1.2024年10月の印中国境合意の評価

インドと中国は、2020年6月、国境地域(西部のラダック地方のガルワン渓谷など)で国境警備部隊が衝突し、インド側で20名余が、中国側で4名が死亡し、インド側では更に100名以上が負傷したと言われている。これほどの死傷者が出たのは、1962年の印中戦争以来初めてだった。
 ORFの専門家達の説明は、次のようなものだった。(ORFのウェブサイト掲載のJoshi氏の論考[2]、Kartik Bommakanti氏の論考[3]なども参照してまとめた。)

●2020年6月の衝突はインドに強い衝撃を与え、それは1962年の印中戦争での中国の大規模攻撃を思い出させる程だった。2019年10月にチェンナイでモディ首相・習近平主席首脳会談が行われ、その約半年後だったので、中国が何を考えているのかインドとしても分からなくなった。そしてインド軍も大規模な軍事動員をかけた。中国側では、インドとの国境紛争についての報道を抑えており、これ程大きな衝撃をインドに与えたことを理解していない。

●2020年6月の衝突事案は、中国側がインド側のパトロールを阻害したことから始まった。インド側はこれを“blockade”と呼んでいる。それは6カ所あった。そのうちの4カ所―パンゴン湖岸、ゴグラ駐屯所、ホットスプリングス地区、ガルワン渓谷―は、2022年7月までに解決した。残りは2カ所で、デプサン高原とデムチョクであったが、2024年10月の合意により、中国側の“blockade”は全て解消されることになった。

●ガルワン渓谷での衝突は意図したものではなく、現場でのコントロールがきかなくなった結果起きた。銃火器は現地にあったものの、それが使用されることはなく、乱闘で棍棒などが使われた。それは過去の一連の印中間の合意が一定程度機能した結果と言える。(筆者注:1993年、1996年、2005年に、国境地帯の現状を維持し、武力衝突を防ぐための協定[4]が印中間で締結されている。但し、根本的な問題の一つは、状況が変化してきたこともあり、何が「現状」なのか、双方の理解が異なることである。)

●2024年10月の印中合意により、かつての現地の状況(status quo ante)を回復することができた。(但しBommakanti氏の論考は、かつてできたインド側のパトロールが制約を受けるようになり、中国に譲歩したと批判的に指摘している。)

●以前は実効支配線(Line of Actual Control)をはさんで対峙していた印中の軍事力バランスで、中国側が優位であった。中国にとっては、新疆ウイグルから兵力を送るのもロジ的に容易である。しかし今日ではインド側も道路などのインフラを整備し、軍事力を強化したので、バランスを確保できるようになった。

