公益財団法人日本国際フォーラム

この数年で、世界はまさに動乱・戦乱の時代になってしまった。国家間、民族間の諸問題は、当事者同士がじっくり交渉し話し合えば、必ず解決できるという楽天的な国際認識は吹き飛んでしまった。冷戦後の「平和の配当」としての軍縮のあり方も問われている。
 例えば、ロシアとウクライナの問題にしても、プーチン大統領(以下敬称略)は幾度も停戦交渉とか和平交渉を口にしている。ただある条件を出している。それは、交渉の場では、クリミア半島とドネツク、ルハンスク、ザポロージャ、ヘルソン州の帰属問題は、すでにロシア憲法でもロシア領と決まっているので議題にしない、との条件だ。あるいは、ウクライナの非武装化及び中立化(NATOに加盟しない)、ゼレンスキー政権を「ネオ・ナチ政権」「任期切れ政権」として、正規のウクライナ政権とは認めないといった立場も打ち出している。
 本稿を書いているのは、プーチンのウクライナへの軍事侵攻から2年半余りの8月末だが、ウクライナがプーチンの停戦・和平交渉の条件を呑むというのは、ロシアへの全面降伏そしてロシアの属国になることを意味する。しかもプーチンが「ロシア領」というウクライナの4州は、ロシアがまだ支配していない地域までも含む。ウクライナがそのような停戦・和平交渉を受け入れられる筈はない。つまり、ロシアとウクライナの紛争は、何処かの国や機関の仲介を経て数週間や1年、2年で解決する問題ではない。ロシア紙も、インドも中国も和平の仲介は不可と断言している(『独立新聞』2024.8.30)したがってこの紛争を私は後述のように、「原理的二律背反」と述べているのである。
 「世界最大の民主主義国」を自任するインドのモディ首相は、今年7月にモスクワを訪問してプーチン大統領と抱き合う写真がされ、ウクライナのゼレンスキー大統領は強い不快感を示した。インドはロシア原油の最大の輸出国であり、原油を安く買って石油製品を世界に売っている。また武器輸入の3~4割はロシアからだ。ロシアはその売り上げでウクライナ攻撃を強化しているので、ゼレンスキーが怒るのも当然だ。親露のイメージを払拭するため、モディはポーランドに次いで8月24日にキーウを訪問し、ゼレンスキーとも抱擁して和平交渉を説いている。ゼレンスキーはモディを信用しておらず、彼は仲介役を果たせない。ロシア、ウクライナ間の紛争は今後長年に亙る「常態」となるだろう。
 私は交渉や話し合いでは解決できない問題を「原理的な二律背反」と述べているが、現在世界にはそのように表現できる問題が幾つも生じている。イスラエルとハマス、中国と台湾の問題もその深刻な事例だが、日本と中国の間でも尖閣諸島問題とか福島原発処理水の問題が存在する。
 身近な国際問題で、交渉が無意味な例を挙げよう。福島第一原発の処理水の海洋放出に関連して、中国は「核汚染水の海洋放出」だとして日本からの水産物の輸入を全面禁止して今日に至っている。この問題に関して、国際原子力機関(IAEA)の調査でも、福島第一原発からの処理水海洋放出の汚染度は、中国の原発による台湾海峡への排水や釜山近くの複数の韓国原発の海洋排水よりもはるかに安全だと判明している。このIAEAの調査団には中国の専門家も加わっている。にもかかわらず、中国は輸入禁止を続けている。しかも、福島原発近くの三陸沖では日本漁船だけでなく、中国漁船も操業しているが、中国漁船の水産物は中国内で自由に販売されている。つまり、中国側は、日本の水産物が安全であることは百も承知の上で、政治的な対日圧力の手段として日本の水産物の全面輸入禁止をしているのだ。この状況下では、処理水の安全性に関して、どんなに交渉や話し合いで懇切丁寧に説明しても無駄である。
 ちなみに、韓国政府はこの1年間に日本の水産物約5万件の放射能検査を行い、全て「安全基準を満たした」と発表したが、福島県を含む周辺8県からの輸入禁止は続いている。反日的野党ゆえで、合理性は何もない。ただ、韓国の日本からの水産物輸入は過去半年でホタテ貝を含め13%増えた(日経 8月26日夕刊)。中国の対日対応は、韓国野党と同じく処理水の安全性とは関係のない政治圧力だ。日本が政治的に譲歩すれば、一見「交渉による解決」が可能かも知れないが、日本は中国に対してそのような不条理な譲歩をすべきではない。政治譲歩をすれば相手は日本を弱者と侮り、愚挙をさらに強化する。
 この状況下で二階俊博元自民党幹事長を始め、公明党、立憲民主党、共産党、日本維新の会、社民党などの代表から成る日中友好議員連盟員が8月27日-29日に中国を訪問し王毅外相と会った。ちなみに、出発前日の8月26日には中国の軍用機が初めて九州近くで日本の領空侵犯をした。中国の日本水産品輸入禁止や日本領空侵犯に対し「遺憾の意」を伝えるのではなく、抗議する最良の政治的方法は、訪中の中止だったのではないか。

