――平和への具体的提言
外交と防衛の“要”に安保協力常設対話機構が必要
植田 隆子
元EU日本政府代表部次席大使
2023年版防衛白書には「優先されるべきは、外交努力」と記されている。だが、日本を取り巻く安全保障環境は不安定さが増している。中国とロシアの軍艦が相次ぎ日本近海で軍事訓練を実施し、北朝鮮による弾道ミサイル発射の恐怖も続く。好転しない状況下で日本の安保基盤強化も進むが、平和に向けた外交努力と軍事としての防衛力の両立は容易でないのも現実だ。外交を通じ、現実的で具体性のある平和と安定を実現するために何が必要か。安保協力に詳しい植田隆子氏に聞いた。
緊張高まる日本の周辺情勢
――中国、ロシア、北朝鮮と周辺を軍事大国に日本は取り囲まれている。2016年に平和安全法制が施行され、22年には経済安保推進法が成立した。日本の安保環境が悪化する中、東西冷戦期のような抑止力強化一辺倒の議論に引きずられているとの声も聞かれる。
植田 米国と中国、米国とロシアとの関係が以前よりも対立的になっている。地理的に中国やロシアに近い日本の安保環境も厳しさを増してきた。
米ソ冷戦期、ソ連は日本の安保上の脅威と位置付けられていた。1991年にソ連が崩壊し、当時の欧州安保協力会議(CSCE。現在の欧州安保協力機構=OSCE。米国、カナダと全欧州諸国が参加)の役割に期待が寄せられ、常設機構化(95年)などの強化も図られた。日本は92年にCSCEの特別参加資格を得て、さまざまな会合に出席してきた。
これとは別に、北大西洋条約機構(NATO)はソ連も含む旧東側諸国との対話や協力を91年から始めた。体制を転換した国々は米国からの保障が得られるNATO加盟を望み、99年から加盟国の東方拡大が始まった。NATOはロシアとも対話や協力を進めていた。しかし、2014年のロシアのクリミア侵攻、さらに22年からのウクライナに対する戦争で欧州の安保情勢は大きく変わった。
こうした中で、戦後の日本は平和国家にふさわしい防衛力のあり方を模索してきた。言うまでもなく、日本の安保の中枢は日米同盟だ。
同時に、中国との防衛当局間のホットライン(直通連絡)の構築などを通じ、軍事的危機の低減も追求してきた。次に述べるように、地域の安保協力は1994年から開催されているASEAN地域フォーラム(ARF)があるが、その起源は日本からの提案だ。こうした努力は同盟を結ぶ米国政府と共に取り組んできた。
――安保対話の場としては国連があるのでは。
植田 国連が国際秩序の安定に果たす役割の重要性は今も変わらない。ただ、ロシアのジョージアやウクライナ侵攻が起こり、安保協力における国連の機能の難しさも、明らかになった。ロシアは安全保障理事会の拒否権を持つ常任理事国であると同時に、紛争当事国だ。
そもそも公式な安保対話の場というのは、国連だけのような印象もあるが、例えば、アジアでは前述のARFが設置されている。米国、韓国、中国、ロシア、インド、欧州連合(EU)などのほか、北朝鮮もメンバーである。政治・安保に関する会議などを通じて地域の信頼醸成を図ろうとしている。
実は、ARFの設置は、日本からの働き掛けが大きなきっかけになったことは今ではほとんど知られていないようだ。91年7月、中山太郎外相が、冷戦後の国際政治が多極化することを予見し、アジア・太平洋地域の包括的な平和を実現するためにARFの起源になる提案をASEAN拡大外相会議で行った。これは当時、「中山提案」と呼ばれていた。外務省で情報調査局長などを務めた佐藤行雄・元国連日本政府代表部常駐代表大使がこの間の経緯を「多角的・多次元外交の試み――『中山提案』の裏面史」(『東アジア共同体?』平城遷都1300年記念出版NARASIA、丸善株式会社、2010年刊行に収録)に詳細に書き残しているが、設置に向けた各国との折衝は相当な政治力を必要としたことがうかがえる。実効性のある安保対話には、当局間の面会の積み重ねが欠かせない。国連やARFなどそれぞれの場の良さを生かしつつも、さらに多様な対話のチャンネルを構築していくことが極めて重要だ。
ただ、ARFは閣僚会合が年1回で、大使級会合も頻度が少なく、緊急の問題を機動的に議論できる体制ではない。中国が軍事大国として台頭し、今後の台湾との関係も懸念が持たれている。現在のアジア情勢は北朝鮮の動向も含め緊張感が高まってきており、危機低減のためにも常設的な対話の場が必要だ。
対話の積み重ね以外にない
