はじめに : 北東アジア情勢が変化するなかで中国外交を如何に捉えられるのか?
日本・中国・韓国はおよそ4年半ぶりの首脳会談を2024年5月27日にソウルで開催した。その前日(=5月26日)には、岸田文雄首相が中国の李強国務院総理と約1時間の首脳会談を行い、「戦略的互恵関係」の推進などを再確認した。日中首脳会談・中韓首脳会の翌日(=5月27日)の中国共産党の機関紙『人民日報』は、中韓首脳会談を1面で扱っていたのにもかかわらず、日中首脳会談については2面で掲載した[1]。翌日(=5月28日)の『人民日報』1面には、李強氏の顔が載っていたものの、そこに岸田首相も韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の顔はなかった[2]。さすがに日中韓首脳会の記事で李強氏と尹錫悦氏だけを掲載することはしなかったが、日本人の目からすれば、中国の報道姿勢は失礼なものであった。
中国にとっての重点は、尹錫悦政権発足以来の行き詰まっていた中韓関係を立て直すこと、そして、アメリカが主導するサプライチェーンの脱中国化が鮮明になるなかでの日中韓自由貿易協定(FTA)交渉加速で合意することに置かれていた。その文脈から、日中「戦略的互恵関係」の再確認については、「互恵」が期待できるような内容や姿勢ではなく、中国が日本から引き出したいもののための“挨拶”程度でしかなかった。
こうしたなかで、北東アジアの地域安定化をめぐり、日中ははたして協力していくことができるのであろうか。結論から言えば、とても厳しい現状にある。
本稿では、最近の日中、中露、中韓、米韓日関係を概観し、北東アジアの情勢変化をめぐる中国外交と日中関係について考察していく。
1.有名無実の「日中戦略的互恵関係」
2024年5月26日の日中首脳会談において岸田首相は李強氏に対して、2023年11月に中国の習近平国家主席と再確認した日中「戦略的互恵関係」の包括的な推進と「建設的かつ安定的な関係」の構築という方向性に沿って課題や懸案について様々なレベルで対話を重ねていきたいと述べた。また、李強氏も同様の考えを示した。しかし、両国が議論した具体的な内容は、「戦略的互恵関係」「建設的かつ安定的な関係」と評価できるほどのものではなかった。
日中首脳会談と同日に開催された中韓首脳会談では、中国は韓国に対して、「両国関係が良い方向へ発展し、安定かつ着実に進むよう推進することを希望する」と語り、中韓両国は、外交部門のハイレベル戦略的対話と外交・国防次官級による「2プラス2」対話の適時開催や、中韓の「1.5トラック対話」交流メカニズムの適時始動で合意した。また、中韓両国は、FTAの第2段階交渉の加速、経済閣僚会議や産業投資協力、産業チェーン・サプライチェーン協力、輸出規制対話などの意思疎通メカニズムの活用、人的・文化交流促進委員会と青年交流の再開などでも合意している[3]。
明らかに、中国側は韓国と日本に対する外交姿勢に一線を画していた。
また、日中首脳会談に関する中国外交部のWeb サイトには、福島原発ALPS処理水の海洋放出について(※ 中国外交部は処理水ではなく汚染水と記している)、李強氏が岸田首相に対して「日本側が長期的な国際モニタリング体制などの問題で、もっと誠意や建設的な姿勢を示し、国内外の正当かつ合理的な懸念に真摯に対処し、自らの責任と義務を適切に履行することを希望すると要求した」と記されていた[4]。中国が2022年の原発運用状況を収録した『中国核能年鑑』2023年版で中国の原発の19カ所の観測地点のうち15箇所において排水に含まれるトリチウムの量が福島第1原発からの放水に含まれるトリチウムの年間上限量を超えていた[5]ことが明らかにされていることを考えれば、日本政府へ上記の要求を突きつける立場に中国はない。
そもそも、2023年のサンフランシスコAPECで訪米した際の岸田首相と中国の習近平国家主席の会談にあたり、中国側が「戦略的互恵関係」の再確認を日本側に求め、日本政府がそれを受け入れたことで、両国は「戦略的互恵関係」を2023年11月16日に再確認していた。
