公益財団法人日本国際フォーラム

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第13回定例研究会合

標記研究会合が、下記1.~4.の日時、場所、テーマ、出席者にて開催されたところ、その議事概要は下記4.のとおり。

  1. 日 時:2024年7月12日(金)13:30-15:00
  2. 形 式:ZOOMによるオンライン会合
  3. テーマ:「ウクライナから見たロシア」
  4. 出席者:11名
[外部講師] 松嵜 英也 津田塾大学准教授
ユリヤ・ジャブコ 茨城キリスト教大学准教授
[主  査] 常盤  伸 JFIR上席研究員/東京新聞(中日新聞)編集委員兼論説委員
[顧  問] 袴田 茂樹 JFIR評議員・上席研究員 青山学院大学名誉教授
[メンバー] 名越 健郎 拓殖大学教授
廣瀬 陽子 JFIR上席研究員/慶應義塾大学教授
保坂三四郎 エストニア・タルトゥ大学
山添 博史 防衛省防衛研究所米欧ロシア研究室長
吉岡 明子 キヤノングローバル戦略研究所研究員
[JFIR] 渡辺 まゆ JFIR理事長
  1. 議論概要

松嵜英也津田塾大学准教授による「ウクライナ外交史におけるロシアの位置付けと日宇関係」と題する報告のあと、ユリヤ・ジャブコ氏によるコメント、メンバー間での質疑応答がなされた。報告およびコメントの概要はそれぞれ以下のとおり。

(1)松嵜英也津田塾大学准教授による報告
「ウクライナ外交史におけるロシアの位置付けと日宇関係」

2022年からのロシアによるウクライナの大規模侵攻は、(ウクライナにとって)2014年のクリミア併合の延長線上にある。クリミア併合の翌年にあたる2015年にウクライナの軍事ドクトリンの改訂において「ロシアはウクライナの脅威である」と認定されている。両国関係を悪化させているのはロシアだが、問題なのはロシアやロシア人そのものというよりも、ロシアの対外行動(軍事侵攻)だ。最近のウクライナの外交史研究書では、ロシアはウクライナの近隣国家であるとして「友好関係」の重要性が指摘されている。しかしここでいう友好関係とは、「ロシア世界」(ロシアが中心となり、ウクライナ・ベラルーシが支えるという枠組み)の中での友好関係ではない。むしろ最近のウクライナの研究者は、「ロシア世界」という言説を、想像の構築物として理解して解体、脱構築しようとしてきた。

ソ連からの独立後、ウクライナはロシアのいかなる友好関係を想定していたか。特に注目したいのが戦略的パートナーシップだ。1997年に、ロシア・ウクライナ間の戦略的パートナーシップが結ばれ、2014年以降に実際的な有効性が損なわれると、2018年についに破棄された。現在、ウクライナは40カ国以上の国々と戦略的パートナーシップを結んでいる。戦略的パートナーシップは、欧州統合を目指したパートナーシップ、地域レベルのパートナーシップ、グローバルなパートナーシップに大別され、ロシア・ウクライナの関係は地域レベルのパトナーシップに相当する。

ソ連解体期まで遡ると、ウクライナ共和国は主権宣言の中で、非同盟中立の地位を宣言している。これは米ソ冷戦の終結期において「欧州共通の家」の構築や欧州統合構想と結びついていた。
 1990年には、(ソ連内で)ロシア共和国とウクライナ共和国の間で友好近隣条約が締結され、今に繋がるものとして重要なのが、ウクライナの領土保全や両国の国境不可侵が確認されたことだ。

独立後のウクライナの最大の課題は、独立を確立させることだった。クラフチュク大統領の下で1993年に対外政策の基本方針を発表し、東西対立の消滅を背景として、全欧州型の安全保障体制に参加することが安全保障に繋がるとされた。非同盟中立の地位を用いながら西欧諸国とも協力関係を作っていくことで、最終的にウクライナは全欧州に統合されるという方針を示していた。
 ウクライナと国境を接する国は戦略的なパートナーと規定され、そのなかでもロシアはウクライナにとって特別なパートナーとする位置付けがなされた。当時は欧州協調路線の兆しがあったロシアと共に、欧州の一員へ属するというウクライナの期待によるものであった。

1990年代には、ベラルーシやカザフスタンとともに全ての核兵器を放棄して非核保有国になることを宣言した「リスボン議定書」(1994年)、ウクライナが核保有を放棄する代わりに米英ロシアがウクライナの安全を保証することが合意された「ブダペスト覚書」(1994年)が調印されたが、ブダペスト覚書については色々な議論があった。2010年の最高会議(議会)では、同覚書は安全を保障する実効性はなく、ウクライナは集団安全保障に加わる必要があるとの発言もあった。合意された当時はロシアがウクライナ侵攻することは想定されなかった。

