活動
2026年1月31日
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員/安全保障問題研究会会長/青山学院大学・新潟県立大学名誉教授
2月7日の「北方領土の日」を迎えるが、一つ気になることがある。それは「北方領土問題」が今日のわが国では「風化」しつつある、という問題だ。
実は、われわれの安全保障問題研究会(安保研)は、元々は故末次一郎氏(1922.10.2-2001.7.11)が創設した。彼は、歴代の日本の首脳の蔭の指南役を務め(彼が亡くなった時の葬儀委員長は中曽根康弘元首相)、沖縄返還問題、北方領土問題という2つ重大な戦後処理の問題にも深く関わり、1968年に沖縄問題が何とか片付いた後は、北方領土問題を解決しソ連(ロシア)と平和条約を締結するために安全保障問題研究会を1970年に創設し、1973年に各界の有力識者を集めて第1回の会議を開いた。
筆者がこの研究会に関係するようになったのは1970年代後半にで、安保研とソ連(ロシア)との日ソ(露)専門家会議開催が契機だった。ロシア側の主たるパートナーは世界経済国際関係研究所(IMEMO)で他にも、米加研究所、東洋学研究所、極東研究所、欧州研究所、その他の代表たちも参加し、両国の政府、外務省もこの会議に協力した。
この日露平和条約締結を目的とする日露専門家会議が中止となったのは、2022年3月21日にロシア外務省が日本の対露制裁参加に反発して「日本との平和条約交渉の停止」を声明したからではない。それより10年余りと前に、IMEMOのA・ディンキン所長が安保研会長の筆者に、「今後は南クリル(北方領土)問題は会議のテーマにしない」と一方的に伝えたからである。IMEMOはロシア政府と直結した研究所であり、明らかにロシア政府の政策を汲んだ研究所の方針転換だった。その後は、ロシアの国際問題専門家のD・トレーニンが所長を務める米国のカーネギー・モスクワセンターと2、3回専門家会議を続けたが、センターはロシア人の所長や多数の研究員を抱えるとはいえ、またIMEMOの研究者も参加したとはいえ、モスクワの米国系研究所と日露専門家会議を続けるのはこの本来の日露専門家会議の趣旨に沿わないので私は、日露専門家会議を中止した。
安保研には国際問題研究で我が国を代表するような優れた委員たちがいる。プーチン時代が始まると、やがて世界は激動の時代委に入り、ロシアのウクライナ軍事侵略問題、ガザ地区のハマス、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派などのイスラム過激派及びそれらを軍事的、財政的に支援するイランと、イスラエルの対立問題、米国のトランプ政権の過激な発言や対外政策などが続き、北方領土問題はおのずと日本人の意識や国政においても中心問題ではなくなった。日本のメディアや国民意識の中で、感心が薄れたのも、当然だろう。日本外務省も北方領土問題に政策や関心を集中することはなくなり、国際問題専門家の間でも、北方領土問題に関する研究会やシンポジウムも自ずと大幅に減った。
このような状況の中で、「日本国際フォーラム」がこの1月29日に公開シンポジウム「戦後80年、北方領土問題を考える」を、著名な国際問題専門家や数十名の聴衆を集めて東京で開催したことは、今日の時代としては、少し異例のことかもしれない。
北方領土問題に関して、次のような質問を受けることがある。プーチン大統領はナショナリストで憲法にも、「ロシア領土の割譲禁止」条項を設け、北方領土は当然ロシア領土としているので、プーチン時代にこの問題が解決するとは思わない。しかし、プーチンの後に、例えばゴルバチョフのような改革派、親西側的な大統領が登場したらなら、北方領土問題は解決するだろうか、という質問である。
1月29日の公開シンポジウムでの報告者同士の討論の時間に、ある報告者は「プーチンは第2次世界大戦の結果は決して譲らない」と述べ、他の報告者はロシアのナショナリズムは、かつての日本の、絶対に譲れない「国体」のようなものだと述べた。また別の報告者は、スペインやポルトガルのあるイベリア半島では、1713年以来紛争が続いている英国とスペインの領土問題を紹介した。インドとパキスタンの間のカシミール地域をめぐる紛争は、1947年以来約80年間続いているが、今も未解決である。
