公益財団法人日本国際フォーラム

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長期化しているロシア・ウクライナ戦争は、いつ、どのように終わるのだろうか。ウクライナ支援の滞りや関心の低下が指摘されるなかで、終戦のあり方については、多くの人の関心を呼んでいる。
 では、そもそもウクライナにとって、終戦とは何か。この問題は明白なように見えるものの、実はそれほど具体的に明示化されているわけではない。これまでのゼレンスキー大統領の発言を見ても、国境の回復や安全保障、プーチン大統領などに対する侵略行為の処罰、自国史を持つ権利の確保など、実に様々な主張がなされており、終戦の意味は様々である。さらに国境線についても、2022年のロシアによる大規模攻撃前の国境か、1991年の独立時の国境かで議論が分かれた時期もある。ウクライナにとっての終戦の意味は、決して自明ではない。
 このウクライナにとっての終戦を考える上で、「平和の公式 (平和のフォーミュラ)」は手掛かりになる。平和の公式は、ゼレンスキー大統領によって提唱された、ロシア侵攻に対するウクライナ側の抵抗に基づく文書であり、同国では戦争終結の基礎として位置付けられている。そこで、このコメンタリーでは、「平和の公式」の思想的背景を読み解くことで、ウクライナにとっての終戦の意味を考える。なお、このコメンタリーは、軍事や国際安全保障上の戦争の終わり方ではなく、ウクライナ国内における平和の公式のアイディアや実践に注目し、主に大統領府や最高ラーダ (議会) の議事録などに依拠しながら、ウクライナ側の終戦アプローチを整合的に把握するものである。

平和の公式とは

平和の公式は、一般的にはウクライナ側の「停戦案」と言われるが、具体的な内容が明記されているわけでなく、むしろ、抽象的な記述が多く、規範的な側面が強い。その提唱の経緯としては、2022年11月に、米国のバイデン政権がウクライナ側にロシアとの和平交渉を一切拒否する姿勢を改め、前向きな姿勢を示すよう勧めていたとされる。いわば、ロシアとの和平のテーブルに戻るべきという外部からの圧力が強まるなかで提示されたのが、平和の公式である。
 この平和の公式は、ウクライナの安全保障を確約し、外交的に戦争の終結を固定化させるものと位置づけられている。その項目は、①放射能と核の安全、②食糧安全保障、③エネルギー安全保障、④捕虜の解放、⑤領土の一体性と世界秩序の回復、⑥ロシア軍の撤退と軍事行動の終結、⑦公平性の回復、⑧環境対策、⑨戦争のエスカレーションの阻止、⑩終戦の確認と、全部で10項目から構成される。

上記の表は、2023年7月に実施された、平和の公式に関する世論調査の結果である。「完全に支持する」と「幾つかの項目を支持する」を合わせると、当時のウクライナ国民の9割以上が、平和の公式に賛同している。表1は、「平和の公式の項目のうち、遂行のために最も重要なものはどれですか」という設問であり、平和の公式のなかで、重要だと考える項目を3つ挙げるというものである。ロシア軍の撤退が37.9%、全て重要が34.7%、核の安全が33%、領土の一体性の回復が27.5%と続いている。
 とはいえ、平和の公式の項目には、それぞれ重なり合っている箇所があり、どの項目もロシア軍の撤退と関係している。例えば、第1項は「放射能と核の安全」であり、世界の核の安全が脅かされており、ウクライナの核関連施設は、ウクライナの主権のもとで稼働させ、核の恫喝を終わらせるというものである。だが、イェルマーク大統領長官によると、こうした核の安全を脅かしているのは、ロシア軍の大規模な攻撃であり、唯一の解決方法はザポリージャ原発からのロシア軍の撤退である。つまり、核関連施設の安全のためには、ロシア軍の撤退が必要であるという論理を展開している点で、核の安全はロシア軍の撤退と連動している。
 また、5項の「国連憲章の履行と領土の一体性の回復、世界秩序の回復」では、戦争や領土併合は、グローバルな安全や国際法にとって脅威であり、ウクライナの主権と独立、領土の一体性は、他国の軍の撤退によってのみ可能であるというものである。他国の軍とは、ロシア軍を指しており、この項目もロシア軍の撤退と重なっている。
 さらに、2項の「食糧安全保障」では、ロシア侵略は世界の食糧安全保障に対する挑戦であり、黒海とアゾフ海への海上輸送を安定化させる必要がある。この項目も、ロシア軍の撤退と関係している。例えば、ゼレンスキー大統領は、南アフリカ大統領との会談で、世界の食糧安全保障にとって、ウクライナの穀物輸出が重要であると強調したが、その穀物輸出を阻害しているのは、ロシア軍の攻撃である。ウクライナ政府は、ロシアによって兵器化されている食糧やエネルギーを脱武器化させるとも主張しており、この食糧安全保障も、ロシア軍の撤退と重なっている。
 このように、平和の公式のなかで、ロシア軍の撤退は最も重要な項目として浮かび上がる。オレクサンドル・コルニエンコ最高ラーダ第一副議長は、終戦後に、全ての世代のウクライナ人が安全になると主張しているが、平和の公式ではウクライナの領土からロシア軍を撤退させ、ロシアからの物理的な干渉を阻止することで、ウクライナとロシアのあいだに境界線を確立させることを重んじているように考えられる。

