(1)加茂 具樹 慶應義塾大学総合政策学部長・教授による報告

本報告では、中国が近年繰り返し提示している「平和的発展の道を歩む」という概念について、その歴史的展開と現在的意味、さらにそれが対日認識に与えている影響について検討する。とりわけ、2025年9月3日の中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年記念式典において改めて強調されたこの言葉は、単なるレトリックではなく、中国の対外戦略の変化を示す重要なシグナルである。

まず確認すべきは、この「平和的発展」という概念が、過去30年のあいだに大きく性格を変えてきた点である。1990年代以降、中国指導部は一貫して、戦争や覇権を追求せず、国内発展に専念するという姿勢を示してきた。その戦略の核心は「韜光養晦」にあり、中国の発展が国際社会にとって脅威ではなく機会であることを繰り返し訴えることで、対外的警戒を和らげ、発展に必要な時間を確保しようとしてきたのである。ここでの「平和的発展」は、あくまで受動的・防御的な性格を持つものであった。

しかしながら、現指導部のもとでこの概念は質的に転換している。現在では、「平和的発展の道を歩む」という表現は、「人類運命共同体」という中国主導の国際秩序構想と不可分のものとして語られている。中国は自らを「責任ある大国」と位置付け、戦後国際秩序の「揺るぎない擁護者」であると同時に、それをより良く発展させる主体であると主張する。そして、自国の発展そのものが「世界の平和力量・安定力量・進歩力量」として機能するという認識を提示するのである。ここにおいて、「平和的発展」はもはや消極的な自己抑制の論理ではなく、世界ガバナンスへの積極的関与を正当化する、能動的・攻勢的な戦略概念へと変容している。

このような中国の自己認識の変化は、対日認識にも明確な影響を与えている。その一端が、「新型軍国主義」という語の登場である。2026年1月9日付『人民日報』の「鐘声」署名コラムにおいて提示されたこの概念は、日本を単に右傾化した国家として批判するものではない。むしろ、戦後秩序に対する潜在的な挑戦者として再定義しようとする試みであると理解すべきである。

ここで重要なのは、「新型」という修飾語の意味である。それは、過去の軍国主義の性質を継承しつつも、現代的な制度と装備を備えた新たな段階の脅威であるという認識を示している。すなわち、中国側は日本の個別の政策や特定の政権の動向を問題にしているのではなく、日本という国家の進路そのものを問題化しているのである。この語は単なる批判ではなく、日本に対する認識枠組みを再構築する政治的ラベルであり、将来的な対抗措置を正当化するための言説的基盤ともなり得る。

この点を理解するためには、「二つの物語」という視点が有効である。すなわち、日本と中国は、それぞれ異なる歴史認識と秩序観に基づく「物語」を持っており、それが現在、決定的に噛み合っていない。日本は主として領土、国民の生命、経済的利益といった「物理的安全保障」を重視して行動しているのに対し、中国は自らの国家アイデンティティや歴史的正当性といった「存在論的安全保障」を強く意識している。

とりわけ台湾問題は、この差異を象徴的に示す事例である。中国にとって台湾は単なる領土問題ではなく、統治正統性を支える中核的要素である。そのため、日本が台湾海峡の安定に関与する姿勢を示すことは、中国の側から見れば、安全保障政策の一環ではなく、自らの「物語」への外部介入として認識される。このとき、中国にとって問題となるのは、物理的な脅威の有無だけではなく、「自分たちは正義の側に立ち、秩序を守る存在である」という自己理解が維持されるかどうかなのである。

ここで注目すべきは、中国の対外言説の特質である。すなわち、中国においては、政策が動く前に言葉が動く。どのような語彙で相手を位置付けるかが、その後に取り得る行動の範囲を規定するのである。「新型軍国主義」という語の導入は、直ちに具体的な政策転換を意味するものではないかもしれない。しかし、それは中国が日本を見る枠組みを一段引き上げた可能性を示唆しており、今後の対日政策の展開を考える上で看過できない変化である。

以上を踏まえると、現在の日中関係は、単なる利害対立ではなく、相互に異なる「物語」が衝突する構造的状況にあると言える。この乖離は、物理的安全と存在論的安全という異なる次元の安全保障が交錯する中で生じており、適切に管理されなければ、深刻な危機へと発展する可能性を孕んでいる。

したがって、日本に求められるのは、米国のプレゼンスを前提としつつも、それに依存するだけではなく、自らが秩序の担い手としての意思と能力を明確に示すことである。同時に、多国間枠組みによるパワーバランスの維持と、対中直接対話の継続を通じて、決定的な衝突を回避する努力が不可欠である。中国が提示する「時間の秩序」に対して、日本はいかなる未来像を提示し得るのか――この問いこそが、今後の対中戦略における核心である。

