はじめに
本稿は、日本国際フォーラムの研究会「中露の勢力圏構想の行方と日本の対応―中央アジア・コーカサス・大洋州・グローバルサウスの含意―」の令和5年度会合での討論における筆者の発言を踏まえ、中国の勢力圏競争における太平洋島嶼地域の位置づけと動向につて考察したコメンタリーである。
本研究会の令和7年度に向けた最終的な目的は、中央アジア・コーカサス・大洋州の各地域動向を分析する過程において、中露接近がもたらすリスクとオポチュニティの両面を再評価したうえで、日本の強み・弱みを把握しつつ、日本の総合力確保に向けた課題と展望を模索することにある。こうした最終年度の目的を念頭におきつつ、中国の外交と国際関係を研究している筆者は、本研究会初年度の令和5年度、中国の勢力圏競争における大洋州島嶼国地域の位置づけと現状を考察した。
大洋州島嶼国地域の諸国は、米豪・中国の勢力圏構想のなかで、日本に対する姿勢が国やサブリージョンによって大きく異なる。例えば、1997年以来3年毎に日本で開催されてきた日本と南太平洋の18の国・地域から成る「太平洋・島サミット」(Pacific Islands Leaders Meeting:PALM)第10回会合が2024年7月に東京で開かれるのに先立ち、PALM準備会合が2月12日にフィジーで開かれ、ルールに基づく国際秩序を堅持することの重要性などを確認した。この準備会議に日本以外で外相が参加したのは、グスタフ・アイタロー(Gustav Aitaro)外務大臣が出席したパラオなどの6か国にとどまり、近年急速に中国との関係を深化させているソロモン諸島からは体調不良で欠席したジャーマイア・マネレ(Jeremiah Manele)外務大臣に代わりコリン・ベック(Colin Beck)外務次官が参加した。キリバスからはトゥカブ・タウワティ在フィジー高等弁務官臨時代理大使が参加した。このように日本に対して温度差のある三カ国――パラオ、キリバス、ソロモン諸島――を本稿は考察の対象とする。
本稿では以下の構成で論じる。前半の第1節で、日本の国益に重要な九州・パラオ海嶺の延長大陸棚問題をめぐる中国の動向と含意を検討し、日本にとっての中国リスクを論じる。後半の第2節では、米豪と中国の間での勢力圏競争において重要なキリバスとソロモン諸島をめぐる中国の動向を考察し、米豪にとっての中国リスクについて論じる。
1.九州・パラオ海嶺をめぐる中国リスク:第2列島線の攻防
海洋大国である日本には、広大な領海・排他的経済水域・大陸棚がある。日本の資源安全保障にとっても、また、台湾・フィリピン海周辺の地域安全保障にとっても、大洋州島嶼国地域における重要問題として真っ先に挙げられる一つは、九州・パラオ海嶺の延長大陸棚をめぐる中国リスクである。
◆ 第2列島線上に位置するパラオ
大洋州はミクロネシア、メラネシア、ポリネシア、オーストラリア、ニュージーランドに大別される。ミクロネシアの最西端に位置するパラオ共和国は、中国が国防ラインとする第2列島線上に位置する。第2列島線の周辺海域には、アメリカと「自由連合盟約」(Compact of Free Association:COFA)を結ぶパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島がある。COFAは、アメリカが防衛面で全面的に管轄する責任を担い経済的援助を行う代わりに、同地域への独占的アクセスをアメリカが確保する取り決めである。
第2列島線は日本の伊豆諸島からグアム・サイパン、パプアニューギニアを至る。その内側の第1列島線は、九州沖から沖縄、台湾、フィリピンを結び南シナ海に至る防衛最低ラインとされている。中国は米軍が第2列島線内に入って行動することを阻止し、第1列島線内での米軍の行動を抑える作戦を立てている。アメリカ側のことばで言い換えれば、いわゆる「接近阻止・領域拒否」(Anti-Access/Area Denial:A2AD)のラインである。つまり、中国にとって、パラオ共和国などを含むミクロネシア地域は、東シナ海及び南シナ海における有事の際に、中国軍が米軍の増援を阻止・妨害するための地区である。
この文脈から考えると、パラオ周辺における中国の海洋調査船「大洋号」や退役軍人・漁民などが構成する準軍事組織「海上民兵」には、海洋資源獲得のための経済的な活動以外にも任務があると言えるであろう。中国の海洋調査船条例第1条は「国家海洋局の海洋調査船は海洋調査研究を主な任務とし、国家の経済建設、防衛建設、外交業務に直接貢献するという輝かしい任務を担っている」と規定している。すなわち、中国の調査船「大洋号」には軍民融合の任務がある。中国は平時と有事における民間資源の軍事利用によって国防動員体制を整備してきている。2017年の中央軍民融合発展委員会の第1回会議などにおいても、中国の習近平国家主席は、軍民融合の重点分野の一つとして海洋における取組を強調している[1]。
パラオ政府から事前の許可を得ないまま、中国船がたびたびパラオの排他的経済水域(Exclusive Economic Zone:EEZ)に進入し、船からワイヤーのようなものを海中に投入して調査とみられる活動を行っていることが確認されている。こうした状況を受けて、2023年6月には、パラオのスランゲル・S・ウィップス・ジュニア(Surangel S. Whipps, Jr.)大統領がアメリカ政府に対して、既存の沿岸警備隊や民間活動チームによるパトロール活動の強化を求めるとともに、米軍駐留の歓迎を公表した。この件について、中国外交部の報道官は定例記者会見で、中国船舶が関連海域に避難しただけであり、海上偵察や調査活動を行っていないと説明した[2]。しかし、中国船上の人物達が海中に装置を投入しているとみられる画像が世界の多くのメディアで報道されている。