やや問題は異なるが、1940年代の英国と中国のアヘン戦争の結果、1898年には、英国は香港全域(香港島、九龍半島、周辺の島々)を99年の期限付きで租借した。租借された地域が欧米諸国以上に「華やかな市場経済」化したことは広く知られている。しかし、99年後の1997年7月1日にこの香港地域は中国に返還され、2047年までの50年間は高度の自治権を有する(民主主義と市場経済の香港を保持する)とした「一国二制度」制が導入された。その約束が中国当局により破られていることは周知のことだ。つまり、香港は中国による不法な占領状況にある。現在の台湾が中国との一体化を強く拒否する理由もここにある。
このことを書いたのは、日本も北方領土問題解決は決して諦めず、数十年、百年単位の問題として対応すべき覚悟を持つべきだと述べるためである。
東京宣言は、1993年10月に日露の細川首相とエリツィン大統領により署名された合意文書で、それには次のような記述がある。「日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、両国関係における困難な過去の遺産は克服されなければならないとの認識を共有し、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題について真剣な交渉を行った。」
この文言が意味することは、北方4島が日本、ロシアのどちらに帰属するかは、歴史的に両国の合意がないこと、それを決めなくてはならないこと、ロシアもその事実を認めていることを意味する。これは、国会の承認を必要とする国家間の契約問題ではなく、事実確認の問題である。この認識が北方領土交渉の出発点であり、2001年3月の森首相とプーチン大統領の間のイルクーツク声明では、「93年の東京宣言に基づき四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結すべきことを再確認」したとし、2003年1月の小泉首相とプーチン大統領の日露行動計画では「イルクーツク声明を含む重要な諸合意」の重視について合意され、やはり「4 島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結し、もって両国関係を完全に正常化する」ことが謳われている。しかしプーチン大統領は2005年の9月に、「第2次大戦の結果4島はロシア領となった」と歴史の事実を修正した。この問題は北方領土の元島民の人道問題とか北海道の経済問題ではなく、「国家主権を守るか否か」という日本国民全体の最重要問題である。これが、この問題の出発点なのだ。
1.北方領土問題の風化
2月7日の「北方領土の日」を迎えるが、一つ気になることがある。それは「北方領土問題」が今日のわが国では「風化」しつつある、という問題だ。
実は、われわれの安全保障問題研究会(安保研)は、元々は故末次一郎氏(1922.10.2-2001.7.11)が創設した。彼は、歴代の日本の首脳の蔭の指南役を務め(彼が亡くなった時の葬儀委員長は中曽根康弘元首相)、沖縄返還問題、北方領土問題という2つ重大な戦後処理の問題にも深く関わり、1968年に沖縄問題が何とか片付いた後は、北方領土問題を解決しソ連(ロシア)と平和条約を締結するために安全保障問題研究会を1970年に創設し、1973年に各界の有力識者を集めて第1回の会議を開いた。
筆者がこの研究会に関係するようになったのは1970年代後半にで、安保研とソ連(ロシア)との日ソ(露)専門家会議開催が契機だった。ロシア側の主たるパートナーは世界経済国際関係研究所(IMEMO)で他にも、米加研究所、東洋学研究所、極東研究所、欧州研究所、その他の代表たちも参加し、両国の政府、外務省もこの会議に協力した。
この日露平和条約締結を目的とする日露専門家会議が中止となったのは、2022年3月21日にロシア外務省が日本の対露制裁参加に反発して「日本との平和条約交渉の停止」を声明したからではない。それより10年余りと前に、IMEMOのA・ディンキン所長が安保研会長の筆者に、「今後は南クリル(北方領土)問題は会議のテーマにしない」と一方的に伝えたからである。IMEMOはロシア政府と直結した研究所であり、明らかにロシア政府の政策を汲んだ研究所の方針転換だった。その後は、ロシアの国際問題専門家のD・トレーニンが所長を務める米国のカーネギー・モスクワセンターと2、3回専門家会議を続けたが、センターはロシア人の所長や多数の研究員を抱えるとはいえ、またIMEMOの研究者も参加したとはいえ、モスクワの米国系研究所と日露専門家会議を続けるのはこの本来の日露専門家会議の趣旨に沿わないので私は、日露専門家会議を中止した。
