活動
2025年7月31日
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員/安全保障問題研究会会長/青山学院大学・新潟県立大学名誉教授
旧ソ連の共和国ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバは、ロシアから独立した民主主義を目指して1997年に国の頭文字からなる組織GUAMを創設した。ウクライナが典型だが今日も、アルメニアも含めこれらの諸国の対欧米と対ロシアの関係は複雑だ。例えば、親露的とされている現ジョージア政権が、NATO軍と自国内で、現在共同演習を行っている。ロシアと複雑な関係にあるGUAM諸国に数回ほど目を向けたい。
最近ロシアと真っ向からの対立関係に陥ったアゼルバイジャンについては後述するとして、先ずロシア語でグルジアとして広く知られていた現ジョージアについて。
私が昔、1960年代から70年代にかけて5年間モスクワ大学大学院に在籍していた頃、まだソ連人だったジョージア人の友人たちとも付き合い、郷土ジョージアの友人宅を訪ね、カスピ海で泳ぎ、ジョージア人の田舎の結婚式に招かれ、ゴリ村にあるスターリンの実家も訪ねた。ソ連崩壊後も、日露専門家会議を何年か続けた安保研は、プリマコフ元外相・首相に招かれジョージアで会議を行い、合間に銘酒キンズマラウリ生産場も訪問し舌鼓を打った。その頃のロシア人のジョージア人に対するイメージは、北国では収穫できないオレンジその他の豊富な果物や野菜、それに有名な炭酸水やワインなどをロシアに運び込んで、ルィノク(市場)で要領よく金儲けしている連中、と言ったイメージだった。
ただ、政治的にジョージアが国際的注目を浴びたのは、2003年11月の所謂「バラ革命」で、その刺激を受けて翌年にはウクライナの「オレンジ革命」、2005年にはキルギスで「チューリップ革命」が生じている。これらは総称して「カラー革命」とも言われる。なお、2010年から12年にかけて、アラブ諸国では「アラブの春」と呼ばれる、下からの政権打倒運動が生じ、プーチン大統領(以下敬称略)はそれを抑えるためにシリアに軍事介入して、今はロシアに亡命しているアサドを助けた。
プーチン政権が政治的に最も警戒したのは、カラー革命やアラブの春のような下からの、あるいは国民的な権力打倒運動だ。というのはこれらの運動は、専制体制や腐敗した独裁政権、またそれらにつきものの不正選挙を厳しく批判し、民主化や自由化の要求を強く主張していたからだ。当然、政権側は「欧米の介入」と見た。
ジョージアの運命に決定的役割を果たしたのは、2008年8月のロシア軍の介入による南オセチア自治州、アブハジア自治共和国の「独立」だった。ロシアではこの独立は、「住民投票の結果で国際法上正当」だとしたが、国際社会では認められておらず、実際はロシアの愧儡政権(地域)だ。軍事介入以前からロシアはこの2地域の住民たちに広くロシア国籍を与えていた。ロシアの年金の方が多いので、国籍を受ける者も少なくなかった。トビリシのジョージア政権はロシアのその行為を強く批判していた。ロシア軍の介入以後、ジョージア国民の多くは反ロシア的となった。ロシア軍ではなくグルジア政権の軍が先に南オセチアを攻撃したとの見解もあるが、自国領内のある地域の分離・独立運動を警察や軍で抑えることと、外国を軍事攻撃することを、同じ次元で論じること自体が間違いだ。
問題は国際社会の反応である。翌2009年1月成立したオバマ政権は、ロシアのジョージアヘの軍事介入の批判をせず、彼が最初に打ち出した重要な外交政策は「米露関係のリセット」、つまり米露関係改善だった。オバマは2009年4月にはプラハで平和演説をし、10月にはノーベル平和賞を受けた。つまり、国際社会はロシアのジョージアヘの軍事侵攻に事実上目をつむり、プーチン政権は大国主義的な侵略行動に自信を強めた。世界の多くの専門家も見逃しているが、プーチン政権はジョージア軍事侵攻の直前の2008年6月1日に、ロシアの対外政策の重心を、共に国連憲章にも記されていることだが「領土保全」から「自決権」に移している。これは「住民投票によるロシアヘの併合」を狙ったもので、これがその後の「クリミア併合」やウクライナ諸州の「併合」にも及んでいるのだ。
ジョージアでは、ソ連時代にモスクワで学位を取リロシアやジョージアで新興財閥を立ち上げたビジナ・イヴァニシビリが2012年に故郷のジョージアで政党「ジョージアの夢」を立ち上げ、現在ではジョージア政権を担う与党である。数政党の寄り合い所帯から始めたが、12年の議会選挙で政権を獲得し、20年、24年の議会選挙でも勝利した。昨年12月の議会選挙に対しては、野党や反ロシア的な多くの国民だけでなく、欧州諸国やEUも「ジョージアの夢」の勝利を認めず、選挙結果の偽造などを理由に批判したが、「ジョージアの夢」の政権は今日まで続き、大統領や首相も立てている。ただ、2012年以来、実権は常に、大統領でも首相でもなく、新興財閥の政治家イヴァニシビジにあった。
