日本人は国外からの評価を気にし過ぎると言われる。ルース・ベネディクトの『菊と刀』における「恥の文化と罪の文化」では、日本人は他人の評価を自らの価値基準にするが、欧米人(あるいはキリスト教圏の人は)他人ではなく神という絶対的価値基準を基に行動するという。この論には納得できる面もある。「聞く耳」を誇って万人受けのバランス政策に終始する岸田首相と、世界の非難を無視して断固侵略を行うプーチン大統領の違いなのだろうか。一方、『国富論』で有名なアダム・スミスは、欧州でも人間の道徳感情の基礎は「シンパシー」つまり自他の共感だと言う(『道徳感情論』)。このコラムでは、ここ30年に大きく国際評価を落とした日本を振り返り、果たして蘇生の道があるのか考えたい。
1、日本製は世界最高 ―― 奇跡の日本
国外で生活すると分かるが、外国人の「日本観」「日本人観」は、外国で生活する日本人の生活にストレートに影響する。私の卑近な例を一つ。1960年代から70年代にモスクワ大学大学院に留学していた頃、親しい大学の友人と帝政時代から著名なバーニャ(ロシア式サウナ)に行ったことがある。そこには数名が休める個室が幾つもあり、個室では裸同士で他人と雑談する。偶然同室したロシア人がアジア人の私に、上からの目線で「お前(トィ)、郷里はどこだ?」と訊く。私がわざととぼけてチュクチ(アラスカに近い北方小数民族)だと答え、彼と少し極北生活の話をした。大学の友人がこらえ切れず吹き出しながら「彼は日本人だよ」と言うと、そのロシア人は「えっ! 貴方(ヴィ)は日本人ですか。SONYやTOYOTAは我々の憧れです!」と態度を一変させた。通常日本人は服装や持ち物でそれと分かるが、裸になると、ソ連のアジア系少数民族と区別がつかない。
ホンダが精密機械のようなバイク「ナナハン(CB750)」で世界の幾つもの大レースを制覇したのが1969年。「日本製」は最高級品を意味するようになった。モスクワの街でしばしば「今何時?」と訊かれた。腕時計を見て時間を言うと、「そのSEIKO、高く買うから売ってくれ」と迫られたものだ。服装などから日本人と推測し、腕時計を確認するために訊くのだ。ソ連においては、SEIKOはかつての日本人にとってのOMEGAと同じだった。モスクワ大学のある友人は、夏休みに極東へ高給で学生を勤労動員する「学生勤労隊」の隊長だった。極東でひと月働いた後にモスクワに帰って、彼は「コマツの重機は、ロシアや他国のよりはるかに優れている」とべた褒めしたものだ。敗戦国日本の奇跡の発展に、ソ連人は目を見張った。私の知人で、ソ連を代表する経済学者であるG・ポポフ(モスクワ大学経済学部長、後モスクワ市長)やA・アガンベギャン(後、ロシア経済アカデミー総裁)を私は日本に招いたり、日本で対談をしたりした。彼らは、「日本を見ずして改革を語るなかれ」とさえ言っていた。ソ連時代は、国外には簡単には出られなかった。あるモスクワ大学の女性教授は、日本に2回行ったと言うだけで、学生に対して絶対の権威を維持できると述べたほどだ。エズラ・ヴォーゲルの『Japan as Number One: Lessons for America』が米国で出たのは1979年だったが、60年代から80年代にかけ日本は経済面、科学・技術面で、米国を追い越す勢いで「日米経済戦争」にもなった。原発や半導体技術でも日本は最先端を走り、アジア経済は日本が索引する「雁行型発展」とも言われた。世界初のスプートニクや宇宙飛行士で、社会主義体制が絶対優位だと教えられてきたソ連人にとって、国土は狭く資源も無く、人口だけ多い資本主義日本の驚異的発展は不可解な奇跡と見えた。当時日本人としてソ連に住んで、楽しい思いは多いが不愉快な経験はない。
2、日本は劣化したのか ―― 失われた30年
90年代初めにバブル経済が崩壊して、絶好調だった日本経済は今日まで長期下降を続け、「失われた30年」とも言われている。経済面では「日本化」は今では否定的な語となった。日銀関係者でさえもこの1月に、近年不調の中国経済がデフレに陥るリスクを、「『日本化』するリスク」と称した。
日本のGDPは94年には世界の18%で米国に次ぐ2位だったが、今年は3%台にまで落ちると言う。一人当たりのGDPも、日本はアジアで5位、世界で34位にまで落ちた。工業技術面で多くの日本製品は、世界で最高品質の定評を得ていた。しかし、2009-10年にトヨタ車が米国などで1,000万台のリコール問題を引き起こした。これは踏んだアクセルがフロアマット故に元に戻らず暴走する、という単純なミスだった。ちなみに、この2010年に日本はGDPで中国に抜かれている。
先月発覚したダイハツの不正認証事件は、はるかに深刻だ。ダイハツが長年、国による技術的な認証を、64車種174もの偽装で不正に得ていたことが発覚した。ダイハツは近年トヨタの子会社となり、マツダ、スバルのOEM車(他社ブランドで販売される)も生産して、不正認証車が世界に販売された。昨年7月には中古車大手「ビッグモーター」の不正事件が発覚し、保険会社「損保ジャパン」がこの不正に関与していたことも判明した。
経済の問題を中心に「日本の劣化」を述べてきたが、学問、教育、文化の面でも深刻な事態が生じている。研究、教育面では、かつてアジアでは東京大学が最高水準とされていた。大学のレベル決定は指標のとり方によって大差が出るが、ある調査によると、東大のレベルは今日のアジアでは、中国、シンガポール、香港などの諸大学の後塵を拝して、全世界では第28位という結果もある。今日のわが国の若者の中には、最初から日本の大学を見限って国外留学を目指し、日本の官界や大企業にも進まない者が増えた。その結果が、日本の「人材の劣化」だろう。日本の官僚も政治家も、その劣化が指摘されて久しい。
3、日本は蘇生するか
敗戦後の日本人は、生きるため必死で働いた。その結果がバブル期を生んだ。その背景には江戸時代から明治、昭和の日本の文化伝統と、良い意味でも悪い意味でも、日本人の国民性と活力があった。それが米国に次ぐ経済・科学技術大国としての日本を生んだ。しかし、安易な生活が可能になったバブル期に、気の緩みや愚かな「ゆとり教育」が生じた。それでも、ある専門や問題に熱中して取り組む「オタク」は現在の若者の中にも多い。1934年にベーブルースなど全米選抜チームが訪日した時、日本の野球選手は赤子に等しかった。しかし、今日では、大谷翔平が米国でトップの野球選手となっている。今年1月2日のJAL機の衝突事故では、JAL機の乗員と乗客の驚嘆すべき冷静な行動で、379名が全員、数分の差で全焼機から逃れた。世界は「奇跡」と称賛したが、これには「他国では不可能」の含意がある。今日でも有している日本人のこの力が、日本蘇生の土台になることを願う。