(1)はじめに

この度『Strategic Minilateralism and the Regional Security Architecture of the Indo-Pacific』執筆して刊行した。本書は2019年刊『Security in the Asia Pacific』の続編にあたり、アジア太平洋地域の既存の安全保障枠組みを土台に、インド太平洋における新たな安全保障協力である「戦略的ミニラテラリズム」に焦点を当てている。経済重視の多国間主義(Multilateralism)の時代から戦略的競争・安全保障重視のインド太平洋体制への転換に伴い、戦略的ミニラテラルの重要性が増したことを論じている。

(2)インド太平洋が抱える3つの課題とミニラテラルの前進

アジア太平洋からインド太平洋へと時代が移行する中、米国、日本、オーストラリアをはじめとする多くの国々の間で、安全保障環境が厳しくなったという認識が共有されている。第一に中国の台頭、第二に米国の対外姿勢の不安定さが挙げられる。特にトランプ政権下では、地域の安全保障体制に大きな影響を及ぼし、豪英米安全保障協力枠組み(AUKUS)等のミニラテラル枠組みにも変化を与えた。そして第三に、地域秩序そのものが争われている状況が生まれている。「新冷戦」とも形容される現在の国際環境において、経済や技術が極めて重要な要素となっており、欧州諸国や日本も、防衛産業基盤や技術協力の強化に本格的に取り組んでいる。こうした地政学的な変化の中で、南シナ海、東シナ海、朝鮮半島、台湾海峡といった地域が紛争の火種となりうる状況にあり、緊張が一層高まっている。
この新たな地政学的枠組みにおいて鍵となるのが、米中間の「戦略的競争(Strategic Competition)」、そして中堅国家(ミドルパワー)による巧妙な立ち回りである。戦略的競争には、外交、戦略的ナラティブ、情報・イデオロギー、経済・技術、軍事・防衛といった幅広い領域を含む。なかでも日本とオーストラリアは、米国との安全保障上の緊密な関係を維持しながら、中国との深い経済的相互依存関係を抱えており、「経済と安全保障の分離(Security-Economic Disconnect)」というジレンマに直面している。

本書で、「インド太平洋」という地域構想の台頭、「戦略的競争」の進行、そして「ミニラテラリズム」の拡大という三つの動向を結びつける概念として、「ネクサス(Nexus)」を提示した。

(3)地域安全保障アーキテクチャ(構造)

インド太平洋における地域安全保障アーキテクチャにおいては、米国主導の二国間同盟ネットワークが依然として機能し重要な役割を果たしている。米国は日本やオーストラリアとの協力を強化する一方、インド、シンガポール、ベトナムなどとの非同盟型の安全保障パートナーシップの構築にも取り組み、同盟体制の再構築を進めている。ただし、新たな軍事同盟は形成されていない。もう一つの伝統的な柱である東南アジア諸国連合(ASEAN)中心の多国間安全保障体制については、ミャンマー危機や域内の緊張、南シナ海の行動規範(Code of Conduct)の策定の遅れなどを背景に、その有効性に対する懐疑が広がっている。

このような状況のもと、各国はこの二つの伝統的な柱を補完・代替する新たな安全保障協力メカニズムとして、戦略的パートナーシップ(Strategic Partnerships)に注力した。これは同盟には至らないが、軍事・安全保障に関する協力を含む二国間関係であり、軍事演習や相互訪問協定などが含まれる。今や地域・世界の安全保障アーキテクチャの重要な構成要素となっているが、この進化形であるミニラテラル協力(Minilateralism)が現在注目されている。ミニラテラルは、同盟や多国間協力の欠陥や限界に対応する形で、従来の柱と連携・交差しながら機能している。

このような構造を可視化すると、①最上層に多国間協力(ASEAN、東アジア首脳会議、ASEAN地域フォーラムなど)、②最下層に二国間協力(同盟や戦略的パートナーシップ)、③中間層にミニラテラルが位置する。