九州・パラオ海嶺における中国の活動は、海底資源の探査だけではない。第2列島線上にある同海域における中国の潜水艦運用に必要な海底地形や深度、潮流といったデータを収集しているとみられている。また、中国の衛星観測船「遠望」の航行がパラオのEEZで何度も確認されている。アメリカ国防総省は中国の衛星観測船「遠望」が軍の戦略支援部隊の指揮下で運用され、人工衛星だけでなく長距離ミサイルも追跡できるとしていることから、米軍の動向を監視しているとみられる。宇宙・サイバー・電子戦などを担当している「戦略支援部隊」は、宇宙戦を含む情報戦が中国から遠く離れた場所で遂行されることに関連して従来とは異なるタイプの組織が必要となったことで2015年12月末に新設された組織であり、中国が情報化局地戦争に勝利するための統合作戦能力を向上させる中心的な役割を果たすとされている組織である[3]。
さらに、アジアとアメリカを結ぶ大容量光海底ケーブルがこの海域にあることにも注視しなければならない。海底ケーブルは情報遮断やハッキングに使われる虞がある。同地域における海底ケーブルの重要性は、日米豪の「インド太平洋におけるインフラ投資に関するパートナーシップ」の下で実施される最初のプロジェクトとして、また「自由で開かれたインド太平洋」を推進する日米豪による「象徴的なプロジェクト」として実施されていることにも示されている。同プロジェクトによって、アメリカ・シンガポール間に新設される海底ケーブルシステム本線から、パラオまでの新たな海底ケーブルが支線として敷設される[4]。アジア開発銀行の資金が活用されるこのプロジェクトでは、日本で唯一深海8,000mの水圧に耐えられる光海底ケーブルの製造が可能なNECの子会社であるOCCが、NEC担当部分の製造を担当している[5]。
◆ 延長大陸棚と主権的権利
中国は自国の権益を国際法遵守よりも優先させている。中国が主張している権益が認められない多くのケースでは、中国は国際法を蔑ろにしている。2016年に国連海洋法条約に基づき仲裁裁判所が南シナ海のほぼ全域の主権を訴えた中国の主張を退けた際、中国高官は国際法を「紙屑」と呼んだ。その一方で、日本が延長大陸棚の海底資源に対して行使できる主権的権利(探査、開発、採取の優先権)を妨げ中国の権益を拡大しようと試みる手段としては、国連海洋法条約(United Nations Convention on the Law of the Sea :UNCLOS)を利用しようとしている。
UNCLOS76条は、沿岸国の領海を越える海面下の区域の海底及びその下にあり、領海の基線から200海里までの海底とその下を、その沿岸国の「大陸棚」と規定している。またUNCLOS76条は、大陸縁辺部が200海里を超えて延びている場合、大陸棚限界委員会(Commission on the Limits of the Continental Shelf:CLCS)が国連海洋法条約の関連規定及び大陸棚限界委員会が採択した「科学的・技術的ガイドライン」に従って沿岸国が提出した情報を検討し、大陸縁辺部が地形的・地質的に繋がっていると勧告を行えば、沿岸国は延長大陸棚を設定することができることを規定している。沿岸国がその勧告に基づいて設定した大陸棚の限界は、最終的なものとされ、かつ、拘束力を有する。
また、UNCLOS77条は、沿岸国が大陸棚を探査し及びその天然資源(鉱物その他の非生物資源並びに定着性の種族に属する生物)を開発するための大陸棚に対する「主権的権利」を認めている。UNCLOS 77条2項では、沿岸国が大陸棚を探査せず又はその天然資源を開発しない場合においても、当該沿岸国の明示の同意なしにそのような活動を行うことができないという意味において「排他的である」ことを規定している。
◆ 日本の延長大陸棚申請に対するCLCS勧告先送りとパラオ側からの延長申請
日本政府は2008年11月に太平洋の7つの海域で大陸棚の延長を申請し、2012年4月に日本の国土面積の8割強に相当する約31万平方キロメートルの延長大陸棚が認められた(※ 2023年12月22日には、レアメタルが期待される小笠原諸島父島東方の小笠原海台海域の大部分にあたる約12万平方キロメートルが日本の大陸棚と定められることを、岸田文雄首相が総合海洋政策本部会合で明らかにしている)。日本が延長大陸棚を申請した海域のうち、沖ノ鳥島を基点とした部分を含むのが九州・パラオ海嶺南部海域と四国海盆海域の2海域であった。フィリピン海の北部に位置する四国海盆海域についてはほとんどが認められたが、パラオから沖ノ鳥島を経て九州の日向灘沖まで約2,600kmにわたり南北に連なる九州・パラオ海嶺については、中国と韓国が沖ノ鳥島を「島」とは言えないと反発したことによって、CLCSの勧告は先送りされた。そこで、2017年にパラオ側が同じエリアを再申請し、日本もこれを支持している。
◆ 中国船による違法調査と地質的つながりを否定する論文の発表
フィリピン海プレートの形成年代の調査によって九州・パラオ海嶺は伊豆・小笠原・マリアナ島弧がかつては一体であり、約3,000万~1,500万年前に分断されたことがわかっている[6]。また、海上保安庁海洋情報部をはじめとする日本の諸機関が、九州・パラオ海嶺下の速度構造は海嶺軸に沿って北から南へと大きく変化するものの、共通して海嶺の東側の四国海盆・パレスベラ海盆や西側の西フィリピン海盆の海洋地殻よりも海嶺の高まりの下では厚い島弧地殻を持つことを科学的に明示している[7]。
