はじめに:『新・戦争論』を継ぐもの

2025年、日本は戦後政治史に新たな一頁を刻んだ。自民党総裁選において高市早苗氏が第29代総裁に選出され、第104代内閣総理大臣に就任したのである。憲政史上初の女性首相の誕生は、単なるジェンダー平等の象徴ではなく、日本政治と外交理念を刷新する歴史的転換点である。いま求められているのは、高市新政権がこの歴史的節目を機に、分断と対立が顕著化する国際社会の現実に正面から向き合い、対話と接続を重んじる令和日本外交の新たな方向性を切り拓くことである。日本外交の針路を定めるうえで、この「初の女性宰相」の登場は、政治的象徴を超えた文明的意義をも帯びている。

言うまでもなく21世紀の国際秩序は、もはや「安定」や「平和」といった言葉で単純に語ることができない局面に入りつつある。大国間対立の再燃、非国家主体の台頭、気候変動や感染症のような地球規模課題、さらにはAI・サイバー空間を舞台とする情報戦の拡大――これらが同時並行的に進行する現代において、「戦争」と「平和」の境界はかつてなく曖昧化し、従来の安全保障論の枠組みでは捉えきれない現実が横たわっている。ウクライナ戦争は大国間戦争が「過去の遺物」ではなかったことを示し、ガザ衝突は非国家主体による暴力が国際秩序を根底から揺るがし得ることを示した。米国の孤立主義的傾向、中国やインドを含む新興大国、さらにはグローバルサウスと呼ばれる諸国の台頭は、単一の価値観で国際秩序を律することの困難を明らかにしている。

とりわけ、グローバルサウス諸国の多くが参加するBRICSに焦点を当てれば、その構造的変化はより鮮明である。JETROの2024年推計によれば、BRICS加盟国の人口は合計35億人と世界の約45%を占め、経済規模は28兆ドルを超える。まさにグローバルサウスの中核的枠組みとして飛躍的に成長する一方で、加盟国間の政治的主張や価値観の差異、宗教・文化的多様性が各種の摩擦を生んでおり、統合的秩序の形成はいまだ不安定である。

加えて、日本自身が直面する地政学的課題も複雑化している。東アジアの軍拡競争、台湾海峡や朝鮮半島の緊張、エネルギー供給の不確実性、さらには少子高齢化が安全保障の基盤を揺るがしている。こうした複雑なリスクとオポチュニティが混在する現実を前に、故・伊藤憲一の『新・戦争論』(2007年)を再考する意義はきわめて大きい。

同書は冷戦後の混迷を背景に、「戦争は不可避の宿命ではなく、一定の社会的・技術的・政治的条件のもとで成立する現象である」という独自の視点を提示した先駆的業績であった。すなわち戦争とは、人類が「無関係な群れ」から「制度化された集団」へと進化する過程で生じた社会現象であり、条件が変化すればその姿も変わり、時に終焉すらし得る。伊藤は戦争を人類史的スケールで捉え直し、古代ギリシアのペロポネソス戦争、近代ヨーロッパの三十年戦争、二度の世界大戦に至るまで、社会現象としての意味変容を追跡した。その上で彼が提起した「積極的平和主義」とは、単なる軍備強化ではなく、戦争を成立させる条件を除去し、日本人が平和を「他人事」としてではなく「自ら構想し、行動する課題」として引き受ける構想転換を意味していた。

この視座を日本外交に引き寄せれば、戦後日本は憲法第九条と日米安保体制の共存の中で「非軍事国家」としての枠組みを維持してきたが、湾岸戦争やPKO協力法、「人間の安全保障」の提唱などを通じて、受動的な戦後レジームから脱却し、国際秩序形成に主体的に関与する模索を続けてきた歴史を持つ。『新・戦争論』はその節目に登場し、日本外交に「構想力」を呼び覚ます契機となったのである。

