JFIR国際問題シリーズ・セミナー「欧州は今:重層的多極化する欧州とアジア」
第2回「激動のウクライナ・パレスチナ情勢をどうみるか」

2023年11月9日
日本国際フォーラム事務局
日本国際フォーラム(JFIR)は、大国間競争時代の世界を読み解くうえで我が国にとって戦略的に重要性の高い国や地域に着目し、シリーズ・セミナー形式で対象国/地域の情勢や内外関係等を掘り下げる「JFIR国際問題シリーズ・セミナー」を立ち上げた。その一環として、欧州に焦点を当てた「欧州は今:重層的多極化する世界の中の欧州とアジア」を立ち上げ、その第2回「激動のウクライナ・パレスチナ情勢をどうみるか」を下記 1.~5.のとおり開催したところ、その議論の概要は下記6.の通りである。
1.日 時:2023年11月9日(木)17時30分から19時30分まで
2.開催形式:オンライン形式(Zoomウェビナー)
3.参加者:200名程度
4.プログラム
開 会:渡辺 まゆ JFIR理事長
モデレーター:渡邊 啓貴 JFIR上席研究員/帝京大学教授
第1部「激動のウクライナ情勢をどうみるか」
報 告:松嵜 英也 津田塾大学准教授 (15分)
名越 健郎 拓殖大学特任教授 (15分)
第2部「激動のパレスチナ情勢をどうみるか―イスラエル、パレスチナの視点から―」
報 告:江﨑 智絵 防衛大学校准教授 (15分)
溝渕 正季 広島大学准教授 (15分)
第3部パネルディスカッション「激動のウクライナ・パレスチナ情勢をどうみるか」
冒頭コメント:杉田 弘毅 共同通信特別編集委員(10分)
討 論
総 括 :渡邊 啓貴 日本国際フォーラム上席研究員/帝京大学教授(10分)
5.パネリストの略歴:
渡邊 啓貴日本国際フォーラム上席研究員/帝京大学教授
1978年東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業、1983年慶応義塾大学大学院博士課程修了。1986年パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ校現代国際関係史専攻DEA修了。その後、東京外国語大学助教授、同教授等を経て、1999年同総合国際学研究院教授、2011年同国際関係研究所所長。その間、高等研究大学院(パリ)・リヨン高等師範・ボルド―政治学院、ジョージワシントン大学エリオット・スクールなどで客員教授、在仏日本国大使館広報文化担当公使等、外交専門誌『外交』・仏語誌『Cahiers du Japon』編集委員長などを歴任。1992年『ミッテラン時代のフランス』で渋沢クローデル賞受賞。現在、東京外国語大学大学院名誉教授。主な著書に『米欧同盟の協調と対立』『ポスト帝国』『アメリカとヨーロッパ』など、主な編著に『ヨーロッパ国際関係史』『ユーラシア・ダイナミズムと日本』など。専門はヨーロッパ国際関係論。
松嵜 英也津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授
2011年上智大学外国語学部ロシア語学科卒業、2016年同大学グローバル・スタディーズ研究科国際関係論専攻博士課程満期取得退学、博士(国際関係論)。津田塾大学専任講師を経て、2023年より現職。専門はユーラシア国際関係、ウクライナ・モルドヴァ現代政治。
名越 健郎拓殖大学特任教授
1976年東京外国語大学ロシア語学科卒。時事通信社入社。バンコク、モスクワ、ワシントン、モスクワ各支局を経て、外信部長、編集局次長、仙台支社長。2012年、拓殖大学海外事情研究所教授、国際教養大学特任教授。2022年から現職。論文博士(安全保障、拓殖大学大学院)。著書に『秘密資金の戦後政党史』『北方領土はなぜ還ってこないのか』など。専門はロシア、国際関係。
江﨑 智絵防衛大学校准教授
1998年筑波大学第三学群国際総合学類退学、2006年同大学大学院国際政治経済学研究科単位取得退学。博士(国際政治経済学)。在ヨルダン日本大使館専門調査員、公益財団法人中東調査会研究員を経て、2012年より現職。主要業績に『イスラエル・パレスチナ和平交渉の政治過程―オスロ・プロセスの展開と挫折』(ミネルヴァ書房、2013年)、「非国家主体の対外関係とその規定要因―ハマースを事例として」(『国際政治』第195号、2019年)など。専門はパレスチナ問題を中心とする中東国際関係論。
溝渕 正季広島大学大学院人間社会科学研究科准教授