――そこで宮本雄二・元駐中国大使も本誌1月号のインタビューで、植田先生による「安保協力常設対話機構」(仮称)の設置構想に言及し、同機構の必要性に触れた。一方、ARFと機能が重複するとの指摘もある。
植田 前述のように、アジア情勢の緊張感が高まっている。こうした状況下で、日本を含む周辺地域に安保〝協力〟の実施のために話し合える常設の場がないことは極めて危険なことだと考えている。安保協力に向けて定期会合をするため、参加国の常駐代表部と事務局を置く“常設の”地域的な国際組織が必要だ。欧州ではOSCEという米国、カナダも含む全欧的な組織があり、定例会議だけではなく、いわゆるホットラインも含め、接触できる仕組みが整備されている。私自身も過去に、日本政府代表団の一員として首脳会議や外相会議に参加した経験がある。
アジアでは、安保についてはARFが置かれているが、緊急対応の仕組みが完備されていない。ARFを改組すればよいという発想もあるが、日本の周辺情勢が緊迫化する中で、短期間で関係各国すべての合意を得て体制変更につなげるのは、ほとんど不可能だろう。
危機低減の措置の必要性の切迫度を考えれば、北太平洋地域に位置する国々が、対話による協力を行う常設の安保協力機構を創設できれば、この地域の安定にプラスになろう。
今回のインタビューの狙いの一つは、防衛力強化と外交努力の両立のあり方を考えることと聞いているが、外交努力はどうしても目立ちにくい側面がある。実効性のある外交と言っても、結局は政府当局間や政治家間の地道な対話の積み重ね以外にない。その都度、アポイントメントを取るのではなく、定期会合が設定され、その際に、各国の代表者がそこに行けば、どの国とも意思疎通できる環境ほど、危機低減の面で実効性があり、具体性に富む外交はないのではないか。
――OSCEが創設された背景は。
植田 欧州では第2次大戦終結後、中・東欧が共産化されていったため、西側の自由主義陣営と東側の共産主義陣営の東西対立、すなわちNATOとワルシャワ条約機構の対立が生まれた。厳しい対立状況下、危機低減のための対話の必要性を共に認識した各国は、東西間の接触の場として安保対話・協力を模索した。1975年には中立国を含むCSCEがヘルシンキ首脳会議で発足した。当時は中立国で、ソ連との約1340キロの共通国境を持つフィンランドも発足に尽力したため、CSCEは「ヘルシンキ・プロセス」と呼ばれるようになった。95年に、会議の連続体だったCSCEは常設機構化され、OSCEに改組された。
OSCEは米国とロシアを含む、57カ国から構成されている。事務局は第3の国連都市のウィーンに置かれ、参加国の常駐代表部も同地にある。参加国がOSCEを活用することで、東西間の大規模な軍事紛争の未然防止や終結、停戦後の平和維持に努力してきたと言える。重要なのは、毎週の会議で、対面の接触が実施されていることだ。会議以外でも、参加国の代表部間で接触が可能である。
東西冷戦終結後の欧州で、欧州南東部に位置するバルカン地域では、90年代にユーゴスラビアで内戦状態になった。2008年の夏にはロシアとジョージア間の戦争が勃発した。サルコジ・フランス大統領(当時はフランスがEU議長国)の仲介で停戦した。同年9月に、EUが非武装の監視ミッション(EUMM)を入れ、今日に至っている。欧州地域では、EUやOSCEが関係国の合意の下に、常駐使節を派遣してきた。
14年にはロシアがウクライナのクリミア自治共和国などを併合し、22年2月にはロシアがウクライナに侵攻したことも触れる必要がある。ただ、この戦争の将来の戦後の安定化も、OSCEの仕事になるだろう。
欧州安保の特徴は、地域的組織が中心的な役割を担っていることだ。NATOやEUも地域的組織であり、複数の国際組織が重層的かつ多面的な役割を果たしている。この発想は、日本の安保専門家には、なじみがないかもしれない。欧州大陸というのは、ほとんどの国が敵味方にかかわらず他国と国境線を共有し、少なくない国々が隣接国と緊張関係にある。よって軍事的衝突の回避のための対話の重要性は、かつての歴史からも理解されてきた。
日本の安保政策の発想で特徴的なのは、安保上の懸念に対しては、日米の2国間同盟による対処から、一挙に世界レベルの国連での対処に上がる議論である。ただし、国連での関係国間の合意策定は極めて困難であることも承知されている。