安保研には国際問題研究で我が国を代表するような優れた委員たちがいる。プーチン時代が始まると、やがて世界は激動の時代委に入り、ロシアのウクライナ軍事侵略問題、ガザ地区のハマス、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派などのイスラム過激派及びそれらを軍事的、財政的に支援するイランと、イスラエルの対立問題、米国のトランプ政権の過激な発言や対外政策などが続き、北方領土問題はおのずと日本人の意識や国政においても中心問題ではなくなった。日本のメディアや国民意識の中で、感心が薄れたのも、当然だろう。日本外務省も北方領土問題に政策や関心を集中することはなくなり、国際問題専門家の間でも、北方領土問題に関する研究会やシンポジウムも自ずと大幅に減った。
2.北方領土問題解決の長期化の覚悟
このような状況の中で、「日本国際フォーラム」がこの1月29日に公開シンポジウム「戦後80年、北方領土問題を考える」を、著名な国際問題専門家や数十名の聴衆を集めて東京で開催したことは、今日の時代としては、少し異例のことかもしれない。
北方領土問題に関して、次のような質問を受けることがある。プーチン大統領はナショナリストで憲法にも、「ロシア領土の割譲禁止」条項を設け、北方領土は当然ロシア領土としているので、プーチン時代にこの問題が解決するとは思わない。しかし、プーチンの後に、例えばゴルバチョフのような改革派、親西側的な大統領が登場したらなら、北方領土問題は解決するだろうか、という質問である。
1月29日の公開シンポジウムでの報告者同士の討論の時間に、ある報告者は「プーチンは第2次世界大戦の結果は決して譲らない」と述べ、他の報告者はロシアのナショナリズムは、かつての日本の、絶対に譲れない「国体」のようなものだと述べた。また別の報告者は、スペインやポルトガルのあるイベリア半島では、1713年以来紛争が続いている英国とスペインの領土問題を紹介した。インドとパキスタンの間のカシミール地域をめぐる紛争は、1947年以来約80年間続いているが、今も未解決である。
やや問題は異なるが、1940年代の英国と中国のアヘン戦争の結果、1898年には、英国は香港全域(香港島、九龍半島、周辺の島々)を99年の期限付きで租借した。租借された地域が欧米諸国以上に「華やかな市場経済」化したことは広く知られている。しかし、99年後の1997年7月1日にこの香港地域は中国に返還され、2047年までの50年間は高度の自治権を有する(民主主義と市場経済の香港を保持する)とした「一国二制度」制が導入された。その約束が中国当局により破られていることは周知のことだ。つまり、香港は中国による不法な占領状況にある。現在の台湾が中国との一体化を強く拒否する理由もここにある。
このことを書いたのは、日本も北方領土問題解決は決して諦めず、数十年、百年単位の問題として対応すべき覚悟を持つべきだと述べるためである。
3.「東京宣言」を無視し、歴史を捏造するプーチン
東京宣言は、1993年10月に日露の細川首相とエリツィン大統領により署名された合意文書で、それには次のような記述がある。「日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、両国関係における困難な過去の遺産は克服されなければならないとの認識を共有し、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題について真剣な交渉を行った。」
この文言が意味することは、北方4島が日本、ロシアのどちらに帰属するかは、歴史的に両国の合意がないこと、それを決めなくてはならないこと、ロシアもその事実を認めていることを意味する。これは、国会の承認を必要とする国家間の契約問題ではなく、事実確認の問題である。この認識が北方領土交渉の出発点であり、2001年3月の森首相とプーチン大統領の間のイルクーツク声明では、「93年の東京宣言に基づき四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結すべきことを再確認」したとし、2003年1月の小泉首相とプーチン大統領の日露行動計画では「イルクーツク声明を含む重要な諸合意」の重視について合意され、やはり「4 島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結し、もって両国関係を完全に正常化する」ことが謳われている。しかしプーチン大統領は2005年の9月に、「第2次大戦の結果4島はロシア領となった」と歴史の事実を修正した。この問題は北方領土の元島民の人道問題とか北海道の経済問題ではなく、「国家主権を守るか否か」という日本国民全体の最重要問題である。これが、この問題の出発点なのだ。