公益財団法人日本国際フォーラム

 近年、LGBT問題とWPSを連関させて捉える潮流が国際社会で主流化しており、戦争や紛争下での性的マイノリティの脆弱性が注目されている。ロシアのウクライナ侵攻は、戦争の信仰の中で「領土」をめぐる軍事衝突である面が目立っているが、「価値」をめぐる戦争としての性格もかなり強い。ロシアの伝統主義的ナショナリズムはLGBTを「堕落の象徴」とみなし、西側が掲げる自由主義・人権・多様性と鋭く対立する構造を形成している。他方、ウクライナやジョージア、モルドヴァはEU加盟申請を通じて西側への接近を深めており、EUではLGBT保護が「欧州基準(European standards)」の一部と位置づけられている。

プーチン体制は、「カラー革命」への恐怖とリベラル価値への警戒をロシア正教とロシアの伝統的価値に結びつけ、「価値の戦争」「文明の主権」というイデオロギーを構築した。旧ソ連地域では、LGBT・WPS双方の水準が低い国が多く、LGBTに対する攻撃が深刻な問題となっていた。また、LGBTという枠組みを超え、相手の尊厳を貶めたり、自らのストレス発散のために、刑務所や軍隊での男性に対する性暴力が横行していることも深刻な問題として長年認識されてきた。特に戦時下では捕虜男性や虐殺進行中での一般男性に対する性加害も確認され、性暴力は「女性=被害者/男性=加害者」という固定的図式では説明できない実態がある。

ロシア国内では、宗教と結びついた反LGBT政策が急進化している。2013年の「未成年保護法」によるLGBT表現規制を起点に、2022年以降はトランスジェンダー表現の禁止、2023年の法的性別変更の全面禁止など、制度的抑圧が一層強化された。ロシア正教のキリル総主教は戦争の一因をウクライナのLGBT政策に求め、戦争を「反リベラル価値の闘争」として正当化した。宗教界内部には反戦の声もあったが、弾圧により宗教界の分断が深刻になっている。

ロシアのLGBT政策は政治動員の機能を持ち、LGBTを「欧米の堕落の象徴」と位置づけることで、国内統合と国家イデオロギーの形成手段として利用している。ILGA-Europeの2025年評価でロシアは2%と欧州最下位となったが、反LGBT政策、同性婚制度の不存在、表現・集会の規制、国家主導のヘイトスピーチがその主要因とされる。他方、LGBT基準をEU加盟判断にどこまで一貫して適用するかについては、政治的恣意性の問題が残る。

ウクライナはILGA-Europe評価こそ18.76%と低いものの、社会的寛容性は戦争を経て向上し、女性兵士の前線参加など「性差の縮小」が進んでいる。ただし女性用軍服がほぼ自己調達とされているなど制度面の課題は残る。ウクライナは戦後復興計画とEU加盟条件にLGBT人権保護を位置づけた。徴兵対象人口の減少は今後の重要課題である。

南コーカサス3国(ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)は宗教・家族主義・伝統の影響が強く、社会的寛容性が低い。ILGA-Europe指標や女性労働参加、DV対策、ジェンダー統計等で各国とも課題が多い。ジョージアは憲法でアトランティック統合を掲げ、欧州型制度導入を進めてきた一方、現在の与党・ジョージアの夢は、反欧米姿勢を強め、加盟候補国となっているEUの加盟プロセスも2028年まで凍結することを発表し、ロシア的な法律を多数発効させる中、反LGBT法も強化するなど、その政治利用が目立つ。アルメニアは制度改革の進展はあるが宗教界の抵抗が強い。アゼルバイジャンは宗教のバックグラウンドがイスラーム強ということもあり、評価が極めて低く、女性国会議長の就任など象徴的な進展があるものの、実質的権限は限定的とされる。

WPSの観点からみると、ウクライナはNAP(国家行動計画)を整備し、紛争関連性暴力対策や避難女性支援が進む一方、ロシアにはWPS制度が存在せず、旧ソ連諸国では予算不足や地域格差が共通課題である。

結論として、LGBT問題は単なる人権問題・社会運動にとどまらず、「地政学的資源」「政治的動員装置」として性格を大きく変えつつある。ロシアの反LGBT政策は権威主義体制の「統治技術」であり、ウクライナの包括的政策は民主主義の「再定義」として位置づけられる。南コーカサスは両者の価値観が衝突する「価値断層地帯」となっており、今後は性的マイノリティ・女性・少数民族などを包摂する「包摂的安全保障(Inclusive Security)」の構築が鍵となる。包摂的安全保障は、LGBTやWPSなどを根源的に解決しうる一つの可能性を秘めたものとして、今後の検討強化の必要性を問いたい。