公益財団法人日本国際フォーラム

はじめに

22年2月21日にプーチン露大統領はウクライナ東部ドンバス地方における親露派(覆面露軍人を含む)による支配地域における自称「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」の「独立」を認めて、その独立を守るため露の「平和維持軍」派遣にも言及した。

偶然か意識的か不明だが2月21日は、2014年2月に生じたウクライナの民主派による「マイダン革命」の合意で親露派のヤヌコヴィチ大統領が失脚した日、或いは、プーチン大統領の言う「ファシスト・ナチ勢力による武力クーデタ」の成就した日である。

2月24日に露軍はウクライナに対し、軍事施設のミサイル攻撃や先進国では想定外だった戦車や部隊で首都キエフを攻めるという「古典的スタイル」の軍事侵攻までしている。プーチンの、国際秩序も国際法も全く無視しひたすら自国の勢力圏維持に努めるこの露骨な帝国主義的行為は世界を唖然とさせた。当然ながら、国際的に最も厳しい制裁が必要だ。

2月21日以後、筆者は露のウクライナへの軍事侵攻の可能性も念頭に、傀儡政権樹立やウクライナの中立国化など幾つかの考え得るシナリオの可否を検討してはいたが、これほど迅速なミサイル攻撃と首都への戦車や部隊による「古典的」侵攻は想定していなかった。

今や世界のメディアの連日のトップ・ニュースはウクライナ・ロシア問題となり、「軍事大国ロシアの復活」が強烈に印象付けられた。プーチン氏はこうして現代世界においては「米・中」ではなく、やはり「米・中・露」が大国だと世界に認めさせた。この意味では、彼の最低の目的はすでに達せられたと言える。しかし、露の指導者がNATOなど(将来的には中国も含む)を外からの脅威と感じている間は、露の勢力圏維持や拡大の帝国主義的行動は収まらないだろう。現在及び今後の事態の予想についてはメディアで様々に伝えられているので論じない。ただ一言、わが国の対露政策の変化のみを簡単に指摘しておく。

露の露骨な帝国主義的行動への制裁に関しては、G7諸国は2014年の「クリミア併合」の後よりも歩調を合わせている。例えばわが国の安倍元首相は、プーチン氏と協力すれば北方領土解決の可能性があるとの幻想を抱いていたため、2014年のクリミア事件後もわが国の対露制裁は名目的なものに終わった。しかし皮肉なことだが、露の対日強硬姿勢のお蔭で北方領土問題の短期解決は不可能だと自覚した今日の岸田政権は、ウクライナ問題でもG7の対露制裁――まだ露の抑制には十分有効とは言えないが――に以前より歩調を合わせ、名目的ではなく実質的な対露制裁の実行を決意して、欧州へのLNG供給も決めた。

本稿では、最近の露・ウクライナ関係やそれへの世界の反応については、連日多くのメディアや専門家たちが論じているので、その考察は省く。ここではグルジア(ジョージア)戦争、「クリミア併合」そして今日の深刻な事態に至る明確な前兆が2000年代の初期から露国内に現れて、公然と論じられていたのに、わが国の政治家やロシア・国際政治専門家、メディア等がそれらを見落す、或いは意図的に無視してきたことを指摘しておきたい。

1、日本で無視されたグルジア問題、ウクライナ問題の前兆

2008年8月のグルジア(ジョージア)戦争や2014年のクリミア事件、そして今回のウクライナ問題を予言するような発言を、露外務省の報道官が2006年6月にしており、筆者は強い関心と懸念を抱いた。以下は露紙(『イズベスチヤ』2006.6.2)からの引用である。

「6月1日、ロシア外務省報道官の南オセチア問題に関する発言がセンセーションを生んだ。彼は次のように述べた。≪領土保全(統一性)の原則には敬意を払うが、グルジアではそれはまだ可能性の状態で、現実ではない(訳注、主権国家としては認めない)。南オセチアの基本的立場は、国際社会で領土保全に劣らず重要な自決権に基礎を置いている。≫

このような発言には、セルビアからの独立を実現した最近のモンテネグロの住民投票が影響を与えている。ロシア上院の憲法委員会委員長も、≪南オセチア住民もそのような住民投票の権利を有している≫と述べたが、これをグルジアの国務相は次のように批判した。

≪ロシア外務省はグルジアの領土の統一性に疑問を呈している。しかし現状は、われわれの度重なる抗議や声明にもかかわらず、グルジアの領土内にロシア軍が非合法に入り込んでいる。それはもはや、平和維持軍ではなく、ロシア軍の実力作戦である。≫ 」

露政府が「領土保全」から「自決権」に軸足を移したことが、2008年8月のグルジア戦争、さらには2014年3月の「クリミア併合」や今日のウクライナ問題などの導火線になっていることは、国際関係に通じている者にはすぐ理解できるはずだ。「グルジアは領土保全を主張できる本来の主権国家ではなく、住民投票によって特定の地域は、独立あるいは他の国への併合が可能になる」との見解をプーチン政権下の露外務省が述べたからである。