日米同盟や国連での対処という選択肢に加えて、地域の安保協力のための常設対話機構を設置するという発想が専門家の間でも乏しい。これは、日米安保との二者択一の発想が原因かもしれない。地域安保協力機構が設置されれば、二者択一ではなく、政策形成や実施のために、日米や日米韓で常に接触、協議することになろう。例えば、OSCEでは議題によりNATOやEUの加盟国が事前に集まり、常に立場を揃え一本化した提案を出している。
OSCEの今後の役割とは
――ロシアのウクライナ侵攻を受けて、OSCEの役割は低下したのでは。
植田 CSCE、そして1995年に常設機構化されたOSCEは、欧州における仕組みとしての軍事的信頼醸成措置の履行などを推進し、参加国間の対立低減を長年にわたり担ってきた。また、94年から2022年6月末まで、ウクライナが広範な安保上の課題に対処できるように、同国内の広い意味での民主制度整備や報道の自由、国境管理などについて常駐使節を同国に置き、協力してきた。その後も「予算外支援プログラム」で支援がなされてきた。EUはOSCEを通じても大規模なウクライナ支援を実施してきた。
さらに、OSCEは、14年のクリミア紛争時にはロシアとウクライナの仲介に入り、停戦合意の特別監視団(SMM)を派遣し、常駐もさせていた。22年2月、ロシアは大規模な侵攻を断行、SMMの任期延長もブロックした。OSCEは22年11月に通常予算外で、EUなどの貢献も得てウクライナ支援プログラムを立ち上げ、環境問題への対処など、さまざまな分野で貢献してきた。
23年12月付でEUが公表したデータによれば、EUとしての支出のみならず、EU圏に退避してきたウクライナ人の支援を巡るEU加盟国の支出を加えた22年のロシアの侵攻時からのEUによる支援総額は、850億ユーロ(約13兆6000億円)とされている(注:ウクライナは23年6月にEUの加盟候補国になり、同年12月に欧州理事会はウクライナのEUへの加盟交渉の開始を決定)。
OSCEが侵攻を止めることができなかったから、もう役割はないと考えるのも早計だ。どの時点かは明言できないが、やがて停戦合意に持ち込まれることになるだろう。その時には、紛争の処理や紛争再燃の防止を巡る対策の検討や組み込みが必要になる。そこでも多面的な話し合いの場は必要だ。OSCEには元来、ロシアとウクライナが参加している。紛争の再発を防ぐためにも、将来的には重要な役割を担うことになるのではないか。
日米同盟とは補完的である
――防衛省が昨年5月、中国防衛当局間とのホットラインを設けて専用回線を使用して協議をしたと発表した。他方、中国軍艦が日本近海を通過するなど日中間の緊張が収まる気配はない。
植田 ホットラインは専用の直通回線で、不測の事態を避ける必要があり、急を要する場合、直接対話できる仕組みのことだ。相手が電話を取れば話し合うことができるが、相手が電話に出る意思がなければ、全く機能しない。その判断は当事者に委ねられている。
――多国間による安保協力常設対話機構の創設は、米国が懸念を示す恐れもあるのでは。
植田 日米同盟の信頼性が維持される必要があるのは論をまたない。ただし、米国は、1975年のCSCE創設以来、多国間の安保対話や協力には慣れている。軍事部門では、CSCEの発足によってNATOの役割の低下はみられず、既に述べたように、CSCE/OSCEの会合の準備のために、NATO諸国は事前に集まって常に協議し、NATOとしての提案を出してきた。同盟を弱めるものではない。
日本と中国、ロシアとの地理的距離の近さから考えても、例えば全く戦意がなく、偶発的な衝突が起きた場合には瞬時に相手方に連絡を取って説明をする必要がある。既に「日中連絡メカニズム」や、ロシアとの「日露海上事故防止協定」などが置かれていることは重要だ。
通常、外交活動で他国の外交官や代表に正式に面会するためには、アポイントメントを事前に申し入れる必要がある。繰り返しにはなるが、北太平洋地域に安保面で欠けているのは、アポイントメントを取る必要がなく、定期的に集会して安保問題を協議する常設の組織だ。定期会合があれば、休憩時間に接触して非公式に意見交換することもできる。緊急招集の仕組みも入れられればよい。
さらに、保有軍事力の情報交換、軍事演習の事前通告、事故としての軍事的衝突時の緊急連絡方法、災害時の救難協力体制整備など、さまざまな情報交換や協力メニューの中で、多国間の協力体制において何を実施するのかも、参加意思のある関係国で話し合う必要がある。