しかし、令和の今日、日本を取り巻く状況は一層厳しい。石破前政権の短命はその一例であり、日本政治に繰り返し顕在化する「統治の断続性」は、国際社会における信頼を損ないかねない。外交理念を制度化し、政権交代を超えて持続する戦略へと昇華できるかが問われている。まさに現代日本に問われている最重要課題の一つこそ、持続可能かつ接続性の高い外交戦略を実装する統治能力の維持・強化にほかならない。

本論では、伊藤の洞察を継承しつつ、21世紀の「複合危機」の時代に即した新たな戦略的課題を探究する。日米同盟の強化、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)の実現、グローバルサウスとの連携という外交三本柱に加え、ユーラシア地域との接続的関与(令和版ユーラシア外交)や「人間の安全保障」、さらには女性・平和・安全保障(WPS: Women, Peace and Security)の理念の具体化――これらは日本が「狭間の国家」として漂流するのか、それとも「架け橋国家」として秩序形成に参画するのかを分かつ分水嶺である。

刊行から二十年近くを経た今日、『新・戦争論』の視座は部分的に限界を露呈しているのも事実である。AI・サイバー・宇宙といった新領域、さらにはグローバルサウスの戦略的自立性の高まりといった要素は、当時の想定を超えている。令和の国際秩序を論じるためには、伊藤の理論的骨格を継承しつつ、これら新しい条件を補強し、「続・新戦争論」ともいうべき新たな方向性を提示する必要がある。
 戦争と平和のあわいに立つこの時代に、我々は伊藤の洞察を回顧するだけでなく、それを更新し、超えていく責務を負っているのである。

1.『新戦争論』の骨格と現代的意義

(1)『新戦争論』の登場と背景

『新・戦争論』は、冷戦終結後の国際秩序が「単極時代」へと移行するかに見えた時期に登場した。ソ連崩壊を経て米国一極支配の到来が予測されたものの、旧ユーゴスラヴィア紛争やルワンダ虐殺など惨禍は相次ぎ、国際社会は「冷戦後の平和」という幻想から早くも目を覚まさざるを得なかった。しばしば、「戦争は国際政治のあり方を変えた」と指摘されるが、伊藤は、国内政治では紛争が制度的手続きで処理されるのに対し、国際政治では軍事力によって処理され戦争へ転化することを指摘し、戦争は国際関係という社会現象の必然的帰結だと論じた。そしてその克服には国際関係の制度そのものの変革が不可欠だと説いた。

他方、社会現象としての戦争と「国際関係」「国際政治」の関係については、ある種、秩序転換を告げる構造現象を伴っていた点があることも強調しておきたい。

例えば、古代ギリシアのペロポネソス戦争は都市国家体制を揺るがし、宗教戦争は近代主権国家体制を生み、二度の世界大戦は帝国主義秩序を解体し国際連合体制を成立させた。まさに戦争は「文明の秩序転換を告げる鏡」であることの証左である。そして、この発想は西洋の戦争観とも響き合う部分は多い。トゥキュディデスは戦争を権力秩序の転換として描き、クラウゼヴィッツは「戦争は政治の延長」と定義したことからも明らかである。

一方、戦争を秩序現象と捉える発想は、東洋思想にも共鳴する。『孫子』は「百戦百勝は善の善に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」と説き、戦争の本質を武力の消耗戦ではなく、情報・心理・外交を総合した「統治の技術」とした。また、武田信玄の「風林火山」や陽明学派の「兵は仁の器」といった言葉も、『孫子』の兵法書同様に戦を倫理と秩序の文脈に位置づける試みであった。

その意味において、今日の複雑化する現代紛争を総合的に理解するにあたって、我々は改めて戦争が国際政治とともに生まれることを念頭に置きつつ、これまでの東西の伝統を結び合わせ、クラウゼヴィッツ的命題に孫子の「情報・心理・統治」の視座なども加えた多角的かつ柔軟な視座を国民が養うことで、これからの日本が依拠すべき知的土壌を形成できるのではないか。

