公益財団法人日本国際フォーラム

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第3回定例研究会合

標題研究会合が、下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところ、その議論概要は下記4.のとおり。

  1. 日 時:2021年827日(金)15時より17時まで
  2. 形 式:ZOOMによるオンライン会合
  3. 出席者:11名(以下、五十音順)
    [主  査] 常盤  伸 JFIR上席研究員/東京新聞外報部次長
    [顧  問] 袴田 茂樹 上席研究員/青山学院大学名誉教授
    [メンバー] 安達 祐子 上智大学教授
    伊藤和歌子 JFIR研究主幹
    名越 健郎 拓殖大学教授
    廣瀬 陽子 慶應義塾大学教授
    保坂三四郎 エストニア・タルトゥ大学
    山添 博史 防衛省防衛研究所主任研究官
    [JFIR] 高畑 洋平 主任研究員
    ハディ・ハーニ 特任研究助手
    渡辺  繭 理事長
  4. 議論概要:

(1)保坂メンバーより報告

「ソ連・ロシアにおけるKGBの視点」

1991年の八月クーデターから30年が経った。ソ連という巨大な国は、ソ連共産党とソ連国家保安委員会(KGB)によって束ねられていたが、後者については知らないことがまだまだ多い。独立後のロシアがプーチンをトップとした「KGB国家」に変貌を遂げた背景を理解するためには、ソ連崩壊前夜にKGB内部で起こっていた「ペレストロイカ(改革)」を理解することが不可欠である。また、本研究会のテーマでもある「ロシアの論理」を考える上で、KGBによる外国人研究者に対するアプローチは特に注意すべき問題である。以下の3つのテーマを取り上げる。

  • いかにしてKGBはペレストロイカ期の移行経済に浸透したか。
  • グラスノスチ(情報公開)による言論の自由や独立メディアの登場、そこから発生するKGB批判に対しKGBがいかなる方策をとったか。
  • ソ連/ロシアのインテジェンス機関は、「インフルエンス・エージェント(agent of influence)」と呼ばれる学者や専門家、政治家を使ってどのようなオペレーションを展開しているか。

八月クーデターは行き過ぎた改革に対しKGBなどの保守派が起こしたものだった。一つの皮肉は、当時のKGBトップだったクリュチコフ議長らはクーデター首謀者として逮捕されたが、1994年には恩赦で釈放された。他のKGB幹部もほとんどはお咎め無しで、ビジネスで活躍したり、後継機関の連邦保安庁(FSB)や対外諜報庁(SVR)で出世したり、退職した後も顧問に就くなど残りの人生を謳歌した。それに対し、KGBとその後継機関の問題を追究したガリーナ・スタロボイトヴァ、ユーリー・シコチーヒン、アンナ・ポリトコフスカヤなどのジャーナリストは暗殺により短命で亡くなっている。独立後のロシアでKGB/FSB研究が進まなかった体系的要因の一つがここにある。

 

①KGBの移行経済への浸透

1986年にゴルバチョフの下で始まったペレストロイカは多岐にわたる分野に及び、時期によって、人によってその解釈はさまざまだが、KGBにはKGBの独自の解釈があった。KGBにとってのペレストロイカとは、ソ連社会の変化に応じた防諜(counter intelligence)・対外諜報(external intelligence)体制の全面的見直しであった。また、旧来の思考を脱却し、幹部から末端まで、仕事を効率化しようと努めた。市場経済要素の導入や比較的競争性のある選挙の開始、グラスノスチといった政治・社会の変化に応じて、チェキスト(KGB要員)たちも自ら率先して自己改革を行ったのである。問題はその中身である。

経済分野では、1980年代後半からソ連では小規模な民間ビジネスが許可され、外国との貿易が徐々に開放されるようになった。この時KGBは、海外から流入する人や物に対して、防諜活動を強化する必要に迫られた。同じ時期、東欧に駐留していたソ連軍が撤退すると、軍内部の防諜(military counterintelligence)に従事していたチェキストは、新たにビジネス・貿易分野での防諜担当に配属替えされた。また、1989年にはクリュチコフ議長はインテジェンス・オフィサーに対しカバーとしての新しい民間の職業・専門性を訓練する必要性を唱え、KGB内部では経済・ビジネス専門家の養成に力が入れられ、実際に若手には企業で研修を受けさせたりした。同様に、ジャーナリスト、法律家、エンジニアとしてのインテジェンス・オフィサーも多く養成された。

