(1)なぜ今ブラジルなのか

ウクライナ戦争や米中対立に象徴される国際秩序の分断が進むなか、ブラジルは対話チャンネルを多方面に持つ「中庸外交」により存在感を高めている。とりわけルーラ大統領は、COP30議長国として環境・脱炭素分野で主導力を発揮し、国際舞台での発言力を強めている。2025年は日本・ブラジル外交関係樹立130周年に当たり、要人往来が活発化し、政府間協力は近年にない密度をみせている。他方、企業交流は必ずしも十分と言えず、日本企業の対ブラジル投資比率は3%前後にとどまる。

(2)PEST分析から見るブラジルの特徴

ブラジルの環境について、政治(P)、経済(E)、社会(S)、技術(T)のPESTフレームで捉えると、ビジネス面での強みが浮かび上がる。
政治(P): 民政移管以降、左派・右派の政権交代を経験しつつ、資本主義と民主主義を維持。内戦リスクは低く、民族・宗教対立も希薄。外資規制は比較的緩やかで、OECD加盟を視野に制度の国際標準化が進む。一方、メルコスールの枠組み上、単独FTA交渉ができない点は制約となる。
経済(E): 実質成長率は振れ幅が大きいものの、資源・農産品・海底油田など多様な産出が経済を下支えする。中央銀行の独立性に基づく金融運営が確立し、インフレ抑制と為替柔軟性の仕組みが機能している。
社会(S): 世界最大規模の約270万人の日系社会を背景に親日感が強い。人口は2億人超と大きく、消費市場は1.7兆ドル規模に達する。人口ボーナスはまだ続く見通し。
技術(T): エンブラエルをはじめ航空・自動車など重工業の民営化・効率化が進み、新産業の台頭が見られる。フィンテック、都市問題、医療など社会課題を背景としたスタートアップが急伸し、PIXなど金融プラットフォーム改革も進展。日本企業との補完性も高い。

(3)日本企業がブラジルを敬遠する理由

ブラジルへのビジネス進出が盛り上がらない背景には、企業側に根強く残る「過去のトラウマ」と「不安定な国」という認識がある。1980年代のデフォルトや、2010年前後の投資ブーム後の急速な失速など、景気が大きく落ち込む局面を経験した世代が現在の経営層となり、ブラジル経済を「急に景気が落ちる国」とみなす傾向が続いている。また、治安不安、日本からの距離、現地事情が本社に十分伝わらないという構造的な問題も指摘されている。一次産品依存による景気の振れ幅の大きさから、「飛べそうで飛べないニワトリ」「ストップ・アンド・ゴー」などの比喩で語られる場面も多く、こうしたイメージがブラジルに対する慎重姿勢を固定化させている。一方で、実際には1994年のレアル計画そして99年の変動相場制移行後より、通貨は概ね安定し、インフレも金利政策によって抑制されてきた。さらに、多様な産業構成により通貨下落時には資源加工品の輸出が伸びて下支えするなど、変動相場制の下で経済が大きく崩れにくい仕組みが働いている。財政面でも、過去のハイパーインフレを経験した社会背景から歳出抑制策が一定程度機能しており、長期的には「沈みそうで沈まない船」と評される安定性がある。

(4)「ブラジルコスト」と企業の戦略

ブラジルでは労働裁判の多さや複雑な税制など「ブラジルコスト」と呼ばれる課題が指摘されてきたが、労働法の80年ぶりの改正、年金改革、税制改革などが実施に移され、弱点は徐々に改善されつつある。また、長年ブラジルで事業を行う企業は、不況期に特有の通貨安・インフレ・高金利の状況に対応する工夫を蓄積している。高金利を活用して本業の赤字を補填したり、借り手優位となる局面で良い立地を確保したり、身売り企業が増える時期に将来収益を生む資産を取得するなど、逆境を機会に変える戦略が共有されている。こうした企業は「必ず冬が来る」ことを前提に経営を組み立てており、ブラジルの弱みを織り込みながら事業を継続している点が特徴である。

(5)新たな産業でwin-winの関係を構築

ビジネス交流を活性化するための第一の切り口として、新たな産業分野での双方に利益をもたらす協力が挙げられる。ブラジルは長年中所得国から抜け出せず、教育面の課題もあり研究開発や革新的産業の育成が難しかった。そのため自動車産業も含め外資企業への依存が続いた。安価な労働力を活かした輸出型製造業のビジネスモデルは、労働組合の影響が小さく人件費もブラジルの約4分の1であるパラグアイに取られてきた。しかし近年は健康・医療、教育、都市問題、金融などの社会課題を背景にスタートアップが台頭しており、中央銀行による仕組みも相まって社会が変化しつつある。フィンテックでは中銀が構築した即時決済システム「PIX」が普及し、経済的に未発展の地域でも現金を持ち歩かずに取引できる環境が整った。銀行口座を持てなかった層も、ヌーバンクの登場により金融アクセスが拡大している。配達アプリや乗り合いサービスなども治安面の改善に寄与し、社会課題を起点としたビジネスが広がっている。通信の民営化を経てインフラが整っていたこともスタートアップの勃興を後押ししており、日本企業が参加・連携できる余地も大きい。ルーラ政権は農業・食、医療・保険、インフラ・都市・モビリティ、産業DX、バイオエコノミー・脱炭素、エネルギー転換、防衛技術など六つの重点分野を掲げ、これらの新産業強化を志向している。

(6)企業側からの制度提案

ビジネス活性化の第二の切り口は、制度を受動的に受け入れるのではなく、制度形成に能動的に関与する「非市場戦略」である。ダイキンはJICAスキームを用い、省エネ基準の改正に働きかけ、制度自体を有利な方向へ転換した。JICA・JETROなど日本の政府機関のスキームを活かし、官民連携で制度整備を進めることが、今後のビジネス拡大の鍵となる。

(文責、在研究本部)