多国間の安保協力についての米国の懸念は、ARFの創設時にも実はあった。この点も佐藤大使が書き残しているが、ブッシュ政権はアジア・太平洋地域に多国間協力の仕組みを創設することに警戒的だった。「『日本が多国間協力を口にすることは、日米安保条約から離れようとしていたからではないのか』といった声すらワシントンにあった」(「多角的・多次元外交の試み――『中山提案』の裏面史」)とある。しかし、関係各国に対する外務省による粘り強い説得や、92年7月に訪米した宮澤喜一首相がナショナル・プレス・クラブでの演説で、アジア・太平洋地域の安保についての日本の考え方の表明、特に、アジア・太平洋地域における米軍の存在と日米安保体制がこの地域の安定に不可欠な前提であるとの認識を強調したこともあって、米国側の支持を得ることに成功している。
予測不能な衝突から大規模な戦闘行動になることを防ぐ仕組みも2国間のみならず、地域的にも必要である。防災面でのARFやアジア防災センター(神戸市)の強化も提言したい。ARFに迅速な危機低減の仕組みを持たせられるかどうかは全く不明であるため、せめて、北太平洋地域の国々の間で危機低減のための常設的な仕組みを早急に作っておく必要があろう。
災害救難協力と安保
――安保協力常設対話機構の設置に向け、災害救難協力からスタートする案もあるとのことだが、理由は。
植田 2024年1月の能登半島地震の際にも、自衛隊が出動した。東日本大震災の時は日本が米国の支援を受け入れ、大規模な「トモダチ作戦」が実施された。災害・救難には軍事力が必要な場合がある。
これまで北太平洋地域の国々の常設的な安保・対話協力の必要性について述べたが、軍事協力は、災害救難協力から始める方が容易だろう。
無論、被災国の受け入れ受諾が必要だが、事前に協力体制を作ることができれば迅速に動ける。ARFでも災害救難は協力対象ではあるが、瞬時に救難活動を発動できるようなシステムではない。北太平洋地域で具体的な協力体制があれば、被災者や被災国にとって、よりプラスになる。準備のための軍事交流も含めることができれば、軍事的信頼醸成措置にもなる。被災地に赴いての救難でなくとも、食糧や医薬品、必要な資材の提供にも役立つだろう。日本にはノウハウの蓄積もある。
アジア太平洋地域はさまざまな政治体制の国々があり、EUのような中核となる統合体のある欧州とは異なる。とはいえ、スムーズに支援を発動できる体制が整えられれば、地域の住民にとっては大きなプラスになる。
ここで、EUの市民保護・人道支援活動総局(ECHO)と呼ばれる災害救難に特化した機関について触れておきたい。ECHOは、被災した国々の政治体制にかかわらず、支援してきた。
東日本大震災のときも、救援に派遣された。この時期、ECHOのトップを務めていたゲオルギエバ氏は、現在は国際通貨基金(IMF)の専務理事である。EUの日本向け広報誌の東日本大震災当時の記事注『EUの人道援助:結束と挑戦の20年』[注]に日本を見舞う同氏の写真も掲載されている。
日本とEU間で合意された戦略パートナーシップ協定(暫定発効中、EUの全加盟国の国内手続き完了待ち)では、日本とEU間の協力分野には、災害救難協力も含まれている。能登地震の際にも、EU側は、ボレル外務安保上級代表兼欧州委員会副委員長(外相に相当)とレナルチッチ担当委員(閣僚に相当)がすぐにお見舞いを表明した。
――地域協力枠組みに何を期待するか。
植田 既に指摘のように、北太平洋を取り巻く国々の間の協力の増進が、対立による危機を低減するために必要である。南北朝鮮、米中、米ロ間などの対立拡大の危険性を減らすことが、日本の安保政策には必要不可欠だ。
同盟を強化すればするほど、逆に対立が拡大する〝安保上の矛盾〟に備える一つの方法は、協力のための交流による接触だ。日本、米国、中国の3国間での災害救難協力を巡る対話や活動は、安保上の危機低減にもなろう。安保協力の機構設置に向けた日本の積極的なイニシアチブに期待したい。新しい枠組みの創設のみならず、災害救難協力を巡り、日中韓、日米韓、ARFなど既存の枠組みも活用するなど、平和のためにあらゆる手を尽くすべきだ。
(初出「月刊「公明」3月号)
植田隆子(うえた・たかこ)
学術博士。ジュネーブ大学高等国際問題研究所客員研究員、ブリュッセル自由大学欧州研究所客員教授、オーストリア国際問題研究所招聘研究員、国際基督教大学教授、東京大学大学院特任教授、外務省EU日本政府代表部次席大使など歴任。香川大学客員教授。外務省在ベルギー大使館勤務時代にはNATOや欧州安保を担当し、CSCE/OSCEのさまざまな会議にも出席。編著書に『新型コロナ危機と欧州』(文眞堂)など。