筆者が2006年頃に、プーチン政権が「領土保全」から「自決権」に軸足を移したことの深刻性をわが国の識者に知ってもらうために、この記事を翻訳し、メディアや講演などで識者や外務省関係者に紹介しても、反露的と見られたためか、反応は殆どなかった。

ソ連邦崩壊直後の1990年代の露指導部は、ソ連邦に続いてロシア連邦が崩壊・分裂するのを恐れて「領土保全」に力点を置いていた。しかし、プーチンが大統領になった2000年から国際エネルギー市場での油価(ガス価)の高騰と高止まりにより、オイルマネーで露経済が好転し、2003年頃から露では再び大国主義が復活し始めた。グルジア戦争の時、露指導部は「露の特殊権益圏(影響圏)」という用語を初めて使い、ソ連時代の「ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)」の復活だと国際的には批判された。しかし、グルジア戦争勃発の2年以上前に、ロシアのグルジア介入の意図は表明されていたのだ。「ロシア人保護」が名目だったが、南オセチアでは民族としてのロシア人は僅か1%、アブハジアでは9.1%に過ぎなかった。ただ、露政権はグルジア政権の強い反対を押し切って、南オセチア人、アブハジア人にロシア・パスポートを広く与え(年金などがより多く受け取れる)、「ロシア人」保護の名目で露軍はグルジアに侵攻した。「独立」のための「住民投票」も行われた。これによって2008年のグルジア戦争後、露の梃入れでグルジア内の「南オセチア自治州」「アブハジア自治共和国」の「独立」という事態が生じた。その後2014年には「住民投票」つまり「自治権」により「クリミアの露併合」が、実際には軍事支配下で強行された。

2、プーチン政権下で改革派も「帝国主義」、「大国の勢力圏」を擁護

ソ連邦崩壊(1991)後の1990年代の露は、共産党独裁体制から民主主義、市場経済への移行期時代は混乱・無秩序の事実上無政府状態だった。この時期には欧米でも日本でも「対露支援」と言われたが、核兵器を保有する多民族の露が、民族同士の虐殺や難民が多発したユーゴスラビア状況に陥らず、民主主義体制に無事軟着陸するよう世界が対露支援を行った。しかし、かつて超大国だった露国民にとっては、途上国的な状況に陥った「屈辱の90年代」だった。しかし2000年にプーチン政権が成立するころから、偶然国際エネルギー市場で油価(ガス価)が急上昇して、資源国の露はオイルマネーで潤い、経済が急速に好転した。そして前述の「領土保全」から「自決権」に政策の軸足を移す3年ほど前から、プーチンは自信と共に大国主義意識を抱き始めた。それを敏感に感じ取って迎合した改革派知識人も現れた。本来は反進歩主義的な「帝国主義」や「大国の勢力圏」などの概念には反対していたはずの人たちが、改革派とは思えない発言を表明し始めたのである。即ち2003年から2006年頃のことだが、以下、代表的な改革派の人物A・チュバイス前露副首相(露経済民営化の責任者)と、V・トレチャコフ『モスクワ・ニュース』編集長(当時)の見解を要約して紹介する。その後の露の大国主義を正確に予見していた彼らの見解を筆者が翻訳して紹介した時も、わが国では残念ながらほとんど関心は持たれなかった。

A・チュバイスは2003年に、21世紀の露の使命として「リベラルな帝国主義がロシアの使命である」との主張を『独立新聞』(2003.10.1)に公表した。以下がその要点である。

  • 深い確信をもって言えることだが、露のイデオロギーはリベラルな帝国主義である。
  • ソ連時代のロシアは、ローマ帝国、ビザンチン帝国、大英帝国、ナポレオン、ヒトラーがなし得なかったことを成し遂げた。ロシアはほぼ世界の半分のリーダーになった。
  • 露はCIS(旧ソ連)諸国全体の唯一の指導者であるが、露政権はまだナショナル・アイデンティティの問題を解決していない。
  • 露は領土保全の原則を遵守する。しかし必要なら、隣国の市民の人権、自由を擁護する。
  • 今のロシア政権はナショナル・アイデンティティの問題を解決していない。
  • ロシアと欧米は、経済的にも政治的にも地政学的にも別である。

V・トレチャコフは2006年にロシアの影響圏に関して、自らが編集長である『モスクワ・ニュース』(2006.3.3-9)に以下の見解を述べた。

  • 露は地域大国ではなく、プーチン時代になって米国に次ぐ世界の大国に復帰した。したがって露はその歴史的な影響圏に独自の同盟を創設すべき。
  • 今日の露の国境は不自然である。露の安全を保証していないからだ。
  • 露の影響圏への第三国・勢力(訳注NATOなど)の企て、あるいはこの地域の国が第三国・勢力を利用して安定を崩そうとするならば、それに対しては積極的に反対行動を行う。
  • 民主体制か権威主義体制かを問わず、無統制な体制崩壊(訳注、カラー革命)は許さず。
  • 民意(住民投票)による周辺地域の露への統合は排除しない。
  • この地域を国際語としてのロシア語圏、経済的にはルーブル圏にする。

2000年代初期のこれらの概念がその後のグルジア問題、ウクライナ問題、また、プーチンのユーラシア同盟構想(2011年10月)などに直結していることは、説明不要であろう。