*本稿では、正式な書類を有せずに在留し続ける者を「不法移民」「不法滞在者」と統一的に表現した。これは、日米双方の政治的分脈の中で、上記の言葉が使用されており、そのニュアンスを反映させたためである。不法入国者や不法滞在者に対する「不法性」を問う議論は多い(アメリカに関してカレンズ(2017)。日本に関して高谷(2018)、加藤(2022))。また、国連では「不法」ではなく、「非正規(irregular)」や「未登録(undocumented)」に置き換えるよう推奨する。
参考文献
- 加藤丈太郎、『日本の「非正規移民」―「不法性」はいかにつくられ、維持されるか』明石書店、2022年。
- カレンズ ジョセフ『不法移民はいつ〈不法〉でなくなるのか 滞在時間から滞在権へ』横濱竜也(翻訳)、白水社、2017。(Joseph H. Carens, Immigrants and the Right to Stay, 2010, MIT Press)
- 高谷幸、「「外国人労働者」から「不法滞在者」へ −1980年代以降の日本における非正規滞在者をめぐるカテゴリーの変遷とその帰結−」、社会学評論 68(4)、2018、pp.531-548. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/68/4/68_531/_pdf
- 厚生労働省、「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(令和6年10月末時点)、令和7年1月31日、https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_50256.html. 閲覧日2025年3月15日
- 内閣府、外国人労働者の受入れに関する世論調査、2004年7月26日、https://survey.gov online.go.jp/h16/h16-foreignerworker/2-4.html. 閲覧日2025年3月15日
- 内閣府、基本的法制度に関する世論調査 令和元年11月調査、2020年1月17日、https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-houseido/2-4.html. 閲覧日2025年3月15日
- Axios/Ispos, “Majority of Americans support deporting immigrants who are in the U.S. illegally”, Jan 19, 2025, https://www.ipsos.com/en-us/majority-americans-support-deporting-immigrants-who-are-us-illegally. (accessed March 10, 2025)
- CBS, “CBS News poll finds Trump starts on positive note as most approval of transition handling”, Nov 25, 2024, https://www.cbsnews.com/news/cbs-news-poll-trump-transition-cabinet-picks-2024-11-24/. (accessed March 10, 2025)
- CNN/ORC, “CNN/ORC Poll”, Sep 7, 2016, http://i2.cdn.turner.com/cnn/2016/images/09/06/immigration.pdf.pdf. (accessed March 19, 2025)
- Donald J. Trump, Crippled America: How to Make America Great Again, 2015, Threshold Editions.
- Katie Rogers, Lara Jakes, Ana Swanson, “Trump defends using ‘Chinese virus’ label, ignoring growing criticism”, New York Times, Mar 18, 2021, New York Times, https://www.nytimes.com/2020/03/18/us/politics/china-virus.html. (accessed March 19, 2025).
- Mae M. Ngai, Impossible Subjects: Illegal Aliens and the Making of Modern America, 2003, Princeton University Press.
- National Immigration Form, “Polling update: Post-election still little support for mass deportation”, Nov 22, 2016. https://immigrationforum.org/article/polling-update-post-election-still-little-support-mass-deportation/. (accessed March 19, 2025).
- Politico, “Bill O’Reilly attacks Trump for boosting ‘Operation Wetback’”, Nov 12, Sep, https://www.politico.com/video/2015/11/bill-oreilly-attacks-trump-for-boosting-operation-wetback-033110. (accessed March 19, 2025).
- S. Mula et al. “Concern with COVID-19 pandemic threat and attitudes towards immigrants: The mediating effect of the desire for tightness”, Current Research in Ecological and Social Psychology 3 (2022).
- YouGov, “Congressional Democrats’ struggles, government cuts, deportations, and the economy: March 16-18, 2025, Economist/YouGov Poll”, Mar 20 2025, https://today.yougov.com/politics/articles/51856-congressional-democrats-government-cuts-deportations-immigration-economy-march-16-18-2025-economist-yougov-poll. . (accessed March 30, 2025).
