活動
2025年11月30日
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員/安全保障問題研究会会長/青山学院大学・新潟県立大学名誉教授
国際問題の専門家として、国際情勢の変化の急展開ぶりに、振り回されている。何かの原稿や講演の依頼を受けるとき、編集者や組織者は、発行日や講演日の一ケ月、少なくとも一週間前には、原稿や講演のレジメ・資料などを出すよう頼んでくるが、目まぐるしく世界情勢が動く今日では、それに応じるのはかなり難しい。例えば、今のロシアとウクライナの戦争問題に関し、この11月19日にある米メディアがトランプ政権による28項目の和平合意案の存在を報じた。もちろん、これはプーチン、ゼレンスキーにも届けられた。このロシア寄りの和平案に危機感を抱いたウクライナや欧米諸国の首脳や高官たちが、11月23日にスイスのジュネーブで会談し、新たな19項目から成る公式の新和平案を作成し、翌日世界のメディアはそのことを報じた。
それらの和平案の文書自体は共に公表されてはいないが、関係者周辺から情報が洩れ、28項目案には、ウクライナのゼレンスキー政権がウクライナという主権国家の存在を否定しない限り、原理的に受け入れられない内容が多く含まれていることが明らかになっている。トランプ政権の提案でありながら、まるでロシア側の主張がベースなっているような和平案なのだ。また28項目の最初の和平案の内容で、「19項目の新和平案に残っているのは僅か」という情報も広く流れている。
これらの問題をめぐって、11月の後半には西側世界のメディアもロシアのメディアも、毎日のように新たな情報や解説を報じている。中には米、露の交渉担当者の電話が何らかの方法で録音されてメディアに流れ、トランプの側近で米国中東特使のウィトコフがロシア側の交渉担当者に対して、プーチンがトランプを「落とす」ためのアプローチの仕方を教えていたとか、トランプが、対ロシア制裁によって凍結された在外ロシア資産の運用で得られた「ウクライナ復興投資」の利益の半分を、米国が運用主体だからとの理由で米国が取る等々、かなり具体的な内容も世界のメディアに流れたりもした。現在の情勢を考える限り、19項目の新和平提案をプーチンが受け入れることはあり得ないだろう。
この論説を書く時点では、11月末までの情報は何とかカバーできた。29日の主要紙の夕刊には、最近話題のウクライナの汚職問題に関し、ゼレンスキーの右腕とされるウクライナのウェルマーク大統領府長官の関与が大きく取り扱われている。ゼレンスキーは、同長官が28日に辞表を提出したので彼を解任したと報じられている。これがゼレンスキー政権に大きな打撃となることに疑いはないが、それが今後のウクライナ内政やウクライナ政権の対ロシア、対欧米政策にどのように影響するかは、まだ不明確である。
ちなみに、現在のロシア・ウクライナ戦争は、第2次世界大戦終了後に世界で生じた諸戦争、紛争の中では最大のものとも言われているが、世界の混乱は、和平に向かうどころか、ウクライナを超えて、欧州全体の深刻な問題になっている。私は、ロシアとウクライナや欧州の対立問題は、今後数年どころか数十年は続く可能性が高いと考えている。たとえプーチン後のロシアにソ連時代のゴルバチョフのような改革派的な指導者が現れたとしても、東欧、バルト諸国、ウクライナの国民は、簡単にロシアの国家体質が変わるとは思っていない。ゴルバチョフ時代の1987年4月に、私は自身の著書で次のように述べた。
「東欧の人たちと話してみると、ソ連に対してある共通の基本認識がある。それは、ロシアでは、誰が指導者になり、どんな政策を出してこようと、本質は変りっこないのだという、一種の『諦め』である。ゴルバチョフ書記長のように多少西欧的で近代的な指導者が現れたとしても、それによってロシアが本質的に変わるということは信じられないのだ。」(『深層の社会主義』 袴田茂樹 筑摩書房 1987.4)
ソ連の共産党体制は崩壊し冷戦も終了したが、それ以後の「新しい」ロシア連邦に対して、今述べた国々や、さらに他の旧ソ連諸国の人々も、全く同じ考えを抱いている。それは、カザフスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、モルドバなどと今日のロシアの複雑な関係を見ても分かることだ。私も、プーチンがいつ、どのような形で退任するかは不明だが、プーチン後もロシアでは「プーチンⅡ」が現れるだけだ、とも述べてきた。