そして、与党となった「ジョージアの夢」は親ロシア的だとして、或いはその政治が民主主義の後退だとして、多くの国民や野党、EUなどから今日も批判、攻撃されている。「ジョージア夢」が特に親ロシア的、あるいは民主主義の後退と見られる象徴的な政策がある。それは、2024年5月に、ロシアの悪名高い「外国エージエント(※ロシア語ではスパイと同義)に関する法」と同じ制度を導入したことだ。例えばロシアではある大学や研究所が共同研究で外国の大学や研究所と提携すると、その研究活動は「外国エージエントの活動」と表示しなくてはならない。また24年10月には、「家族の価値観に関する法(LGBT規制法)」も導入した。昨年10月の議会選挙の後に、ジョージアの野党や多くの国民、そしてEU諸国は(ハンガリーのオルバン政権を除く)勝利宣言した「ジョージアの夢」政権を「選挙違反」「選挙結果の偽造」「民主主義の後退」として批判した。
ここでやや不可解な現象がある。それは、一方で欧米は「ジョージアの夢」政権をこのように強く批判し、EUが2017年に導入したジョージアに対するビザ免除制度も、EUの12カ国がジョージアの外交官や公務員に関しては取り消した。
にも拘らず、ジョージアはNATO軍と首都トビリシ近郊で、共同演習をこの7月23日から8月6日迄実施しているのだ。NATO諸国はそのために軍人約2000人、米国は装甲車輛などを送り込んだ。ただ、演習の開会式には、ジョージアの大統領と国防大臣は、恐らく意図的に、遅刻した。そして、この演習中にも、ジョージアは同国駐在EU大使の出国を求めた。昨年は行わなかったこの共同演習を今年は行ったことに対し、ロシア紙は、「『ジョージアの夢』政権はその政府の正統性を欧米諸国に認めさせようとしているのだろう」としている(『独立新聞』2025.7.28)。私は、その側面も認めるが、ジョージア政権はロシアに緊張感を与えることで、プーチンから一目置かれることも狙っていると考える。プーチンはロシアに擦り寄って来る国は見下げ、緊張感を与える国は尊敬するからだ。(以下次号)
旧ソ連の共和国ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバは、ロシアから独立した民主主義を目指して1997年に国の頭文字からなる組織GUAMを創設した。ウクライナが典型だが今日も、アルメニアも含めこれらの諸国の対欧米と対ロシアの関係は複雑だ。例えば、親露的とされている現ジョージア政権が、NATO軍と自国内で、現在共同演習を行っている。ロシアと複雑な関係にあるGUAM諸国に数回ほど目を向けたい。
最近ロシアと真っ向からの対立関係に陥ったアゼルバイジャンについては後述するとして、先ずロシア語でグルジアとして広く知られていた現ジョージアについて。
私が昔、1960年代から70年代にかけて5年間モスクワ大学大学院に在籍していた頃、まだソ連人だったジョージア人の友人たちとも付き合い、郷土ジョージアの友人宅を訪ね、カスピ海で泳ぎ、ジョージア人の田舎の結婚式に招かれ、ゴリ村にあるスターリンの実家も訪ねた。ソ連崩壊後も、日露専門家会議を何年か続けた安保研は、プリマコフ元外相・首相に招かれジョージアで会議を行い、合間に銘酒キンズマラウリ生産場も訪問し舌鼓を打った。その頃のロシア人のジョージア人に対するイメージは、北国では収穫できないオレンジその他の豊富な果物や野菜、それに有名な炭酸水やワインなどをロシアに運び込んで、ルィノク(市場)で要領よく金儲けしている連中、と言ったイメージだった。
ただ、政治的にジョージアが国際的注目を浴びたのは、2003年11月の所謂「バラ革命」で、その刺激を受けて翌年にはウクライナの「オレンジ革命」、2005年にはキルギスで「チューリップ革命」が生じている。これらは総称して「カラー革命」とも言われる。なお、2010年から12年にかけて、アラブ諸国では「アラブの春」と呼ばれる、下からの政権打倒運動が生じ、プーチン大統領(以下敬称略)はそれを抑えるためにシリアに軍事介入して、今はロシアに亡命しているアサドを助けた。
プーチン政権が政治的に最も警戒したのは、カラー革命やアラブの春のような下からの、あるいは国民的な権力打倒運動だ。というのはこれらの運動は、専制体制や腐敗した独裁政権、またそれらにつきものの不正選挙を厳しく批判し、民主化や自由化の要求を強く主張していたからだ。当然、政権側は「欧米の介入」と見た。
