日豪シンポジウム「日豪関係の拡大と深化」

2024年12月18日
日本国際フォーラム事務局
日本国際フォーラム(JFIR)は、明治大学国際関係研究所と共催にて、日豪シンポジウム「日豪関係の拡大と深化」を対面開催したところ、その議論の概要は下記8.の通りである。
1.日 時:2024年12月18日(木)14時30分から16時30分まで
2.会 場:明治大学 駿河台キャンパス グローバルフロント「グローバルホール」
3.参加者:約50名
4.主 催:公益財団法人日本国際フォーラム
5.共 催:明治大学国際関係研究所
6.プログラム
14: 30 開 会 渡辺 まゆ 日本国際フォーラム理事長
14: 40 セッション1「日豪関係拡大と深化」の歴史と今後
モデレーター 伊藤 剛 明治大学教授
報 告 伊藤 剛 明治大学教授(12分)
Peter Mauch 西シドニー大学上級講師(12分)
全体協議(25分)
15: 30 セッション2 日豪協力の具体事例と今後の展望
モデレーター 伊藤 剛 明治大学教授
報 告 David Walton 西シドニー大学兼任教授(12分)
秋元 大輔 東京情報大学准教授(12分)
全体協議(25分)
16: 20 総 括 伊藤 剛 明治大学教授
16: 30 閉 会
7.報告者の紹介
伊藤 剛明治大学教授/日本国際フォーラム上席研究員
1997年デンバー大学(米国)にて国際関係論博士号取得後、明治大学専任講師、准教授を経て、2006年より現職。この間、北京大学(中国)、中央研究院(台湾)、ブリストル大学(英国)、オーストラリア国立大学、ビクトリア大学(カナダ)にて客員教授、上智大学及び早稲田大学非常勤講師、参議院客員調査員。中曽根康弘賞受賞、アイゼンハワー・フェロー。
秋元 大輔東京情報大学准教授
西シドニー大学で博士号、シドニー大学で修士号を取得。安全保障・開発政策研究所(ISDP)ストックホルム日本センター研究員、法政大学経済学部・通信教育部兼任講師、明治大学政治経済学部兼任講師、創価大学平和研究所助教、テンプル大学ジャパンキャンパス現代アジア研究所(ICAS)研究員などを経て現職。
Peter Mauch西シドニー大学上級講師
1997年クイーンズランド大学(オーストラリア)を歴史学の優等学位で卒業。京都大学大学院に留学し、2003年9月に博士号を取得。2004年から2006年まで日本学術振興会特別研究員として京都大学に留学、2006年から2009年まで立命館大学助教授。2009年よりウェスタン・シドニー大学上級講師などを経て現職。
David Walton西シドニー大学兼任教授
国際関係と外交史の接点に関心を持つ。特に、戦後のアジア太平洋地域に対するオーストラリアの外交政策、特に日豪政治・安全保障関係を専門としている。 東京大学、明治大学、ソウル大学、北京外国語大学で客員教授を務め、現職。
8.議論概要:
パネリストの報告概要は以下のとおり。
(1)セッション1:「日豪関係拡大と深化」の歴史と今後
(イ)伊藤 剛 明治大学教授
日本とオーストラリアは、1957年に「日豪通商協定」を締結して二国間貿易を大幅に拡大して以来、長きにわたり協力関係を構築してきた。今や日本はオーストラリアにとって、英国、米国に次ぐ貿易相手国であり、オーストラリアからは資源を輸出し、日本からは製造品や自動車を輸出している。日豪両政府がビジョンを共有することで、インド太平洋地域における強固な基盤が築かれているのである。
安全保障面でも、日本とオーストラリアは緊密な協力関係にある。2007年、日豪両国は「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名し、核拡散防止やテロ対策など、防衛やその他の人道的側面の強化、また共同訓練など両国間の実践的な連携も強化している。2020年には「日・豪円滑化協定」が署名され、両国の防衛協力はさらに強化された。こうした日豪間の相互運用性の向上は、この地域の安全保障に対する両国のコミットメントを高めている。
ほかに、「水素エネルギーサプライチェーン(HESC)プロジェクト」などによって、クリーンエネルギーと気候変動に対する協力も強化されている。このように日豪二国間関係の拡大と強化は、両国がより良い関係を築き、協力的な取り組みをさらに発展させている。
(ロ)Peter Mauch 西シドニー大学上級講師
1980年代、日本とオーストラリアの貿易関係は非常に活発になり、金融サービスや観光業も活発化した。オーストラリア国民の日常生活において、日本の存在はますます大きくなっていった。ただしオーストラリアと日本の関係は、貿易と安全保障の関係だけに着目されがちである。
