公益財団法人日本国際フォーラム

今年も2月7日に「北方領土の日」を迎えた。2022年2月の露のウクライナ侵略後のG7を始めとする欧米諸国や日本の対露制裁への対抗措置として、露はわが国に対しては、平和条約交渉やビザ無し交流などを2022年3月に拒否した。このような状況下で日本として北方領土問題にどう対応すべきか。さらには、竹島問題とか尖閣問題などの国家主権侵害に関わる領土問題一般に対して、今後わが国民や政府は、如何に対応すべきかについて、この場で簡単に述べておきたい。

◆先ず、わが国の領土に対する不法占領問題は、その領土に直接関係している都道府県(北方領土は北海道、竹島は島根県、尖閣諸島は沖縄県)の問題とか、その領土にかつて住んでいた元住民の問題である前に、「国家主権の侵害」という観点から、全国民とわが国政府が真剣に対応すべき問題である。
 この観点からすると、2月7日の岸田首相の次の言葉自体は正しい。
「北方領土問題は国民全体の問題であり、国民一人一人が、この問題への関心と理解を深め、政府と国民が一丸となって取り組むことが不可欠です。また、同時に、我が国の立場が国際社会において正しく理解されることも重要です。」

◆しかしその前の段落で、岸田首相は次のように述べている。
「北方墓参を始めとした四島交流等事業の再開は、日露関係における最優先事項の一つです。御高齢となられた元島民の方々の切実なるお気持ちに何とか応えたいとの強い思いをもって、ロシア側に対し、今は特に北方墓参に重点を置いて、事業の再開を引き続き求めてまいります。」
 筆者は、これは明らかに前項と前後が逆になっている、と考えている。平均年齢が88歳にもなる元島民が4島の返還を最も強く望んでいることはもちろん理解できる。また経済的にも、根室を中心とする北海道や、北方4島周辺で漁業を営んでいる人たちが最も強い利害関係を持っていることも、わが国では周知のことだ。しかし、北方領土問題は第一義的には、「日本国民と政府の、国家主権侵害に対する対応の問題」であり、国民や政府が元島民や漁業関係者などを支援する問題ではない。

◆この事を述べれば、この記事を書いている2月22日、つまり本日の「竹島の日」が、2005年に日本国政府ではなく島根県の条例で定められている――1905年2月22日に竹島が島根県に編入されて100周年になるがゆえに――ことも、島根県が毎年式典への首相や閣僚の参加を求めているにも拘わらず、政府からの最高位の出席者が平沼正二朗内閣府政務次官というのも、きわめて不条理なことだとお解りであろう。竹島の問題も、第一義的には日本の国家主権侵害の問題であり、「島根県の問題」ではないからだ。韓国の今の親日的な尹錫悦大統領に突き付けるのは外交的に適当ではないにしても、これは、文在寅やそれ以前の大統領の時からの問題であり、わが国は長年、適切な対応をしてこなかった。
 同様に尖閣諸島問題は、第一義的には、沖縄県の問題とかその海域の漁業関係者の問題ではない。明治時代に日本政府の許可を得て一時日本の漁民や羽毛採集の人々が住んでいた。ただ、長年無人島の尖閣諸島に関しては、今日生存している元島民がいない。ではそのことからして、尖閣問題は北方領土問題とは本質的に異なる次元の問題だと言えるのか。
 尖閣問題を足掛かりに、中国が将来沖縄併合に動く可能性は無いとは言えない。もし、そのような深刻な事態が生じた時、それに対応するのは、一義的には沖縄県や沖縄県人、沖縄元住民たちだと言えるのか。日本政府や日本国民は、単に沖縄県やその住民・元住民を助けるために、この問題に対応するのか。