にもかかわらず、近年、中国は日本のEEZにおいて日本の許可を得ないまま最新機器を用いて広範囲で調査を実施し(※ 沿岸国から許可を得ない調査はUNCLOSに違反する行為)、九州・パラオ海嶺南部の速度構造が隣接する西フィリピン盆地およびパレセ ベラ盆地の構造と類似しており、島弧地殻ではなく典型的な海洋地殻であるとして、九州・パラオ海嶺の地形的・地質的な繋がりを否定する論文の発表を続けている[8]。
◆ パラオ案件で「中国の国策に貢献」する中国人CLCS副委員長
CLCSは、「個人の資格」で選ばれた地質学、地球物理学、水路学の専門家委員から構成される。CLCS委員の任期は5年で、UNCLOS締約国会議における選挙で選出される。2023~2028年のCLCSでは、委員長をボルトガルのAldino Campos氏が、副委員長をブラジルのAntonio Fernando Garcez Faria氏、ケニアのSimon Njuguna氏、中国のYong Tang(唐勇)氏が務めている[9]。日本からは、2017年以降委員に選出されている山崎俊嗣東京大学大気海洋研究所教授・外務省参与が、2022年にも委員に再選されている。
CLCSの委員は「個人の資格」で職務を遂行することになっているものの、中国から指名されて選出されてパラオ案件の小委員会で副委員長として活動している唐勇氏は、中国の国家重点研究開発プログラムに基づくさまざまなプロジェクトのリーダーを務め、中国の国策に貢献してきた有名な人物である。中国調査船「大洋号」の調査で沖ノ鳥島を基点とする日本のEEZなどを20年以上研究してきた唐勇氏は、沖の鳥島を島ではないと数々の著書や論文で否定するとともに、日本のEEZにおける日本政府からの許可を得ない状況下で「大洋号」による調査を実施してきた。唐氏は、九州・パラオ海嶺南部の地殻構造や特質について、海底地震計で記録した深部反射/屈折地震データを使用しながら、九州・パラオ海嶺に沿ったP 波速度モデルを構築して、伊豆―小笠原―マリアナ島弧(=フィリピン海と太平洋の境界をなす島弧)の弧と比較し、九州・パラオ海嶺の地殻構造を「島弧地殻はなく海洋地殻である」と主張する論文の発表を続けている[10]。
海洋物理学者の唐勇氏は、上海交通大学と浙江大学で教授・博士指導教員、自然資源部第二海洋研究所のEEZ・大陸棚研究センター所長などを歴任してきた。延長大陸棚の外側境界の描写について研究を続けてきた唐氏は、大陸棚外周の描写に関連するいくつもの特許とソフトウェアの著作権を所有している。また、中国海洋研究プロジェクトで2桁にのぼる遠征にも参加してきた。中国の国策と密接な関係を持つプロジェクトに関わってきた唐氏は、2019年にCLCSのメンバーに選出されて以来、小委員会の副委員長として、パラオやインドがそれぞれ提出した案件の検討に参加してきている[11]。
九州・パラオ海嶺の延長大陸棚の勧告を阻止しようとする中国の活動が続いているなかで2022年6月15日に開催されたUNCLOS第32回締約国会議において、「中国の候補者」である唐氏が、2023~2028年のCLCSの委員に再選された。唐氏再選翌日の定例記者会見で、中国外交部の汪文斌報道官は、「CLCSはUNCLOSに基づいて設置され、沿岸海外大陸棚提案の審査を担当しており、中国は常にCLCSの活動を重視し、強力に支援している」「中国人メンバーがCLCSの活動にさらに積極的に貢献してくれると確信している」と述べている[12]。この外交部による「CLCSの活動にさらに積極的に貢献」ということばから、九州・パラオ海嶺の延長大陸棚についてのCLCSにおける勧告を阻止しようとしているという含意を読み取ることができるであろう。
2.ソロモン・キリバスをめぐる中国リスク:第3列島線の攻防
◆ 「第3列島線」をめぐる攻防で中国が重視するソロモン諸島とキリバス共和国
中国は海洋への野心を剥き出しにしている[13]。中国は経済力と浚渫船で大洋州の「第3列島線」でプレゼンスを大きくしている。
アリューシャン列島、ハワイ、南太平洋の米領サモアを経てニュージーランドに至る中国にとっての防衛ライン、すなわち米軍のインド太平洋軍総司令部のあるハワイを見据える軍事ラインは、「第3列島線」と呼ばれている。この「第3列島線」をめぐる攻防が展開されているのが大洋州である。大洋州島嶼国の国土面積は世界全体の0.4%でしかないが、そのEEZの面積では世界の13%を占めている。中国の高官やメディアは、「アメリカが冷戦思考で地政学的戦略の巨大なチェス盤でゲームを行い、世界を分断と対立へ追いやっている」と繰り返し発信している。しかし、このことばとは裏腹に、現在、中国こそがこの地域における勢力圏競争へ攻勢をかけている。
経済基盤が脆弱な大洋州の島嶼国地域では、国際社会からの開発援助が大きな役割を果たしている。そのなかでも米中間の陣地取り攻防で中国が地政学的に特に重視しているのは、メラネシアのソロモン諸島とミクロネシアのキリバス共和国である。戦略的要衝に位置する両国は、国連によって「特に開発の遅れた国々」すなわち「後発開発途上国」(Least Developed Countries:LDC)と認定されている(ソロモン諸島は2024年に卒業予定)[14]。また同時に、地球温暖化による海面上昇の被害を受けやすく、島国固有の問題(少人口、遠隔性、自然災害など)による脆弱性のために、持続可能な開発が困難とされる小さな島で国土が構成される開発途上国、すなわち「小島嶼開発途上国」(Small Island Developing States :SIDS)のリストに国連が載せた国でもある[15]。