不公正な世界と公正な世界

平和の公式は、ロシア・ウクライナ戦争の終結だけでなく、国際機関が侵略戦争を公平に終結させる上での普遍的な基礎になると、ウクライナ側は位置付けている。そこには、ウクライナ戦争と同様の侵略戦争が起きたときに、平和の公式は参照されるだろうという見込みがある。ゼレンスキー大統領によると、平和の公式は、第一義的には、ロシア・ウクライナ戦争に関するものだが、もし国際機関が侵略戦争を公正に終えることができない場合には、平和の公式はその解決のための普遍的な基礎になると述べる。また、ルスラン・ステパンチュク最高ラーダ議長によると、この平和の公式は理論から導かれたのではなく、ロシア侵攻に対するウクライナ側の抵抗の実践から生まれたものである。つまり、平和の公式は、ロシア侵攻を受けて、帰納的に導かれたものの、それと同時に普遍性も追求している。では平和の公式において、個別主義と普遍主義はどのように両立しているのだろうか。
 平和の公式によると、国際法の最も重要な原則の一つは、平和的手段で、国際論争を解決することであり、公平さは脅威のもとでは不可能である。平和の公式のなかの「公平性の回復」の項目では、ロシアはウクライナにおける国際法の侵害に対して責任を負っており、国際法に対する回復は、ウクライナの領土の一体性に立脚して、国際レベルと国家レベルでの適切な、公平な調査によって保障されるべきである。
 こうした主張は、大統領府だけではなく、議会にも浸透している。例えば、ステファンチュク最高ラーダ議長は、平和の公式について次のように述べている。我々が公平な世界について話すとき、この戦争を開始した、ロシアやプーチン大統領に対する公平な処罰の諸問題を見過ごすわけにはいかない。国際刑事裁判所の更なる調査は、優先事項であり、平和を確立させるためには、国際法や国際社会の価値の積み重ねが必要である。また、コルニエンコによると、ウクライナについて話すことは、ロシアによって開始された、悲惨な戦争を終了させることの諸問題である。ロシア軍はウクライナの各都市のインフラ施設を破壊しており、爆撃は継続している。そのため、ウクライナは積極的にロシアの戦車を破壊し、パートナー諸国からの軍事支援の拡大を期待しながら、占領地を取り戻すために行動すべきと主張する。
 つまり、「平和の公式」の背景には、戦時下において、ウクライナが犠牲を強いられていることに対する不公正さの認識がある。実際に、ゼレンスキーの演説では、たびたび「不公正な世界」が語られる。例えば、2022年12月のバイデン大統領との会談では、公正な世界では、領土や主権は非妥協的であり、ロシア侵攻がもたらした損失は補償される。領土や主権に妥協を強いられる国があるのは不公平であり、国際社会がロシア軍の攻撃に慣れることは許容出来ないと述べている。
 さらに、ゼレンスキーは、領土回復やEUやNATO加盟そのものが、ウクライナにとっての最終到達点ではなく、プーチンへの侵略行為の処罰や公正な世界の構築が、到達点だとも語っている。そこには、ウクライナが被っている「不公正さ」は是正されるべきという発想があるように考えられる。
 1932年から33年のホロドモールは、この文脈で語られる。ホロドモールは、スターリン体制下で発生した、人為的な食糧危機に伴う飢餓を意味するが、こんにち、それは政治利用されている。例えばウクライナ政府は、ホロドモールを歴史的な不公正と位置づけ、各国にそれをウクライナ人に対するジェノサイドとして認定するよう要請している。ゼレンスキー大統領は、モスクワが再び食糧を武器として、飢餓を引き起こしており、ホロドモールの日は歴史的な公平性を回復させるために必要であり、それは侵攻に対する明確なシグナルになると主張する。さらにイェルマークは、スターリン体制の抑圧の犠牲を強調しながら、公平性の回復は第7項で記載されており、終戦や持続可能な平和は、公平さの回復を通じてのみ可能になると主張する。