しかし、それから僅か2週間後の29日、習近平氏は、中共中央委員会総書記・国家主席・中央軍事委員会主席として上海の武警海警総体東シナ海区司令部を視察し[6]、沖縄県石垣市尖閣諸島について、「中国は前進することしかできず、後退することはできない。中国の領土は1ミリも失われてはならない主権を守る闘争を不断に強化しなければならない」と語り、法執行能力を引き上げるように指示した[7]。
中国中央電視台(CCTV)は、この習氏による視察の「特に注目すべき点」として、海警が習氏に報告していた海警編隊の一つが最大級の船「海警2901」であったことを指摘した[8]。2023年3月以降、「海警2901」が船舶自動識別装置(AIS)を作動させながら、尖閣周辺の接続水域でも航行を繰り返している。一般的に、任務中の公船は、AISのスイッチを切っていることから、中国の心理戦・世論戦の一環と言える。
習近平の指令を受けた中国海警は、日本の尖閣周辺での活動をさらに強化しており、2024年1月以降は、尖閣周辺の接続水域を航行する海警局艦船が日本の領空を飛ぶ海上自衛隊機に対して無線で退去するように伝えている。2024年6月15日には、中国海警の「行政法執行手続き規則」が施行された。これは、中国海警の権限として外国船舶が海警の停船命令などに従わない場合に武器使用などを認めることなどを規定し2021年に施行された「海警法」に基づき、中国海警による取締りの具体的な手続きを定めた法令である。この新たな「行政法執行手続き規則」は、中国が「中国の領海」と主張している海域に侵入した疑いのある外国人を最長60日間拘束できる法令などを含んでいる。
こうした点を踏まえれば、中国が「戦略的互恵関係」の実現に努力していないことは明白である。むしろ、一方的に現状変更をしようとする試みが活発化しているのである。
中国は「環太平洋パートナーシップに関する包括的で先進的な協定」(CPTPP)へ向かうために、中国の加盟に慎重な日本に対して「戦略的互恵関係」を囁いている。しかし、中国の対日姿勢の本質が強硬路線であることに変化はない。
2.プーチン訪朝をめぐる中露朝
次に、中露朝関係の変化が日本の安全保障環境へのリスク[9]を高めている点に話を移そう。
ロシアのプーチン大統領は、2024年6月19日、金正恩・国務委員長と平壌で会談し、「包括的戦略パートナーシップ条約」に署名した。北朝鮮側が28年ぶりにロシアとの同盟関係を回復すると宣言したものの、ロシア側は「同盟」と規定しなかったことから、温度差のある「包括的戦略パートナーシップ」と言えた。事前には6月18~19日の1泊2日の訪朝予定がクレムリンから公表されていたが、プーチン氏の専用機は19日午前1時14分に北朝鮮に着陸し、滞在時間は僅か10時間ほどしかなかった。プーチン氏が5月16~17日の日程で訪中した際、北京に到着したのが16日早朝4時であったことを考えれば、プーチン氏の日付を跨いだ大幅な遅刻は、ロシアが中国へ配慮を見せているというパフォーマンスであったと考えられる。
露朝条約署名の前日の6月18日には、韓国と中国の外交・国防当局高官による「韓中外交安全保障対話」(2プラス2)がソウルの韓国外交部庁舎で開かれた。従来の局長級から次官級に「格上げ」されてから初の中韓「2プラス2」の開催となった。中国からは孫偉東外交部副部長と張保群中央軍事委員会国際軍事協力弁公室副主任(少将)が出席した。韓国からは金烘均(キム・ホンギュン)外交部第1次官と李承範(イ・スンボム)国防部国際政策官が出席した。北朝鮮問題と露朝関係について多くの時間が割かれたとされている。韓国側は、露朝軍事関係の強化によって朝鮮半島の緊張が高まることが中国の利益にも反するとして、中国側に朝鮮半島の平和・安定と非核化に向け建設的な役割を果たすよう要請した[10]。