オーストラリアのローウィー国際政策研究所(Lowy Institute)は、大洋州島嶼国への経済援助に関する報告書(Pacific Aid Map)を2018年以降毎年刊行している。2022年10月に公表された2023年版の報告書は、中国が大洋州島嶼国のなかでソロモン諸島とキリバスに重点的に資金を拠出していることを指摘している。2021年に中国が実施した島嶼国地域への援助総額は、世界の国・国際機関による援助全体の6%であったものの、中国からソロモン諸島へは10%、中国からキリバスへは16%と高かった[16]。中国から島嶼国地域への援助が2016年のピーク以降減少しているにもかかわらず、中国が戦略的要衝であるソロモンとキリバスを重視し、重点的に援助していることがうかがえる。
大洋州島嶼諸国が国際社会からの融資への依存度を高めている一方で、同地域おいては、無償資金による支援が減少し、ODF(その他政府資金協力)が伸びている。ローウィー国際政策研究所が2024年1月に公表した報告書によれば、2008~2021年の大洋州島嶼国地域に対するインフラ建設支援における上位ドナーのシェアは、アジア開発銀行が24.0%、中国が19.2%、オーストラリアが16.6%、日本が15.5%、世界銀行が7.5%であった[17]。インフラ建設支援の1/5を中国資金が占めている。しかし、インフラ建設を除く気候変動プロジェクトでの中国プレゼンスは大きくない。中国は二国間支援ではインフラ建設に的を絞って効果的な資金を投入していると言える。
〈1〉キリバス共和国
◆ 「宇宙監視」で戦略的に位置づけられるキリバスの「奪回」
キリバス共和国は南太平洋の赤道付近に浮かぶ33の島から成る小さな国で、その面積は対馬とほぼ同じ720平方キロメートルしかない。しかし、キリバスは、ギルバート諸島、フェニックス諸島、ライン諸島という3つの異なる島嶼群から成り立っており、それぞれが広大なEEZを有し、約335万平方キロメートルに及ぶ世界第3位の広大なEEZを有している[18]。人口の約半分が首都タラワのある南タラワ島に住んでいる。 マグロやカツオをはじめとする多くの回遊魚の資源が豊富で、主な輸出品は水産物である。しかし、気候変動と海面上昇によって海岸線が削られ、低地の住人の多くが今世紀中に移住を迫られていると世界銀行が警告している。2015年には気候変動を理由にキリバス人がニュージーランドへ難民申請をしたこともあった(申請は却下された)。そうした浸水の大きな危機に晒されているキリバスでは、2つの主要港の海底の埋め立てと拡張開発を含む大規模な浚渫プロジェクトを中国から提案されている。
2022年にForbesが「キリバスと中国の関係は寿司とアメリカの安全保障を脅かす」と警鐘を鳴らした[19]ように、キリバスの対中国外交の転換は、地政学においても漁業においても大きなインパクトをもたらす出来事であった。
赤道と子午線の両方が通るキリバスは、東西南北の四半球に島々が所在する世界唯一の国である。赤道直下にあるキリバスの位置は、中国の宇宙戦略において大きな意味を持つことになる。衛星やロケットなどの打ち上げ場所が赤道に近ければ近いほど軌道傾斜角が小さくなり、多くのエネルギーを必要とする軌道面変更の制御が必要なくなるからである。重い衛星やロケットを軌道に打ち上げる場合、赤道付近から打ち上げることが望ましい。また、衛星やロケットを赤道付近から打ち上げれば、地球の自転速度を最大限利用することができる。つまり、中国にとって、キリバスを自らの勢力圏に引き入れたことは、中国の宇宙活動に大きなメリットをもたらすことになったのである。
中国は1980年6月25日にキリバスと国交を樹立し、1997年以来、首都タラワに宇宙監視基地(「宇宙追跡基地」「衛星監視基地」とも報じられている)を設けていた。キリバスのタラワから、アメリカのミサイル防衛と宇宙開発の研究施設として使われている「ロナルド・レーガン弾道ミサイル防衛試験場」(「レーガン試験場」「クェゼリン射場」としても知られる)があるマーシャル諸島クェゼリン環礁までは、1,000キロメートルほどである。2003年10月に中国が初の有人宇宙船の打ち上げに成功した際には、中国はこのタラワの宇宙監視基地を使っていた。しかし、同年7月の大統領選挙戦中に、キリバスが中国へ貸与している宇宙監視基地の見直しを掲げて「適切な時期に適切な行動を取る」と訴えていたアノテ・トン(Anote Tong)氏が当選したことで、中国とキリバスの関係は一転した。中国からの経済支援が少ないとの不満を理由にアノテ・トン政権が台湾との外交関係を樹立する[20]と、それに反発した中国政府が2003年11月29日にキリバスとの国交停止を発表した。この「断交」によってタラワの宇宙監視基地は封鎖されることになった[21]。しかし、中国は大洋州島嶼国に対する外交を2006年頃から活発に展開し、2016年1月に就任したターネス・マーマウ(Taneti Maamau)大統領が2019年9月に台湾と断交して中国との国交を正常化させた。
この中国側のキリバス「奪回」により、中国が米軍のミサイル基地や潜水艦の動きを監視するために、キリバスの宇宙監視基地を再稼働させたり、情報通信施設を整備したり、キリバスを中国艦船の補給基地としようとしているとの見方もある。キリバスのクリスマス島は、米軍のインド太平洋軍司令部があるハワイのオアフ島から約2,000キロメートルの距離にある。両地点の距離は遠いものの、広大な太平洋における米軍の展開を追跡監視するには独特な地理的位置の利点があるとも言われている[22]。
