活動
2025年11月17日
甲斐田 きよみ
文京学院大学准教授
ナイジェリア北東部では、2000年代後半以降、イスラーム過激派ボコ・ハラムが女性・少女を含む民間人を標的に暴力を継続している。この暴力は生命の侵害にとどまらず、教育・社会統合・安全保障に深刻な影響を及ぼしている。特にジェンダーに基づく暴力(Gender-Based Violence: GBV)は、紛争構造と結びつきながら地域社会の脆弱性を増幅させており、国際社会が掲げる「女性・平和・安全保障(WPS)」の観点からも重要な課題となっている。本稿では、2014年のチボク女子学生拉致事件と、女性・少女による自爆テロの拡大という二つの事件を軸に、ナイジェリアにおけるGBVの構造と課題を述べる。
2014年4月、ボルノ州チボクの公立女子中等学校が武装勢力に襲撃され、276名の女子学生が拉致された。この事件は「#BringBackOurGirls」運動を通じ世界の注目を集めたが、その背後にはボコ・ハラムの女性教育への根深い敵視が存在する。「西洋式教育は罪」を意味する名称が象徴するように、彼らは西洋式教育を否定しているが、特に女子教育は社会変革を促進し、伝統的なジェンダー秩序を揺るがすものとみなしていた。拉致された少女たちはボコ・ハラムのメンバーとの強制結婚や性奴隷化、出産を強いられ、多くはコミュニティから隔離された生活を余儀なくされた。これらの行為は、戦時性暴力と同様に女性の身体を支配することで地域コミュニティ全体を屈服させる戦略として用いられ、ジェンダーを基盤とする構造的暴力の典型である。
筆者は当時、首都のアブジャに駐在していたが、同事件および頻発する自爆テロは市民生活の不安を増幅させ、同僚の家族・知人が被害に遭う事例も身近に聞こえてくるなど、治安環境は急速に悪化していた。日常生活における移動制限や精神的ストレスは、短期間であっても深刻であった。
2014年6月には、女性による初の自爆テロがゴンベ州で発生し、以降は12歳程度の少女を含む女性が自爆の実行に利用されるケースが急増した。2014年から2018年までに240件の自爆攻撃が確認され、1469人の女性・少女が実行犯として利用または逮捕され、死者は1200人を超えたとされる。特に2019年には90件以上が女性によるものとされ、女性を戦闘員化する傾向は顕著である。
少女たちの多くは拉致後に洗脳され、「殉教」「神の意志」といった宗教的理念を刷り込まれ、自爆や偵察、勧誘など加害行為を担わされる。彼女たちは被害者であると同時に、武装勢力にとって利用可能な「資源」として扱われる点に特徴がある。さらに、帰還後には「テロリストの妻」「汚れた女」といった烙印を押され、コミュニティから拒絶されることが多い。被害者が再統合の過程で再び孤立し、ボコ・ハラムへ再度戻るリスクが生まれるという悪循環が生じている。
ナイジェリアにおけるGBVは、次の三つの側面から社会的危機を深めている。
女性が性暴力や拉致の対象となるだけでなく、女性を利用した自爆攻撃によって国家の安全保障体制への信頼が損なわれている。GBVは個人の被害を超え、国家全体の不安定化に寄与している。
性暴力被害は「恥」とみなされ、女性が地域の調停や復興プロセスに関わることを困難にしている。被害者支援が不足すれば、社会的排除により再び武装勢力に戻る可能性も高まる。
紛争下では男性中心の秩序が再強化され、女性の移動・教育・発言が制限されやすい。結果としてジェンダー平等の後退が生じ、長期的に家父長制が堅固化する危険がある。 このようにGBVは単なる暴力行為ではなく、地域社会の再生を妨げる構造的要因となっている。
ナイジェリアは2013年と2017年にWPS国家行動計画(NAP)を策定し、2025年10月末に第3次NAPを公表した。WPSの四原則(予防・保護・参加・復興)に基づくGBVへの対応として、以下が重要である。
ナイジェリア北東部におけるGBVは、女性・少女を標的とした暴力に留まらず、教育機会の剥奪、社会的排除、安全保障不安、家父長制強化など多層的な影響をもつ。GBVは武力紛争の副産物ではなく、ボコ・ハラムの戦略に組み込まれた構造的暴力である。今後、「予防・保護・参加・復興」を柱とするWPSの枠組みを実効性のある形で運用し、ジェンダー不平等の根本的な是正と地域社会の再生を図ることが求められる。
