活動
2024年10月31日
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員/安全保障問題研究会会長/青山学院大学・新潟県立大学名誉教授
コメンタリー
この10月に各分野のノーベル賞が発表された。実は内心、私は次のように考えていた。最近日本は諸分野で元気がないので、今年は日本の研究者や組織の受賞はないのではないか、と。しかし11日に「被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)の受賞が発表された。受賞理由として、この組織のメンバーは核兵器の使用が人道的に壊滅的な結果をもたらす、つまりそれがいかに悲惨かという認識を、多くの被害者の経験を基に世界に広め、核兵器の使用は道義的に許されないとの国際規範(核のタブー)が生まれた、としている。
その発表直後に箕牧智之被団協代表が、涙を浮かべ「信じられない」と大いに驚き自分の頬をつねって喜ぶ画像を私はテレビで見てその時は「ああ良かったな」と素直に思った。
ただ同時に、核兵器はその使用が人道的に許せないほど残酷だからこそ、「核の抑止力」も生まれるのではないか、というパラドクスにも目を向けざるを得なかった。
これに関連し、私はこれ迄次のように述べて来た。冷戦後の世界状況は、フランシス・フクヤマが指摘したような紛争と戦争の「歴史が終わる」どころか、状況は全く逆で、2つの世界大戦を引き起こした20世紀前半に酷似している。それでも今日まで本格的な第3次世界大戦は起きていない。その理由は核兵器が存在しているからである、と。
1994年の「ブダペスト覚書」で、米、英、露はウクライナ(以下、宇)に国家の独立と安全を保証して、同国(当時、世界第3位の核保有国だった)に核を放棄させ、核兵器拡散防止条約(NPT)に加盟させた。これに関連して、その当時米国大統領だったビル・クリントンは2023年4月6日に後悔の言葉を述べたと、次のように報じられている。
「米国のクリントン元大統領は、在任時代の1994年に宇に核兵器の放棄を迫った自らの行動に後悔の念を示すと共に、同国が核兵器を持ち続けていたとしたら露による侵攻はなかったであろう、との考えを示唆した。」(CNN 2023.4.6)つまり、宇が核兵器を有していたなら、露は宇に2022年2月24日以来の軍事侵略だけでなく、2014年3月18日の事実上軍事力による「クリミア半島併合」も不可能だったろう。私のこの見解に対しては、当然次のような疑問も出る。「宇がたとえソ連時代の核兵器を有していたとしても、核兵器の発射ボタンや操作は露が管理していたので、宇の核保有は無意味だった。」
しかし「クリミア併合」迄の20年間に、宇は独自の核兵器管理システムを構築していた可能性が高い。宇にも高度の核兵器技術者はいたし、露の核技術者の中にも宇人はいる。彼らの多くは、露の宇侵略に批判的だ。だからこそ、クリントンの言葉も意味を持つ。
「核の抑止力」には、2つの意味がある。それは、露・宇戦争に関して言えば、①もしウクライナが核兵器保有国であれば、露はたとえ通常兵器であれ、核兵器による反撃を考えれば、ウクライナへの侵略は不可能だ。②もう一つの意味は、露による核攻撃は、露を一層国際的に孤立させ、より強力な対露制裁を招くので不可能。
では、露が核兵器で非核国のウクライナを攻撃する可能性があるか。周知のように今日の状況下でプーチンは核使用を示唆する発言を何回かしている。また、最近露は核使用の条件を緩和するため「核ドクトリン」を変更した。以下は露の「新核ドクトリン」の内容の要約である。
「現在の国際的軍事、政治状況は急激に変化しており、露とその同盟国に新たな軍事的脅威が生まれている。非核保有国(ウクライナ)が核保有国(米、英、仏)の支援を得てロシア攻撃をした場合、露に対する共同攻撃とみなす。露が核兵器の使用を検討するのは、これらの国が航空・宇宙兵器を大量発射し、それが露国境を越えたとの信頼できる情報を得た時だ。ベラルーシに対する攻撃も、連合国家として同様に見る。」(『論拠と事実』2024.10.2より)
露の新核ドクトリンは、核兵器を「使用する」条件ではなく、より慎重に「使用を検討する」条件を述べている。というのは、前述の「核の抑止力」の②の意味に関連するが、被団協の活動などによって、核兵器の使用は、あまりにも非人道的で残酷だとの認識が国際的に浸透しているので、露がますます国際的に非難され孤立するからだ。