中国外交部は6月17日の定例記者会見で、中韓「2プラス2」はプーチン氏の訪朝に合わせたものではないと語っていた。しかし、中国の立場からすれば、露朝の関係強化が米韓同盟や日米韓関係の強化を促したり、中国の北朝鮮に対する影響力に変化をもたらしたりすることになり、結果として中国にとってマイナスに作用する可能性もある。中国政府の発信とは裏腹に、露朝両国への牽制であったことが読み取れよう。
さらに、対ロシア制裁をめぐる攻防で、「中露朝vs.米日韓」の枠組みが強調されることは中国にとって望ましいことではない。6月12日に、アメリカ財務省・国務省は、ウクライナに侵攻するロシアの軍事生産に必要な製品やサービスの遮断を目的とした新たな制裁措置として、中国企業を含む300以上の事業体・個人をSDN「特別指定国民(SDN)」の金融制裁対象に指定し、アメリカ商務省産業安全保障局(BIS)が輸出管理を強化するなど、アメリカのバイデン政権が大規模制裁を発動したばかりであった[11]。商務省の措置では、ロシアに半導体を違法に輸出している中国企業に対する取り締まり強化として、企業名ではなく香港にある具体的な住所を貿易制限リストに追加するなど、社名変更やダミー会社を通した取引による制裁逃れへの対応も含む中国にとって厳しい措置であった。
翌日の6月13日に、アメリカのジャネット・イエレン財務長官が、中国の大手銀行はアメリカの対ロシア制裁に留意しており、違反することを望んでいない、との考えを示していた[12]ように、中国としては「中露朝vs.米日韓」の構図によるゼロサム的な陣営分けをされたくないとのメッセージ[13]をアメリカ側に送ったのである。
したがって、6月18日に「中韓2プラス2」を開催したことは、中国からロシア、北朝鮮、そしてアメリカにも向けた「メッセージ」であったと言える。
3.露朝接近で警戒するのは中国よりも日本とアメリカ
ロシアが北朝鮮と「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結したことによって、韓国の尹錫悦政権はロシアとの軍事協力を強化した北朝鮮が挑発行為をエスカレートさせかねないとの「重大な懸念」を表明し、ロシアの侵略を受けるウクライナへの武器支援を検討し始めた。ウクライナへの武器移転をめぐり韓国を牽制しようとねらっていたにもかかわらず、韓国を刺激しすぎてしまったプーチン氏は、訪問先のベトナムにおけるロシアのメディアに向けた記者会見で、「我々が締結した条約に従って行う北朝鮮への軍事支援は、署名国に対する侵攻が行われた場合にのみ発生する」「私が知る限り、韓国は北朝鮮に対する侵攻を計画していない。つまり、この分野での我々の協力について懸念する必要はない」と反発してみせた[14]。
ロシアと韓国の応酬から、ロシアが朝鮮半島有事への深入りを避けたい思惑が反映されたからこそ、「包括的戦略パートナーシップ条約」には「北朝鮮に兵器を送る」ではなく「北朝鮮に兵器を送ることを排除しない」と記された点にロシアの本音がうかがえる。
これらの点を踏まえれば、ロシアと北朝鮮の関係強化は、北朝鮮がロシアの不足する砲弾や労働力を支援するレベルにとどまるならば、中国が警戒するレベルではないと言えよう。また、2024年7月日に、中露関係を「史上最高の状態にある」と語ったプーチン氏に対して、習近平氏は「中露の戦略的協調の強化」を主張し、「新冷戦の防止」、「違法な一方的な制裁と覇権主義への反対について、中国として支持する」と伝えている。こうした中国側の発信から、露朝接近について、ロシア側が中国側へ丁寧に事前説明を行っていたことがうかがえた。