(2)日本外交への問いかけ

著者もかねてより、民間外交の立場から次なる日本外交のあるべき形を模索してきた。その原点には、湾岸戦争時に浴びた「カネは出すが血は流さない」という国際的非難、安保理常任理事国入りの挫折、イラク戦争への曖昧な関与といった、戦後日本の戦略的受動性への痛烈な反省がある。これらは、日本が「戦後レジーム」に安住し、主体的な国際秩序形成の構想力を欠いてきたことを示す象徴的な出来事であった。

従来の国際関係論は、主権国家・覇権・勢力均衡といった西洋的パラダイムを基軸としてきた。しかし、グローバルサウスの台頭と非西洋的秩序観の顕在化は、そうした「支配と均衡」の論理に限界を突きつけている。国際政治の実相は、力の投射よりも、関係性・共存性・調整性といった動的相互作用の中にこそ見出されつつある。ここに、対立する国家や価値の「間(あいだ)」に生まれる関係性、すなわち調整・共振・創発のダイナミズムを可視化することが、次なる日本外交の出発点になる。

すなわち、日本は典型的な「狭間国家」として、複数の大国と課題国家のあいだに立ち、時に翻弄されながらも、独自の外交的裁量を模索してきた。冷戦後の国際秩序において、ウクライナ、ジョージア、アルメニア、中央アジア、さらには中東やアフリカ諸国もまた、大国の対立の裂け目において主体的戦略を展開してきた「狭間国家」の典型である。米中覇権競合が激化し、ロシアや朝鮮半島という不安定な近隣を抱える日本もまた、今後、受動的に翻弄されるのか、それとも「間」を資源と化す主体へと転じるのかが問われている。

同書の意義は、こうした問いに通底している。同書が刊行された2007年当時、世界はまだ単極的秩序の余韻に浸っていた。しかしその後の国際環境は激変した。ウクライナ戦争は大国間戦争の復活であると同時に、サイバー戦・偽情報戦を含む「ハイブリッド戦」として展開し、イスラエルとハマスの衝突は非国家主体の暴力が秩序を根底から揺るがす現実を示した。ドローン、AI兵器、宇宙・サイバー領域をめぐる攻防は、戦争の概念を根底から再定義しつつある。

同時に、米国の内政不安、中国の台頭、グローバルサウスの戦略的自立――これらの動態が交錯することで、2007年当時では想像し得なかった多極的秩序が出現している。

この複雑な時代において、日本外交に問われているのは、単に「どの側に立つか」ではなく、いかに「間」を設計し、世界をつなぐ主体となるかである。それは、対立軸の裂け目において新たな関与の回路を作り出す「媒介的アクター」であり、国家間の断絶を緩和する「接続的秩序」の担い手にもなりえる。

(3)現代的課題

国際社会が多極的秩序へ移行するなか、日本は米国同盟を基軸としつつも、中国・ロシアとの関与を調整し、中央アジアや中東、欧州との連結を戦略的に設計する必要がある。その過程では、安全保障・エネルギー・経済・規範外交といった多層的課題が交錯し、単線的な「対米追随」や「対中抑止」では応じきれない。むしろ大国の狭間に位置するからこそ、相互依存と摩擦の両義性を活用し、秩序形成の主体となる余地がある。

しかし今日、日本は再び政治的基盤の脆弱さを露呈している。石破前政権の短命退陣劇は、海外メディアに「日本政治の慢性的な不安定さ」「戦略的継続性への疑念」と評された。戦後史において中曽根、小泉、安倍らの長期政権が例外的安定をもたらした一方で、短命政権の連鎖は国家戦略の持続性を阻んできた。いかに国内政治の安定と戦略形成能力を制度化するか――これこそが日本外交の最大の死角である。