1.トランプ大統領のキャッチフレーズの変化
「大規模・最大規模の強制送還(Mass/Largest Deportation)」という二つの英単語は、2024年大統領選のドナルド・トランプの再選のキーワードの一つであった。他方、2016年大統領選のトランプは「壁を建設するぞ(Build a Wall)」というキャッチフレーズにて、南西部のメキシコとの国境管理の強化を強調した形の移民政策を訴え、効果的に他候補と差別化を図った。なぜトランプは使用したキャッチフレーズを変えたのだろうか。
実は、トランプは、2016年大統領選の時に「壁の建設」に加えて、「不法移民の強制送還」に関しても言及していた。当時、トランプは、アイゼンハワー政権下の1954-55年に実施されたメキシコ出身の不法移民の強制送還プログラムを持ち出し、自身の不法移民の強制送還の計画を正当化していた(Trump, 2015)。アイゼンハワー政権期の強制送還は、「オペレーション・ウェットバック」と軽蔑的な名称が付けられ、市民まで強制送還されるなど、非人道的であったことは研究から報告されている(Ngai 2003)。「オペレーション・ウェットバック」の非人道性に関する理解は、アメリカ国内で広く共有されていた。そのため、2024年時点で全米には不法移民が1,100万人以上、人口の4%を占めると推計されているとは言え、「壁の建設」よりも「不法移民の強制送還」は、あまり支持を得なかった。2016年9月の世論調査では不法移民の強制送還に対して反対する者は66%で、賛成の30%を遥かに上回った(CNN/ORC, 2016)。他の世論調査でも似たような結果となっている(National Immigration Forum, 2016)。トランプに好意的な保守系メディアのフォックスニュースの看板司会者のビル・オライリーですら、「(オペレーション・ウェットバックは)本当に残酷であった。今日では決してそんなことは起きないだろう」とトランプの不法移民の強制送還の計画を批判した(Politico, 2015)。
にもかかわらず、2024年の大統領選では、トランプは、「壁」ではなく、国内の「不法移民」に対象を変え、「強制送還」に主眼を置いた。壁というモノから、不法移民というヒトへ、選挙で重点的な用語を巧みに変えた。これは、先述した2016年の大統領選の世論調査から判断すると、リスクのある選挙戦略に見える。だが、2024年の大統領選の結果からも明らかであるとおり、そうではなかった。なぜか。これを理解するには、2016年から2024年の8年間に起きた出来事を中心に人々の意識の変化を考察する必要がある。
2.人の国際移動に与えたパンデミックの影響
2016年から2024年までの8年間に人々の意識を大きく変えた出来事が起こった。2020年3月の新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)である。新型コロナウイルスの感染拡大が、人の国際移動を通じ、世界中に広がったことから、世界各国で渡航が禁じられた。そのため、外から入ってくる者に対する警戒感は自然と高まった。新型コロナウイルスの感染拡大では、その脅威を懸念するほど、より厳格な規範を求め、移民に対する否定的な態度に繋がったとされる(Mula et al. 2022)。また、アメリカでは、トランプを始めとした政治家が新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼び、中国や中国出身の移民を非難したことが、 人種差別や外国人に対する嫌悪感が煽られたともされる(Rogers et al 2021)。
市民のなかで、外から入ってくる者に対する否定的な姿勢がある程度高まった土壌に、パンデミック下の行動制限による経済的ダメージは、貧しい国から豊かな国への移住を加速させ、パンデミックが収束した頃、先進諸国の一部では不法移民の急増に直面し、外から入ってくる者に対する感情はさらに悪化した。アメリカでは、南西部国境からメキシコを始めとした中南米からの当局の許可なしに越境する者が急増した。連日のように許可なしに入国を試みる者の実態がメディアやSNSを通じて伝えられた。
そんな情勢の中、2024年に世界の多数の国で選挙が実施された。そこでは、移民、不法移民、難民に対する強硬な政策を掲げる政党が台頭した。この代表格は、まさにトランプ元大統領であった。2024年大統領選のトランプが全面的に打ち出した「強制送還」は、支持する者が57%となり多数派となった(CBS, 2024)。トランプ政権誕生前の1月時点で、その支持は66%に達している(Axios/Ipsos, 2025)。この8年間にて、アメリカでは、不法移民に対する政策は、8年前の大統領選時には米国内で抵抗があった強硬的なものが受け入れられるようになったのである。これは移民・難民に対する取締強化の世界的傾向と共振する。
3.不法移民の措置に関するアメリカの認識の変化と20年前の日本の認識の符合?
