公益財団法人日本国際フォーラム

1、懸念されるモスクワテロ事件の今後の影響

3月22日(金)夕方、モスクワ郊外の音楽ホールでテロが生じ、イスラム過激派IS(イスラム国)が犯行声明を出した。このテロはプーチン大統領の顔に泥を塗るため、厳密に日時を決めて実行している。大統領選挙後の初の週末には各地で官製の大々的な祝賀行事が予定されていたが、この時はまだ犯人が捕まる前で、祝賀行事は全て中止になった。プーチンは、当初はISではなく、ウクライナと結びつけて非難した。やがてISの行為と認めたが、ウクライナとの結びつきを強調している。プーチンを支持するロシアのメディアも「ウクライナのナチたちは、長年にわたりイスラム過激派と強い結びつきをもち……現在、キエフ政権側についてウクライナで戦っている2つのチェチェン部隊(チェチェン独立派のイスラム過激派)は……」とも述べた(『コムソモルスカヤ・プラウダ』2024.3.26)。
 ここで想起されるのは、2002年10月にモスクワの劇場でチェチェン独立派が起こしたテロ事件で、露特務部隊が特殊ガスを使い、観客を含め約130名死亡、その内約40名がチェチェン過激派だった(観客の死者100名以上との説もあり)。これを機にプーチンは国内統制を強化した。さらに2004年9月にはS・バサエフ指導下のチェチェン独立過激派が北オセチアのベスランで学校占拠事件を起こし、やはり露特務部隊出動で386人が死亡した(内186人が学校生徒)。今回のテロと関連してベスラン事件で注目されるのは、事件後にプーチンが「垂直統治」の強化政策を打ち出したことだ。こんにちもその懸念があるが、それを述べる前に、「チェチェン問題がプーチン大統領を生んだ」という事実を指摘する。
 1999年8月にエリツィン大統領により全く無名のプーチンが首相に指名された。彼を一躍有名にしたのは、首相指名直後のチェチェン独立派への残虐な弾圧だ(第2次チェチェン紛争)。その年の大晦日にエリツィンは突然辞任し、憲法に従い首相プーチンが大統領代行となり、3月の大統領選挙で彼が当選した。その時の得票率は露の大統領選挙としては最低の52.9%だった。つまり、チェチェン独立派への残虐な対応がプーチン大統領を生み、北オセチアでのチェチェン過激派テロ事件が、その後の「垂直統治」すなわち強権体制を強めたのだ。ISが結成された2010年代に、過激派としてのチェチェン独立派が約4百名~2千名がISに入ったとも言われている。ISはシリア、イラクを中心に活動していたが、シリアでの露軍の空爆や米軍の圧力で抑えられ、現在はタリバン支配のアフガニスタンに本拠地を置き、隣国タジキスタンなど世界で活動している。今回のモスクワ郊外のテロ事件の犯人数人がすぐ捕まり、タジク国籍のISとされているが、パスポートの住居には別のタジク人が住んでいるとの情報もあり、チェチェン過激派が関係している可能性もある。
 現在最も懸念されることは、今回のテロ事件を口実に、2004年以上に、プーチンが強権主義と対ウクライナ攻撃姿勢を強めることだ。紹介した露メディアなどがすでに、その方向性を明確に示している。したがって露国民の多くも、このようなメディアに煽られて、プーチンのいっそうの独裁化とウクライナへの攻撃強化を支持する可能性も否定できない。

2、大統領選挙について

3月15日(金)、16日(土)、17日(日)に予定通り大統領選挙が行われた。プーチンの得票率は87.3%、投票率は77.4%と公表された。これまでの大統領選挙は日曜日に1日だけ行われていたが、今回はその前の2日も投票日とされた。明らかに投票率を上げるためだ。今回の大統領選挙の一つの目標は、プーチンとして過去最高の得票率と投票率を示すことだった。これまでの最高の得票率は前回(18年)の76.7%、彼が立候補した大統領選挙で、公表された過去最高の投票率は、一回目2000年の68.7%だ。今回は得票率、投票率を各80%、70%以上にしたかった。結果的には、87.3、77.4%と公表された。
 この事が示しているのは、露の選挙は、必ずしも各地の選挙管理委員会が勝手に操作している訳ではないということだ。しかし不審点もある。例えば、独裁的なチェチェン共和国では、投票率が97.06%と公表された。これは自由投票でないことを示している。また、今回初めて電子投票が導入されたが、その公正性は簡単にはチェックできない。さらに投票したとされた名簿に死者の名もあったと各地で報じられた。この投票率に関連した辛辣なアネクドート(小話)がある。露語のアネクドート専門サイトから幾つか紹介する。
●国民の投票率が77%に達する場合は、それは自由国家ではなく、独裁国家・強制収容所の国だということだ。
   ※R・カディロフ首長の独裁的チェチェン共和国の投票率はは97.06%。
●今回の大統領選挙で初めて電子投票システムが導入された。選挙が近づき、そのシステムのテストが行われた。テストは大成功だった。ロシアの2億人が投票したからだ。
   ※ロシアの有権者数は1億1,230万人
●バーチャルな電子投票の後には、バーチャルな「大勝利」がやってくる。
●ゴーゴリの作品『死せる魂』の「現代映画」版の主題は――亡くなった農奴の戸籍を買い漁って一儲けしようとした主人公チチコフのように――映画の主人公も亡くなった人々の戸籍を、電子投票の主催者に売りつける、というものだ。
●なぜ最初に選挙を行い、次に国勢調査を行うのか?それを逆にすべきではないのか?
   ※国勢調査を先に行うと、選挙前に死者が判明してしまう。
●死者にも投票権があるのなら、彼らにも、自分の好きな人に投票する権利はあるはずだ。
●「あなたは投票に行くべきです。国の状況を変える絶好のチャンスです。」
「私の推す候補者はみな投獄されているか、立候補を無効とされています。」
 大統領選挙の得票率に関しても、プーチンは過去最高の得票率87.3%と公表された。これに関して一般国民向けの露紙は次のように述べている。
 「『ロシアとは私のことだ』――今回の大統領選挙の結果を受けて、プーチン氏はこのような発言をする完全な道徳的・政治的権利を得た。国際関係に関連しても次のように述べている。『国際法に基づく世界』と名付けられた米国の覇権、すなわちワシントンで恣意的に考案され、恣意的に実行された(或いは実行しそこねた)米国の覇権に挑戦したのである。対露制裁はは無駄に終わった。西側はまた露の一般国民と指導部との間に分裂を引き起こそうとした。国内の分裂の可能性については、現大統領に対する87%の支持が、すべてを物語っている。」(『コムソモリスカヤ・プラウダ』2024.3.19)
 これは事実上プーチンの独裁制、皇帝化を認める言葉だ。先に紹介した体制批判的アネクドートは少数派知識人のものだが、一般国民は、このようなメディアの影響下にある。