●このようにして、現地での軍事衝突のリスクをマネージしている。

●印中間のハイレベルの交流も再開しているが、印中間の人の交流は減退したままであり、直行航空便の運行もまだ再開していない。

●根本的な国境問題解決に向けての機運は残念ながら乏しい。

2.「現状維持」と「力のバランス」

 筆者からは、中国の国境・領土問題に対する歴史的な立場(毛沢東・周恩来、鄧小平~今日)では、インド、ソ連・ロシア、東シナ海、南シナ海などにおいて、ある一定の共通ないし類似した面がみられると指摘し、「現状維持」という中国のアプローチも時期により各地域に適用されたりされなかったりしていると指摘した。たとえば、鄧小平は、1970年代末から1980年代前半にかけて、日本にもインドにも「現状維持」、「棚上げ」を提案していた。
 インドは、中国側が言うところの「実効支配線」という考え方や、その考え方を基にした「現状維持」の考え方には、かつて(1959年、1962年当時)は否定的であったが、今日では「現状維持」の考え方を受け入れている[5]
 今日、インドは中国に対して、(1)軍事力のバランスを確保することによる抑止、(2)現地での衝突のリスクをマネージするための「現状維持」の諸合意の実施、をしている。何を「現状」とするかについては、「以前の現状」を追求し、すこしずつ動かされているような「現状」ではないということであった。Joshi氏は、国境地帯でのリスク・マネージメントに、印中の二国間の諸合意が有益であり、その結果、国境地帯で一発の発砲もないと肯定的に評価している[6]
 インドは「力のバランス」による抑止を重視している。トランプ政権のウクライナ政策を見るにつけ、インドの専門家達は「力のバランス」の必要性を更に痛感しているようであり、筆者に対してもその文脈で日本も核武装化が必要ではないかと述べる一幕もあった。
 あるインド人専門家は、中国への強い警戒感を述べていた。インド側からすると1962年の中国による大規模攻撃の悲惨な記憶がやはり残っているようだ。
 毛沢東は、1962年にインドを、1969年にはソ連(当時ダマンスキー島=珍宝島はソ連が実効支配していた)を武力攻撃する決定をしたが、これは毛沢東がインドとソ連を「敵」と認識したことを示している。他方、日本は、毛沢東からもその後の中国指導者達からも「敵」とされたことはなく、鄧小平時代には「友」として扱われていた。少なくとも戦後は、日中間の武力衝突による死者は出ていない。この点で印中間とは異なる。交流と相互依存関係で、日中間は印中間よりも格段に深い。このような状況を踏まえ、インドと日本の対中認識には違いもあるのではないか。しかしこの状況も流動的かもしれない。「力のバランス」という場合、軍事力だけではなく、経済力も含めたトータルな力のバランスに留意する必要がある・・・これはJoshi氏もその著書で指摘している[7]とおりだ。いずれにせよ日印間での交流はもっと増強させるべきだ。そのような意見を私からは述べておいた。そして日本の産業・技術力の現状と将来について、ORFの専門家達から多くの質問があった。

3.結論

 特に最近、中国は、日本とインドの双方に対して関係改善を図っている。中国は、インドと米国との協力を強く意識している。今日の戦略環境において、日本とインドとは、情報・意見交換、そして協力を深化させることからお互いに大いに裨益する。ORFの専門家も口々にそう述べ、筆者のORF訪問を歓迎してくれた。
 日印両国間の知的交流は活発化しており、総論だけではなく各論でも、更に強化・深化させる必要がある。インドで中国を観察している研究者の間にも、その見方には幅があるようだ。中国への強い警戒がある一方、中国分析を慎重に行おうとする専門家もインドには少なからずいるようだ。
 日印間の研究者・学生の交流、双方の大学などでお互いについて学ぶ機会がもっと増えて然るべきだと思う。インドでも、地域研究などがもっと活発になっていく余地は大いにある。インドにおいて中国語を使いこなして中国を研究する人材も今後更に増えるとよいだろう。ORFの専門家が今回筆者に教えてくれたのだが、インドの大学において、パキスタン研究の専門家の講座は皆無(!)とのことだった。これはインドとして、中国とパキスタンとの協力を強く意識している状況下で不可解だ、というのが、暗にこの専門家が筆者に言おうとしたことだ。ORFは100名もの研究者・スタッフを擁する大きな組織だが、日本語を解する専門家は新型コロナ禍の中で残念にも他界され、現在はいないそうだ。

[1] たとえば、Manoj Joshi著、Understanding The India-China Border: The Enduring Threat of War in the High Himalayas、2022。同書は、国境問題のみならず、インドとして中国に戦略的にどう対峙すべきか、米国、パキスタン、チベットとの関係、インド太平洋戦略なども含めて洞察している。
[2] Manoj Joshi氏の2024年10月28日付け論考 India-China disengagement: Progress on the ground, doubts in the air
[3] Kartik Bommakanti氏の2024年11月23日付け論考 India-China border agreement: A case for military buildup
[4] インドと中国は、1993年9月7日、ラオ首相訪中時に「印中国境の実効支配線に沿った地域の平和と安寧を保持する協定」、1996年11月29日、江沢民主席インド訪問時に「印中国境の実効支配線に沿った地域の軍事分野での信頼醸成に関する協定」に署名した。また2005年4月11日、温家宝総理訪印時に、「中印国境問題の解決の政治的パラメーターと指導原則に関する原則協定」及び「中印国境の実効支配線に沿った地域の軍事分野の信頼醸成措置の実施モダリティに関する議定書」に署名した。これらの一連の文書では、実効支配線に沿った地域の平和と安寧を保持するための諸施策に合意している。
[5] この点については、インドの国家安全保障顧問を務めたShivshankar Menonの著書Choices – Inside the Making of India’s Foreign Policy(2016)、13~19頁参照。
[6] Joshi氏前掲書、223頁
[7] Joshi氏前掲書、223頁、225頁