(2)伊藤 信悟 国際経済研究所研究部主席研究員による報告

本報告では、中国が近年強く打ち出している「自立自強」の論理について、その概念的整理と政策的位置づけ、さらに国際経済秩序との関係を中心に検討する。とりわけ、先般の全人代で承認された第15次5か年計画における同概念の位置づけを踏まえつつ、中国の長期目標との関係性を論じたい。

まず、「自立自強」とは何かについてであるが、それは単なる国内生産の強化を意味するものではなく、対外依存度を戦略的に低下させつつ、自国経済のコントロール可能性と安全性を高める包括的な国家戦略である。具体的には、国内大循環を主体とした経済構造への転換、中国自身の他国への依存度を相対的に低く保つこと、さらには自国の「チョークポイント」(他国に依存せざるを得ない重要技術・資源)を削減する一方で、他国のチョークポイントを掌握する度合いを強めることといった非対称的な貿易依存関係の構築が含まれる。また、先端技術を創出し産業化し、それを海外展開できる能力の獲得も重要な要素とされる。

この概念が強調されるようになった背景には、いくつかの構造的要因がある。第一に、中国産業が急速なキャッチアップを遂げる中で、既存技術を活用した成長モデルが限界に直面したことである。革新的技術は外部からの導入ではなく、自国で創出する必要があるという認識が強まった。第二に、米中間の戦略的競争の激化に伴い、米国による高関税措置や技術規制が強化され、外部依存のリスクが顕在化した点である。第三に、AIや量子技術に象徴される第四次産業革命の進展により、新たな技術覇権競争の中で優位性を確保する必要性、優位を確保できる機会が共に増したことである。これらの要因が重なり、「イノベーション重視」という従来のスローガンが、「自立自強」というより包括的かつ戦略的な概念へと発展した。

さらに、この「自立自強」は、中国の究極目標である「偉大なる中華民族の復興」を実現するための不可欠な手段として位置付けられている。その実現モデルである「中国式現代化」は、西側型近代化への対抗概念として提示されており、大規模な人口を抱えつつの発展、物質と精神文明の調和、格差是正(共同富裕)、環境との共生、そして非覇権的な平和発展といった特徴を持つとされる。これらを実現するためには、外部に依存しない独立自主の体制が不可欠であり、その具体化が「自立自強」であると整理された。

第15次5か年計画においても、この「自立自強」が中核的政策目標の一つとして据えられている。ハイテク産業を中心とする現代化産業体系の構築、高水準の科学技術自立自強の加速、デジタル中国の建設、さらには巨大な国内市場の整備が重点分野として掲げられていることがその表れである。また、中国は国際関係において大国間関係が全体を規定するとの認識を有しており、対米関係を筆頭に、国際環境の不確実性が高まるなか、その不確実を減らす最良の手段として「自立自強」を位置づけている点も特徴的である。つまり、不確実性が高まるほど、「自立自強」は強化されやすいということになる。

具体的政策との関係では、チョークポイント克服に向けた「常軌を超えた措置」が示唆されており、重点分野への資源・人材の集中的投入がさらに進められる見込みである。これは単にチョークポイントに該当する産業の技術開発政策にとどまらず、中国経済全体のエコシステム、イノベーションシステムの高度化を志向するものであり、中国政府は、課題だと認識している基礎研究やその産業化能力、さらには民間企業を国家プロジェクトに動員する制度的能力を急速かつ体系的に強化することを企図している。

また、自立自強は対外経済政策とも密接に関連している。中国は自国主導の国際秩序形成を志向する中で、アフリカ諸国への一方的関税引き下げなどを通じて「貿易秩序の守護者」、「グローバルサウスの支援者」としての側面も打ち出している。

他方で、「自立自強」をめぐっては、政策の透明性の欠如については国際的な懸念も指摘されている。とりわけWTO体制との整合性や、「常軌を超えた措置」の正当化根拠として用いられうる安全保障例外の範囲が問題となり得る。中国は国家利益を広く安全保障に含める傾向があり、この点が国際摩擦の要因となる可能性がある。

国内的には、「自立自強」は「発展」と「安定」という二つの目標との関係で理解する必要がある。中国政府にとって「自立自強」は両者を同時に達成するための手段であるが、実際には両者の間には一定の緊張関係が存在する。不確実性への対応として自立自強が強調されるほど、政策は安定志向に傾きやすくなる一方で、その推進は国内外に不安感をもたらす可能性もある。また、資源配分の観点からも、民生分野への投資とのバランスが重要な課題となる。