アイロニカルな見方だが、被団協の活動は、結果的に核兵器廃絶ではなく、このような「核の抑止力」を強化してきたのではなかろうか。もし被団協のこれまでの活動が無かったならば、広島、長崎への原爆投下による死傷者数は、単なる統計数値に終わってしまい、核兵器使用の悲惨な状況が国際的に実感されていない可能性がある。被団協のお蔭で原爆被害者の生々しい惨状が広く国際的に認識され、「核の抑止力」も現実の力になったのだ。「象と蟻の戦争」のベトナム戦争で米が敗北したのも、核兵器が使用できなかったからだ。
その結果は、これが最も重大な問題なのだが、被団協の目標とは逆に、核を保有しようとする国が、結果的に増えることになるのではなかろうか。ちなみに近年の韓国の世論調査によると、国民の6-7割が、韓国は独自の核を保有すべきだと考えている。わが国は、原爆体験と福島原発事故ゆえに、国民の間に「核アレルギー」が最も強い国だ。にもかかわらず、これまでは米国の拡大抑止(核の傘)に依存してきた。しかし、トランプの登場以来、またバイデン大統領のウクライナやアフガン軍事支援への慎重姿勢などを見て、同盟国米国の核抑止力への疑念も生じている。米国は日本との核共有も考えていない。この状況下で、わが国のリアリストの中には、日本独自の核抑止力の保有を考えている者も増えている気配だ。
最後に、核兵器全廃運動について。「一旦発明された最強の武器は、保有数の制限は可能でも全廃は不可能」といった原理的見解の当否は別として、核兵器全廃あるいは「核兵器のない世界」が可能かどうかについて一言。広島出身の岸田前首相も、将来的には核兵器の無い世界を目指すと主張していた。しかし、核兵器全廃運動が成功するとしたら、それは民主主義国のみであって(それも怪しいが)、露、中国、イラン、北朝鮮を始め世界にまだ多く存在する権威主義国や専制・独裁国家は、核放棄の意思もないし、その為の世論形成も不可能だ。となれば、核兵器廃止運動が成功するとすれば自由主義国だけで、権威主義国、専制・独裁国家は核兵器を持ち続ける、あるいは新たに入手するということになるのではないか。その結果は極めて危険で到底認められない国際情勢となる。この問題について、核兵器禁止に賛成する人たちは、どのように考えているのだろうか。
この10月に各分野のノーベル賞が発表された。実は内心、私は次のように考えていた。最近日本は諸分野で元気がないので、今年は日本の研究者や組織の受賞はないのではないか、と。しかし11日に「被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)の受賞が発表された。受賞理由として、この組織のメンバーは核兵器の使用が人道的に壊滅的な結果をもたらす、つまりそれがいかに悲惨かという認識を、多くの被害者の経験を基に世界に広め、核兵器の使用は道義的に許されないとの国際規範(核のタブー)が生まれた、としている。
その発表直後に箕牧智之被団協代表が、涙を浮かべ「信じられない」と大いに驚き自分の頬をつねって喜ぶ画像を私はテレビで見てその時は「ああ良かったな」と素直に思った。
ただ同時に、核兵器はその使用が人道的に許せないほど残酷だからこそ、「核の抑止力」も生まれるのではないか、というパラドクスにも目を向けざるを得なかった。
これに関連し、私はこれ迄次のように述べて来た。冷戦後の世界状況は、フランシス・フクヤマが指摘したような紛争と戦争の「歴史が終わる」どころか、状況は全く逆で、2つの世界大戦を引き起こした20世紀前半に酷似している。それでも今日まで本格的な第3次世界大戦は起きていない。その理由は核兵器が存在しているからである、と。
1994年の「ブダペスト覚書」で、米、英、露はウクライナ(以下、宇)に国家の独立と安全を保証して、同国(当時、世界第3位の核保有国だった)に核を放棄させ、核兵器拡散防止条約(NPT)に加盟させた。これに関連して、その当時米国大統領だったビル・クリントンは2023年4月6日に後悔の言葉を述べたと、次のように報じられている。
