国際問題に関して、ある2国のあるいは複数国家間の国益が対立した場合、武力紛争は避けて、あくまで交渉、話し合いで解決すべきと言うのは、当然の考えである。しかし、問題によっては、原理的に交渉、話し合いで解決するのは不可能と言うべき問題がある。
これまでも述べたことであるが、例えば、現在のロシア・ウクライナ問題であるが、プーチン大統領は2022年2月のウクライナへの武力侵略以後、何回か和平交渉・停戦交渉を口にしている。しかし、彼は当初から、クリミア半島とウクライナの4州(ドネツク、ルハンスク、ザポロージャ、ヘルソン)の帰属問題については、和平・停戦交渉の議題にしないとの条件を付ており、その条件を撤回したとの情報はない。すなわち、ロシア側が「法的にもロシア領」と宣言したこれらウクライナ地域は、ウクライナの政権がロシア領となったことを認めない限り、和平・停戦交渉は始めることさえできないのである。しかし、ウクライナが和平・停戦交渉を始める前から、これらのウクライナ地域をロシア領と認めることは、原理的にあり得ない。
また、プーチンはゼレンスキー大統領の政権を「ネオナチ」政権と呼び、またゼレンスキーは大統領の任期を既に終えた正統性のない大統領だとも述べている。つまり、「ネオナチ」であり、かつ戦時下で大統領選挙を実施できないウクライナのゼレンスキーを、ロシアの交渉相手の大統領とは認めないと宣言しているのだ。
プーチンはまた、ウクライナに「非武装中立」も要求している。一般に中立国は、スイスにしてもスウェーデン(今はNATO加盟国)にしても、軍事同盟加盟国以上に、国家の軍備や国民の防衛意識は強靭でなくてはならない。今日のような動乱の時代になっても、自国の軍備だけで、国を守らなくてはならないからだ。今日の状況でウクライナが「非武装中立国」になるということは、事実上ロシアの属国になることを意味する。このような理由で、ウクライナ側がこれらプーチンの諸要求を認めることは、原理的にあり得ない。
以上、ロシア側が領土主張の条件を撤回しない限り、話し合いでロシア・ウクライナ観の問題は原理的に解決不可能ということを述べた。
では、中国による日本産水産物の輸入全面禁止問題はどうだろうか。
中国は、昨年8月、福島第一原発が震災事故処理水の海洋放出を開始して以後、日本産水産物輸入を全面禁止した。これも、話し合いでは解決不可能の問題だ。国際原子力機関の調査の結果、処理放出は全く問題がないと発表されており、その調査には中国や韓国、フランス、米国など8カ国の原子力関係の専門家が加わっている。従って私は9月19日わが国の主要紙に次のように書いた。「中国は東京電力福島第1原発処理水の海洋放出を理由に、日本の水産物輸入を全面禁止している。しかしこれは、安全上全く問題のないことを百も承知の上での政治的な対応である。交渉で安全性を説明しても無意味だ。」
つまり、中国は処理水が全く安全だと知りながら、日本からの何らかの政治的譲歩を獲得する手段として処理水問題をそのための圧力の具に使っているのだ。ちなみに、水の一部として存在しているため濾過、吸着などで除去が難しい放射線トリチウム(三重水素)が海水で安全なレベルに薄められて放出されているのだが、日本が昨年8月以来、8回放出したトリチウムの総量はおよそ10.2兆ベクレルで、年間の最大値として設定している22兆ベクレルの半部以下だ。一方中国では、2021年に泰山原発で218兆ベクレル、陽光原発で112ベクレルが放出されている(日本経産省発表、NHK 2024.9.20)。トリチウムは、雨水、海水など自然界にも広く存在し、水道水や人体内にも微量のトリチウムが含まれている。一般の人の被曝限度は年間1ミリシーベルトとされているが、福島第一原発の処理水の放出による影響は、海産物を食べる量によって異なるが、1ミリシーベルトのおよそ50万分の1から3万分の1に設定されている。(NHK2023.7.4)
この状況下で今年の9月20日、日本のメディアは日本と中国両政府の話し合いの結果、中国が日本の水産物輸入を再開した、或いは再開しようとしていると錯覚するような報道をした。一例を挙げると、9月20日の讀賣新聞も翌日の日経新聞も(共に朝刊)「中国、水産物輸入再開へ」と全く同じ表題を付けて報じた。副題は、前者が「福島第一 処理水 監視を拡充」、後者が「日本と合意『段階的に』」となっている。NHKも「【詳報】中国 日本産水産物の輸入再開へ 日中両国が合意」との題で報じている(電子版)。
しかし、はっきり言わせて頂くと、このような表題を付けた記事は、日本人の対中認識、あるいは中国の対日政策の認識を誤らせるものである。この問題について、実際には中国外務省の毛寧報道官は9月20日に次のように述べている。
「日本の(核汚染水の)一方的な海洋放出に断固反対するという中国の立場に変わりはない。今回の両国の合意は、日本産水産物の全面的輸入の再開を意味しない。段階的な輸入再開については中国側が提示する要求を日本が十分に満たすという前提のもとで実施する方針だ。この後も、日本が調査などに全面協力するか、厳しくチェックして行く。」
これはNHKの9月20日19時のテレビニュースやユーチューブなどで報じられた中国側のこの問題に対する基本的態度である。中国側は、放水された処理水の厳格な調査の結果によってではなく、「中国側が提示する要求を日本側が十分に満たす」という前提で段階的な輸入の再開を考慮すると述べているだけで、この発言に具体性は一切ない。
日本の多くの主要メディアは、管見の限りでは中国側のこのような強硬姿勢を、きちんと正面に出して報道あるいは解説していない。
この9月18日に、中国深圳の日本人学校の10歳の男児が中国人男性に刃物で刺され、翌日死亡した。中国政府は、「どの国にでもあり得る偶発的な個別案件」だとして、逮捕した犯人の動機などの情報は一切公開していない。この犯行は、福島原発処理水海洋放出を口実にした中国の反日政治キャンペーンと無関係とは思えない。というのは、海洋放出後に中国の青島や蘇州で、日本人学校への石や卵の投げ込みが生じているからだ。
私が述べたいことは、中国は処理水の海洋放出の安全性を口実にしながら、本音では日本に政治的、経済的な圧力をかけて、日本側を屈服させる、あるいは様々な譲歩をさせることを目的としている。従って、「中国、水産物輸入再開へ」といった見出しを付けた記事は、日本人の対中認識を誤解させ、ますます甘くさせる可能性が大きい。メディアは現実を冷静に分析して、日本は、中国の不当な要求に屈するべきでない。もし日本がこの理不尽な要求に屈服すれば、日本を弱者と見た中国は、今後、様々な問題を持ち出して、対日圧力をますます強めることになるだろう。