KGBが、単なる軍人の組織であるというのは大きな誤解である。ソ連崩壊前夜の1991年にKGBは、博士(doktor nauk87名、候補(kandidat nauk1779名を擁し、また外国語に堪能な者も8千名以上いた。経済の防諜を担当した第六局などは、闇経済の実態を詳細に分析し、KGB内部でだけ閲覧できた極秘雑誌では、KGBの経済学者が、闇経済をなくすために多様な所有形態を認め、合法化する必要があるといったことを議論していた。

KGBは、市場経済の仕組みに精通し、経済と法律の知識を持つことなどが推奨され、そのための幹部研修が行われた。また、KGBの財源は元々100%ソ連国家によって賄われていたが、市場経済化の進展に伴い、KGBが独立採算性の企業に防諜要員を密かに送り込む中で、そうした企業から得た収入をKGB予算に組み入れてはどうかという大胆な提案もなされていた。

ソ連企業や外国との合弁企業に対し送り込まれた「現役予備オフィサー(officers of the active reserve)」は、企業内でエージェントをリクルートして外国企業の商業秘密を盗んだり、KGBにさまざまな報告を送っていた(この「現役予備オフィサー」制度は、今のロシアでも存在し、省庁、重要な国営企業にとどまらず、大学、文化団体などにまで送り込まれている)。ただ、KGBが経済・ビジネス分野でどういった役割を果たすかといった点についてはチェブリコフKGB議長(198288年)とその後任のクリュチコフ議長(198891年)の間でアプローチの違いがみられた。チェブリコフは、企業へ浸透したチェキストやエージェントがKGBの本来の仕事ではなく、外国企業との契約の管理や不良品の報告など経済関係省庁の仕事まで担当しているとして批判した。

他方、第一総局(対外諜報)出身のクリュチコフは、資本主義諸国のビジネスマンがソ連のカウンターパートを騙して不利な契約条件を押しつけていると主張し、KGBが萌芽期のソ連ビジネスを全面的に支援しなければならないと訴えた。具体的には、KGBはビジネス交渉のため訪ソする外国人に対し、その出身国のKGBレジデンス(海外駐在所)やアエロフロート航空機を始めとする移動手段のなかでエージェントや盗聴を使って価格交渉に有利になる情報を収集し、ソ連企業に提供した。また、西側企業の商業秘密を盗んでソ連経済に利用した。ソ連側カウンターパートに扮したKGBエージェントが西側企業から盗んだ技術情報は、当初KGBから所管の各省庁に対し提供されていたが、87年頃からやり方を少し変え、KGBからエージェントが所属するソ連企業に直接的に盗取情報を提供できるようになった。現在のロシアにおいても、対外諜報庁(SVR)から(大統領が承認した)民間企業に対する技術情報の提供が法律で認められている。

従来のロシア・エリート研究は、軍と諜報機関を「シロビキ」として一括して、シロビキ出身者は民間分野の専門性を持たないという議論を展開しているが、少なくともKGBやその後継機関についてこの議論は当てはまらない。彼らはインテジェンス・オフィサーであると同時に、民間企業で働けるだけの専門性も兼ね備えていた。また、KGB1990年のソ連共和国・地方選挙へKGB職員の立候補を促し、選挙戦を支援し、多くのチェキスト(2,756名)が共和国・市・村議員に選出された。KGBは、政治家・ビジネスマン養成の学校であったといっても過言はない。ゴルバチョフは、1991年の八月クーデターを首謀したKGBの改革に着手したが、その内容はバルト諸国等のようなKGBの解散・廃止ではなく、KGBを機能別に分割することだった。分割された機能は後にプーチンの下でFSBを中心に再び統合される。

 

