公益財団法人日本国際フォーラム

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第16回定例研究会合

「ロシアの論理と日本の対露戦略」研究会の第16回定例研究会合が下記1.~3.の日時、場所、出席者にて開催されたところそれらの概要は下記4.のとおり。

  1. 日 時:2025 年7月17日(木)16時30分-18時
  2. 場 所:日本国際フォーラム会議室にて対面およびZOOMウェビナーによる併用
  3. 出席者:
[講  師] 長谷川雄之 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官
[主  査] 常盤  伸 JFIR上席研究員/東京新聞(中日新聞)編集委員兼論説委員
[顧  問] 袴田 茂樹 JFIR評議員・上席研究員/青山学院大学名誉教授
[メンバー] 熊倉  潤 法政大学教授
名越 健郎 拓殖大学客員教授
廣瀬 陽子 JFIR上席研究員/慶應義塾大学教授
保坂三四郎 エストニア国際防衛安全保障センター研究員
山添 博史 防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長
吉岡 明子 キャノングローバル戦略研究所研究員
   
(五十音順)
[JFIR] 渡辺 まゆ 理事長
  菊池 誉名 常務理事
  佐藤  光 特別研究員
  1. 内容

冒頭、渡辺理事長および常盤主査から本研究会の主旨について説明が行われた後、長谷川雄之・防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官による報告および自由討議が行われたところ、概要はつぎのとおり。
●長谷川雄之・防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室主任研究官による報告
 :『ロシア大統領権力の制度分析』-個人独裁、政治エリート、若干のインプリケーション-

(1)はじめに

25年間続いているプーチン体制の権力構造の研究はますます重要になっている。従来の半大統領研究や大統領制化の研究などの枠に収まりきらない事例である。ロシアには公式制度と非公式制度の両方が存在するという議論がある。プーチンは公式制度を用いて不確実性を低減させながら政治秩序を構築し、権威主義体制を安定化させている点に注目して分析することが重要である。特に、ソ連邦末期以降の大統領補助機関(大統領府や安全保障会議など)の制度的発展過程とエリートの動向への注目が重要である。

(2)安全保障会議の制度設計

ロシアの安全保障会議(以降、安保会議)は、1993年に新憲法の策定作業で大統領府や大統領補助機関の在り方について審議する過程で議論された。安保会議が執行権力にとって危険なものになり得るとの脅威論があるなかで、立法権力と執行権力を調整し、統合する手段と考えるエリツィン政権の主導により、最終的に憲法に記載された。立法権力による安全保障会議の統制ついては、委員を任命する最高会議が解体されたことで、大統領が委員を恣意的に任命できるようになった。

(3)安保会議を通じたロシア国家の統制①(エリツィンからプーチンへ)

プーチンは1998年に連邦保安庁(FSB)の長官として安保会議に入るが、この頃から安保会議の事務機構の拡大が進んだ。90年代末は大統領府全体の合理化が行われた時期のため、事務機構の拡大はそれに反する形で珍しいケースである。 2000年にプーチンが大統領に就任し中央集権化が始まると、安保会議は大統領補助機関の中心的な役割を担うようになった。

プーチンへ権力が移行した初期段階においては、エリツィン人脈とシロヴィキ、サンクトペテルブルク人脈の3つのカテゴリーだったが、その後、エリツィン人脈がいなくなり、シロヴィキとサンクトペテルブルク人脈が中心となった。プーチン・ネットワークは2000年以降強化されており、パートルシェフなどサンクトペテルブルクの第211学校関係者の長年の付き合いにも注目する必要がある。

(4)安保会議を通じたロシア国家の統制②

安保会議による国家統制が進んだ背景には、2003年と2016年の治安機関改革がある。2003年の第1次治安機関改革ではFSB、対外諜報庁(SVR)、連邦警護庁(FSO)の機構改編が実施され、安保会議におけるシロヴィキの存在感も一層高まった。2016年の第2次治安機関改革では、国家親衛軍連邦庁が創設され、内務省国内軍が国家親衛軍に移管されたほか、FSO出身者など警護職種が重用されることとなった。国家親衛軍をプーチン体制を維持する装置と捉えれば、軍の私兵集団化が進んでおり、個人支配化の特徴が見られる。

しかし、個人支配化はこれ以前から進行していたとも考えられる。2008年にパートルシェフが安保会議書記に就任すると、出張会合が制度化され、地方統制が強化された。またパートルシェフはNSC外交で「代理外交官」としても機能し、大統領補助機関による外交統制の一端を担っている。その結果、安保会議におけるシロヴィキ有力者の影響力は強く、プーチン政権下の個人支配化の制度的基盤となっている。

(5)ロシア大統領府

ロシアの行政権は、大統領と首相で執行権を分掌する半大統領制が形式上採用されているが、所掌事項の重複や二重行政の問題がある。大統領府は、エリツィン政権末期から第1次プーチン政権期にかけて合理化路線で部局が削減された。だが2012年以降の第2次プーチン政権では重要政策を大統領府に任せ、大統領が直接指揮監督する方法が採られ、部局の増強が進んだ。タンデム政権期には連邦政府に異動した幹部も多く、局長級人事においてプーチンとの関係性が大きく影響している。大統領府は各政策の総合調整を担う少数精鋭部隊であるが、部門間でも対立が多い印象がある。

(6)ウクライナ戦争とロシア大統領権力

ウクライナ戦争開戦以降いくつかのフェーズに分けると、大統領権力がどのように行使されてきたかが見える。初期の段階で対露経済制裁が導入されると、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)対策チームによる緊急の金融・経済制裁対応が行われ、一定の成果をあげた。

第2段階として、動員の過程で連邦政府とクレムリンの間で様々な調整を行う軍需調達調整会議が2022年に設置された。第3段階として、2023年のプリゴジンによる反乱の際、大統領府長官、FSO、第211学校関係者を巻き込んだ政治権力の調整が行われ、政治危機時の個人独裁とFSOとの関係の重要性を示した。第4段階として組閣の面で、パートルシェフの交代に伴う玉突き人事が行われたほか、「クレムリン・キッズ」とも呼ばれるプーチン・ネットワークの中で育ってきたシロヴィキ2世や経済界の2世も含めた若手エリートらが台頭した。また、国家官僚の人材育成についても大統領付属の国民経済・国務アカデミーの集権化の下で大きく改革された。第5段階として、露朝関係が深化する過程ではショイグー安保会議書記のほか、軍需産業担当者の往来が目立つことから、安保会議やSVR、国防省、外務省のほか、戦時に台頭したテクノクラートが一連のプロセスを主導したと考えられる。「代理外交官」がプーチンの意図を組む形でロシアを代表して交渉することで、ロシア外交の非公式性が増しているという指摘もある。

強力な大統領権力の行使には常に多くの困難を伴う。ロシアも例外ではなく、国家機構の遠心性や多重行政の制約を克服するために、プーチン大統領は、大統領補助機関の国家官僚に大きく依存しているものと考えられる。「ロシア国家を実際に誰が、どのように動かしてるのか」という実証分析を今後も継続する必要がある。

(7)日露関係

最後に、日露関係について見ると、2025年以降の動きは注目すべきであろう。日露間における文化交流や人的交流の重要性について話題になることが多い印象である。今後、日本国内におけるロシア関連事業にも変化が見られるのか、ロシア側の意図も含めて、慎重に分析する必要がある。

(以上、文責事務局)