ジョージアの運命に決定的役割を果たしたのは、2008年8月のロシア軍の介入による南オセチア自治州、アブハジア自治共和国の「独立」だった。ロシアではこの独立は、「住民投票の結果で国際法上正当」だとしたが、国際社会では認められておらず、実際はロシアの愧儡政権(地域)だ。軍事介入以前からロシアはこの2地域の住民たちに広くロシア国籍を与えていた。ロシアの年金の方が多いので、国籍を受ける者も少なくなかった。トビリシのジョージア政権はロシアのその行為を強く批判していた。ロシア軍の介入以後、ジョージア国民の多くは反ロシア的となった。ロシア軍ではなくグルジア政権の軍が先に南オセチアを攻撃したとの見解もあるが、自国領内のある地域の分離・独立運動を警察や軍で抑えることと、外国を軍事攻撃することを、同じ次元で論じること自体が間違いだ。
問題は国際社会の反応である。翌2009年1月成立したオバマ政権は、ロシアのジョージアヘの軍事介入の批判をせず、彼が最初に打ち出した重要な外交政策は「米露関係のリセット」、つまり米露関係改善だった。オバマは2009年4月にはプラハで平和演説をし、10月にはノーベル平和賞を受けた。つまり、国際社会はロシアのジョージアヘの軍事侵攻に事実上目をつむり、プーチン政権は大国主義的な侵略行動に自信を強めた。世界の多くの専門家も見逃しているが、プーチン政権はジョージア軍事侵攻の直前の2008年6月1日に、ロシアの対外政策の重心を、共に国連憲章にも記されていることだが「領土保全」から「自決権」に移している。これは「住民投票によるロシアヘの併合」を狙ったもので、これがその後の「クリミア併合」やウクライナ諸州の「併合」にも及んでいるのだ。
ジョージアでは、ソ連時代にモスクワで学位を取リロシアやジョージアで新興財閥を立ち上げたビジナ・イヴァニシビリが2012年に故郷のジョージアで政党「ジョージアの夢」を立ち上げ、現在ではジョージア政権を担う与党である。数政党の寄り合い所帯から始めたが、12年の議会選挙で政権を獲得し、20年、24年の議会選挙でも勝利した。昨年12月の議会選挙に対しては、野党や反ロシア的な多くの国民だけでなく、欧州諸国やEUも「ジョージアの夢」の勝利を認めず、選挙結果の偽造などを理由に批判したが、「ジョージアの夢」の政権は今日まで続き、大統領や首相も立てている。ただ、2012年以来、実権は常に、大統領でも首相でもなく、新興財閥の政治家イヴァニシビジにあった。
そして、与党となった「ジョージアの夢」は親ロシア的だとして、或いはその政治が民主主義の後退だとして、多くの国民や野党、EUなどから今日も批判、攻撃されている。「ジョージア夢」が特に親ロシア的、あるいは民主主義の後退と見られる象徴的な政策がある。それは、2024年5月に、ロシアの悪名高い「外国エージエント(※ロシア語ではスパイと同義)に関する法」と同じ制度を導入したことだ。例えばロシアではある大学や研究所が共同研究で外国の大学や研究所と提携すると、その研究活動は「外国エージエントの活動」と表示しなくてはならない。また24年10月には、「家族の価値観に関する法(LGBT規制法)」も導入した。昨年10月の議会選挙の後に、ジョージアの野党や多くの国民、そしてEU諸国は(ハンガリーのオルバン政権を除く)勝利宣言した「ジョージアの夢」政権を「選挙違反」「選挙結果の偽造」「民主主義の後退」として批判した。
ここでやや不可解な現象がある。それは、一方で欧米は「ジョージアの夢」政権をこのように強く批判し、EUが2017年に導入したジョージアに対するビザ免除制度も、EUの12カ国がジョージアの外交官や公務員に関しては取り消した。
にも拘らず、ジョージアはNATO軍と首都トビリシ近郊で、共同演習をこの7月23日から8月6日迄実施しているのだ。NATO諸国はそのために軍人約2000人、米国は装甲車輛などを送り込んだ。ただ、演習の開会式には、ジョージアの大統領と国防大臣は、恐らく意図的に、遅刻した。そして、この演習中にも、ジョージアは同国駐在EU大使の出国を求めた。昨年は行わなかったこの共同演習を今年は行ったことに対し、ロシア紙は、「『ジョージアの夢』政権はその政府の正統性を欧米諸国に認めさせようとしているのだろう」としている(『独立新聞』2025.7.28)。私は、その側面も認めるが、ジョージア政権はロシアに緊張感を与えることで、プーチンから一目置かれることも狙っていると考える。プーチンはロシアに擦り寄って来る国は見下げ、緊張感を与える国は尊敬するからだ。(以下次号)