②KGBとグラースノスチ

秘密警察としてのKGBの活動は、情報公開を求める「グラスノスチ」と概念的に矛盾すると思われるかもしれない。この点に関連して興味深いことは、ソ連崩壊前後の世論調査で、地域差はあるものの、多くのソ連国民がKGBを信頼すると回答し、KGB職員に対するイメージはおおむね「プロフェッショナル」、「知性的」といった肯定的なものだったことである。また、強力なインテリジェンス機関はロシアの歴史的・文化的に裏打ちされているという宿命論的議論をする学者もいるが、なぜロシアでKGBに対し肯定的なイメージが先行したかは史料に基づいた詳細な分析を必要とする。

ペレストロイカ期、チェブリコフKGB議長は『プラウダ』紙面で、グラスノスチは人民とのコミュニケーションを活発化するためのものだと述べ、KGBを正しく理解してもらうためには隠さずにもっと見せるべきとした。後任のクリュチコフも、大衆に向けられたKGBの行動の必要を説いた。その結果、KGBのパブリック・リレーションズ部門が生まれた。KGBは、ソ連が資本主義国のインテリジェンス機関から狙われていると宣伝する外国スパイ摘発ドキュメンタリー映画、伝説的なチェキスト伝記などを数多く制作し、大きな反響を得た。特に、外国によるスパイ活動や脅威の強調は、ソ連人に対しKGBの活動を「控えめ」に映し、KGBの実際の活動から関心を逸らせた。

また、KGBは「グラスノスチ」の標語のもとで、記者会見やテレビ出演を行うようになり、ソ連国民や外国人研究者を驚かせた(ソ連で最も閉鎖的な組織が記者会見を行うことなど当時は想像すらできなかった)。しかし、KGB内部では、記者からの質問にオープンに、淀みなく、時にはジョークを交え応える訓練が行われており、こうした印象操作の技術によって、KGBは生まれ変わった、KGBオフィサーも我々と同じような普通の人間なんだ、という印象をソ連国民に植え付けることを狙いとしていた。プーチンもまたこうした方法論を受け継いでおり、2000年のロシア大統領選では、郊外の電車に乗り通勤客とたわいのない会話を交わす「普通の人間」としてのイメージが売り込まれた。

KGBは、批判的な新興メディア(モスクワ通信、クランティ、独立新聞、モスクワのこだま等。いずれも今は廃刊またはインテリジェンスに浸透され骨抜きにされている)の報道を注意深くモニタリングする一方、いわゆる「ルビャンカ・プール」―KGB/FSBが意図的にリークする情報をもとに記事や番組を作る「ジャーナリスト」集団を作った(自称「リベラル」のユーリア・ラティーニナなどもその一人)。

しかし、なんといっても、KGBのイメージ上の弱点はその過去にある。レーニンの時代にジェルジンスキーが率いたチェーカー(全ロシア非常委員会)は、スターリンの下で大粛清を行ったNKVD(内務人民委員部)、さらにポスト・スターリン時代のKGB(国家保安委員会)へと再編されたが、グラスノスチでKGBが特に力を入れたのは、自らに不都合な過去を切り離すことであり、KGBは大粛清を行った前身のNKVDとは全く異なる組織であるというプロパガンダを大々的に行った。また、KGBは、大粛清の犠牲者の文書調査や情報公開に真摯に協力している姿勢をアピールしたが、これは表面的なレトリックであり、実際には大粛清の実態を隠蔽した(クリュチコフが「そもそも文書が存在しない」とした犠牲者の氏名や埋葬場所に関する文書がソ連崩壊後のウクライナのKGBアーカイブ等から見つかっている)。

KGB/FSB、そしてプーチン政権がKGB文書の公開を阻む理由は、その権威失墜につながることを恐れてのことである。ペレストロイカ期に結成された「メモリアル」と呼ばれるソ連の歴史的事実を究明する民間組織(202112月ロシアの「裁判所」が閉鎖を決定)の政治的潜在性は、ゴルバチョフからも恐れられ、KGBによるさまざまな手法で「無能力化」された。ただし、KGBはあからさまな弾圧を避け、「メモリアル」に先行して(あるいは共同で)犠牲者捜索活動や追悼碑設置を行うことでイニシアティブを奪ったり、「メモリアル」の歴史家やジャーナリストに「プロパガンダ目的のアーカイブ資料」を提供したりして懐柔した。また、KGBの歴史家(文書保管を担当する第10課職員)が「メモリアル」支部長に就任するなど内部からこれをコントロールする動きも見られた。