2006年神戸大学国際文化学部コミュニケーション学科卒業。2011年上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士後期課程単位取得退学。2012年に上智大学より博士(地域研究)を取得。博士課程在学中にはシリア・レバノンへの留学を経験。その後、公益財団法人日本国際フォーラム研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)、ハーバード大学ジョン・F・ケネディ公共政策大学院ベルファー科学・国際関係センター研究員、名古屋商科大学ビジネススクール教授などを経て、現職。専門は中東地域の政治・軍事・安全保障問題、中東をめぐる国際関係、イスラーム政治など。
杉田 弘毅共同通信社特別編集委員・明治大学特任教授
一橋大学卒業後、共同通信社入社。ソ連・中東移動特派員、テヘラン支局長、ニューヨーク特派員、ワシントン特派員、ワシントン支局長、論説委員長などを歴任。BS朝日「日曜スクープ」アンカー、明治大学特任教授、星槎大学大学院客員教授、フォーリン・プレスセンター評議員、国際新聞編集者協会(IPI)理事を兼任。『アメリカの制裁外交』(岩波新書)で2021年日本記者クラブ賞受賞。著書に『検証非核の選択』(岩波書店)『「ポスト・グローバル」事態の地政学』(新潮選書)『国際報道を問いなおす』(ちくま新書)など。専門は米国外交政策。
(プログラム登場順)
6.議論概要:
パネリストの報告概要は以下のとおり。
(1)渡邊 啓貴 JFIR上席研究員/帝京大学教授
国際社会においては、ウクライナ戦争の最中に、ハマスによるイスラエル攻撃、またそれに対するイスラエルからの反撃が行われ、同時に2つの危機を抱えることになった。これに対して思い出すのは、1956年に起こったハンガリー動乱とスエズ動乱である。スエズ動乱は、エジプトによるスエズ運河国有化に対して、イギリス、フランス、イスラエルが攻撃を行ったことによるが、米国は旧帝国主義を支持しない立場をとっていたため、イギリス、フランスに対して微妙な立ち位置に立たされた。ハンガリー動乱で国際的な批判にさらされていたソ連は、この機に米国に接近し、その結果、本来別々に起こっていたハンガリー動乱とスエズ動乱が、米ソの痛み分けのような形で終結をみたのである。このように、国際的な2つの危機が、別々のことでなく連動して終結に向かったという歴史があるわけであり、今回のセミナーでは、ウクライナとパレスチナ情勢を別のことではなく連動したものとして捉え議論を行うことにした次第である。
(2)松嵜 英也 津田塾大学准教授
ウクライナの「平和の公式」を中心に、ウクライナの視点からみたウクライナ情勢について報告する。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから600日が過ぎた。ゼレンスキー大統領は、2022年冬に、ウクライナに対してロシアとの和平のテーブルに戻るべきとの外圧が強まる中で、国際社会に「平和の公式」を提唱し、今日に至るまで各国にそれを支持するように求めている。
「平和の公式」は、ロシア軍の撤退、放射能と核の安全、食料、エネルギーの安全保障、捕虜の解放など10項目からなる。ただ、10項目それぞれが独立した内容になっているわけではなく、例えば核の安全のためにもロシア軍がウクライナの原発から撤退すること、というように項目同士で連動している。
「平和の公式」が出された背景には、ウクライナがこの戦争によって、不平等、不公正さを被っているという認識があるのではないかとみられる。ゼレンスキー大統領は、公正な世界においては全ての国が領土や主権をもち、そこに対して妥協はなく、もし領土や主権に対して妥協を強いられるならばそれは不公正な世界である、との旨の発言をしている。またゼレンスキー大統領は、領土の回復やウクライナのEU、NATOへの加盟が最終的な到達点ではないこと、ロシアに侵略の責任を負わせるべきこと、などについても言及している。そして、プーチン大統領を訴追できない国連安保理をはじめとした国連の機能不全とその改革の必要性を繰り返し主張し、国連を機能させるためには諸国間の連帯が必要であり、その連帯のためには「平和の公式」に各国が合意し、それによって国際法秩序を好転させる、という論理を展開している。このようにウクライナは「平和の公式」を各国に広める外交を展開し、さる10月にマルタで開催された「平和の公式」を協議する会合に66カ国が参加していることからも、一定の広がりをみせているといえよう。
しかしだからと言って、ウクライナへの支援が拡大しているとは言い難い。ウクライナを支援しているのは、米国、日本、欧州、豪州などに限定されており、中立的な立場を取る国家、また僅かではあるがロシアを支援している国家も存在する。この後者の国々に対してウクライナは、例えば中国に対しては戦略的パートナーシップ関係や経済関係を維持しつつ、中国がロシアに武器を提供しないように牽制し、またロシアにドローンの提供などをしているイランに対しては、今後50年間にわたる経済制裁を課すなどの対応をとっている。
