1.マクロン大統領の解散・総選挙の決断の正否

2024年の欧州議会選挙での大敗北を受けて、その直後マクロン大統領は国民議会解散と6月30日・7月7日の投票の実施を発表した。RNは欧州議会選挙前の世論調査では自陣営の優勢が予想されていたので、与野党にかつてない差がつくようなことになれば、議会の早期解散を提案していた。しかし一般には9月議会での予算成立後と考えられていた。
 その意味では解散の決断はマクロン自身としては与党挽回のための抜き打ち選挙のつもりだった。しかしこのマクロンの選択は与野党ともに大きなショックを与えた。劣勢にある与党議員には不確かな選挙だったし、勢いのあるRNが過半数を占めて首相を出すようなことにでもなれば、フランス政治はパニックとなることは必定だ。
 マクロン大統領が欧州議会選挙の敗北直後に早々に解散に踏み切った第一の理由は、2022年6月の大統領選挙後の総選挙で与党が過半数割れして、議会運営が与党にとって厳しいものになったことだ。マクロン派の議席は170議席(以下外務省HP、 2023年10月)で、友党のMoDem(民主運動)の51議席と合わせても過半数には遠く及ばなかった(過半数は289議席)。マクロンは保守派共和党(LR、 62議席)他と協力してその都度多数派を形成してきた。「議会運営を楽にしたい」、というのが解散の第一の狙いだ。年金保険制度改革や移民厳格化・治安強化法などこの二年間大統領の与党は苦難続きだった。
 第二に、マクロンの楽観論がある。マクロンは欧州議会選直前まで「20%以上とれる」と側近に告げていた。思い切って解散に出て、国民の信を問う。国民の極右拡大に対する懸念、「危機バネ」に訴えて、与党勢力の挽回を狙う戦略だった。

2.躍進したRN

しかし世界で注目されていた仏国民議会選挙第二回投票結果では、ルペン率いるRNは89議席から143議席へと飛躍した。懸念されたようなRNが過半数に達して首班を形成するまでには至らなかったが大躍進だった。
 6月30日の第一回投票ではRNは33.3%という同党最大の得票率を記録し、258の選挙区でRN候補者はトップ、第一回投票では第一党となった。第二党は極左「不服従のフランス(LFI)」を中心に環境派・共産党・社会党他が結成した「新しい人民戦線(NFP)」で28%、第三党が与党マクロン派の中道派「アンサンブル(みんな一緒に)」だった。大多数の選挙区でRNが首位となるこれまでにない躍進ぶりで、第二回投票でも第一党となり、首班指名を得られるかという点が注目点となった(実はこのメディアの課題設定は間違っていた。詳述する余裕はないが、RNが第一回選挙で第一党となった選挙区の多くのうち、第二回投票で反RN勢力が選挙協力して「共和派戦線」を組んだほとんどの選挙区では反RN候補が過半数を超えることは事前に予想されていた)。
 第一回投票の結果を受けて、三つ巴、四つ巴えの争いとなる可能性のある選挙区306のうち約220の選挙区で、RN候補の当選(過半数獲得)阻止のために、NFPと「アンサンブル」・共和党(LR)が「共和派戦線」(反RN連合)を結成して選挙協力し、候補者の一本化を行なった。その結果大部分の選挙区で「共和派戦線」が議席を獲得、RNは敗北した。
 しかし真の論点はRNの過半数議席の獲得ではなく、反RN諸派が連立しなければ、単独候補で戦うRNに対抗できなくなった選挙区が220も出てきたということだった。この点は内外のメディアが意図的に極右過半数獲得の可能性を喧伝して「危機バネ」を煽った結果だった。そう考えると、極右躍進の脅威はそれほど大きかったということになる。いずれにせよ結果的にはRNは54議席も議席数を増やし、議会内の第三の勢力とはいえ、単独政党としては第一党のままだった。RNは後退したわけではなく、それまでで最大の議席数を得たことは事実だった。それまでも単独で野党最大政党ではあったが、連立する政党がないために決選投票で苦杯をなめてきたRNだったが、連立政党がなくとも勝利する選挙区がこれほど増えたということ自体が大きな脅威だ。