1997年には、黒海艦隊分割協定の締結後、現在の戦略パートナーシップの形として認識されている、「ウクライナロシア友好協力協力条約」が結ばれ、主権や領土の一体性を尊重し、軍事・安全保障等の多岐の分野において協力する旨を確認した。1998年には、CIS(独立国家共同体)の枠組みでの平等なパートナーシップと協力のさらなる発展に関する共同宣言(1998年)が行われた。

2000年代に入ると、2004年のオレンジ革命で成立したユーシチェンコ政権が欧米重視の外交を行った。同政権は、NATOとの関係を強化することがロシアとの関係を阻害させるとは考えていなかったと思われる。グルジア戦争の影響もあり2008年には、従来のような全欧州安全保障体制は非現実的だという見方が強まったが、依然として、非同盟中立の地位によって欧州統合を目指すという構想を捨て去ってはいなかったようだ。
 2010年にヤヌコヴィッチ大統領の政権になると、「内政・外交の基礎についての法」(2010年)に象徴されるように、外交のベクトルの転換がなされた。欧米重視外交から、全ての利害関係国との平等で互恵的な多方面外交へと舵を切った。ハルキウ合意(2010年)によって、ロシアとの関係改善を図ったところ、ロシアへの依存関係が継続することになったものの、関税同盟の不参加等の自立性はとどめていた。
 しかし、こうした方針は2014年に大きく変わる。2014年3月のユーロマイダン政変によって状況が一変し、大統領の国外逃亡、クリミア併合、ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国の樹立に至った。こうした中で、議会は外交の見直しを迫られ、非同盟中立の地位が安全保障に寄与するどころかロシアの軍事介入を招いたとして、新たな軍事ドクトリンと国家安全保障戦略を策定した。ロシアはクリミアを一方的に併合し、ドンバスでは深く介入していることから、ウクライナにとってロシアは脅威であると認定された。

 2015年には、両国の間にある軍事力の差が明白だったことを受けて、ウクライナはNATOをパートナーに位置付け、自国軍とNATO軍の相互運用によって、自国軍をNATO軍の軍事的基準に向けて徐々に引き上げていった。軍事安全保障の戦略や対外政策の活動戦略を見ると、ゼレンスキー政権もこの外交安全保障戦略を引き継いでいることが表れている。
 ウクライナにとって、ロシアは隣国で両国間の友好関係は重要だが、それは両国が同じ立場に立った上での相互互恵関係を意味する。ウクライナとロシアの戦略的パートナーシップの起源を遡ると、「全欧州」の枠組みでのパートナーシップとしての意味合いが大きかった。しかし、相互互恵関係は理論的なレベルにおいて言えることであって、実際のところは両国の関係は非対称だった。ロシアはウクライナの内政に影響力を行使してきたがウクライナがそうすることはなかった。

日宇関係は、日露関係の停滞とは対照的に段階的に発展してきた。1992年に日宇の外交関係が復活し、1993年のクチマ大統領と村山首相の共同宣言で、相互信頼と理解を基盤にした関係発展が謳われた。ウクライナの独立が欧州の安定や国際社会に寄与することが確認され、チェルノブイリ原発事故後の災害防止対策や日本の医療支援、ウクライナの経済改革などが協力の一環として行われた。2003年と2005年には貿易や経済協力が深化し、ウクライナの欧州統合を促進することが合意された。
 2011年には、ヤヌコヴィチ大統領の多方面外交の流れを受けて、グローバル・パートナーシップに関する共同声明が発表され、投資や京都議定書下での協力が強調された。また、ウクライナの投資環境の整備についても合意がなされた。しかし、2014年にロシアがクリミアを併合した後、日宇関係に新たな展開が生じた。日本はこの併合を認めず、ロシアに対して批判的な姿勢を取り、経済制裁を導入した。当初の制裁は比較的緩やかだったが、その後、ロシアのさらなる侵略行動に応じて制裁は強化された。

2022年にロシアがウクライナに対して全面的な侵攻を開始すると、日本はウクライナを強力に支持し、さらに強化された経済制裁を実施。2023年には、日宇間のパートナーシップが「特別なグローバルパートナーシップ」に格上げされ、両国の協力が一層強化された。
 日宇関係の特徴は、政府だけでなくJICAや企業など多様なアクターが関与している点にある災害復興支援も日宇関係の重要な分野であり、チェルノブイリ事故後の日本の医療支援や、東日本大震災を契機としたウクライナからの支援がその例である。現在のウクライナ復興支援も、チェルノブイリ事故後の医療協力に端を発した日宇間の協力の延長線上にあり、他国とは異なる独自のパートナーシップが形成されている。