以上のことから、「平和の公式」は、一般的に言われているようにウクライナによる戦争終結のための和平案というよりも、ウクライナによる望ましい国際ビジョンと位置付けた方が明確であろう。ただし、そこで考えられているのはあくまでもウクライナの状況からみた不公正などを指摘しているものであり、例えば「平和の公式」には「領土の一体性の回復」という内容が入っているが、それは1991年のウクライナ独立時の領土の回復であり、必ずしも現在のパレスチナの状況など、歴史や時間の軸を考慮に入れたものではないとみられる。しかしそれでも、国際社会の分断が言われているなかで、「平和の公式」は一定程度の国際協調を創出しており、特筆に値することといえよう。
(3)名越 健郎 拓殖大学特任教授
ウクライナ情勢について、主にロシアの視点から、最近の報道をもとに報告する。
この1週間程度の報道を見ていると、ウクライナ戦争の潮目が変わり、ロシア有利に変わってきているように見受けられる。ロシアの報道では、ロシアはクリミアも含めてウクライナ領の約20%を支配しているが、6月4日からはじまった5カ月にわたる反転攻勢によって、ウクライナが奪還できた領土は僅か0.3%に過ぎないとのことである。11月1日の英『エコノミスト』誌では、ウクライナのザルジニー総司令官のインタビューが掲載されている。その中で同氏は、ウクライナ軍が膠着状態に追い込まれており、おそらく突破口はないだろう、当初、反転攻勢から4ヶ月でクリミアに到達できるとみていたが、ロシアが構築した地雷原によって難航しており、また西側から提供された兵器や戦車などもロシアの大砲や無人機によって破壊されていると述べている。10月30日の米『タイム』誌では、ゼレンスキー政権内部の不協和音やゼレンスキー大統領が疲労から精神的に疲弊していると報じている。また、現在のウクライナ軍の平均年齢が43歳にまで達しており、相当の死者、犠牲者がでているのではないかとも報道されている。『タイム』誌は、2022年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」にゼレンスキー大統領を選出していたわけであるが、この報道の変化をみても、ウクライナの状況の厳しさがみてとれる。11月3日の米国NBCニュースでは、欧米諸国がウクライナ政府に対して、ロシアとの和平交渉を検討したらどうかと勧告したとの報道があった。このように欧米諸国においては、難航する反転攻勢、ウクライナの兵員不足、さらにイスラエルとハマスの軍事衝突によって、ウクライナへの支援疲れがでているとみられる。ゼレンスキー大統領は、あくまでも徹底抗戦を唱えてロシアとの交渉には臨んでいないが、ウクライナが不利な状況に陥っているといえよう。これまでG7をはじめ先進40カ国がロシアの力による現状変更を認めないとしてウクライナを全面支援してきたわけであるが、ロシアの事実上の勝利に終わるという最悪のシナリオも考慮しければならない状況になっている。
今後、仮に和平交渉になった場合、ウクライナには2つの重要な課題がある。一つ目は領土の線引きである。ウクライナ東部のドネツクおよびルガンスクはすでに人民共和国になっており、プーチン大統領がこの地を譲歩するとは考えづらい。南部のザポリージャとヘルソンについては住民の意思を尊重するとの旨のプーチン大統領の発言があり、ロシア側が譲歩する可能性はあるのようにみうけられる。二つ目は戦後のウクライナの安全保障をどう確保するかである。一旦は停戦交渉を結んでも、ロシアはまたチャンスを見てウクライナに侵攻してくることが考えられる。ウクライナの防衛を確保するにはNATOに加盟することが一番であるが、ロシアの抵抗でその実現は難しいだろう。このように、ウクライナには課題があるが、あくまでも現在の戦況から述べていることに過ぎない。戦況は水物であり、今後ウクライナ側に提供される兵器、また来年春から運用されると言われているF-16などによって、ウクライナが盛り返すこともあり得る。