ナイジェリア北東部では、2000年代後半以降、イスラーム過激派ボコ・ハラムが女性・少女を含む民間人を標的に暴力を継続している。この暴力は生命の侵害にとどまらず、教育・社会統合・安全保障に深刻な影響を及ぼしている。特にジェンダーに基づく暴力(Gender-Based Violence: GBV)は、紛争構造と結びつきながら地域社会の脆弱性を増幅させており、国際社会が掲げる「女性・平和・安全保障(WPS)」の観点からも重要な課題となっている。本稿では、2014年のチボク女子学生拉致事件と、女性・少女による自爆テロの拡大という二つの事件を軸に、ナイジェリアにおけるGBVの構造と課題を述べる。
1 チボク女子学生拉致事件と少女の強制結婚・性奴隷化
2014年4月、ボルノ州チボクの公立女子中等学校が武装勢力に襲撃され、276名の女子学生が拉致された。この事件は「#BringBackOurGirls」運動を通じ世界の注目を集めたが、その背後にはボコ・ハラムの女性教育への根深い敵視が存在する。「西洋式教育は罪」を意味する名称が象徴するように、彼らは西洋式教育を否定しているが、特に女子教育は社会変革を促進し、伝統的なジェンダー秩序を揺るがすものとみなしていた。拉致された少女たちはボコ・ハラムのメンバーとの強制結婚や性奴隷化、出産を強いられ、多くはコミュニティから隔離された生活を余儀なくされた。これらの行為は、戦時性暴力と同様に女性の身体を支配することで地域コミュニティ全体を屈服させる戦略として用いられ、ジェンダーを基盤とする構造的暴力の典型である。
筆者は当時、首都のアブジャに駐在していたが、同事件および頻発する自爆テロは市民生活の不安を増幅させ、同僚の家族・知人が被害に遭う事例も身近に聞こえてくるなど、治安環境は急速に悪化していた。日常生活における移動制限や精神的ストレスは、短期間であっても深刻であった。
2 女性・少女による自爆テロの強制と「加害者化」
2014年6月には、女性による初の自爆テロがゴンベ州で発生し、以降は12歳程度の少女を含む女性が自爆の実行に利用されるケースが急増した。2014年から2018年までに240件の自爆攻撃が確認され、1469人の女性・少女が実行犯として利用または逮捕され、死者は1200人を超えたとされる。特に2019年には90件以上が女性によるものとされ、女性を戦闘員化する傾向は顕著である。
少女たちの多くは拉致後に洗脳され、「殉教」「神の意志」といった宗教的理念を刷り込まれ、自爆や偵察、勧誘など加害行為を担わされる。彼女たちは被害者であると同時に、武装勢力にとって利用可能な「資源」として扱われる点に特徴がある。さらに、帰還後には「テロリストの妻」「汚れた女」といった烙印を押され、コミュニティから拒絶されることが多い。被害者が再統合の過程で再び孤立し、ボコ・ハラムへ再度戻るリスクが生まれるという悪循環が生じている。
3 GBVが引き起こす三つの構造的危機
ナイジェリアにおけるGBVは、次の三つの側面から社会的危機を深めている。
(1)国家安全保障とジェンダーの交錯
女性が性暴力や拉致の対象となるだけでなく、女性を利用した自爆攻撃によって国家の安全保障体制への信頼が損なわれている。GBVは個人の被害を超え、国家全体の不安定化に寄与している。
(2)被害者の平和構築への参加阻害
性暴力被害は「恥」とみなされ、女性が地域の調停や復興プロセスに関わることを困難にしている。被害者支援が不足すれば、社会的排除により再び武装勢力に戻る可能性も高まる。
(3)家父長制の強化
紛争下では男性中心の秩序が再強化され、女性の移動・教育・発言が制限されやすい。結果としてジェンダー平等の後退が生じ、長期的に家父長制が堅固化する危険がある。
このようにGBVは単なる暴力行為ではなく、地域社会の再生を妨げる構造的要因となっている。
4 WPS国家行動計画(NAP)とGBV対応の方向性
ナイジェリアは2013年と2017年にWPS国家行動計画(NAP)を策定し、2025年10月末に第3次NAPを公表した。WPSの四原則(予防・保護・参加・復興)に基づくGBVへの対応として、以下が重要である。
(1)予防
(2)保護
(3) 参加
(4) 復興
おわりに
ナイジェリア北東部におけるGBVは、女性・少女を標的とした暴力に留まらず、教育機会の剥奪、社会的排除、安全保障不安、家父長制強化など多層的な影響をもつ。GBVは武力紛争の副産物ではなく、ボコ・ハラムの戦略に組み込まれた構造的暴力である。今後、「予防・保護・参加・復興」を柱とするWPSの枠組みを実効性のある形で運用し、ジェンダー不平等の根本的な是正と地域社会の再生を図ることが求められる。