中国が警戒するのは、露朝接近よりも、米韓日連携が強化されていくことに対してであろう。韓国政府は北朝鮮がロシアへ少なくとも1万個の輸送コンテナを送っていることを把握している。これはロシアがウクライナへの砲撃で使用した砲弾の最大480万発の搬送が可能なコンテナ数と見られている。ウクライナへの侵略戦争で弾薬不足に悩むロシアは北朝鮮から弾薬を補充しているが、ウクライナ検察庁などによれば、ロシアが2023年12月から2024年2月の間にウクライナに向けて発射した北朝鮮のミサイルの約半数が不発弾であったり空中で爆発したり、ロシア兵士の命を奪ったりしている[15]。こうした北朝鮮の「使えない砲弾」を「使える砲弾」にアップグレードする支援をロシアがすることになれば、北東アジアにおける安全保障環境のリスクを高めることになる。
露朝による対中姿勢の変化は、中国にとって警戒よりもチャンスをもたらしている。プーチン訪朝にロマン・スタロボイト交通相とオレグ・ニコラエヴィチ・コジェミャコ極東・沿海州知事も随行した。そこで注目されるのは、5月16日の中露共同声明に、「双方は中国の船舶が図們江(=豆満江)」下流経由で海に出る航行の件について、朝鮮民主主義共和国と建設的な対話を繰り広げていく」と明記されていた点である。
北朝鮮・中国・ロシアの国境沿いを流れる大河・図們江(=北朝鮮の「豆満江」)は、全長521km、白頭山を水源に朝鮮半島の北東部を流れて日本海に注いでいる。2023年には、西側の衛星が北朝鮮の豆満江駅からロシア沿岸州のサハリン駅を経由してウラジオストクまで大量の貨物車両を確認しており、北朝鮮がロシアに対して武器や弾薬を提供している可能性が指摘されてきた。
中国船が図們江で自由に通航できるのは吉林省東端までであり、中国船がその先15kmを航行して日本海へ出るには、露朝両国の許可を得なければならない。旧ソ連による高さ7mの「ソ朝友好橋」がかけられており、中国の大型船は通れない状況にある。中国は再三ロシアと北朝鮮に対して友好橋のかさ上げや図們江下流の浚渫を要請してきたが、ロシアと北朝鮮は中国の提案を拒否してきた。しかし、ウクライナ侵攻で疲弊するロシアが従来の姿勢から転じて、中国の航行を認めることになったのである。しかも、2024年5月の中露首脳会談で、両国は首相定期会談委員会メカニズの枠内で中露北極航路協力小委員会を設立し、北極の開発・利用のための互恵協力を展開し、インフラ整備などでの協力強化に合意している。
露朝が方針転換して中国に図們江から日本海へのアクセスを認めたことは、「一帯一路」の北極航路(=「氷上のシルクロード」)をめぐる中露協力構想の下に展開されていくことになり、中国軍が日本海に常時戦力を展開していくことになる。日本にとっては中国船の津軽海峡や宗谷海峡へのプレゼンス増大につながることになり、アメリカにとってはオホーツク海における中国軍の活動への警戒が増大することになる。それは、日本とアメリカの安全保障環境にいっそう大きな中国リスクをもたらす可能性がある。
4.中国の懸念 「最近、中韓関係は困難と課題に直面している」
ここで、視点を中韓関係に移そう。
韓国は、2024年5月1日、オーストラリアとの「2プラス2(外務・防衛担当閣僚会議)」で、米英豪の安全保障枠組みAUKUSの「第2の柱」である極超音速兵器や無人機、サイバー、宇宙分野の先端技術協力に参加していくことに合意した。韓豪両国は、共同声明で、東シナ海・南シナ海における航行の自由を訴え、台湾海峡の平和と安定の維持が地域の安全と繁栄に不可欠の要素であることを再確認した[16]。
文在寅政権時代まで、中国は韓国に対して、「韓国が独立した外交政策を持つことを望んでいる」「韓国が自国の根本的な利益に基づき、独立自主の政策を決めることを歓迎する」と繰り返し強調してきた。また、韓国の半導体輸出に占める中国向けの割合は、約4割に及ぶ。しかし、アメリカのバイデン政権は半導体サプライチェーンのネットワーク「チップ4」に韓国を引き入れた。米韓関係の強化が中韓関係にきしみを生み出している。
王毅・中国共産党中央政治局員・党中央外事工作委員会弁公室主任・外交部長は、2024年5月13日、日中韓首脳会談の調整のために訪中した韓国の趙兌烈(チョ・テヨル)外相と北京の迎賓館で約4時間にわたり会談した。両国は、尹錫悦政権発足以来冷え込んでいる中韓関係の改善機運を醸成していく方針で合意し、北朝鮮情勢についての意見を交換した。
