公益財団法人日本国際フォーラム

プーチン大統領は(以下敬称略)今年2月、バイデンの方がトランプより好ましいと述べた。その理由として「より経験豊富で予測可能だからだ」、と述べた。この発言は、プーチンとの非合法な結びつきを疑われているトランプに対する意図的な政治発言との解釈もある。本稿では、露指導部や国民が、歴代米国の大統領をどのように評価したかについて述べたい。私は1967年から72年までモスクワ大学大学院に留学し、その後も年に数回露・東欧を訪問して、指導部から一般国民まで広く交わってきた。以下はそれらの私の経験を基にした判断である。
 1961年6月に、フルシチョフとケネディが初めてウィーンで首脳会談を行った。その時、若いケネディ(44歳)はフルシチョフ(67歳)にとって「ひ弱な若造」と映り、フルシチョフによる上からの目線での会談だった。ソ連の首脳と国民のケネディ観が一変したのは、翌年のキューバ危機以後だ。キューバにミサイルを海上から持ち込もうとしたフルシチョフの行為に対し、ケネディは多数の軍艦でキューバを封鎖してそれを軍事力で阻止した。この62年の「キューバ危機」に関し、私はゴルバチョフ時代の1987年に出版した『深層の社会主義』で、以下のように述べた。
 「政治とは最終的には力である、しかもなりふり構わぬ物理的な力のぶつかり合いだ、という厳然たる象徴(キューバ危機)を見ていると、人類の何千年の歴史や文化は一体何だったのだろうかと複雑な気分にもならざるを得ない。」
 この時の、「核戦争も辞さず」とのケネディの態度に世界は震撼した。私が大学入学の前年のことで、何日か続いた世界の物凄い緊張感は生々しく覚えている。
 興味深いのは、ソ連の指導部やソ連人の反応だ。私がソ連に留学したのは1967年から5年間だったが、はっきり覚えているのは、その頃でもソ連人のケネディに対する評価あるいは敬意は最高だったことだ。彼が暗殺されたのは1963年だったが、「強敵」ケネディの死去を喜ぶどころか、逆にソ連人が敬意をもって彼の死去を悼んでいた雰囲気には驚かされた。これは、擦寄る仲間よりも、むしろ緊張感を与える相手の方に敬意を払うという、ロシア人のメンタリティと関係している。前述の拙著に、1987年に私は次のように書いた。
 「ロシア人は一いったん自分たちの勢力圏に取り込まれた者に対しては、友好国(ナーシ)とは言っても本音のところでは敬意は抱かない。しかも『ナーシ』の度合いが強まるほど、尊敬の念は弱まる。逆にソ連に対して緊張感を抱かせるだけの力を持っている国に対しては、たとえ『嫌な国』だと思っても、内心は一目も二目も置くのである。東ドイツと西ドイツでは、もちろんのこと西ドイツを内心尊敬している。」
 ロシア系米国人ジャーナリストのM・ゲッセン氏も、「プーチン大統領は戦う者と攻撃性に敬意を払い、穏当さや慎重さを評価しない」と述べている(CNN 2015.12.18)。

ケネディへの高い評価とは逆に、ロシア人が最も低く評価している、あるいは蔑視している米大統領は、オバマである。その理由を説明しよう。オバマは露がジョージアに侵攻した2008年8月の「グルジア戦争」の翌年1月に、選挙で勝利して大統領に就任した。2009年1月の大統領就任後、オバマが最初に打ち出した最重要の対外政策は、露との関係の「リセット」、即ち関係改善だった。その年の4月にオバマはプラハで平和演説を行い、10月にノーベル平和賞を受けた。つまり、露のジョージア侵略直後に、オバマは露批判ではなく、露との関係改善を唱え、世界がその平和政策を讃えたのだ。
 さらに、2013年には、オバマは「レッドライン」発言で失態を演じ、プーチンに救われている。つまり、2013年6月に、シリアでの化学兵器使用疑惑が報じられ、オバマは同年8月に、シリアでの化学兵器の使用はレッドラインだ、つまり米国が軍事介入すると世界に声明した。その後、シリアによる化学兵器使用が事実と判明すると、彼は軍事介入の可否の決定を米議会に振った。彼は米軍最高司令官であり、当然彼が決定すべき最重要問題だが、決定の責任を逃げたのだ。この時は、プーチンの化学兵器国際管理案で救われ、プーチンに借りをつくった。私がロシアの政権関係者や国民から直接聞いたオバマ評も、例外なく、とても低くて軽蔑的とさえ言えるものだった。私は、レッドライン問題の翌年、2014年3月にプーチンが「クリミア半島併合」を実行したのは偶然ではないと思っている。
 オバマ大統領の時、副大統領を務めたのがバイデン現大統領だ。バイデンも、2022年2月10日に、「露がウクライナに軍事侵攻したとしても、軍事介入はしない」と宣言した。核戦争や露とNATOの正面衝突をさける「慎重さ」ゆえである。プーチンがウクライナに軍事侵攻したのは、半月後の2月24日だった。バイデン発言に対しては、軍事介入はしないと明言しないで、「曖昧戦略をとるべきだった」との批判がすぐ出た。プーチンはバイデンを内心バカにしながら、米国やNATOを気にしないでウクライナ侵略を始めたであろう。2021年8月30日にバイデンはアフガニスタンから米軍を撤退させたが、その時国際的に問題とされた不手際も、プーチンや露国民は、米国の弱さと見たはずだ。今年の4月にバイデンはウクライナへの大型の軍事支援を決定し、少しは権威を取り戻したが。

プーチンとトランプの関係は、プーチンとバイデンの関係ほど単純ではない。というのは、2016年の米大統領選でのトランプ勝利の背景には、露の介入があったとの噂が消えないだけでなく、プーチンとバイデンはお互いに相手を褒め合ったりもするという事実がある。また、トランプは2018年6月のカナダでのG7首脳会議直前に、露をG7の枠組みに復帰させるべきだと突然表明したこともある。
 一方で、トランプは、2017年4月6日、シリア政権による化学兵器(サリンとされる)使用によって多数の死者が出たことに対して、「アサド政権への抑制策は全て失敗した」として、翼日に地中海の米駆逐艦2隻から59発のトマホークミサイルをシリア政府軍の空軍基地に打ち込んだ。ちなみに、シリアのアサド政権は露の強い支援の下にあり、ペスコフ露大統領報道官は「主権国家への侵略行為」としてトランプのミサイル攻撃を非難した。
 つまり、「レッドライン」発言のオバマと異なり、トランプは「予測可能性」のない攻撃を露の支援国家に対してでも行うことをプーチンは知っている。私や前述のゲッセンが述べるように、プーチンは緊張感を与える相手、あるいは攻撃性にむしろ敬意を払う。しかし、トランプによるシリアへのミサイル攻撃を考えると、もしトランプが再度大統領になれば、プーチンの対トランプ政策は、思ったよりも複雑なものになるだろう。