◆ 気候変動対策支援という名目での「固定空母」造設に鳴らされている警鐘
中国がキリバスを軍事的に運用するかもしれないという具体的な道筋については、まだ不透明ではある。しかし、「海洋強国」を目指す中国が日本近海を始め世界の海洋でプレゼンスを高めている主役は、海軍ではない。それは浚渫船と調査船である。世界最大となった中国の浚渫産業は、中国の勢力圏拡大の重要な政治的道具になっている。
キリバスの海抜の平均は2mと低いため、2016~2036年を対象期間とするキリバスの長期開発ビジョンの「キリバス20年ビジョン」では、地球温暖化による海面上昇の脆弱性への対応として、タラワ(東端のテマイク、ビケニベウ、バイリキ、ベティオ、ラグーン)とキリティマティ(「クリスマス島」としても知られている)、タブアエラ、テライナなどの土地利用計画を策定し、土地埋め立てによる嵩上げや、2036年までに767エーカーの土地を開発することも盛り込まれている[23]。キリバスの水没防止のために人工島の建設を推進し、産業発展のために国際ハブ港を建設するという「キリバス20年ビジョン」を実施するために、キリバスのマーマウ政権が手を組むことにしたのが、中国である。
中国の浚渫船は、南シナ海の満潮時に水面下にある小さな岩礁を海底から吸い上げた砂で埋め立て、巨大な軍事要塞の人工島に作り上げてきた。中国の浚渫や造設の能力は、海面上昇などの気候変動の被害に晒され、何もしなければ水没の危機が指摘されているキリバスにとっては、魅力的な存在に見えると推測できよう。
2020年1月には、キリバスのマーマウ大統領が訪中し、両国は「一帯一路共同建設覚書」などの文書に署名して、「一帯一路」構想と「キリバス20年ビジョン」を連携させる指針を示した。また、両国は経済・貿易・農業・漁業・インフラ分野で協力と交流を強化し、持続可能な発展と繁栄を共に実現することでも合意した[24]。「キリバス20年ビジョン」の土地計画は、商業・産業の発展を目的にしていると明記しているものの、気候変動への適応策としての大規模な埋め立てを意味する「環礁の隆起」を明記しれている。
この点について、オーストラリア戦略政策研究所[25]のスティーブ・レイメイカーズ(Steve Raaymakers)氏は、経済発展と気候変動への対応策での支援を名目に、中国が太平洋を横断する重要な海上交通路の支配を達成しようとしている、と指摘している。また、レイメイカーズ氏は、大規模な島の建設と積み替えハブの開発が、中国の軍事基地あるいは少なくとも当初は潜在的な軍民両用施設が太平洋の中心を横切って赤道に沿って設置される可能性を高めており、経済発展と気候変動対策への支援を名目として、キリバスが中国の事実上の「固定空母」になっていくであろうと警鐘を鳴らしている[26]。
〈2〉ソロモン諸島
◆ 地政学的要衝にあるソロモン諸島
ハワイとオーストラリアを結ぶ一直線上にあるガダルカナル島は、ソロモン諸島最大の島であり、同国の首都ホニアラがある。太平洋戦争中の「ガダルカナル島の戦い」を歴史の時間に学んできた日本人にとって、ガダルカナル島の地政学的な位置づけについては言うまでもないことであろう。
ソロモン諸島の面積は岩手県の約2倍、四国の約1.5倍に相当する約2.89万平方キロメートルであるが、そのEEZは 南太平洋では3番目に大きい135 万平方キロメートルもある[27]。この広さは、海洋大国である日本のEEZ(含:接続水域)の約405万平方キロメートル[28]の約1/3に相当する広さである。アメリカの戦略予算評価センターのトシ・ヨシハラ上席研究員は、中国の国防大学や軍事科学院などの公開論文を分析して、中国が太平洋戦争から得た教訓についての報告書(Chinese Lessons From the Pacific War: Implications for PLA Warfighting)を2023年1月に公表した。同報告書でヨシハラ氏は、「世界一流の軍隊を目指す中国」において20世紀の太平洋戦争の研究が盛んに行われており、ガダルカナルの戦いの分析から、補給面を注視し、前線基地の確立と物資運搬船の必要性などについて提言されていることを指摘している[29]。
ニュージーランド政府は2023年8月4日に公表した初の国家安全保障戦略のなかで、中国がソロモン諸島と安保協定を締結したことに触れながら、太平洋島嶼島への影響力を拡大する中国の野心に強い懸念を示し、中国による同地域における港湾や空港の開発協力が軍民共用化や将来の軍事基地化につながるかもしれないという懸念を示している[30]。
◆ 反政府抗議行動と中国企業・中国人の「保護」
地政学的な要衝にあるソロモン諸島は、1983年に台湾と国交を結んで以来、台湾からの経済支援を受けてきた。ソロモンが中国傾斜を進めたのは2019年以降である。
2019年4月24日、ソロモンにおける任期満了に伴う総選挙の結果、過去3回の首相経験を持つマナセ・ソガバレ(Manasseh Sogavare)氏が再び首相に就任した。ソガバレ首相は、就任直後に「国益に基づく対外関係の見直し」を表明するとともに、米豪日NZや台湾からの支援を訴えていた。しかし、同年9月上旬に外相を台湾に派遣したものの、外相の帰国前から「台湾は役に立たない」との認識を露わにした。ソロモン政府は同月16日に台湾と断交し、中華人民共和国との国交を回復することを発表した。同月23日には、ソロモン諸島は中華人民共和国と外交関係を樹立した。
