第363回国際政経懇話会
「狭間の国家の光と影」
2024年5月10日(金曜日)
公益財団法人 日本国際フォーラム
グローバル・フォーラム
東アジア共同体評議会
第363回国際政経懇話会は、廣瀬陽子慶應義塾大学教授を迎え、「狭間の国家の光と影」と題して、下記1.~5.の要領で開催されたところ、その冒頭講話の概要は下記6.のとおりであった。その後、出席者との間で活発な質疑応答が行われたが、オフレコを前提としている当懇話会の性格上、これ以上の詳細は割愛する。
1.日 時:2024年5月10日(金)15時から16時まで
2.開催方法:オンライン形式(ZOOMウェビナー)
3.テーマ:狭間の国家の光と影
4.講 師: 廣瀬 陽子 慶應義塾大学教授/日本国際フォーラム上席研究員/グローバル・フォーラム有識者世話人
5.出席者:41名
6.講話概要:「狭間の国家の光と影」
(1)狭間の政治学
小国は、大国との関係において、外交を自由に展開することが困難な状況に立たされている。「狭間の政治学」とは、そうした小国がいかに賢く生き抜くかという処世術を明らかにするものである。
小国は、ある一国の勢力にあまりに追随し過ぎると、その敵対関係にある勢力から懲罰に準ずる負の作用を被ることになる。それゆえ、味方につく勢力を絞り込んで選択するのではなく、バランス外交をすることが良作である。バランス外交を比較的容易にするのは、[資源がある]あるいは[輸送路がある]といった地理的な幸運である。しかし、地理的な幸運に恵まれない(大国に挟まれた)狭間の国家は、ロシアの影響力の下にとどまることを余儀なくされる。ロシアの政治・経済・エネルギー上の強みや、未承認国家の存在が、狭間の国家をロシアに接近させるのである。
2014年のクリミア併合以来、ロシアが以前から展開していたハイブリット戦争の烈度が増し、サイバー攻撃や認知・情報戦が繰り広げられてきた。狭間の国家は、国際政治では浮上しにくいものの、特定の観点をものさしとするとき世界の有力な勢力になりうる。例示すれば、価値(例えば、ウクライナ戦争では、民主主義を守るための戦いとして欧米から手厚い支援を受けた)、環境や気候変動(例えば、アゼルバイジャンでは、奪還したカラバフ周辺の土地をグリーンに再構築することを国際的にアピールし、2024年11月にはCOP29も開催予定)、半導体(例えば、台湾の半導体工場の世界的な展開がある)を用いることによって、世界の中心とも言える勢力になりうる。とはいえ、これらのうちでも、特に単一手段に依る場合には、長期的には有力な勢力として君臨することは困難である。
(2)狭間の国家:旧ソ連諸国
狭間の国家である旧ソ連諸国との関連から、狭間の政治学を概観する。第一に、ロシアを迂回するルートの重要性が高まっている一方、ロシアは南北回路を結ぶことを目指している。ロシアのように資源を保有する国であろうとも、資源の輸送ルートを押さえておくこともまた肝心である。輸出先や輸出ルートを分散し、いかに一国への過剰依存を避けつつ、多角化していけるかが問われる。第二に、水問題、経済問題、イスラム勢力の拡大、ロシア語浸透率(ウズベキスタンやキルギスはロシア語の残存率が高く、ロシアの情報戦も効果的となるほか、経済関係も深くなりやすく、影響力も維持されやすい)、旧ソ連全体の権威主義の強さは、バランス外交を左右する要素となる。これらはロシアに接近あるいは依存する隙をつくる可能性がある。
ロシアの影響力は、ウクライナ戦争によって弱まった部分と強化された部分がある。政治的・軍事的には弱体化した部分もあるが、経済的には強みを発揮し、結果として脅しの力は強化された。それゆえ、旧ソ連諸国は結局のところはバランス外交をせざるを得なくなり、経済的依存や政治的依存を避けてバランスをとる必要がある。
ロシアの最終的な強みは経済と脅しである。旧ソ連諸国は、経済やエネルギー、労働移民の存在などでロシアとの関係を切れず、さらに戦争勃発後は戦争特需の恩恵も被ることができた。このような状況を受けて、ロシアは旧ソ連諸国の弱みを利用してきたのであり、旧ソ連諸国にとっての最大の脅威は依然としてロシアということになる。他方で、中国、トルコ、イラン、インドの影響力が高まっておりバランサーとなる可能性がある。日本に対しては絶大な信頼感があり、同様の役割を期待する声もある。
(3)ユーラシアのインフラ
ウクライナ戦争が勃発して以降、ロシアを迂回するルートとして、中国西部とヨーロッパをつなぐ最短ルートである中央回廊がとりわけ重要視されるようになった。このルートのポイントとなるのは、2014年のカザフスタン横断鉄道の完成と2017年のバクー・トビリシ・カルス鉄道の開通であった。しかし、ロシアは中央回廊に対抗すべく、南北を繋ぐルートに強い期待を寄せる。未だに結ばれずにいるアゼルバジャンとイランを結び、中央回路を縦に割り込むルートを手中に収めることで、自国の影響力を強めたいというロシアの思惑がある。