【松嵜英也氏の略歴】

上智大学外国語学部ロシア語学科卒、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科国際関係論専攻博士後期課程単位取得満期退学、博士(国際関係論)。日本学術振興会特別研究員(DC1・PD)、上智大学総合グローバル学部PD、ウクライナ大統領付属国家行政アカデミー客員研究員、津田塾大学国際関係学科専任講師などを経て、2023年から現職。専門はユーラシア国際関係、ウクライナ・モルドヴァ現代政治。

(2)ユリヤ・ジャブコ氏によるコメント

言語やウクライナ人のアイデンティティの観点からすれば、現在進行中のロシア・ウクライナ戦争は「プーチン大統領の戦争」ではない。同戦争の責任の所在を問う世論調査によれば、ウクライナ人の56%が、ロシア国民・ロシアのエリート・プーチン氏に責任の所在があると回答した。ウクライナ人は、プーチン氏の態度を他のロシア人とそれほど切り離して考えていない。
 ロシア史とウクライナ史の認識には食い違いがあり、ロシアはウクライナの歴史を自国ロシアの歴史として認識している。また、ロシア人のウクライナ人に対する意識が帝国ロシア時代から変化しておらず、1991年以降、ロシアの帝国的知識(Russian Imperial Knowledge)は根強く残っている。
 戦争の責任はプーチン氏だけにあるのではないとウクライナ人が認識する背景には、プーチン氏を、ロシア人が一般的に有するメンタリティを持った人物として認識しているからだ。プーチン氏は、ロシアの文化的背景の産物であり、18-19世紀に形成されたロシア人のウクライナに対する意識を体現する。ロシア人によるウクライナに対する意識には、偽りのロシア史が内在している。例えば、「キーウはルーシの都市の母である」、「ウクライナが歴史的なロシアの領土である」、「ウクライナは存在しない」、「ウクライナ人とロシア人は一つの民族である」(東スラブ一体性論)、「ウクライナ人は下等なロシア人にあたる」、「ウクライナ語が16世紀に古代ロシア語から分裂した」という偽の言説である。
 ウクライナの声が届きにくい状況で、ロシアの声が大きくなり、情報操作の様にして、偽の歴史の上に偽の歴史が積み重ねられて世界へ波及している。
 ソ連の時代には、ウクライナ人さえもソビエトマインド(ウクライナ含む約160の民族を問わず、ロシアを上に立てて作った思想)を持った人が増えた。「ロシアはウクライナと戦争をしないだろう」という観念が、第二次世界大戦以降もウクライナ人の意識に一定程度芽生えていたのは、このソビエトマインドに依拠するウクライナ人が、ロシアとの友好関係を構築しようとしたためである。しかし、実際のところは、独立後のウクライナはポストコロニアル社会として、ロシアの政治、経済、文化規範等に依存する傾向を持ち続けていたのであり、この事実はロシア・ウクライナ間で戦争が発生するというシグナルを発し続けていた。それにもかかわらず、ロシアは自国の帝国的知識を利用し続け、ソビエトマインドを刷り込み、戦争は起こらないとの意識を植え付けていた。
 ロシアの声がウクライナの声に比して大きく聞こえる理由は、ロシアが典型的な宗主国として、発言権とウクライナについて語る権利を、2014年までウクライナから奪っていたことにある。こうして、ウクライナは「見えざる国」となってしまった。
 2014年以降は、ウクライナで脱植民地化が進んでいる。例えば、南部オデーサで積極的に見られるように、自国のアイデンティティを見直し、ロシアの帝国主義的影響力を回復する目論見で利用される帝国主義的遺産を取り除こうとしているのである。

【ユリヤ・ジャブコ氏の略歴】

ウクライナ西部・リヴィウ市出身。イヴァン・フランコ記念リヴィウ国立大学で日本語学及び英語学を学び、同大学院にて言語学博士号を取得(2016)。専門は意味論、社会言語学。現在、在日外国人の言語・文化的アイデンティティ、そして日本におけるウクライナ避難民のアイデンティティと多言語使用を中心に研究している。日本に2012年から住んでおり、2016年から茨城キリスト教大学の文学部に勤めている。主な著書に『日本が知らないウクライナー歴史からひもとくアイデンティティー』(大学教育出版)(2023)。現在、茨城キリスト教大学文学部現代英語学科准教授。

(以上、文責在事務局)