以上のように、「自立自強」は単なる経済政策のスローガンではなく、中国の国家戦略全体を貫く基軸概念であり、国内統治、対外経済関係、さらには国際秩序認識にまで影響を及ぼすものである。また、それは国際経済秩序との摩擦を生じさせる可能性も内包している。その展開は、中国の今後の発展のみならず、国際経済秩序のあり方にも大きな含意を持つと結論づける。

(3)続いて、モデレーターの菊池誉名日本国際フォーラム常務理事より、次のようなコメントと質問がなされ、これに対し、それぞれ返答がなされた。

【菊池誉名常務理事】

お二人から非常に示唆に富むご報告をいただいたが、いくつかの点についてさらに掘り下げたい。まず加茂教授に対して、中国側において「新型軍国主義」という言説が一定程度形成されつつあることが示されたが、こうした言説は今後、中国の対日政策や具体的行動をどの程度まで規定し得るものと考えるべきか。また、ナラティブのズレが存在することを前提とした場合、日中間においてどのような対話や枠組みが現実的に機能し得るのかについて、さらに具体的な見解を伺いたい。

次に伊藤主席研究員に対して、中国の「自立自強」というナラティブが、対外経済政策や技術政策にどの程度影響を与えているのか、また日本の経済安全保障や「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」との関係において、競合的な側面が強まるのか、それとも一定の接点を見出し得るのかについて見解を伺いたい。

加えて、お二人に共通して伺いたい点として、近時の日中間の応酬については、個別の発言や政策の問題として捉えるべきなのか、それとも双方のナラティブの競合・衝突という構造的な問題として理解すべきなのかについてもご見解を伺いたい。

【加茂教授】

中国の対外政策の展開を予測することは容易ではないが、重要なのは、公式文書や主要メディアにおける言説の変化を継続的に観察することである。とりわけ「新型軍国主義」という概念が、どのレベルの媒体や発言主体において用いられるかが重要な指標となる。現時点では『人民日報』の論評において提示された段階であり、直ちに政策転換を意味するものではないが、今後、指導部の公式発言や政策文書において用いられるようになれば、対日認識の質的変化を示す可能性がある。

また、日本と中国の間では、物理的安全保障と存在論的安全保障という異なる次元の問題が交錯しており、両国の「物語」は必ずしも同じ文脈で理解されていない。このため、単純な利害調整による解決は困難であり、相手の認識枠組みを理解した上での丁寧な説明と直接的なコミュニケーションの維持が不可欠である。

【伊藤主席研究員】

「自立自強」は中国にとって正当な発展目標の一環であるが、その実現手段として対外依存の低減や技術的自立を強調する場合、他国との経済関係において緊張を生じさせる可能性がある。特に、チョークポイントの克服や非対称的依存関係の構築といった政策は、日本の経済安全保障政策やFOIPの理念との間で競合的側面を持ち得る。

他方で、すべてが対立的に展開するわけではなく、国際公共財の提供や特定分野における協力など、接点を見出し得る領域も存在する。そのため、包括的な対立構図として捉えるのではなく、分野ごとに競合と協調を見極めながら対応していく視点が重要である。

【菊池誉名常務理事】

本日の議論を通じて、日中間にはナラティブの違いが構造的に存在していることが改めて明らかになったように思われる。

そのうえで、こうしたズレが容易に解消されるものではないことを前提とした場合に、今後の日中関係はどのような形で維持・管理していくことが現実的と考えられるか。また、ナラティブの違いそのものを埋めることを目指すべきなのか、それとも一定のズレを前提とした関係の構築を図るべきなのかについて、ご見解を伺いたい。

【加茂教授】

日中間のナラティブの違いは、歴史認識や国家アイデンティティに根差したものであり、短期的に解消される性質のものではない。したがって、両国関係の安定を図るうえでは、違いの解消を前提とするのではなく、その存在を認識した上でいかに管理していくかが重要となる。

そのためには、多国間枠組みを通じた関係の安定化や、直接対話の継続を通じて相互の認識のズレを制御する努力が求められる。また、日本としては、自らの立場や価値観を一貫して発信しつつ、相手の認識枠組みを理解したうえで対応していくことが不可欠である。

【伊藤主席研究員】

経済分野においても同様に、日中間の考え方や政策の前提には構造的な差異が存在している。とりわけ中国の「自立自強」は、対外依存度の引き下げ、他国の対中依存度の引き上げといった志向性を持つため、国際経済秩序や他国との摩擦を生じさせる可能性を内包している。

こうした状況のもとでは、競合と協調を切り分けながら、現実的に管理可能な領域において関係を維持していくことが重要である。その際、日本としては、自国の経済安全保障を確保しつつ、既存国際ルールとの整合性や国際的コンセンサスを意識し対応が求められる。また、既存国際ルールが現実にそぐわなくなっている領域においては、コンセンサスや新ルールの形成を主体的に図る必要があるだろう。

以上、文責在事務局