 

③インフルエンス・エージェント

現在、紛争時の戦略ナラティブ(strategic narrative)の観点から、いわゆる「ウクライナ危機」を研究している。ロシアの国営メディア、ソーシャルメディアを通じたプロパガンダについては既にさまざまな研究があるが、もっとも効果的に対象国のターゲットに(偽)情報を届けるチャネルであるインフルエンス・エージェント(影響力の代理人)の存在、特に外国の専門家・学者に対するクレムリンの活動はあまり知られていない。このようなインフルエンス活動においてロシアが使うプラットフォームの一つが、ヴァルダイ会議である。日本からのレギュラーな参加者としては、下斗米伸夫氏、畔蒜泰助氏などが知られる。

インフルエンス・エージェントの本来の目的は、情報の取得(collection)ではなく、相手国の世論や特定のターゲットに影響を与え、ソ連/ロシアに都合のよい世論・対外政策の形成を促すアクティブ・メジャーズ(active measures)と呼ばれる工作活動である(ただし両方の機能を兼ねるエージェントもいる)。

他方、盗む「情報」とは異なり、「影響」は目に見ないので、何をもってインフルエンス・エージェントの活動を行っていると判断するかは難しい問題であり、インフルエンス・エージェントとして過去に逮捕・立件された例は世界的にも少ない。ロシアの(偽)情報を伝達して影響を与えるという意味では、ヴァルダイ会議参加者に限らず、ロシアの情報源(ロシア政府関係者、「専門家」、ニュース、歴史資料)にアクセスするロシア研究者は、多かれ少なかれ、その活動に参加していると広く捉えることもできるからである。

この一方、ロシアのインテリジェンス機関とインフルエンス・エージェントの間の関係を規定するのは、前者が後者の個人的目的を達成するために与えるさまざまな便宜に特徴がある。政治家の場合は、新聞など主要メディアや有権者向けの「手柄」(ソ連時代、モスクワを訪問した石田博英自民党議員に対し、ソ連が拘束していた日本人漁船乗組員を解放する等。レフチェンコ証言で石田議員はソ連エージェントであったとされる)を提供することであったりするが、学者の場合はどのような便宜を受けるのか?

この点に関して、KGBの「ソ連領からのインテリジェンス活動」に関するマニュアルは、外国の「ソ連研究者は、定期的にソ連を訪問してソ連側カウンターパートと意見交換する機会を失えば、職業的権威と影響力を失う」と指摘している。要は、インテリジェンスの視点からは、ソ連/ロシアの一次情報源(文献、インタビュー等)への排他的アクセスを与えることで外国人研究者との間でインフルエンス・エージェントの関係を築くことができる(金銭の授受は必ずしも伴わない)。また、モスクワに来る外国人留学生・研修員は「彼らの関心のある資料、教授陣の指導、国際的に名の知れた[ソ連の]研究機関の支援を必要としている」とも指摘する。

ソ連科学アカデミー傘下の米国カナダ研究所、極東研究所、世界経済国際関係研究所などの情報収集・分析活動は、KGBの対外諜報のテーマとも重複するため、KGBオフィサーの「専門家」カバーとして、また外国人研究者をリクルートする場として大いに活用された(外国人研究者のカウンターパートには、ソ連側の「専門家」のカバーを使ったKGBオフィサーまたはエージェントが当てられた)。今のロシアも同じことを行っている。現在、ロシアの外交関連「研究機関」で研修している日本人学生が、ロシアの元大使へのインタビュー、ヴァルダイ会議運営への参加等を通して、「ロシアの視点」を吸収・発信しているのはこの一例である。