プーチン大統領の発言からみると、ロシアの戦争目的が、当初と比べて変化している。当初プーチン大統領は、ウクライナ侵攻はドンバスの住民虐殺から平和を維持するための限定的な特別軍事作戦であり、「戦争」という言葉を使うなと述べていた。それが今年に入ってからは、西側諸国によって起こされた2014年のマイダン革命からすでに戦争が始まっていたと、この戦争はウクライナではなくウクライナの背後にいる西側との戦争なのだと位置づけを変化させている。現在ロシアは、2.5%の経済成長率で戦争特需の状況にあり、消費が活発化しているが、厭戦的な雰囲気が広がっているようにみうけられる。プーチン大統領は、来年3月の大統領選挙に立候補し、5期目の大統領就任を目指している。当選すればさらに6年間のフリーハンドを手にすることになる。ウクライナ戦争は、プーチン大統領によってはじめられ、その命令のもとで行われている「プーチンの戦争」であり、国内で厭戦的な雰囲気があろうと今後も継続されていくものとみられる。なお、プーチン大統領の後継者について、現在のミシュスチン首相が次回の選挙で退陣するとみられおり、次の首相に就任する人物がプーチンの後継者になるのではないかとの分析がある。プーチンも高齢になっており、ロシアのエリートの動向に注目していく必要がある。
(4)江﨑智絵 防衛大学校准教授
パレスチナ情勢について、イスラエルの視点から報告を行う。
10月7日のハマスによるガザ地区からイスラエル領内への侵入事件に対して、イスラエル側は情報機関などが事前にこれを察知できていなかったことから対応が後手に回り、1,400名以上が殺害され、200名以上が人質としてガザ地区に連れ去られるという甚大な被害を受けた。イスラエルは、このハマスの急襲攻撃を戦争としてとらえ、すぐさまイスラエル側からも報復と言える攻撃を開始し、今に至っている。
イスラエル側では、この10月7日のハマスの急襲が非常に大きな衝撃をもって受け止められた。10月7日は、50年前の1973年10月6日に始まった第4次中東戦争、イスラエル側では「ヨムキプール戦争」と呼ぶ戦争から50年の節目であった。イスラエルは国土が小さいため、自国領に敵を侵入させず、短期決戦で決着をつけるという軍事ドクトリンを掲げてきた。しかし今回ハマスがイスラエル領に侵入し、人質まで連れ去ってしまったため、抑止が機能していないということが明らかになったわけである。2008年以降イスラエルは、今回も含めてハマスとの間で5回の戦争を行っている。これまでの戦争では、ハマスがイスラエル領内に向けてミサイル等を発射し、イスラエルがそれに応酬して空爆を行うというものであった。特に2014年の戦争においては、イスラエルは地上戦を展開し、ハマスにイスラエル攻撃をしたことへの代償を知らしめてきた。イスラエルは、こうした非対称な大規模反撃を積み重ねることによって、ハマスからイスラエルを攻撃する意志をそぐという「累積的抑止」と呼ぶ戦略をとってきたわけである。この抑止戦略も、今回のハマスの攻撃によって機能していないことが明らかになったのである。ただこうしたイスラエルのドクトリンや戦略が機能不全になっていた背景には、イスラエルがハマスを自らのガザ地区における代理人として認識するようになっていた、ということがある。イスラエルは「累積的抑止」を機能させるために、ハマスあるいは他の組織がガザ地区からロケットを発射しなければ、ガザ地区からイスラエル領内への出稼ぎ労働者の枠を拡大させたり、ガザ地区へ提供する燃料を増大させるなどの経済的な恩恵を還元させてきた。つまり、イスラエルがハマスを自らの代理人として、ガザ地区の統治をさせる側面が、今回の攻撃が起こるまで成り立っていたのである。
こうしてイスラエルにとって今回のハマスの攻撃は、これまでの戦略や抑止が機能不全に陥っていたという大きな衝撃を受けるものであったわけであるが、現在イスラエルが軍事作戦の目的として掲げているのが、ハマスの壊滅と人質の解放である。今のところイスラエル国内の世論調査では、軍事作戦の実施に過半数を超える支持を受けており、今後も作戦は継続されていくものとみられる。10月20日にイスラエルのハガリ国防省がクネセト(国会)の外交防衛委員会で発言したところによると、今後の軍事作戦は3段階で展開されていくようである。第1次段階は、現在行っている空爆、また地上戦である。第2段階は、大規模な戦闘の後で、ハマスあるいはイスラム聖戦などの残党を排除するための低劣度の戦闘を展開することである。第3段階は、軍事作戦が終了したのちのガザ地区で、新たな安全保障体制を創出することである。この第3段階の作戦に対しては様々な議論が行われている。例えば米バイデン大統領は、2国家構想への回帰、イスラエルに隣接したパレスチナ独立国家の樹立を想定した発言をしている。またその流れのなかで、パレスチナ自治政府がガザの統治を回復すべきだという意見もでているし、またイスラエル側からはガザを再占領するわけではないが、ガザ地区非武装化のために一定期間イスラエル軍の駐留が必要ではないかとの意見もでてきている。