王毅氏は、中韓両国が2008年に戦略的協力パートナーシップを確立以来、互いの関係をそれぞれの外交において重要な位置に置いてきたことを強調したうえで、米韓同盟と米韓日関係を強化している尹錫悦政権発足後の韓国の外交方針を念頭に、「最近、中韓関係は困難と課題に直面している。しかし、これは両国の共通の利益でもなければ、中国が望んでいることでもない」「韓国と中国が協力して両国国交樹立の本来の趣旨を堅持し、善隣友好の方向を堅持し、互恵協力の目標を堅持し、干渉を排除し、同じ方向に進み、中韓関係の健全で安定した発展を促進するために協力しよう」と訴えた[17]。王毅氏の発言から、尹政権発足後の韓国が中国離れを進め、対米傾斜を強めたことに中国が苛立っていることがうかがえた。
韓国政府は対中関係をとても重視していると返した趙外相が、韓国はゼロサムゲームに同意しておらず、バランスのとれた各国との関係を発展させたいと考えており、中国との相互信頼を強化し、合意を拡大し、協力に焦点を当て、地政学的な制約を可能な限り回避し、韓中協力の新たな局面を切り拓きたいと考えている、と語った。また、趙氏は、中国へ国連安保理常任理事国として朝鮮半島の平和と安定のために建設的な役割を果たすことを求めた[18]。
とは言え、6月19日に開かれた「中韓2プラス2」の席において、プーチン訪朝で露朝の軍事協力が進むことへの憂慮を示した韓国に対して、中国側は「ロシアと北朝鮮は友好的な隣国として交流し、協力して関係を発展させる必要がある」との立場を伝え、朝鮮半島情勢については「中国は中国のやり方で建設的な役割を果たしていく」と強調するにとどまっている[19]。
5.中国にとって厄介な日米韓関係の強化 : バイデン政権による「ハブ・アンド・スポーク(hub and spokes)」から同盟の「格子フェンス(lattice fence)」へ
王毅氏が趙兌烈氏に訴えた不満は、中国がアメリカのジョー・バイデン政権による多層多重の同盟強化に応える韓国の対米傾斜を切り崩したがっていることに他ならない。
冷戦期から近年に至る間、アメリカのアジア太平洋における安全保障政策は二国間同盟を基軸とする「ハブ・アンド・スポーク(hub and spokes)」システムであった。アメリカが「ハブ」として、アジアの日本、韓国、フィリピンなどの同盟国が「スポーク」として機能してきた。それぞれの二国間同盟の間をリンクするネットワークが整備されてこなかった。しかし、現在のバイデン政権は、中国を念頭に、従来のシステムから「格子フェンス(lattice fence)」システムへ舵を切っている[20]。
19世紀以降のアジアの敵対的な歴史と国際関係を考えれば、「格子フェンス」システムは、NATOのような多国間同盟にはなるものではないし、また、絶対になれはしない。そこで、「脅威としての中国」を念頭にした「自由で開かれたインド太平洋」の下で、アメリカの主要な同盟国や友好国やパートナー国が、ネットワークやコネクティビティを拡大・強化し、アメリカを中軸として相互に格子状の障壁を形成することでプラットフォームを構築しようとしている。その意味で、アメリカが「格子状」に張り巡らせる同盟国間の連携強化である「格子フェンス」システムは、NATOのような多国間同盟とはまったく異なる、アメリカと同盟国との負担共有へのシステムである。
アメリカ側が「格子フェンス」と呼ぶ枠組み[21]を、中国側は「(冷戦思考による排他的ないくつもの)“小集団”(=小さなグループ)」と呼んで警戒している。