3.三者鼎立「宙づり議会」

与党勢力の敗北の要因は、マクロン自身の不人気にあったが、インフレに悩む国民の反発がそれを助長した。最大の焦点は、購買力と財政赤字だった。エネルギー価格高と並行して2024年公共部門の財政赤字は国内総生産(GDP)比5.3%(IMF報告、EU財政協定が求める上限は3%)。同公的債務はGDP比112%に増した。そうした事態にRNの政策は実現性はともかくとしても、一般庶民に訴えるものだった。
 RNは購買力向上、治安強化、移民取り締まり厳格化の3つを主要政策分野とした。年金給付開始年齢を24年秋には64歳から62歳に引き下げることや、購買力向上のためガソリン・エネルギーに係る付加価値税 (VAT)税率の20%から5.5%への引き下げ、社会保険引き下げなどを提案。他方でNFPも年金満額支給年齢を64歳から60歳 に引き下げるほか、購買力向上のため法定最低賃金(SMIC)の月1,600ユーロ(税引き後)への引き上げ、物価スライド制の導入、物価抑制策として生活必需品の価格凍結、エネルギー課税軽減などを挙げた。与党は受け身に回らざるをえなかった。
 国民議会は、絶対多数を持つ勢力がなく、NFP180議席、アンサンブルが163議席(221議席から激減)、RN 143議席という三者鼎立の議会となった。これまでは中道保守の共和党(66議席)が多数派形成のために大統領派に協力したが、その効果はそれまで程期待できない「宙づり」の議会構成となった。そうした中でのイニシアティブは難しい。そのひとつは首相選びだった。また難航する予算の採択だった。
今回の国民議会選挙でマクロン派与党が大きく勢力を後退させたことを受けて、アタル首相が辞任を表明、二カ月余りにわたる実質的な政府不在が続いた。最大の勢力となったNFPはその中心極左LFIのメランション党首が立候補しようとしたが果たせず、LFIのルシー・カステットが大統領候補として有力視された。しかしマクロンはカステット首相誕生を嫌がっていた一方で、オリヴィエ・フォール社会党第一書記長の名前も出た。また保守系では現在はホライゾン党首、マクロン第一次政権のフィリップ首相(当時共和党)の返り咲きのうわさもあった。いずれにも決まらないまま、9月初めにはマクロン大統領とルペンの話し合いがもたれた。大統領はベルナール・カズヌーブ元社会党首相を押すが、ルペンは左翼からの首相候補には真っ向から反対した。次いで経済社会環境評議会議長のティエリ・ボーデ改革労組の代表もルペンは左寄りとして拒否、共和党サルコジ大統領時代の保守派の重鎮グザヴィエ・ベルトランをマクロンは妥協案として提案したが、これもルペンは拒絶した。こうして最後に残ったのが元欧州問題担当国務大臣・外相・農業・漁業大臣、欧州委員会委員(域内市場・サービス担当)、BREXIT(英国のEU離脱)のための EU側の首席交渉官だったミシェル・バルニエだった。
 その後バルニエ内閣は宙づり議会でなかなかイニシアティブを発揮できないまま、次年度予算案をめぐって議会は紛糾、政府は「伝家の宝刀」である「審議打ち切り」措置(49条3項)で強行突破しようとしたが、NFPが内閣不信任案を提出、RNがこれに同調したのでバルニエ内閣は予算成立に失敗、三か月ほどで退陣した。その後12月に大統領支持中道派の古参政治家バイル―「民主主義運動MoDem」代表が首相についた。しかし絶対過半数が存在しない「宙づり議会」の今後の運営は多難だ。RNの動向が政局を大きく左右する事態は変わらない。

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