富山県作成の正式名称「環日本海・東アジア諸国図」をご覧になったことがある人は多いのではないか。いわゆる「逆さ地図」と呼ばれるこの地図は、従来の地図とは南北を逆として日本および北東アジアの周辺諸国を描くことで、大陸側からの視点が見えてくる代物だ。
 そもそも日本の地理は、北海道、本州、九州、四国という主要四島と、この他、6852の島々から構成されるほか、四方を海に囲まれ、大陸と海で隔てられているのが大きな特徴の一つである。
 このことは、数字に変換するとよりわかりやすい。例えば、朝鮮半島から日本に最も近い地点で約200キロメートル、そして中国の場合においては、約800キロメートル以上、それぞれ離れているのだ。これを日本と同様の島国であるイギリスと大陸との関係で比較した場合、イギリスとフランス間のドーバー海峡の距離が約34キロメートルなので、日本がいかに大陸から隔絶しているかお分かりいただけるだろう。
 また、日本はユーラシア大陸東端の第一列島線の中核に位置しており、「ユーラシア半島」として位置付けることも可能であるほか、冒頭の逆さ地図上においては、日本が大陸側から太平洋への出口を塞ぐ存在にもなりえるので、きわめて「多面的な」地政学的特性を有していることが伺える。
 他方、こうした特性に加えて2010年代以降、政治・経済・安全保障などあらゆる領域で米中両国の対立が先鋭化する過程で、日本は「米中に挟まれた国」としての立ち振る舞いも求められるようになる。地理的距離感として、日中間で約800キロ、日米間では約11000キロメートルそれぞれ離れているものの、地政学的に見て、間違いなく日本は、米中と「永遠の隣国」であり、また「永遠の狭間の国」の関係にあることは疑いない。
 ちなみに、ここでいうところの「狭間の国」について補足説明すると、単に地理的に米中といった大国に挟まれた国の立ち振る舞いのみを指すものではない。地理的範疇を超えて、米中以外の複数の国や地域との関係の中で自分たちの国益を追求しようとする外交姿勢もまた、ある意味、狭間としての側面を有しているとの前提から、ここではこれら概念を包括したものとしてこの言葉を提起している。

ちょうど先月末、北朝鮮が軍事偵察衛星を発射し国際社会に衝撃を与えたことは記憶に新しい。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記は昨年末の党重要会議で、今年中に3機の偵察衛星を打ち上げる計画を表明していたわけだが、その後、日米韓三か国は直ちに北朝鮮に関する電話協議を実施したほか、隣国韓国では北朝鮮に対する「キルチェーン(Kill Chain)」体制を強化した、「キルウェブ(Kill Web)」概念の導入を加速させるなど、予断を許さない状況が続いている。日本も属する北東アジア地域では、冷戦終結後も朝鮮半島情勢などの不安定要因が依然として残されている。とりわけ、朝鮮半島においては、豊臣秀吉の朝鮮出兵や朝鮮戦争など、何度も戦火に巻き込まれた歴史を有しているわけだが、同半島が物理的に中国、ロシアという大国に隣接していることと無関係ではないだろう。
 ポスト冷戦期以降、北東アジア含め国際関係は「対立・競争・協力」の様相が複雑に絡み合いながら進行しているなかで、日本含め周辺諸国に問われる外交姿勢は「対抗的」ではなく一層「結束的」かつ「協力的」でなければならず、今こそ、我々の英知を結集させる必要がある。