中国の習近平国家主席とロシアのウラジーミル・プーチン大統領が2024年5月16日に署名した「包括的戦略パートナーシップを深化させる共同声明」[22]にも、“小集団”に対する警戒が明記された。中露共同声明では、戦略核のバランスを侵害するアメリカの取り組み、中露を脅かす世界的なミサイル防衛計画、精度の高い非核兵器計画に懸念が示され、中露の防衛分野での協力が地域およびグローバルな安全保障の強化に寄与すると明記された。中露同共同声明は、「アメリカが地域の安全と安定よりも“小集団”の安全を優先しており、地域の安全を危険に晒している」とアメリカを批判したうえで、北朝鮮問題について、中ロの建設的な共同イニシアティブを支援するようにと国際社会へ呼びかけている。
6.中国が警戒するアメリカの同盟
上記の文言とは別のセクションに、「同盟国との合同軍事演習を口実に、アジア太平洋地域に地上配備型中距離ミサイルシステムを配備する措置が講じられたこと」に対する懸念が盛り込まれていた。「同盟国との合同軍事演習」とは、4月にアメリカがフィリピンと行った合同軍事演習「バリカタン2024」で地上配備型の中距離ミサイル発射装置(MRC)「Typhon(タイフォン)」(最長1600キロメートルまで発射可能:南シナ海の中国軍の拠点や中国南部地域が射程圏内に収まる)をルソン島に「一時的に配備」したことを指しているものと思われる。こうした懸念には、「格子フェンス」システム下の米韓同盟・日米同盟の強化によって日米韓関係がさらに深化し、中国を念頭に、アメリカがアジア太平洋地域でMRCを配備していくことに中国が警戒していることの表れと言えよう。
4月4日、東京のアメリカ大使館で、アメリカ陸軍のチャールズ・フリン太平洋司令官が、中距離能力を備えた発射装置を2024年内にアジア太平洋地域に配置すると話していた[23]。中国は、米軍のアジア太平洋地域における中距離ミサイルの配備を中国に対する警告と見做している[24]。4月18日には、中国外交部定例の記者会見で、人民日報系の『環球時報』の記者が、米比共同軍事演習の一環としてルソン島に一時的に配備された「タイフォン」は中距離核戦力全廃条約からの離脱後初のアジア太平洋における配備であり、一部の評論家がアメリカの動きは中国抑止を目的としていると主張しており、こうした状況へのコメントを求めた。これに対して外交部報道官が、中国は事態の動きを注意深く見守っていると述べ、アメリカが一方的な軍事的優位性を得るためにアジア太平洋地域に中距離弾道ミサイルを配備したり、中国の“玄関前”で軍事的な配置を強化したりすることに中国は一貫して断固として反対している、と訴えた[25]。
中国が警戒しているのは、アメリカだけではない。中国への服従外交を貫いていた文在寅政権と異なり、尹錫悦政権の韓国が中国との距離を置いていることに不満を募らせている。朴槿恵政権末期に導入したTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)について、文在寅政権期の韓国は中国からの「指令」に従い、中国に対して「三不一限(3つの「不=ノー」と1つの「制限」(3不:①THAADを追加配備しない、②アメリカのミサイル防衛システムに参加しない、③韓米日軍事同盟を結ばない、1限:配備されたTHAADの運用を制限する)を誓約した。そのため、文政権期の韓国は、環境影響評価の先延ばしを続け、THAADの配備をあくまでも「臨時」のものとしていた。しかし、尹政権は「三不一限」を撤回した。
文在寅政権のように中国へ服従しない尹錫悦政権の対中姿勢を、中国は警戒している。
7.韓国を引き戻したい中国
4月の韓国総選挙で保守系与党「国民の力」が大敗し、一段と厳しい政権運営を強いられる尹政権ではあるが、親米路線&対日融和政策は2024年7月現在も維持されている。
大統領就任2周年前日の2024年5月9日、尹大統領は、日韓関係について、歴史問題における立場の違いを指摘しつつも、忍耐すべきことは忍耐して、進まなければならない、北朝鮮の核問題への対応や経済面などで未来のために協力すべきであると訴えた。日米韓連携についても、安全保障を強化し、経済的機会も拡大させると語った[26]。