その意味において、日本がこれから「世界をつなぐ主体」へとさらに昇華するには――それは短命政権という病理を克服し、戦略形成能力を制度化できるかにかかっている。そのためにも、今後高市新政権が、いかにして日本外交の選択肢を拡げるかが重要になる。

2.日本外交を拡げ・接続するということ

(1)日本外交の光と影

戦後日本外交は、軍事的制約を前提としつつも、独自の資産を積み重ねてきた。第一に「調整力外交」である。冷戦期には東南アジア諸国との経済協力を通じて非同盟諸国との接点を模索し、冷戦後にはアジア太平洋の多国間協力枠組みに積極的に関与してきた。力による均衡ではなく、利害対立の調停を通じて合意形成を促す姿勢は、日本が大国的制約を逆に強みに変えてきた典型である。

第二に「人間の安全保障」外交がある。国内紛争や脆弱国家が増えるなかで、個人の尊厳を外交理念の中心に据えた発想は、国際社会に新たな規範的資源を提供した。国連や開発援助の現場において、日本の主導は高く評価され、規範外交の一翼を担ってきた。

第三に「ODA外交」の蓄積である。アジア諸国のインフラ整備、教育・保健分野支援、環境協力などを通じて、日本の援助は単なる資金提供を超え、地域秩序の安定と信頼醸成を支える基盤となった。中国の一帯一路に押され相対的な優位は低下したが、「質の高い援助」と「現場に根差す協力」の伝統は依然として大きな外交資源である。

その一方で、日本外交は構造的制約を免れない点も指摘しなければならない。
第一に人口減少と経済停滞である。経済基盤の縮小は国際的影響力の土台を侵食し、外交資源の制約をもたらす。

第二に軍事的制約である。自衛隊は近代化を進めつつも集団的自衛権の限定的行使にとどまり、大国外交に比すれば制約は明白である。

第三に世論の制約がある。海外派兵や武力行使に慎重な国民意識は、外交を「安全志向」に傾斜させる。

さらに近時注目すべきは「短命政権」という制度的制約である。日本の歴代政権の多くは、その短命さゆえに実務的成果を残すには至らなかったものの、「日本外交が持続性を欠きやすい」という構造的問題を浮かび上がらせた点で無視できない。

(2)制約を強みに転じる方途とその意義

しかしながら、制約は必ずしも弱点にとどまらない。日本外交の本質的資産は、むしろ制約の中で磨かれてきた。軍事力を欠いたからこそ、調整力外交や人間の安全保障といった理念外交が発展した。さらに近年では、日本の「WPS」への取組みにも注目が集まる。日本は「WPS決議」が採択されて以降、3次にわたって「行動計画」を策定し、決議履行のため積極的な措置を実施している。例えば、紛争関連の事態をはじめ、自然災害・気候変動への対応、さらにはWPS普及に向けた人材育成など、その取り組みは多岐にわたる。今後仮に、日本の経済的地位が相対的に低下しても、「質の高い援助」や「信頼構築外交」の柔軟性は揺るがない。

また、短命政権の問題も、逆説的には「制度に依存しない外交資産」の重要性を照らし出す。官僚機構、学術界、市民社会、国際機関とのネットワークを基盤とする外交は、政権の寿命を超えて継承可能である。日本外交の課題は、制約を認識したうえで、それを織り込んだ「持続可能な外交アーキテクチャ」を構築することにある。

そのなかで日本外交の意義は、強みと制約を二分法的に捉えるのではなく、それらを統合的に戦略化する点にある。調整力を伴う外交は制約を前提にするからこそ国際的に評価され、短命政権の脆弱性も制度外の資産を積み重ねることで補強できる。すなわち日本の独自性は「制約を資源に転化する能力」にこそ見出される。そして日本は、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想の延長線上に、グローバルサウスとの協働的対話の場を設け、「価値共有」と「制度的包摂」を両立させる新たな外交戦略を模索しなければならない。