古代中国や外交交渉の場において、「樽俎折衝(そんそせっしょう)」という言葉を耳にされた方も多いのではないか。この言葉は、つまるところ、武力を用いず外交交渉を行うことを意味するわけだが、日本においても、樽俎折衝の豊富な政治家の存在等により、日中関係を維持・発展させようと努めてきた。
 例えば、1970年代から1990年代にかけて、日本の権力の中枢にいたのは、田中角栄元首相の日中国交正常化のレガシーを受け継ぎ、中国と良好な関係を築こうとした、竹下登、小沢一郎、橋本龍太郎、小渕恵三らの存在である。
 また、いわゆる自民党派閥の裏金事件を受けて解散が決まった宏池会(岸田派)も、もともと伝統的に中国人脈があり、吉田茂元首相が掲げた「軽武装、経済重視」の流れをくみ、池田勇人を中心に、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一らの存在によって、対中関係において、大きな対立に至ることは少なかった。
 いわゆる吉田茂のアプローチの源流が何かといえば、米国と同盟を組むことにより、日本の保護と市場と技術を確保し、再軍備に関する国内の議論を抑え込むことにあった。そして、アジアとの関係強化を図り、もって日本の自律性を維持・増強しようとした点にある。
 こうした彼らの存在もあり、1972年の日中国交正常化以降、1998年の「日中共同声明」をはじめ、2008年の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」、2018年の「日中平和友好条約締結40周年」、2019年「日中青少年交流推進年」、2020年「日中文化・スポーツ交流推進年」など、日中関係は数え切れないほどの交流が行われ、また、その分野も、外交安全保障のみならず、青年交流やスポーツ交流といった分野にまでひろがりを見せている。今、我々に問われているのは、まさにこうした協調の輪を一層拡げていくことではないだろうか。

そのためにも、今後、日本外交がその選択肢を増やすための、一つの可能性について私見を述べたい。そのヒントになりえるのが、田中派が輩出した最後の首相の一人、橋本龍太郎が、1997年に経済同友会で発した「ユーラシア外交」という言葉にある。この言葉の定義こそ明確ではないが、この言葉には、今後日本が「広い視点にたち自立的外交を展開」していく姿勢が込められている。
 そして、今日、日本として改めて「ユーラシア外交」を打ち出すことこそ、価値共有の有無を問わない友好国の輪を拡げるとともに、自国の利益を越えた「地球益」を追求する外交姿勢を内外に示すことができるのでないか。
 2019年、オーストラリアのローウィ国際政策研究所で、「日本はアジアにおける自由主義秩序のリーダー」として台頭しているとの評価が示されたことは周知の通りであるが、この評価を通じて、世界から見た日本という国の本質の一端が見えてくる。
 相手国との「信頼」関係の構築は、先進国や途上国を問わず、どの国や地域と行ううえでもきわめて難しい。しかし、この点について、日本はこれまで数多くの国と多角的な外交を展開してきたほか、国際的な信頼も高く、きわめて大きなアドバンテージを有しているといえる。これを裏付けるかのように、2023年版の「ヘンリー・パスポート・インデックス」によると、日本のパスポートはビザなしで193カ国に渡航可能であり、これは6年連続のトップである。
 日本外交を振り返ると、これまで様々な国や地域に対しては、関係を悪化させない調整力に基づき、外交実績を積み上げてきたことは、国民の多くが理解するところである。これは上川陽子外務大臣の言うところの「しなやか」という言葉にも端的に表れている。
 とりわけ、北東アジアに関しても、岸田首相は、先日の日中韓サミットにおいて、ASEAN+3の下で、災害時等に迅速に発動できる地域金融協力の強化や、「女性・平和・安全保障(WPS)」の観点も踏まえた防災分野における女性の参画拡大の推進強化等に加えて、先月の「アジアの未来」の晩さん会においても、「きめ細かい協力」という言葉を強調した。
 こうした岸田外交の協調姿勢は、今後、日本という国があらゆるステークホルダーと協力しながら、外交を展開していくメッセージにもなるほか、ここ最近、日中間でも再確認された「戦略的互恵関係」の推進においても、きわめて重要な要素になると思われる。
 ただし、「戦略的互恵関係」について言えることは、やはり「言葉」に過ぎない。これは既述の「ユーラシア外交」にも当てはまるが、「戦略的互恵関係」の言葉があるから、あるいは再確認されたというだけでは、日中関係がその目標に移行したということにはならない。重要なことは、これを単なる言葉ではなく、この目標に向けて、日中両国が協力し、その具体的に向けた取り組みを強化することである。
 そのためには、日中間で協力できること、共有しあえることを一つ一つ大切にしながら、その取り組みを維持・強化させることが、肝要であろう。