こうした尹政権の対日融和外交を韓国の野党は尹政権への攻撃材料にしている。例えば、日本でも「タマネギ男」[27]として有名な曺国(チョグク)祖国革新党代表は、5月13日、竹島に上陸し、尹政権の対日外交姿勢を「歴代最悪の親日政権で売国政府」と強く批判している。
しかし、尹錫悦政権がレームダック期に入るまでは、対日姿勢は維持されそうである。その背景の一つとして、北朝鮮が緊張を煽っていることを挙げられる。
2023年後半に韓国を「大韓民国」と呼ぶようになった北朝鮮では、金日成(キムイルソン)が提唱して以来の「連邦共和国」構想が修正された。2023年12月26~30日に開かれた党中央委員会拡大総会で、金正恩は韓国との関係を「もはや同族ではなく敵対的な二つの国家、交戦国の関係に固定化された」と述べ、統一の対象とは見なさない姿勢を明確に示した。金正恩は、北朝鮮を「主敵」と呼ぶ尹政権が北の政権崩壊や南が北を吸収する形での統一を狙っていると批判し、韓国を和解と統一の相手と考えるのはこれ以上犯してはならない誤りであると訴えた。そのうえで、党統一戦線部などの組織を整理・改編する方針も示した。
2014年1月14日には、北朝鮮としては初となる固体燃料式の中距離弾道ミサイルの発射実験を実施した。従来の液体燃料式より迅速に発射できる固体燃料式への置き換えを進めることで、奇襲能力の向上を図っていることを示した形となった。その翌日、金正恩は最高人民会議において憲法を改正して韓国を「第一の敵対国、不変の主敵」と位置付けるべきとも主張した。
こうした朝鮮半島の情勢変化は、尹錫悦政権の韓国を米韓同盟強化にいっそう向かわせてしまっている。そうした状況は、韓国をアメリカとの米中覇権競争における駒としてアメリカ側に立たせなうように、中国は韓国との関係を良好に維持できるように動いていくことであろう。中国はそこに日米韓安全保障協力関係を切り崩すチャンスを模索していくことであろう。
おわりに
2019年の第8回日中韓サミットの成果文書では、「我々は、朝鮮半島の平和、安定及び繁栄を達成するために努力を行い、関係国の諸懸念に関する、関連国連安保理決議に従った、対話及び外交を含む国際的な協力並びに包括的な解決によってのみ、朝鮮半島の完全な非核化及び恒久的な平和を達成できることを強調する。中華人民共和国及び大韓民国の首脳は、日本と北朝鮮との間の拉致問題が対話を通じて可能な限り早期に解決されることを希望する」[28]とされていた。
しかし、2024年の第9回日中韓サミットの共同宣言は、「我々は、朝鮮半島及び北東アジアにおける平和、安定及び繁栄の維持が我々の共通の利益となり、また、我々の共通の責任であることを再確認した。我々は、地域の平和と安定、朝鮮半島の非核化及び拉致問題についてそれぞれ立場を強調した。我々は、朝鮮半島問題の政治的解決のために引き続き前向きに努力することに合意する」[29]と大きく後退した。
図們江開発などの中露朝の間における新たな展開を見据えていけば、中国リスクは高まる一方であり、朝鮮半島情勢や日本を取り巻く安全保障問題において日中が協力の着地点を見いだしていく可能性は極めて小さい。
日本政府は2023年1月11日の日米外務・防衛担当閣僚会議(2+2)で中国を「最大の戦略的な挑戦」と位置づけることに合意している。岸田首相は、2024年4月11日のアメリカ上下両院合同会議における演説で、中国の軍事行動が国際社会全体の平和と安定にとって最大の戦略的な挑戦である、とも訴えている。にもかかわらず、「日中戦略的互恵関係」のことばを持ち出すならば、外交における日本政府のことばの軽さを際立たせ、日本政府は日本国民からの信用を失うことになる。
北東アジア情勢が揺れ動いているなかで、日本政府も日本国民も、「戦略的互恵関係」を持ち出した中国の野心とそれがもたらすリスクを冷静に見極めていかねばならない。
文末注
以下、注に挙げたURLの最終閲覧日はすべて2024年7月7日。