「米国のクリントン元大統領は、在任時代の1994年に宇に核兵器の放棄を迫った自らの行動に後悔の念を示すと共に、同国が核兵器を持ち続けていたとしたら露による侵攻はなかったであろう、との考えを示唆した。」(CNN 2023.4.6)つまり、宇が核兵器を有していたなら、露は宇に2022年2月24日以来の軍事侵略だけでなく、2014年3月18日の事実上軍事力による「クリミア半島併合」も不可能だったろう。私のこの見解に対しては、当然次のような疑問も出る。「宇がたとえソ連時代の核兵器を有していたとしても、核兵器の発射ボタンや操作は露が管理していたので、宇の核保有は無意味だった。」
しかし「クリミア併合」迄の20年間に、宇は独自の核兵器管理システムを構築していた可能性が高い。宇にも高度の核兵器技術者はいたし、露の核技術者の中にも宇人はいる。彼らの多くは、露の宇侵略に批判的だ。だからこそ、クリントンの言葉も意味を持つ。
「核の抑止力」には、2つの意味がある。それは、露・宇戦争に関して言えば、①もしウクライナが核兵器保有国であれば、露はたとえ通常兵器であれ、核兵器による反撃を考えれば、ウクライナへの侵略は不可能だ。②もう一つの意味は、露による核攻撃は、露を一層国際的に孤立させ、より強力な対露制裁を招くので不可能。
では、露が核兵器で非核国のウクライナを攻撃する可能性があるか。周知のように今日の状況下でプーチンは核使用を示唆する発言を何回かしている。また、最近露は核使用の条件を緩和するため「核ドクトリン」を変更した。以下は露の「新核ドクトリン」の内容の要約である。
「現在の国際的軍事、政治状況は急激に変化しており、露とその同盟国に新たな軍事的脅威が生まれている。非核保有国(ウクライナ)が核保有国(米、英、仏)の支援を得てロシア攻撃をした場合、露に対する共同攻撃とみなす。露が核兵器の使用を検討するのは、これらの国が航空・宇宙兵器を大量発射し、それが露国境を越えたとの信頼できる情報を得た時だ。ベラルーシに対する攻撃も、連合国家として同様に見る。」(『論拠と事実』2024.10.2より)
露の新核ドクトリンは、核兵器を「使用する」条件ではなく、より慎重に「使用を検討する」条件を述べている。というのは、前述の「核の抑止力」の②の意味に関連するが、被団協の活動などによって、核兵器の使用は、あまりにも非人道的で残酷だとの認識が国際的に浸透しているので、露がますます国際的に非難され孤立するからだ。
アイロニカルな見方だが、被団協の活動は、結果的に核兵器廃絶ではなく、このような「核の抑止力」を強化してきたのではなかろうか。もし被団協のこれまでの活動が無かったならば、広島、長崎への原爆投下による死傷者数は、単なる統計数値に終わってしまい、核兵器使用の悲惨な状況が国際的に実感されていない可能性がある。被団協のお蔭で原爆被害者の生々しい惨状が広く国際的に認識され、「核の抑止力」も現実の力になったのだ。「象と蟻の戦争」のベトナム戦争で米が敗北したのも、核兵器が使用できなかったからだ。
その結果は、これが最も重大な問題なのだが、被団協の目標とは逆に、核を保有しようとする国が、結果的に増えることになるのではなかろうか。ちなみに近年の韓国の世論調査によると、国民の6-7割が、韓国は独自の核を保有すべきだと考えている。わが国は、原爆体験と福島原発事故ゆえに、国民の間に「核アレルギー」が最も強い国だ。にもかかわらず、これまでは米国の拡大抑止(核の傘)に依存してきた。しかし、トランプの登場以来、またバイデン大統領のウクライナやアフガン軍事支援への慎重姿勢などを見て、同盟国米国の核抑止力への疑念も生じている。米国は日本との核共有も考えていない。この状況下で、わが国のリアリストの中には、日本独自の核抑止力の保有を考えている者も増えている気配だ。
最後に、核兵器全廃運動について。「一旦発明された最強の武器は、保有数の制限は可能でも全廃は不可能」といった原理的見解の当否は別として、核兵器全廃あるいは「核兵器のない世界」が可能かどうかについて一言。広島出身の岸田前首相も、将来的には核兵器の無い世界を目指すと主張していた。しかし、核兵器全廃運動が成功するとしたら、それは民主主義国のみであって(それも怪しいが)、露、中国、イラン、北朝鮮を始め世界にまだ多く存在する権威主義国や専制・独裁国家は、核放棄の意思もないし、その為の世論形成も不可能だ。となれば、核兵器廃止運動が成功するとすれば自由主義国だけで、権威主義国、専制・独裁国家は核兵器を持ち続ける、あるいは新たに入手するということになるのではないか。その結果は極めて危険で到底認められない国際情勢となる。この問題について、核兵器禁止に賛成する人たちは、どのように考えているのだろうか。