冒頭のトランプの強制送還に対する有権者の支持率の高さに関して、日本のある講演会にて話した時に、ある聴衆から「不法移民だから強制送還されることを支持するアメリカ人が多いのは、当たり前だろう」という意見があった。だが、先述した通り、この考えは8年前のアメリカでは「当たり前」ではなく、むしろ反対されていた。そこには、メキシコ出身者に対する強制送還の歴史が共有されていたからである。だが、2016年大統領選では大多数が反対を示した「強制送還」は、コロナ禍を経て、2024年には受け入れられる土壌が出来上がっていた。強制送還に対する拒絶感という「当たり前」は変化した。
何かを「当たり前」だとする前提条件と言える共通認識は、特定の集団において広がり、形成されていくものであり、瞬間的に出来上がるものではない。だが、何かの出来事をきっかけとし、以前の「当たり前」から、別の「当たり前」が形成されていく。さらに、ある集団にとっての「当たり前」は、別の集団にとって「当たり前」ではない。国家間では尚更である。アメリカの「当たり前」が変化していく中、日本はどうだろうか。
日本では不法移民に対する認識は、先述した聴衆の意見と概ね一致すると言える。日本政府による2004年の世論調査によると、「不法就労者の問題を解決するためにはどのようにしたらよいと思いますか」という質問に対し、61%の回答者が「法令に違反している以上、法令で定められた手続によりすべて強制送還する」を選んでいる(内閣府, 2004)。この調査が20年前のものではあるが、1990年代から不法滞在者の数が増加し、当時の日本には不法滞在者が21万人を超えていたことから、不法滞在者に対する姿勢は硬化していたのだろう。不法移民の措置に関しては、当時の日本は、現在のトランプの意見に一定程度、同調していたかもしれない。
20年前の日本の状況と比較すると、現在の日本は、多くの外国人労働者を受け入れており、2024年10月時点で約230万人と過去最多である(厚生労働省 2024)。10年前の2014年には、およそ79万人であり、ここ10年でおよそ3倍になった。先ほどの世論調査が実施された2004年は20万人を超えていた不法滞在者は、政府による2004年から2008年の間の「不法滞在者5年半減計画」により、2006年には20万人を切り、2014年のおよそ6万人を最低となった。近年は徐々に増加傾向にある。日本で見られる風景の変化に伴い、日本の「当たり前」は変わっているのだろうか。実は、先ほど述べたような不法就労者の措置に関する質問を含んだ世論調査は、管見の限り、実施されていない。近いものであれば、2020年の世論調査にて、永住許可に必要な要件として、どのような要件が必要だと思うかを聞いた時に、61%の回答者が「不法入国、不法残留、不法就労など出入国管理及び難民認定法に違反したことがないこと」を挙げている(複数回答)(内閣府 2020)。
4.日米が共通して直面する課題とは 「当たり前」の変化
海に囲まれた日本、陸続きのアメリカ。二つの国は、領土のあり方が大きく異なる。世界ではアメリカのように陸続きの国の方が多い一方、日本と同じく海に囲まれた国は世界の中でも数少ない。アメリカが移民国家であることに加えて、両国の国土における地理的自然の要件は、移民や難民など国内への入国者に対する感覚が異なるものであっても不思議はない。だが、そこには構造的な共通項がある。それは、何かがきっかけとなり、自分とは違うものに対する姿勢が一気に変化し、「当たり前」が変わることである。さらに、それは、過度な政治化に利用される。その結果として、政治家も市民も、政策の有効性を判断できないほど、政治思想に大きく左右されることになる。
すでにアメリカでは、「当たり前」が変化し、不法移民の強制送還に対する支持者は多数派となった。これは過度な政治化に利用され、トランプ政権は続々と強制送還を実施し、その対象者は不法移民だけではなく、合法移民(永住権保持者)にまで広がっている。こういった荒々しい政策に対し、批判が高まっている。最新の世論調査(2025年3月)では、不法移民の強制送還に対する支持は48%と下がったが、共和党支持者では78%、民主党支持者では21%である(YouGov 2025)。政党別の分極化は依然として顕著である。
一方、日本では現時点で不法滞在者の数は顕著ではない。だが、市議会選挙では、不法移民を問題として取り上げ、不法移民の強制送還といった政策を掲げ、歴代最多得票数で当選した政治家が出てきた。最多得票数と言っても、得票数は5千票に満たない。しかし、ある地域では、不法移民の強制送還といった主張が受け入れられるほど、一定数の有権者が外国人居住者に対して不満が高まっている状況が窺える。これは、ある地域における「当たり前」の変化の萌芽を表しているのかもしれない。日本ではもともと不法滞在者に対する姿勢は比較的厳格であることから、政治家によってそれが過度な政治化に利用される可能性も否定できない。一般国民の感覚が追いつかない形での不法滞在者を生み出しかねない外国人労働者の受入れは、そう遠くない将来に、不法滞在者だけでなく、外国人にまで対象者を広げた形で国民の中にバックラッシュが起こる可能性には注視しなければならないだろう。