦制へのステップとして考えていたミンスク合意が完全に破綻したこと、つまり、連邦制移行への可能性が亡くなったとの認識がある。そこでプーチンはウクライナの連邦制への移行を諦めて、突然2つの「人民共和国」(その支配権はドネツク州、ルガンスク州内の約3分の1)の独立を認めた。そして、2つの州全体のロシア派支配を排除するためのウクライナ政府軍の当然の軍事行動(チェチェンの独立運動が強まった時、ロシア軍が同様の行動をもっと激しく行った)を「大量虐殺」と称して、「平和維持軍」の名目で、キエフを含むウクライナ全体に軍事介入をした。目的は、2つの自治共和国の「平和維持」を超えて、「ロシアの安全保障のためのウクライナ全体の非武装中立化」という、国際的には非常識な本音を公然と全面に出してきた。また攻撃目標も「ウクライナ国民ではなく、軍事施設のみ」とロシア側は公言しているが、実際には民間の施設や住居、原子力発電所も攻撃対象になっている。
以上