大国含め国家間の圧力に挟まれながらも、制約を逆用して主体性を確立する国家の戦略は、まさに今日の日本外交に当てはまる。著者が拙稿「『ユーラシア外交』という日本の選択」(中央公論新社、2022年)で強調したとおり、日本の使命は、変容する国際秩序を受動的に追随することではなく、自らの強みと制約を戦略資源として活かし、流動的国際秩序において、主体的外交(能動的役割)を果たすことにある。

3.令和版「新戦争論」の要諦

(1)「強みと制約がある国家」としての日本の自覚

令和の国際秩序における日本の位置を考察するにあたり、出発点となるのはその地政学的・戦略的特質である。冷戦期、日本は「経済大国」かつ「軍事的小国」として、日米安保体制の下で繁栄を享受した。しかし21世紀に入り、米国の相対的地位低下、中国の台頭、ロシアの復権、グローバルサウスの自立的行動が交錯するなか、日本はもはや「同盟一辺倒」だけでは国益を守り得ない局面に直面している。

米国の孤立主義的傾向や「トランプ政権2.0」が示すように、日米同盟の堅牢性すら永続的に保証されたものではない。このような不確実性の時代において日本がとるべきは、自らの強みと制約がある国家としての自覚を、戦略的資産へと転換することである。

戦後日本の制約――すなわち軍事的抑制、法的規範、経済的依存――は、一見すれば脆弱性の象徴である。しかしそれは同時に、「制度化された抑制」としての道義的信頼性を生み出してきた。日本が「間」を設計する国家とは、力によらず秩序を繋ぐ意思を持つ国家のことにほかならない。この視座こそ、令和日本外交の独自性を形成する一つの源流である。

(2)日米同盟と多国間外交の二重戦略

では、今後日本はいかなる戦略を採用すべきか。その一つの解として、著者は既述の外交三本柱に加え、もう一つの視点――すなわち「同盟か自立か」という二項対立を超えた「接続外交(Connective Diplomacy)」ともいうべき構想を提起する。

日米同盟は依然として日本外交・安全保障の基盤である。中国の軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発、ロシアによる現状変更の試みを抑止するうえで、米国との協力は不可欠である。しかし、同盟だけでは対処し得ない課題が存在する。気候変動、感染症、移民・難民、資源・食料安全保障といった「非伝統的安全保障課題」は、軍事的抑止の論理では解決できない。

ゆえに日本は、同盟を基軸としつつも、BRICS、ASEAN、EU、アフリカ、中南米などの多層的ネットワークを重ね、「分断を媒介し、対立の狭間を橋渡しする外交国家」へと脱皮しなければならない。著者が考える「接続」とは、戦略である以前に倫理であり、他者と共に世界を設計する意思である。これこそ『続・新戦争論』が目指す、「戦争の条件を変える外交」の具体的展開である。

(3)ユーラシア外交・WPS・SDGsの接合

この文脈において、日本外交の新たな戦略的資源として浮上しているのが、「ユーラシア外交」をはじめ、WPSやSDGsといった国際規範である。

ユーラシア外交は、戦後日本において長らく空白とされてきたが、資源・インフラ・安全保障・文化の多元性を包含する戦略軸として再注目されている。ロシア、中国、中央アジア、中東欧を含むユーラシアは、まさに「世界の間」を象徴する地政空間である。

一方、WPSやSDGsは、日本が非軍事的分野で主導的役割を果たし得る規範的装置である。WPSはジェンダーの視点を平和構築・災害対応・紛争予防に取り入れる包括的枠組みであり、「人間の安全保障」と自然に接合する。SDGsもまた、開発・環境・包摂を横断する舞台として、日本の国際的信頼を制度化する契機となる。

重要なのは、これらを個別施策としてではなく、「接続の理念」のもとで統合的に構築することである。資源外交に持続可能性を組み込み、WPS推進を多国間協力と接合し、SDGsを外交の主流に位置づけることによって、日本は「人間中心の安全保障国家」としての地位を確立できる。ユーラシアとは地理ではなく、共存を制度化する思想である。