台湾との断交と中国との国交は、6つの主要島と1,000ほどの火山島・珊瑚島から成るソロモン諸島の亀裂を深めた。国内で最も人口が多いマライタ島と政府所在地のホニアラにあるガダルカナル島の間には、深刻な社会的不安にまで発展した民族間対立があり、沈静化した現在でも反目が残っている。後者には親中湾派が多く、後者には親台湾派が多かった。そうした社会的な対立の下でソガバレ政権が台湾と断交して中国を承認したことに対して、人口の最も多いマライタ州では住民の抗議行動がおきた。2021年11月には、高い失業率や住宅難といった不平等な経済発展に不満を持つ「マライタに民主主義を」(Malaita for Democracy)と訴えるグループの抗議デモ参加者1,000人ほどが、ホニアラにある国会議事堂前に集まり、ソガバレ首相との対話を求めた。ソガバレ首相は現れず、警察に指示して催涙弾をデモに発砲させたことで、怒りを爆発させたデモ参加者の一部がチャイナタウンで略奪したり放火したりして、デモは暴動に転じた。上水道の整備されていないホニアラ郊外の集落の若者らもこの暴動に参加した。
中国はソロモン政府に中国の企業と国民を守るためにあらゆる措置を執るように求めた。ソロモン政府は、オーストラリアなどに「ソロモン警察による治安回復への支援」を要請した。それに応えたオーストラリアからは100人の警察官・兵士、パプアニューギニアからは50人の平和維持要員、フィジーからは50人の兵が派遣され、暴動は沈静化した。
責任が問われたソガバレ首相は同年12月6日に不信任案が議決にかけられ、野党指導者のマシュー・ウェール(Matthew Wale)議員がソロモン国会の予算委員会で明らかにしたところによると、議決前の11月と12月の2回に分けて、ソガバレ政権が国会議員50人中39人に中国からの資金2,090万SBDを2回配布した[31]。これにより不信任案は賛成15、反対32、棄権2で否決され、ソガバレ政権は延命した。
12月には、中国とソロモンの政府間で、中国からの警察関係者と装備品の受け入れについて合意がなされ、中国側は数カ月にわたりソロモン警察に対して暴動対策技術の訓練を行った。国際戦略研究所(IISS)の上級研究員であるユアン・グラハム(Euan Graham)博士は、彼らが任務に投入されれば、ソガバレ首相の政敵が監視や逮捕の対象となったり、中国警察の派遣部隊あるいは将来的に人民解放軍正規軍が華人系ソロモン諸島住民の保護を名目に「域外権限の範囲内」としていくようになったるするのではないか、との懸念を示した[32]。
◆ 「社会治安の維持」の名目で内政干渉の強化
こうした状況で、ソロモンのソガバレ政権は秘密裏に中国との間で安全保障協定の策定を進めていった。両国の協定締結を中国外交部が定例記者会見で認めた2022年3月の定例記者会見における説明によれば、2021年11月にソロモンの社会暴動が発生した後、中国はソロモン警察の要請に応じ、ソロモン警察に対して警察物資支援を数回提供したり、警察能力の構築強化を支援するために臨時の警察顧問団を派遣したりするなどした[33]。これらの協力措置が「両国にとって前向きな成果」をあげたことを受け、両国は安全保障協定を締結し、反中勢力と反ソガバレ勢力を封じ込めるための執行体制をソロモンに構築していったのである。
2022年3月にSNSで流出した草案段階では、同協力に関する情報は書面をもって互いの同意が得られなければ第三者に公開することはできないこと、ソロモン諸島が社会秩序の維持のために中国へ軍や警察の派遣を要請できること、中国がソロモン諸島の同意を得て船舶を寄港させたり補給できたりすること、中国のスタッフやプロジェクトを保護するために関連する権限を行使できることなどが盛り込まれていた。この協定は、ソガバレ首相が「ソロモン諸島議会に対する協定」であると述べていたが、公表はされておらず、米豪両政府は公表を求めている。その内容は、SNSで流出したものに近いと考えられている。この協定には「中国国民と企業の保護」も含まれていることが明らかにされている。
2022年5月26日、ソロモン諸島のホニアラでジャーマイア・マネレ(Jeremiah Manele)外相との共同記者会見に臨んだ王毅外交部長は、両国の安全保障協力枠組み協定が、ソロモン諸島の警察・法執行能力の向上を支援し、ソロモン諸島の社会治安の維持をサポートすると同時に、ソロモン諸島における中国国民・機関の安全を守ることを旨としている」と説明し、「中国がソロモン諸島と安全保障協力を推進するうえでの3原則」を明らかにした。その2つめの原則として、王毅外交部長は、中国とソロモン諸島の安全保障協力の目的が「ソロモン諸島側の要請に応じた、法に則った社会秩序の維持」「ソロモン諸島が警察能力の構築を強化し、安全保障ガバナンスの不足を補い、国内の安定と長期的平和を維持することを支援すること」であると明らかにした[34]。
2022年11月2日にオーストラリア連邦警察が小銃60丁と車両13台をソロモンへ寄贈すると、その2日後、中国はそれに張り合うかのように、「ソガバレ政権の要請に応じ、ソロモン諸島の法と秩序の執行に貢献を果たす」として、放水車2台、バイク30台、多目的スポーツ車(SUV)20台をソロモン警察へ寄贈した[35]。外国から軍事侵略に心配がない現在のソロモン諸島における警察装備の強化は、自国民に対する武装強化でしかない。ソロモンをめぐる中国とオーストラリアの駆け引きは、ソロモンの反政府勢力を押さえるための装備強化につながってしまっている。
