(1)大国間競争時代の日タイ関係

2027年は、日本とタイの外交関係樹立140周年という節目の年に当たる。これまで両国は、1930年代・40年代を除けば、大国間競争を形成する側ではなく、競争にいかに対処するかを考える立場に置かれてきた。こうした歴史的経緯を踏まえるならば、世界的な大国間競争が激化する今日にあって、日タイ関係の歩みを振り返り、そこから得られる教訓を検討することの意義は大きいといえる。

日タイ関係は現在、大きな転換点に直面している。タイにとって最大の貿易相手国は、既に日本から中国へと替わり、投資や観光、ビジネスの分野においても日本のプレゼンスは相対的に低下しつつある。こうした構造的変化を踏まえ、両国関係のあり方も新たな局面を迎えつつある。

(2)『ラーマキエン』が伝える教訓

『ラーマキエン』は、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』をタイで翻案した作品であり、神の化身であるラーマが、猿の将軍ハヌマーンの助力を得て、ランカー島の魔王トッサカンにさらわれた妃シーダーを取り戻す物語である。この物語は単なる娯楽ではなく、タイ王室において道徳的・政治的教育の手段として用いられてきた。その内容には、欧米中心の国際関係理論とは異なる政治的語彙が見られるものの、その論理はリアリズムの政治術と符合する。この点は、日タイ関係史を考察する上でも重要な示唆を与える。

(3)日タイ関係を構築した日本外交官のリーダーシップ

『ラーマキエン』において、猿の将軍ハヌマーンがラーマに助力を申し出る場面は、日タイ関係史における自発的に担われるリーダーシップの価値を表している。日本の外交官たちは日タイ関係のため優れたリーダーシップを発揮した。稲垣満次郎は仏舎利の一部を日本へ分与するよう働きかけたほか、矢田部保吉は実業家伊藤次郎左衛門の支援を得て、タイ人留学生のための奨学金制度を創設した。

(4)長期的・安定的関係のための投資

ハヌマーンの軍勢をラーマが得る契機となったのは、ラーマが猿の王スクリーブの復位を支援したことにあった。この場面は、見返りが不明確であっても関係構築に投資することの重要性を教訓として示している。この論理を体現しているのが、戦後の日本によるタイへのODAである。日本のODAは長期にわたって継続し、タイの経済成長を大きく支えてきた。

(5)相互利益による合意

物語の冒頭には、神々と阿修羅が長い交渉を経て不老不死の霊薬を得る「乳海攪拌」の場面が描かれている。インド文化圏で広く知られるこの逸話は、相互利益の実現を通じて合意形成が可能となることを明らかにしている。日本とタイは、負の事例を持ちつつも、修好通商宣言(1880年)、修好通商航海条約(1898年)、経済連携協定(2007年)などを通じて、相互利益に基づく協力関係を積み重ねてきた。

(6)多層的な関係構築

長期的かつ持続的な関係は、多層的な結び付きによって支えられる。ラーマが勝利を収めた後、トーサカンの弟であるピペークが兄の後を継いでランカーの王位に就く。インドの政治思想であるサプターンガ論では、強固な国家は、正しい統治者、賢明な大臣、十分な資源、強力な軍事力など、七つの要素によって成り立つと説かれている。日タイ関係は、ラーマの言うような強固で多層的な結びつきによって強化されており、地方自治体間の交流をはじめとする準公式な関係や、文化交流、民間関係など多様なネットワークによって支えられてきた。

(7)好機の捕捉

『ラーマキエン』では、猿の軍勢がランカー島へ渡るため、海上に橋を建設する場面が描かれている。橋の建設には、占星術に基づいて適切な時機を見定め、それを逃さず捉える能力が求められた。この点は、タイの経済発展にも通じる。日本からタイへのODAが拡大していた1985年、プラザ合意による円高を好機と捉えたタイは、それまで進めてきた規制緩和をさらに推進し、日本からの大規模な直接投資を積極的に受け入れた。一方、日本企業もまた、円高をタイへの投資拡大の好機と捉え、その機会を積極的に活用した。その結果、タイは急速な経済成長を遂げ、日本企業もタイへの進出を通じてその成長の恩恵を享受することとなった。

(8)影響力のあるコミュニケーション

最後に、説得力のある効果的なコミュニケーションの重要性も、教訓の一つとして挙げることができる。物語でハヌマーンがシーダーを発見した際、自らがラーマの使者であることを示すため、ラーマの指輪を提示する場面が描かれている。この逸話が示すように、政策の内容だけでなく、ソーシャルメディア時代にふさわしい広報外交を展開しなければ、その効果を十分に発揮することはできない。

コロナ禍において、日中両国はタイにワクチンを支援したが、中国がワクチンを積載したコンテナの写真を積極的に広報へ活用した一方、日本の広報は通常の贈呈式にとどまった。政策の効果を高めるためには、受け手に与える印象を踏まえた戦略的な広報外交が重要となる。

(文責、在事務局)