皮肉な言い方だが、戦後数十年続いた冷戦時代には、国際状況の変動は少なく、キューバ危機時など特殊な事例を除き、世界は大変「平和で安定」していた。しかし大きな歴史的視点から見ると、私は持論として、今日の混乱した、あるいは大きな危機をはらんだ国際情勢は、2つの世界大戦を引き起こした20世紀前半に酷似していると述べてきた。さらに言うと今日の国際情勢は、欧州で17世紀半ば、30年戦争終了時のウエストファリア条約で主権国家体制が成立した以後だけでなく、国家主権とか基本的人権、民主主義といった観念も十分に発達していなかったそれ以前の時代も含め、人類の長い歴史の「生地」が現れているだけだ、とも言える。
最近、我が国のあるロシア研究者が、ウクライナ戦争に関連して、「この戦争の評価はトランプⅡ政権が終結に向けて動き出したこともあり、多少変わり始めたようだが、それでも、例えば国連加盟国ウクライナの当初の版図にクリミアは含まれていなかったという最低の歴史的事実も知らない論者が議論を続けているのに驚く」と述べている。この発言のニュアンスは、クリミアは1954年にフルシチョフが勝手にロシアからウクライナに帰属変えしたのであって、元々はロシア領であった。そのことも知らないでウクライナ、ロシア問題が論じられている、ということだろう。
ソ連時代には共産党のKGB員であったプーチンも、フルシチョフのクリミア政策を罵倒しているし、「民族自決」を述べたレーニンに対しても、批判的言葉を述べている。歴史的に見るならば、18世紀後半のエカチェリーナⅡ世時代に、現在のウクライナ南部地方は、オスマン帝国との戦争で獲得し、ノヴォロシア(新ロシア)とされた。さらに遡れば、ロシアのキリスト教(東方正教会)受け入れは、10世紀末にキエフ大公ウラジーミルⅠ世(聖皇)のクリミア半島での洗礼が起点とされている。
プーチンは2014年3月18日、クリミア半島併合宣言で「ウクライナ国民とロシア国民は同じ国民だ。キエフはロシア諸都市の母なる都市である」とも述べている。しかし、これを事実と認めるとしても、歴史的に創造された「国家主権」という最重要の「フィクション(観念)」を厳しく守る努力をする以外に、国家間や各国家内の安定を図ることは不可能だろう。
今日、最も深刻な問題は、ロシアや米国の大統領に、その観念が欠如していることだ。プーチンのウクライナ侵攻という行動だけでなく、トランプの「カナダを米国の51番目の州にする」と大真面目で述べた言葉にも、そのことが典型的に表れている。
国際問題の専門家として、国際情勢の変化の急展開ぶりに、振り回されている。何かの原稿や講演の依頼を受けるとき、編集者や組織者は、発行日や講演日の一ケ月、少なくとも一週間前には、原稿や講演のレジメ・資料などを出すよう頼んでくるが、目まぐるしく世界情勢が動く今日では、それに応じるのはかなり難しい。例えば、今のロシアとウクライナの戦争問題に関し、この11月19日にある米メディアがトランプ政権による28項目の和平合意案の存在を報じた。もちろん、これはプーチン、ゼレンスキーにも届けられた。このロシア寄りの和平案に危機感を抱いたウクライナや欧米諸国の首脳や高官たちが、11月23日にスイスのジュネーブで会談し、新たな19項目から成る公式の新和平案を作成し、翌日世界のメディアはそのことを報じた。
それらの和平案の文書自体は共に公表されてはいないが、関係者周辺から情報が洩れ、28項目案には、ウクライナのゼレンスキー政権がウクライナという主権国家の存在を否定しない限り、原理的に受け入れられない内容が多く含まれていることが明らかになっている。トランプ政権の提案でありながら、まるでロシア側の主張がベースなっているような和平案なのだ。また28項目の最初の和平案の内容で、「19項目の新和平案に残っているのは僅か」という情報も広く流れている。
これらの問題をめぐって、11月の後半には西側世界のメディアもロシアのメディアも、毎日のように新たな情報や解説を報じている。中には米、露の交渉担当者の電話が何らかの方法で録音されてメディアに流れ、トランプの側近で米国中東特使のウィトコフがロシア側の交渉担当者に対して、プーチンがトランプを「落とす」ためのアプローチの仕方を教えていたとか、トランプが、対ロシア制裁によって凍結された在外ロシア資産の運用で得られた「ウクライナ復興投資」の利益の半分を、米国が運用主体だからとの理由で米国が取る等々、かなり具体的な内容も世界のメディアに流れたりもした。現在の情勢を考える限り、19項目の新和平提案をプーチンが受け入れることはあり得ないだろう。