中国がソロモンの政治や行政のエリートを囲い込もうとしたなかで、ファーウェイの携帯電話基地局の受け入れを拒否するなど、中国からの取り込みに屈しなかったマライタ州政府は批判されることになった。また、ホニアラのあるメディアでは、報道が中国政府のプロパガンダに沿っていることを確認するために、中国側の連絡担当者が配置された。ソガバレ政権と中国との緊密な関係を批判する勢力は、両者によって買収と恐喝で排除されていった。例えば、中国に批判的なマライタ州知事をしていたダニエル・スイダニ(Daniel Suidani)氏は、中国工作員による総額100万ソロモン諸島ドル(約12万米ドル)相当の賄賂の受け取りを拒否したため、ソガバレ政権の指示により、2023年2月7日にマライタ州知事を罷免されたとRadio Free Asiaなどのインタビューで語っている。それまでに、マライタ州では2回のスイダニ知事罷免動議が提出されたが、それらは、州民の強い抗議によって取り下げられた。しかし、3回目の2023年2月7日の動議では、ソロモンの中央政府が巡視船、銃器、警察を使い、道路を封鎖するなどして州民の抗議活動を抑えた[36]。
同月10日にスイダニ氏の後任に就任した無所属のマルティン・フィニ(Martin Fini)知事とマライタ州代表団は、翌月27日に李明大使を表敬訪問し、新マライタ州政府が中国との関係発展において中国中央政府を支持し、「一つの中国」原則を堅持し、中国との対話や協力を模索すると述べている[37]。中国は、大洋州島嶼国の現地の政治エリートを新台湾派から親中派に挿げ替え、中国側に有利な政策を実施させているのである。
◆ 反中勢力を排除する法執行体制の「輸出」・メディア統制・世論操作
中国とソロモン諸島は、2023年7月10日、「新時代の相互尊重、共同発展の包括的戦略パートナーシップ」を正式に構築したと発表した。また、同日、「包括的戦略パートナーシップ」に向けた関係強化の一環として治安維持で協力する協定を締結した。ソガバレ政権と中国の「包括的戦略パートナーシップ」の合意は、単に「一帯一路」と「ソロモン諸島2035年開発戦略」との連携を強化するだけのものにとどまっていない。両国は、「真の多国間主義を堅持し、国際的な公平性と正義をしっかりと守り、覇権主義と強権政治に反対し、あらゆる形態の一国主義に反対し、特定の国を対象とした陣営や排他的な小さなサークルの形成に反対する」ことが明記されている[38]。アメリカと中国の勢力圏競争のなかで、ソロモンとの関係が位置づけられている。また、それを堅持するために、「中国はソロモン諸島の意向に従い、警察の法執行能力の向上に向けてソロモン諸島への支援を継続する」と明記されている。すなわち、中国は、中国に批判的な勢力を排除できる法執行体制をソロモンへ「輸出」しているのである。
同時に、中国は現地ソロモン諸島のメディアを統制し、中国に批判的な言論を封じ込め、中国に好意的な情報を報道するように主要メディアへ資金を流している、とフィジーの南太平洋大学のジャーナリズム・プログラムの責任者であるシャイレンドラ・バハドゥル・シン(Shailendra Bahadur Singh)准教授が指摘している。同准教授によれば、ソロモン諸島の大手日刊紙Solomon Star紙は「中国の寛大さについての真実を宣伝する」ことを引き換えに約14万米ドルの資金を受け取り、その資金でSolomon Star社が老朽化したプリンターを交換し、ラジオ局用の電波塔を取得した。また、ソロモン諸島の第2位の日刊紙であるIsland Sunやソロモン国営放送Solomon Islands Broadcasting Corporation (SIBC)が中国からの資金を受け取っていたのかというRadio Free Asia(RFA)による質問を現地の中国大使館が否定しなかったとRFAは報じている[39]。
日本経済新聞は、ソロモン諸島内で反中感情が高まるたびに中国メディアなどを発信源とする真偽不明の「怪情報」が広まり、ネット世論が親中寄りへと変化していたと報じている[40]。習近平が「中国の話をよく伝える」(讲好中国故事)と号令をかけて以来、中国の主要メディアや高官、そしてオンラインのインフルエンサー達は、国際世論が中国に好意的になるような情報を大量に発信している。
その一方で、敵対する勢力や快く思わない勢力に対しては、フェイクニュースを大量に発信して貶めているとオーストラリア戦略政策研究所をはじめとして指摘されている。例えば、2021年のマライタ暴動の際には、アメリカ、オーストラリア、台湾が資金を提供し暴動を扇動したというフェイクニュースや、米豪はソロモン諸島に関心を持っておらずソロモンの持続可能な発展には協力的ではないといったフェイクニュースが大量に発信され、米豪への不信感が煽られた。中共当局者らも米豪を念頭に「隠された動機を持つ外国勢力」がソロモン諸島と中国の関係を壊すことねらっているという説を積極的に広めた。
マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者がTwitter上でフェイクニュースが本物のニュースより6倍もの速さで拡散することを検証[41]していることからも明らかであるように、フェイクニュースによる世論操作は現在の対外的な政治の戦術の一つになっている。中国政府はSNSで影響力を持つインフルエンサーを利用し、中国や中国共産党の主張を拡散し、大洋州地域における世論を中国にとって都合の良い方向へ誘導しようとしている。プロパガンダや検閲を併用しながら、情報操作による世論操作を図っているのである。