原理的二律背反の対立に関して、中東のガザ地区のイスラム過激派ハマス、レバノンのヒズボラ、ヨルダンのフーシ派などとイスラエルの関係も取り上げたい。これらイスラム過激派はイランから軍事的、財政的支援を受けている。ある意味で以下に述べる聖戦のためのイランの国外戦闘部隊とも言える。イランは1979年にホメイニ師がそれまでの親米的な王政を打倒して、世俗政権に代わりイスラム教の宗教規律を最高規範とする宗教国家を樹立した。駐日イラン大使館のサイト「世界コッズの日について」では現在も、「ホメイニ師はパレスチナにおけるシオニスト政権(イスラエル)の樹立を悪魔の行為だとしました」と述べている。そしてイラン憲法では「イランにおけるイスラム共和国軍及び革命防衛隊は、単に国境を防御するだけではなく、神の道での殉教や神の法による支配を全世界に打ち立てるためのものだ」と述べ、ジハード(聖戦)を最高の目的としている。つまり、中東においては、イスラエルの撲滅がジハードであり、前述のイスラム過激諸派にとって、イスラエル撲滅は自己存在の証つまりアイデンティティでもあり、交渉によってそれを放棄することは有り得ない。7月30日にはヒズボラのシュクル最高司令官が、翌日にはイランの首都でハマスのハニヤ最高幹部が殺され、ヒズボラとイスラエルの戦闘も25日に始まった。後者のカッツ外相は、「全面的な戦争は望まないが、イランと代理勢力の攻撃から国を守る権利がある」と述べた(日経 8月26日)。
 国外でのイスラム過激派勢力を操るイランだが、現在はホメイニの思想を継ぐイスラム教シーア派のハメネイが最高指導者で大統領や首相の上に立つ元首だ。ユダヤ人は、ロシアでも西欧キリスト教国でも、何世紀にも亙って反ユダヤ主義を被った。ロシアではポグロム(ユダヤ人虐待、殺戮)に、またナチス時代にはドイツやポーランドを中心にホロコーストで600万人のユダヤ人が殺害された。イスラエル国家樹立は1948年、その国連加盟が1949年だ。人口がイスラエルの約10倍のイランは、事実上イスラエルの地図上からの抹殺を「聖戦」として憲法に掲げそれを国是としている。

この問題に関して、私は日本だけでなく世界のメディア報道のあり方に強い疑問を抱いており、イスラム研究者に対する疑念もある。中東問題が過熱してわが国のメディアにしばしば中東研究者が登場し、ハマス、ヒズボラ、フーシ派などの背後にイランが存在することは最近述べるようになった。しかし、イラン憲法に絡む深刻な問題を指摘しているメディアや中東専門家を、私は寡聞にして知らない。
 また、最近のイスラエルによるガザ地区への強い攻撃(反撃)の原因となったハマスのイスラエル攻撃を生々しく伝えている報道もほとんど見ない。例えば、昨年10月7日にガザ地区のハマスの武装集団がイスラエルのキブツ(農村共同体)で行われていた音楽祭を武装攻撃して、約1200名が死亡、二百数十名が人質にされたと報じられた。イスラエルによるガザ攻撃やガザの飢えた子供たちの映像はメディアで頻繁に報じられるが、ハマス武装集団が攻撃した時、音楽祭参加者の多くは婦女子の筈だが、その時の映像は殆どのメディアが伝えていない。通常、負傷者は死者の2、3倍で、今日では多くの者がスマホで悲惨な状況の写真や動画を撮っている筈だ。メディアは何故それを探し出さないのか。
 また、イスラエル攻撃によるガザ地区の死者数が4万を超えたとメディアや専門家が報じている。これはハマスが支配しているガザ地区保健当局の発表であり、当然のことながらハマスとしては、イスラエルの報復攻撃の残忍さをできるだけ強調し世界に広く宣伝して、国際社会のイスラエル批判と「被害者」ハマスへの同情を強めようとする。このような場合の数字が信用できない例を挙げると、1971年に東パキスタン(現バングラデシュ)が西パキスタン(現パキスタン)から独立しようとし、西パキスタンはそれを抑える軍事行動に出た(バングラデシュ独立戦争)。この時の一般市民の死者数は、公式的には今もパキスタン政府は2万6千人、バングラデシュ政府は300万人としている。これは極端な例としても、ハマスの宣伝用数字をそのまま報じるのは理解に苦しむ。
 狭いガザ地区にハマスが数百kmものトンネルを縦横に堀り、それをハマス専用の通路、隠れ場、倉庫、ロケット弾などの武器保管所、指令室などに使っている。トンネルやその出入り口、ハマスの指令室などが、ガザ地区の小学校や病院、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)本部などの地下に設けられている写真もイスラエル側が公表した。また、UNRWAの職員12人が昨年10月7日のハマスによる武装攻撃に関わっていたとして10人が解雇された(2人は死亡)が、彼らは皆、ガザ地区の国連運営の学校の教師だった。彼らが皆医師や病院関係者であっても私は驚かない。ガザ地区では、保健機関も教育機関もハマスが完全にコントロールしているからだ。つまり、民間人とハマス関係者の区別は簡単にはつかないからだ。ハマスは、食料、電気、水、医薬品なども自給不可能で大部分はイスラエルから、あるいは同国経由で入手しなくてはならない。イスラエル攻撃の結果がどうなるかは、つまり今日の状況は、イスラエルを攻撃した時点でハマスは計算済みだったのではないか。ガザ地区ではこの8月半ば、25年ぶりに小児麻痺感染例が発見され、イスラエルはガザ地区の10歳未満の子供約64万人に2回のポリオワクチン接種期間は戦闘を休止すると発表し、この点ではハマスと合意した。