◆前述のように岸田首相は、「わが国の立場が国際社会において正しく理解されることも重要です」と述べている。また、首相は2月7日に「ロシアによるウクライナ侵略によって日露関係は厳しい状況にありますが、政府として、領土問題を解決し、平和条約を締結するという方針を堅持してまいります」とも述べている。ウクライナ問題と日本の関係についての、岸田首相の認識を検討してみたい。
 私が一番述べたいことは、首相の述べる「わが国の国際的立場が正しく理解される」ためには、日本が他国の問題を国際的に正しく理解することが前提となる、ということだ。
 ウクライナ議会は、露がウクライナへの「特別軍事作戦」を開始した約半年後の2022年10月7日に、「北方領土問題は、露によって占領された日本の領土だと確認する」決議を採択した。
 2014年3月にクリミアが露によって事実上軍事力で併合された。露に領土を不法占拠されたという意味で、日本の国会が「クリミア問題は、露によって不法に占領された日本の北方領土問題と同じだ」との決議を出すべきだったのではないか。

◆しかし日本は、2016年5月に、クリミア半島の近くのソチで日露首脳会談を持ち、対露8項目の経済その他の協力提案を表明した。2022年2月のウクライナに対する露の侵略後は、日本は露との関係では「領土を不法占領」されているという意味で、G7の中ではウクライナと最も近い関係にある。にもかかわらず日本の国会は、ウクライナ国会と同様の決議は出していない。逆に露に対して、経済協力推進の姿勢を示した。
 岸田首相のウクライナに関する言葉は、「露によって日本はG7の一員として対露制裁強化を余儀なくされているが、平和条約締結の方針は堅持する」と聞こえる。つまり、ウクライナ問題の深刻化は日本の対露政策推進にとって迷惑だ、と言わんばかりに聞こえる。

◆首相は、「領土問題を解決し、平和条約を締結するといいう方針は堅持する」と述べた。プーチンは2005年9月以来、日露間における領土問題の存在自体を否定している。その意味では、この発言は明確なプーチン批判とも聞こえる。
 ただ首相は外相時代には一貫して「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」と主張して来た。プーチンも東京宣言のこの文言は、2001年の森元首相との「イルクーツク声明」でも、2003年の小泉首相との「日露行動計画」でも認めていた。すなわち、「4島の帰属問題」が未定だとの認識をプーチンは有していた。その後、その認識を彼が否定したことは、「歴史の偽造」として日本政府からも識者からも批判されるべきだ。
 「4島の帰属問題の解決」は「4島返還問題の解決」ではない。つまり日本側にもリスクのあるニュートラルな表現だ。だからこそ、露側も平和条約交渉の基礎として承認した。
 歯舞、色丹の2島引き渡しにしか触れていない56年の日ソ共同宣言を基礎にする交渉は受け入れない、との日本側の強い意思表明と長年の交渉の結果が実って東京宣言となった。これを今になって「4島の帰属問題の解決」を「領土問題の解決」と言い換えたら、プーチンも認めていた「2島ではなく4島の帰属が未解決」という東京宣言の最重要の合意を日本側から放棄することにならないか。

◆北方領土問題は、プーチン政権下では、日本がどのような経済協力をしても解決しない。ただ、露の不法性に対する批判は、数十年でも百年でも続けないと、日本は国際的に主権も国家としての尊厳も失う。不法に占領された領土を実効支配している国に対しては、被占領国は抗議をし続けないと、結果的に実行支配を認める、つまり相手国の領土だと認めることになる。世界には、何百年も領土紛争が続いた例もある。

◆本報告の【資料】篇に紹介しているが、メドベジェフ元露大統領の日本人に対する常軌を逸する侮蔑的な発言は、プーチンの対日認識、対日感情とさして変わらない。それは、国の主権問題に対して、わが国が毅然とした態度を示してこなかった結果でもある。国家主権の侵害に対する対応は、単に日常生活とは関係のない幾つかの小さな島の領有問題への対応ではなく、メドベジェフ発言にも反映している、国や国民の尊厳にかかわる問題だ。
 それはまた、単に「国家」の問題ではなく、それぞれの国の人々の、自らの国の伝統や歴史、文化、郷土、またそれらと結びついた肉親や身近な人々と関連するアイデンティティの問題でもある。
 その面でリアリティのある教育や文化、生活様式が失われると、「国のためには戦わない」「国家主権など私とは無関係」「戦争になったら私は逃げる」という人々が大部分(約87%)という今日の状況が生まれる。調査された79カ国中、最も多い。現在問われているのは、わが国のこの状況である。