ソロモンや中国の高官らは、ソロモン諸島の国民がアメリカやオーストラリアや日本に対して嫌悪感を抱くようなことばを繰り返し、ソロモンのメディアがそれを繰り返し報道している。例えば、2022年4月29日の議会演説でソガバレ首相が太平洋島嶼国に相談せずに米英豪が安全保障パートナーシップ(AUKUS)を形成したことを批判すると、中国外交部は翌月5日の定例記者会見で、ソガバレ発言を称えながら、「一部の国家が小さなグループを作って軍事グループを結び、陣営対決をあおり立てて地域情勢の緊張を招いている」「ソロモン諸島に横暴に干渉するよりも、むしろソロモン諸島の第二次世界大戦期間に不発弾を遺棄した米国が約束を真剣に履行し、ソロモン諸島の市民のためにより多くの事を為すべきである」[42]と指摘したり、「オーストラリアが主権国家のソロモン諸島を自国の“裏庭”と主張するのは非礼だ」「オーストラリアはAUKUSで核拡散のリスクを高め、これが地域の緊張を引き起こし、米豪が地域の覇権を達成しようとしている」[43]と指摘したりするなど、ソロモン諸島のソガバレ政権と中国が相互に呼応しながらオーストラリアやアメリカを繰り返し批判することで、反米豪世論を大洋州島嶼国で作ろうとしているのである。
おわりに
以上、本稿では、大洋州島嶼国のパラオ、キリバス、ソロモン諸島を考察の対象として、中国外交におけるそれらの含意と動向を考察した。
《米豪+日本vs.中国》の太平洋島嶼地域における勢力圏競争がもたらしているものは、単に大国の社会・経済におけるプレゼンスの大小といった問題ではない。インド太平洋における安全保障と大洋州島嶼国における自由・民主主義・人権・法の支配といった広範な領域にまで影響を及ぼしている。中国は巨額な中国マネーを武器にソロモンの政治家や官僚やメディアを引き込み、地元の反政府抗議活動や服従しないメディア・ジャーナリストの排除を強めてきた。
とは言え、《米豪+日本vs.中国》の勢力圏競争は、中国の勝利に終わるとは限らない。ソロモン諸島では2024年選挙を控えた親中派指導者のソガバレ首相が、2024年2月13日、オーストラリアのような伝統的な同盟国を維持しながら中国との安全保障と経済関係を深化させるという「ルック・ノース」戦略を打ち出し、再選キャンペーンについて説明している。大洋州の小国は、大国の言いなりになっているだけでない。自国の権益や自らの政治的地位を守るために、大国間競争を島嶼内の権力闘争に利用している。西側は島嶼国の内政事情を把握した上で、そうした状況をかえって利用する戦術を打ち出していく必要がある。ソロモン諸島やキリバスなどの地政学的要衝を「西側が奪回」していくためには、脱炭素社会実現に向けた温室効果ガス削減といった優等生的な政策だけでなく、現地の雇用と海面上昇への対策に結びつけたインフラ整備、太平洋戦争中の不発弾処理のアピール(実際に日米は行っているものの先述のように中国側が否定的な情報を流しているので日米側も宣伝が必要という意味)、SNSを活用した「正しい情報」の素早い発信、地元の民主主義を訴えるメディア・ジャーナリストへの多面的な支援を含め、大洋州島嶼国への外交戦略を再考していく必要があろう。
宇宙戦・サイバー戦・認知戦を激しく展開している現在の《米豪+日本vs.中国》の勢力圏競争のなかで、キリバスの重要性はますます高くなっている。赤道と子午線の両方が通るキリバスを取り込んだ中国が、米・中ロ間の宇宙競争を見据えて、ロシアとともに対米衛星能力を高めていることにも西側は注意しなければならない。中国とロシアが宇宙を新たな作戦領域に変えた現在、広大な宇宙空間への対処にはアメリカとその同盟国・友好国との連携が欠かせず、日本は宇宙の脅威を監視する「宇宙領域把握(Space Domain Awareness:SDA)」の協力をそれらの国と加速させ体制構築していく必要がある。同時に、地政学的に重要な大洋州島嶼諸国を中国の勢力圏から引き戻していく、もしくは引き戻せないまでも、島嶼国の現地雇用に結びつくような支援を行うことで中国陣営から引き出していくための戦術を展開していく必要がある。
また、国際機関が「多国間の協力の場」であることと同時に「大国間の権益争奪の場」でもあるという認識にたち、CLCSの論争が中立的に行われているのかを日本の政府やメディアやシンクタンクはこれまで以上に国内外に発信していく必要があろう。ウクライナ戦争後、中ロ関係が深化していることから、九州・パラオ海嶺の延長大陸棚をめぐる中国リスクをめぐり、CLCSにおいてロシアが中国のためにいかなる発言をしていくのか、日本は中露の連携を慎重に注視し対策をたてていく必要がある。ロシアからは、ロシア連邦の天然資源環境省の副大臣も経験したことのあるモスクワ州立大学のイワン・F・グルモフ教授(技術科学博士)も、2012年以来CLCSのメンバーに名を連ねている。
勢力圏競争をめぐる中国の大洋州島嶼国の含意について、本稿はパラオ、キリバス、ソロモン諸島に絞って考察した。この3カ国だけでも中国の外交安全保障戦略における位置づけも含意も大きく異なっている。オーストラリアの戦略政策研究所のブレイク・ジョンソン(Blake Johnson)の研究をはじめとして、大洋州島嶼国のミクロネシア、ポリネシア、メラネシアのサブリージョンにおけるオンラインでの比較考察において、中国と中国共産党の自国への関与をどのように認識しているかがサブリージョン間で大きく異なっていることが示されている[44]。本研究会の残りの2年間の研究では、こうした先行研究の成果を取り入れながら、大洋州における勢力圏競争の中国リスクを研究し、それがもたらす日本外交の課題について検討していきたい。