第209回外交円卓懇談会
「イスラエル・イラン戦争後の核戦略と不拡散:課題と可能性」

2025年7月16日(水曜日)
公益財団法人 日本国際フォーラム
グローバル・フォーラム
東アジア共同体評議会
日本国際フォーラム等3団体の共催する第208回外交円卓懇談会は、エマニュエル・ナヴォン(Emmanuel Navon)エルサレム戦略安全保障研究所(JISS)主任研究員を講師に迎え、「イスラエル・イラン戦争後の核戦略と不拡散:課題と可能性」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その概要は下記6.のとおりであった。
1.日 時:2025年7月16日(水)14:30〜16:00
2.場 所:日本国際フォーラム会議室における対面、オンライン形式(Zoomウェビナー)
3.テーマ:イスラエル・イラン戦争後の核戦略と不拡散:課題と可能性
4.講 師: エマニュエル・ナヴォン(Emmanuel Navon)
エルサレム戦略安全保障研究所(JISS)主任研究員
5.出席者:41名
6.講師講話概要
エマニュエル・ナヴォン(Emmanuel Navon)エルサレム戦略安全保障研究所(JISS)主任研究による講話の概要は次の通り。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われた。
(1)核戦略と不拡散:課題と可能性
(2)今後の焦点と対イラン戦略
今後の焦点は、イランの核開発の現状と将来にある。多くの推定によれば、イランの核兵器開発能力の「閾値」または「ブレイクアウト能力」は2年先送りされた。再建を試みることは、米国やイスラエルによる再攻撃という巨大なリスクを伴うため、その可能性は低いとされる。また、ミサイル開発に巨額の資金を投じたにもかかわらず、それが破壊されたことによって、イラン国内で体制に対する不満が高まる可能性もある。アメリカとイスラエルによる厳重な監視のもとで、核開発を再開するのは困難になるとみられる。
歴史を振り返れば、北朝鮮が2003年に核兵器を保有するに至ったのは、1994年にクリントン政権が核施設の爆撃を回避したためである。イランの場合、軍事介入は一定の成果をあげたが、核開発の知識とインフラは残されており、時間があれば再建は可能である。よって、今後の戦略には、次の4つの要素が重要である。第一に、イラン国民による体制転換を促す支援である。第二に、イスラエルおよびアメリカ同盟国による中東地域の防衛体制の構築である。第三に、イスラエルは軍事力、技術力、経済力において中東の大国として台頭しており、湾岸諸国やサウジアラビアなどスンニ派諸国はこれを高く評価している。イランおよび、過激派イスラムの「資金源」であるカタールに対抗するためには、イスラエルとスンニ派諸国による新たな地域安全保障構造が求められる。第四に、日本のような技術力・経済力を持つ国は、中東における民生インフラや経済プロジェクトを通じて重要な役割を果たすことができ、日本は中東諸国から高い信頼を得ており、分断が進む世界において平和の仲介者としての価値が一層高まっている。
(3)ガザの現状と今後のハマスへの対応
イスラエルのガザにおけるハマスへの攻撃は、イスラエルがハマスから先制攻撃を受けた自衛行動である。ハマスは民間人を盾にして戦っており、被害が拡大する一因となっている。ハマスはイスラムの世界支配を掲げる組織であり、それがある以上共存できる状況にはない。イスラエルのガザ撤退後も、ハマスは破壊的行動を取り続けており、対話の余地がない状況である。各国からのイスラエルへの批判は、むしろ権威主義的な性質に起因している。暴力の根源はイスラエルの占領ではなく、ユダヤ人国家の正当性を否定する思想にある。イスラエルは中東で唯一、アラブ人に自由を保障する国家であり、真の平和は思想の変化によってのみ実現される。
(文責、在事務局)
第二次世界大戦で米国が日本に対して核兵器を使用して以降、その破壊的・致命的な影響を理由に、核拡散に規制が設けられてきた。しかし、それでも核拡散は止まらなかった。長らく、国連安全保障理事会の常任理事国であることと核兵器保有との間には密接な関係が存在していた。イスラエルの「核の曖昧政策」はその前提を崩すものであり、核能力が大国の象徴であり国際的地位を意味すると考えていた米国の意向に反するものであった。イスラエルの非公式な核開発は、当時の実存的脅威に備える防衛措置として行われたものである。その後、インド、パキスタン、北朝鮮が核武装を進めたことにより、核拡散を食い止めるという大国や国際機関の能力に限界があることが明らかになった。こうした過去の事例は、外交ではなく軍事介入こそが核拡散を止める唯一の手段であることを示している。
この論理はイランにも当てはまる。イランの核兵器は、防衛目的ではなく、中東における侵略と覇権の拡大を意図している。イスラム体制下のイランは、イラン・イラク戦争後に核開発を加速させた。この動きは2000年代初頭、反体制派によって暴露され、以後、国際的な制裁と圧力の対象となった。これらの制裁は、2015年に締結された「包括的共同作業計画(JCPOA)」の交渉において決定的な影響力をもった。ただし、JCPOAには多くの問題があった。当時の米国がこの合意を選んだ主な理由は、イランへの軍事作戦が、イラクやシリアへのそれとは異なり、はるかに複雑で困難であるからだった。イラクやシリアの場合、核施設は単一であり、ピンポイントの攻撃で済んだが、イランには数十年にわたる核開発の知識と、各地に点在する多数の核施設が存在する。それらの多くは地下に建設されており、破壊は容易ではない。したがって、軍事力による核施設破壊を行っても「時間を稼ぐ」ことでしかなく、攻撃をすれば中東全体を巻き込む激しい戦争の可能性もありその代償は大きい。JCPOAは、そのような高コストを避けつつ、時間を稼ぐための妥協策として採用されたのであった。監視能力などに欠点はあったが、当時としては合理的な選択であった。
しかしながらその後、イランが密かに核研究を継続していたことが判明し、トランプ政権はJCPOAからの離脱を決定した。それ以降、イランは核開発を加速させ、ウラン濃縮度は60%に達した。これは、核兵器開発の決定的な証拠である。イランの核開発は、単に大国の干渉を抑止するためのものではない。イスラム体制は、シーア派イスラムを中東および世界に広めるという思想的野望を抱いており、その中核にイスラエルの破壊がある。ただその意図は、2023年10月7日のハマスによる性急な攻撃により狂わされた。イスラエルは、このような攻撃を未然に防ぐために先制攻撃を行った。これは自衛のための正当な行為である。米国はイスラエルによる攻撃の成功を確認し、作戦に加わった結果、フォルドゥーを含むイランの核施設およびミサイル・インフラのほぼ全てを破壊することに成功した。