この論説を書く時点では、11月末までの情報は何とかカバーできた。29日の主要紙の夕刊には、最近話題のウクライナの汚職問題に関し、ゼレンスキーの右腕とされるウクライナのウェルマーク大統領府長官の関与が大きく取り扱われている。ゼレンスキーは、同長官が28日に辞表を提出したので彼を解任したと報じられている。これがゼレンスキー政権に大きな打撃となることに疑いはないが、それが今後のウクライナ内政やウクライナ政権の対ロシア、対欧米政策にどのように影響するかは、まだ不明確である。
ちなみに、現在のロシア・ウクライナ戦争は、第2次世界大戦終了後に世界で生じた諸戦争、紛争の中では最大のものとも言われているが、世界の混乱は、和平に向かうどころか、ウクライナを超えて、欧州全体の深刻な問題になっている。私は、ロシアとウクライナや欧州の対立問題は、今後数年どころか数十年は続く可能性が高いと考えている。たとえプーチン後のロシアにソ連時代のゴルバチョフのような改革派的な指導者が現れたとしても、東欧、バルト諸国、ウクライナの国民は、簡単にロシアの国家体質が変わるとは思っていない。ゴルバチョフ時代の1987年4月に、私は自身の著書で次のように述べた。
「東欧の人たちと話してみると、ソ連に対してある共通の基本認識がある。それは、ロシアでは、誰が指導者になり、どんな政策を出してこようと、本質は変りっこないのだという、一種の『諦め』である。ゴルバチョフ書記長のように多少西欧的で近代的な指導者が現れたとしても、それによってロシアが本質的に変わるということは信じられないのだ。」(『深層の社会主義』 袴田茂樹 筑摩書房 1987.4)
ソ連の共産党体制は崩壊し冷戦も終了したが、それ以後の「新しい」ロシア連邦に対して、今述べた国々や、さらに他の旧ソ連諸国の人々も、全く同じ考えを抱いている。それは、カザフスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、モルドバなどと今日のロシアの複雑な関係を見ても分かることだ。私も、プーチンがいつ、どのような形で退任するかは不明だが、プーチン後もロシアでは「プーチンⅡ」が現れるだけだ、とも述べてきた。
皮肉な言い方だが、戦後数十年続いた冷戦時代には、国際状況の変動は少なく、キューバ危機時など特殊な事例を除き、世界は大変「平和で安定」していた。しかし大きな歴史的視点から見ると、私は持論として、今日の混乱した、あるいは大きな危機をはらんだ国際情勢は、2つの世界大戦を引き起こした20世紀前半に酷似していると述べてきた。さらに言うと今日の国際情勢は、欧州で17世紀半ば、30年戦争終了時のウエストファリア条約で主権国家体制が成立した以後だけでなく、国家主権とか基本的人権、民主主義といった観念も十分に発達していなかったそれ以前の時代も含め、人類の長い歴史の「生地」が現れているだけだ、とも言える。
最近、我が国のあるロシア研究者が、ウクライナ戦争に関連して、「この戦争の評価はトランプⅡ政権が終結に向けて動き出したこともあり、多少変わり始めたようだが、それでも、例えば国連加盟国ウクライナの当初の版図にクリミアは含まれていなかったという最低の歴史的事実も知らない論者が議論を続けているのに驚く」と述べている。この発言のニュアンスは、クリミアは1954年にフルシチョフが勝手にロシアからウクライナに帰属変えしたのであって、元々はロシア領であった。そのことも知らないでウクライナ、ロシア問題が論じられている、ということだろう。
ソ連時代には共産党のKGB員であったプーチンも、フルシチョフのクリミア政策を罵倒しているし、「民族自決」を述べたレーニンに対しても、批判的言葉を述べている。歴史的に見るならば、18世紀後半のエカチェリーナⅡ世時代に、現在のウクライナ南部地方は、オスマン帝国との戦争で獲得し、ノヴォロシア(新ロシア)とされた。さらに遡れば、ロシアのキリスト教(東方正教会)受け入れは、10世紀末にキエフ大公ウラジーミルⅠ世(聖皇)のクリミア半島での洗礼が起点とされている。
プーチンは2014年3月18日、クリミア半島併合宣言で「ウクライナ国民とロシア国民は同じ国民だ。キエフはロシア諸都市の母なる都市である」とも述べている。しかし、これを事実と認めるとしても、歴史的に創造された「国家主権」という最重要の「フィクション(観念)」を厳しく守る努力をする以外に、国家間や各国家内の安定を図ることは不可能だろう。
今日、最も深刻な問題は、ロシアや米国の大統領に、その観念が欠如していることだ。プーチンのウクライナ侵攻という行動だけでなく、トランプの「カナダを米国の51番目の州にする」と大真面目で述べた言葉にも、そのことが典型的に表れている。