平和の公式と国際組織

ウクライナ政府は、こうした不公正の認識のもと、繰り返し、国連改革を訴える。平和の公式の10項では、終戦について次のように明記されている。平和で強い世界の実現は、国際的に承認されたウクライナの領土と主権の回復によってのみ可能である。ロシアの侵略行為を処罰するためには、公平な代理人や特別法廷の設置が必要である。戦争の終結には、公平な代理人をもとに、効果的な国際法メカニズムを新たに創出し、国際的な講和会議を実施される必要性がある。
 だが、国際刑事裁判所は、プーチン大統領に逮捕状を出しており、その移動は制限されているのの、現実的にはプーチン大統領は訴追されておらず、その間ウクライナ人は犠牲を強いられている。さらに、子供の連れ去りなどは継続しており、その犠牲は補償しきれないほど莫大である。こうしたなかで、ウクライナ政府は、国連や国際法秩序が機能不全に陥っていると認識している。
 そこで、国連を機能させ、国際法秩序を回復させるためには、実効性の担保が必要となる。イェルマーク大統領府顧問長官によると、公平で強力な世界は、集団の意思や行為の結果であり、各国が、平和の公式に合意することは、国際法が現実的な効力を発揮するための連帯になる。平和の公式に関する国際会議は定期的に開催されているが、まさに、ここに各国が平和の公式に合意する意味がある。つまり、国連や国際法が効力を発揮するためには、国際的な連帯が必要であり、平和の公式に関する話し合いや合意は、その連帯意識の形成を促すことに繋がる。ウクライナ政府は、平和の公式を国際法秩序の立て直しに貢献するとも主張するが、平和の公式の普遍主義的な部分は、こうした側面にあると言えよう。

「平和の公式」から見るウクライナの終戦の意味

こうしてみると、ウクライナにとっての終戦とは、ロシアからの物理的な干渉を阻止し、ロシアとの境界線を固定化させることであり、平和の公式とは、そのための国際規範創出のメカニズムであると言える。
 平和の公式に関連する国際会議は、定期的に開催されている。これまで、マルタやサウジアラビア、デンマーク、スイスなどで、この平和の公式が扱われた。なかでも、ダボス会議では、欧州やアジア、アフリカ、南アフリカなどの81か国と国際組織が参加し、ロシア軍の撤退、公平さの回復、環境の安全、エスカレーションの阻止、終戦の確認の5項目が議論された。今年の6月には、スイスで、平和の公式に関するハイレベル会合が予定されている。
 とはいえ、戦闘の結果次第では、平和の公式の全ての実現は難しいかもしれない。現実的には、国際社会における不平等は残るだろう。また、これまで見てきたように、平和の公式は、ロシア侵攻に対するウクライナ側の抵抗の実践に基づく文書であるが、他の紛争や戦争の解決モデルになるとも考えられている。だが、平和の公式はあくまでも帰納的に導かれているため、時間軸などは考慮されているわけではなく、平和の公式を他の紛争や戦争に適応させることは限界もあるといえよう。