もちろん、研究者には各自のアジェンダがあり、必ずしもインテリジェンスの指示で動いているわけではないという反論もあるだろう。しかし、ソ連/ロシアのインテジェンスはこの点も織り込み済みで、マニュアルによれば、知的レベルの高い外国人はソ連/ロシアのインテジェンス機関との協力を自らの独自の政治活動であると再定義する、とされる。また、そうしたエージェントは、「表向きは出身国の国益の視点から行動」している。ヴァルダイ会議参加者を含めロシアのインテジェンスの影響を強く受ける者のナラティブは、たいていの場合、「日本の国益のために」という枕詞がつく。

さらに、そうした学者は、ロシアの主張を全面的に肯定しているわけではなく、批判もしているとの反論もあるかもしれない。エージェント・リクルート方法論のマニュアルによれば、インフルエンス・エージェントは、ソ連/ロシアに思想的に完全に一致する必要はなく、ジャーナリストや専門家を装うKGBオフィサーは、「反米」、「平和主義」、「核兵器廃絶」など何らかの共通項を見つけ、面談を重ねつつ、そうした共通の視点を広げていく。今の時代は「反米国一極主義」などがキーワードだろう。

では、インフルエンス・エージェントは、どこでインテリジェンス機関の「指示」を受けるのか。ソ連時代は、海外レジデンスのハンドラーが面談したり、国際会議などを理由とした外国人のソ連訪問の機会が利用された。コミュニケーションの発達により、いまはemailも利用されているだろう。また、「ソ連領からのインテリジェンス活動」の視点からすれば、ロシアで開催される国際行事は、敵対国の防諜機関に怪しまれずにロシアのインテリジェンス・オフィサー(学者、ジャーナリストのカバーを使う)が多くの外国人と堂々と接触し、指示を与えられる格好の機会を提供している。ヴァルダイ会議の場合は、プーチンが演説等で与えるプロパガンダの主要メッセージとともに、親密な「友人」間で秘密裡に行われる様々な「懇談」(conversation of influenceと呼ぶ)における偽情報(アクティブ・メジャーズ)の二つがあることに注意しなければならない。

ヴァルダイ会議等への参加者は、ロシアのインテジェンスに協力していますか、と聞かれれば、そんなはずはない、指示など受けていない、自主的にやっている、と言うだろう。しかし、まさに研究者が「自主的に」テーマを選択し、「自主的に」ロシア側の主張を拡散するよう仕向けることが、プーチンを始めとしたハンドラー、インテリジェンスの極意である。

KGBの教科書によれば、インフルエンス・エージェントの使用が最も効果的なのは、評価が分かれる国際問題の論争に関してだという。「ウクライナ危機」はその好例である。ヴァルダイ会議参加者は、この事象を「米国によるロシアへの復讐」、「暴力的非合法クーデター」、「ネオナチ政権」、「ウクライナ内戦」などのフレームで伝えるとともに、「日本の国益のため」にウクライナ問題によって日露関係を犠牲にすべきでない、とさまざまなメディアや会議を通じて日本の世論、政財界の説得にあたった。

ロシアのインテリジェンスは、インフルエンス・エージェントを通じて、既に日本の世論、政財界、学会に一定の影響を与えているのである。

・(上記研究の情報源に関する質問に対し、)最近一部で公開が始まったKGBの内部資料を使っている。KGBの内部定期刊行物には、Sbornik KGB(内部で最も権威あるともに、タイムリーなトピックを扱い、実用的)、Trudy Vyshei ShkolyKGB学校の学者が主に執筆し、より専門的・理論的)、第1総局、第2総局などライン別に発行するByulleten’(ほとんど公開されておらず全貌は不明)がある。これらは全て、ロシアでは今でも極秘扱いであるが、ウクライナやリトアニアのKGBアーカイブ(https://www.kgbdocuments.eu/kgb-journals-and-books/ )が部分的に公開している。また、InterpreterというサイトがKGBの教本類を公開している(https://www.interpretermag.com/kgb-training-manuals-revealed/)。ロシア以外の国の旧KGBアーカイブなどから流出したものと想像される。教本は計9冊程度あり、エージェントのリクルート方法や連絡・密会手法など、かなりテクニカルなものから、本プレゼンで紹介したソ連崩壊直前の1989年に発行された「ソ連領からのインテリジェンス活動」など現代にも通ずるアプローチ・技法についてのものもある。

以上