戦後、イギリス連邦進駐軍(BCOF)は、島根、山口、鳥取、岡山、広島、四国4県などに進駐したが、滞在中に部隊に現地の日本人と友好を結ばないよう命じられた。しかし、6年間の進駐後、BCOFのうち約650人が日本人女性と婚約または結婚した。当時いわゆる「白豪主義」が強かったオーストラリアにおいて、こうした事例は日本に対するイメージを軟化させた。そして1953年に日本からの戦争花嫁のオーストラリア入国が許可されたが、これは白豪主義を改めさせることに大いに寄与した。オーストラリアの国民に、自国が白人によるイギリスの植民地ではなく、長い先住民の歴史を持つ多様な人々が住む国だと考えさせるきっかけとなったのである。このように、オーストラリアと日本は、現在の貿易と安全保障だけでなく、歴史的な経緯があることにも着目すべきであろう。
(2)セッション2:日豪協力の具体事例と今後の展望
(イ)David Walton 西シドニー大学兼任教授
1950年代初頭オーストラリアは、日本に対して戦時中の反感を残さずに、あらたに関係を構築しはじめた。通商協定は両国間の貿易ネットワークを強め、1976年からは安全保障にも重点を置くようになり、安全保障対話が行われるようになった。これにより、日本からオーストラリアへの投資も行われるようになり、またその逆も行われるようになった。また日本からの移民と観光も活発になり、これらは「白豪主義」を終焉に導くことに寄与した。1989年、オーストラリアのホーク首相が推進役となりAPECが生まれ、日豪間に多くのチームワークが形成された。1995年には「日豪パートナーシップに関する共同宣言」が発表され、両国関係はさらに強化された。2007年には「安全保障協力に関する日豪共同宣言」が署名され、人道問題や環境危機に対するより多くの行動が可能になった。2015年の自由貿易協定は、貿易関係の拡大と強化に貢献した。日本にとってオーストラリアは、第二次世界大戦後、米国以外で初めて防衛・安全保障分野の取り決めを行った相手である。オーストラリアにとっても、日本が頼れるパートナーとしてオーストラリアを選んだという歴史的意義がある。
安倍首相の存在は、日豪関係を推進する上で重要な原動力となった。二国間関係の最も重要な側面のひとつが、安倍政権の時にはじまった2プラス2会談である。日本とオーストラリアは、東シナ海と南シナ海における国際的なバランスを変えようとする強硬的な行動に強く反対している。
(ロ)秋元 大輔 東京情報大学准教授
日豪の経済・エネルギー協力は1950年代に始まり、オーストラリアは戦後の復興期に必要な天然資源を日本に提供した。1980年代には、オーストラリアは日本への液化天然ガス(LNG)の主要供給国となり、日本はオーストラリア産ウランを輸入した。2011年の大地震の後、オーストラリアは日本の震災復興に協力し、福島原発事故は再生可能エネルギーと水素エネルギーへの日本の意欲を強め、安倍首相は2017年に「水素基本戦略」を策定し、その後2023年に岸田首相によって改訂されている。
オーストラリアは、水素エネルギー・プロジェクトで日本と提携する最良の選択肢であり、2022年2月、「すいそ ふろんてぃあ」がオーストラリアのポート・ヘイスティングスから日本の神戸港へのLH2輸送に成功し、世界初の液化水素輸送船となった。2023年に「アジア・ゼロ・エミッション共同体(AZEC)」の枠組みが構築され、日本は水素サプライチェーンにおけるオーストラリアとの協力を発表した。この協力には、安価なブルー水素の実現、グリーン水素の安定化、「二酸化炭素回収・貯留(CCS)」技術の向上など、多くのメリットとチャンスがある。しかし、弱点やデメリットがないわけではない。輸送コストや製造コストが問題になるし、水素エネルギーには事故を引き起こす危険性も残っている。とはいえ、さまざまな日本の大手企業がオーストラリアでプロジェクトを進めており、またその逆もしかりである。ただしこうした進展がある一方で、ビクトリア州の石炭から水素へのプロジェクトなど、日豪エネルギー協力に対する否定的な見解もある。
今後の日豪間の水素エネルギー供給チェーンには、楽観的と悲観的な展望がある。楽観的なシナリオとしては、オーストラリアがCCSを承認し、エネルギー・サプライ・チェーンが継続していくことである。悲観的なシナリオは、オーストラリアへの水素投資を中止する日本企業が増え、最終的にエネルギー・サプライ・チェーン全体が終了してしまうことである。日豪の水素協力の存続は、日豪だけでなくパリ協定の目標達成にとっても重要である。
(文責、在事務局)