また、中国は中央アジアとパイプラインを結び、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの天然ガス、および、カザフスタンの石油を直接輸入できる環境を敷いた。これ以前は、中央アジアはロシアに一方的に搾取されるばかりであったが、今では中国とロシアを天秤にかけ、価格交渉する余地ができた。この状況は、一国への依存を避けるバランス外交の表れと言える。しかし、このパイプラインは中国が建設したものであることから、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンはパイプラインの建設費の返済に追われている。
(4)イランの影響力の拡大
イランは、旧ソ連諸国との関係強化に乗り出している。特に、ロシア、アルメニア、中央アジアとの関係を強化し、インフラ接続を目指している。また、テヘランの商工会議所の過去2年間のデータを参照すると、イランから中央アジアへの輸入は16%増加している。特に、タジキスタンやキルギスからの輸入が増大している。主な輸入品目は、綿と小麦となっている。イランから中央アジアへの輸出は8%増加し、特にタジキスタンへの輸出の増加が顕著である。
タジキスタンはイランと歴史的に関係が深い。他方、キルギスがイランと深い関係を持つのは、ユーラシア経済連合(EEU)の影響によるものである。イランは、2019年からユーラシア経済連合の自由貿易協定(FTA)を締結しているが、これがイランにとって影響力を拡大するのに有利に働いていると見られる。ユーラシア経済連合は拡大傾向にあり、ロシアの継戦能力を高めるリソースの一つとなっている。
(5)中央アジアの水問題
中央アジアでは、キルギス・タジキスタンは水資源が豊富であるが、カザフスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタンはエネルギー資源が豊富である。ソ連時代には、もともと水資源が豊富でなかったウズベキスタンが綿花生産のノルマをこなすために大規模灌漑をしたことにより、アラル海問題が深刻化した。世界で4番目に大きな湖であったにもかかわらず、ほぼ枯渇し、広範囲な砂漠化を導いた。このように、水問題は深刻な問題となっている。現在では、川の上流にあるキルギス・タジキスタンが水資源を消費するため、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンまで水がまわらず、水不足が国家間の緊張を生んでいる。さらに、アフガニスタンがコシュテパ運河の建設を進めており、2025年の完成(予定)の暁には、ウズベキスタンやトルクメニスタンへの水の供給はさらに20〜25%ほど減少する見込みである。これを受けて、水問題については関係国間での調整は不可欠であり、ロシアが介入する可能性も懸念されている。
(6)ロシアから離れられない旧ソ連諸国の図式
エネルギー依存(原発依存)の程度が強い旧ソ連諸国ほど、ロシアによって重要インフラを掌握されている場合が多く、中国で言うところの債務の罠に類する様相を呈している。また、旧ソ連諸国はロシアへの経済依存が強く、労働移民、経済特需の問題を生んでいる。
安全保障に関しては、集団安全保障条約機構(CSTO)への不信感が芽生え、旧ソ連の数カ国に CSTOへの批判やそこから距離を置く傾向が見られる。なかでも、この傾向が最も顕著であるのは、アルメニアである。しかし、仮に脱退したとしても、NATOに即座に加盟できるわけではないことは、ウクライナの事例は示すところである。CSTOからの脱退は、自ら防護を脱ぎ捨てて裸になるに等しいのであり、庇護を受けるあてもない。脱退を契機に、ロシアに何をされるかも不透明である。このような事情から、集団安全保障条約機構を簡単に脱退することは現状では難しいと言える。ロシアに対する恐怖は依然として存在し、ウクライナの状況は明日の我が身となりかねない警戒感もある。
(7)まとめ
ウクライナ戦争と旧ソ連諸国のすべての出来事は連動している。この連動は、ウクライナ戦争の影響が各地に及んでいる面、ロシアが旧ソ連諸国の不安定化を助長している面、周辺国がロシアの継戦能力を高めている面に見られる。
ロシアの影響力は減退した面と強まった面があり、エネルギーと食糧で強みを持つロシアは脅迫という手段を併用して影響力を維持し続けている。また、ロシアは旧ソ連諸国の弱点を利用すると考えられており、次の発火点となる可能性があるのは、モルドヴァ、アゼルバイジャン・アルメニアの対立、タジキスタン・キルギスの対立、中央アジアの水問題と複数ある。
狭間の国家はバランス外交を行うほかなく、ロシア、中国、トルコ、欧米、イラン、インドといった国家の間でバランスをとることが肝心となる。旧ソ連諸国には選択する力があり、ロシアから距離を置きたいと考える国もあるため、そこで日本や欧米がいかに良い選択肢を提示し、ロシアよりもいかに魅力的に映るようになれるかが今後の鍵となる。
(文責、在日本国際フォーラム)