(4)令和版「新・戦争論」の要諦

以上を総合すると、令和版「新・戦争論」の核心は、日本が「狭間国家」としての立場を戦略的資産へと転換し、日米同盟と接続外交を両輪としつつ、ユーラシア外交・WPS・SDGsを接合することで「能動的な秩序形成者」として振る舞う点にある。

今日の戦争は、国家間対立、非国家主体の暴力、気候変動や感染症といった非軍事的危機が絡み合い、多層化している。その中で日本に求められるのは、「受動的な追随者」ではなく、「能動的な設計者」として秩序形成に寄与する姿勢である。

少子高齢化や防衛力整備の限界といった制約は、むしろ非軍事的分野でのリーダーシップを正当化する資源となり得る。軍事力に依存せず、理念・制度・協調の力によって国際秩序を形づくること――これこそが令和版「新・戦争論」の中核命題である。

冷戦期の樽俎折衝がやがて「日本外交の実務力」として評価されたように、今こそ再び、日本は時代の狭間にあって構想力を問われている。国際秩序が揺らぐ今日だからこそ、日本外交には「つなぐ力」「媒介する力」を通じて、新しい共存のビジョンを描く責務がある。短命政権の影に隠れた構想の萌芽を拾い上げ、次代の戦略へと昇華すること――それこそが、令和日本外交に課せられた歴史的使命である。

結章 続編への道筋 ― 日本外交の未来構想

『新・戦争論』から『続・新戦争論』へ

令和時代の今、私たちが問うべきは、「日本外交はこの変容する戦争と秩序の関係性にどう向き合うのか」という根源的な課題である。本稿は、伊藤憲一の思想を引き継ぎつつも、21世紀型の複合危機を前に、日本が自らの外交的独自性をどのように発揮し得るかを探求する試みであった。伊藤が『新・戦争論』で提示したのは、「日本は国際秩序の傍観者でよいのか」という根源的な自問である。令和の私たちもまた、同じ問いを突きつけられている。ただし、その文脈は当時よりもはるかに複雑である。

大国間戦争の帰還、非国家主体の暴力の拡大、そして地球規模課題の深刻化。これらの「複合危機」の時代において、日本が果たすべき役割は、戦争の一当事者としてではなく、戦争と平和を超えた新しい秩序の設計者としての役割である。

その際、日本が掲げるべき理念は「調整力」と「人間中心性」である。軍事力を誇示するのではなく、異なる価値観や制度をつなぐ包摂的枠組みを提示すること。国家の安全のみならず、人間の尊厳と生活を守る安全保障を構築すること。これらは、日本が歴史的に蓄積してきた強みであり、令和版「新・戦争論」の核心でもある。

日本が「狭間国家」であることを戦略的に活かし、米国、欧州、ユーラシア、アフリカ、グローバルサウスを結ぶ「架け橋国家」として秩序形成に参画する。その姿こそが、「戦争と平和」あるいは「同盟か自立か」の二項対立を超えて、日本が果たすべき未来構想である。

『新・戦争論』における「新」の一字について、伊藤はあとがきで次のように語っていた。

「数多の戦争論がある中で、あえて『新』の一字を冠したこの戦争論を世に送る理由は、これをもって最後の『戦争論』にしたいとの私の願いがあってのことだからである」

混迷を深める令和の国際秩序において、我々はなお「続・新戦争論」を語らざるを得ない。しかしそれは、伊藤の願いに背くものではない。むしろ、彼の思想を継ぎ、戦争を抑止するのではなく、戦争の条件そのものを変革する外交を再構想するための試みである。

いま再び、日本は歴史の狭間に立つ。だが、その狭間こそ、未来を設計する余白でもある。ここからが、令和日本外交の新しい章の始まりである。 (了)