(4)戦略的ミニラテラリズムの定義

ミニラテラルを理解するためには、設計・機能・持続性の視点に注目する必要がある。

まず、設計においては、「基盤的前提(Foundational Premise)」と「運用的前提(Operational Premise)」が重要である。たとえば、QUADやAUKUSにおいて、基盤的前提は「インド太平洋構想」であり、これらの戦略的ミニラテラルはすべて、インド太平洋地域における課題への対処を目的として設計されている。一方で、運用的前提は「戦略的競争のダイナミクス」にあり、これらの枠組みは戦略的競争の文脈において機能し、設立目的や行動原理を示している。加えて、(イ)会議体の開催やワーキンググループの設置、具体的な合意の形成など、比較的公式な協力の枠組みを指す「制度的上部構造(Institutional Superstructure)」と、(ロ)参加国間の多様な協力関係やネットワークの蓄積によって上部構造を支える制度的基盤である「制度的下部構造(Institutional Substructure)」という二層構造の枠組みに注目してほしい。例として、TSDには、三国間戦略対話や安保協力フォーラムなど複数の制度的機構が存在しているが、日本とオーストラリアが持つ米国との同盟関係や戦略的パートナーシップが制度的下部構造として機能することで、上部構造の比較的非公式で柔軟な部分も支えている。

次に機能においては、(イ)抑止力、軍事演習、情報共有などの強硬な安全保障活動で、戦略的競争相手に対抗しようとする「ハードバランシング」、(ロ)地域秩序の形成、規範やルールの推進、セキュリティガバナンスの支援、公的財の提供などを通じて、秩序維持や拡張に貢献する「ソフトバランシング」の二つに分けられる。どの程度ハード・ソフトバランシングの機能が強調されるかは枠組みによる。
最後に、ミニラテラルの持続性・統合性(Solvency)を考察するに当たって、どのような要因がミニラテラルを弱体化・崩壊させるか、またどんな構造的・関係的要素が耐久性を高めるかを分析した。

(5)三つのケーススタディ

これらの分析を適用した主要な3つの事例を見ていきたい。

(イ)QUAD

豪日米にインドを加えた四国間協力の枠組みであり、これによって民主主義国家の連帯が強調され、権威主義国家との競争構図を形成している。現在、QUADは主に「ソフトバランシング」に重きを置き、外交的・秩序形成的な役割を果たしているが、実際の軍事的抑止力は不十分である。また、インドは米国の同盟国ではなく、戦略的に自律的であり、パキスタンや中国に対する脅威認識も異なるため、協力の深まりに限界がある。それゆえ内部の齟齬が長期的な弱体化や非効果性を生む可能性があるが、いずれにしてもQUADはインドとの対話プラットフォームとして有用である。

(ロ)AUKUS

戦略的ミニラテラルとしてはほぼ完全に「ハードバランシング」に特化しており、核動力潜水艦計画や先端技術の開発などを柱に同盟防衛技術力の強化を目指している。組織的な上部構造、そして下部構造は非常に強固で明確に整備されている。しかし、政治的な共同調整メカニズムはまだ明確ではなく、AUKUSが具体的にどのように機能し、どんな地域緊急事態に対応するかは不透明である。

(ハ)TDS

インド太平洋が注目される以前から存在し、戦略的競争に適応してきた三国間の抑止と危機対応能力の枠組みである。制度的上部構造は限定的である一方、強固な下部構造があり、日米・豪米の同盟、日豪の戦略的パートナーシップが長年の深い協力基盤となっている。三国間で多くの合同軍事演習が行われており、ハードバランシングの核として非常に強力な存在である。AUKUSほどではないが、ソフトバランシング的な面もある。現在は、米国のコミットメントや信頼性に対する懸念があり、これが議論の対象となっている。

(6)おわりに

戦略的ミニラテラルは緩やかな結びつきを持つ国家間の安全保障連携であり、同じ水準の競合国に対抗して優位性を築くことを目指している。これらは既存の同盟や戦略的パートナーシップを土台に構築されており、上部構造と下部構造の連携によって初めて実効性を持つ。

戦略的ミニラテラルは時代の象徴であり、地域の安全保障アーキテクチャを再定義しているように思う。実際、これまで米国は三国間・四国間の枠組み内で同盟国やパートナーを集結させ、現状変更を狙う勢力に対抗・対応する力と体制を整えようとしてきた。

石破首相が提起した「アジア版NATO」という議論もあったが、ミニラテラルがまさにアジア版NATOの代替か前段階として機能する可能性があると見ている。

(文責、在事務局)