最後に、今後のイスラエル側の懸念について述べておきたい。まずは経済への影響である。今回の戦争において、イスラエル軍の主体は36万人の予備役の兵員から成り立っている。この36万人は、本来であればイスラエルの経済活動を担うべき人々であり、招集期間が長引くほど経済は疲弊することになるだろう。ただでさえ、既に国際的な格付け会社が、イスラエルの信用についてマイナス評価と査定しはじめている。つぎに、軍事作戦の期間である。こちらも長引くほど民間人犠牲者が増えることになり、また人質の解放がどこまで進むのか、軍事作戦と並行して人道支援がどう展開されていくのか、という点が課題である。他には、国際的批判への対応である。すでに人道的な休戦を求める声が、米バイデン政権からも上がっている。イスラエル側は、ハマスが全人質を解放しない限り停戦はないと主張しているが、今後一定の休戦という選択はやむなしではないかというふうに考えられる。最後に紛争の地域的エスカレーションへの懸念である。イスラエルは南部のガザだけでなく、北部のヒズボラとも紛争を抱えている。ヒズボラはイランがその手綱を握っていると言われており、米国も含めて、イラン、ヒズボラとの意図せざる紛争のエスカレーションが懸念されるところであろう。
(5)溝渕 正季 広島大学准教授
本報告では、最初にハマスの実態について、次になぜハマスが今回の攻撃を行ったのかについて述べていく。
まずハマスは、エジプトのムスリム同胞団のパレスチナ支部から、1987年の第一次インティファーダを契機として誕生した組織である。ムスリム同胞団は、1928年にできた組織で、イスラム教の理念に沿って相互扶助や社会奉仕活動などの社会サービスを提供する社会運動団体でありエジプト革命後に同団から大統領を出すなどしている。ハマスには3つの顔がある。一つは社会福祉団体としての顔であり、元々の源流であるムスリム同胞団と同じように、ハマスは今に至るまで社会福祉活動や水道整備など含めた市役所のような活動を行っている。もう一つは政党としての顔であり、ハマスの内部でも賛否両論あったが、2000年以降にパレスチナ自治政府に参加し、2006年以降は選挙でも勝利している。三つ目は対イスラエル武装闘争組織としての顔であり、正確にはハマス内部のカッサーム部隊と呼ばれる組織が、1987年以降今に至るまでイスラエルに対して武装抵抗運動を続けている。
ハマスは2006年1月のパレスチナ自治政府選挙に出馬しファタハに勝利を収める。しかし、米国はハマスをテロ組織として指定しており、ハマスは国際社会からの制裁を受けてヨルダン川西岸地区で居場所を失い、代わりに2007年6月以降今に至るまでガザで実効支配を固めてきた。ハマスは公式の目標として、イスラエルを地図上から抹殺し、パレスチナの土地にイスラム国家を建設することを掲げている。ただその一方でハマスはプラグマティックな組織であり、イスラエルの抹殺やイスラム国家を本気で実現できるとはみておらず、1987年の誕生以来、度々イスラエルとの長期停戦が可能との立場を表明してきた。特に、2017年にハマスが発表した政策文書では、1967年に第3次中東戦争(6日戦争)以前の境界線をイスラエルとの国境線として、そこにパレスチナ国家を建設するという、二国家解決策の受け入れが可能との旨を表明した。前の報告でも言及されていたが、イスラエルとの間で、ハマスは暗黙の共生関係があったといわれている。ガザには、パレスチナ・イスラーム・ジハード運動(PIJ)というより過激な対イスラエル抵抗組織が存在している。こうした組織暴走を抑えることも含めて、イスラエルにとってガザ地区を直接統治するのはあまりにもコストがかかるため、ハマスに代わり統治させていた側面がある。イスラエルはその代わりに、エジプトとのトンネルに課税する権利をハマスに与えるなどして、ハマスがコスト的にもガザを統治できるようにしていたのである。
なお、イランによるハマス支援についてもよく言及されるところである。イランはハマスに長年支援を行ってきたが、2011年からのシリア内戦において、ハマスはシリアの反体制派として参戦する事態になり、一旦イランとの関係が分断する。しかし2017年にハマスの指導部が変わって以降、再び関係改善がなされて、2022年にはハマスの幹部がダマスカスを訪れるなどしている。ただ、イランが全面的にハマスを支援しているわけではなく、ハマスとしてもイランと一定程度の距離をとっている状態である。
次になぜハマスが今回の攻撃を行ったのかについてであるが、ハマスからの公式発表があるわけではないため、あくまでも予想の範囲の話に留まる。まず、国際世論調査の「アラブ・バロメーター」が10月7日の一週間前に行った世論調査によると、ガザ住民からのハマスへの支持は高くない。ガザ住民は基本的にイスラエルとの平和的な解決を支持しており、ハマスに対してその足かせになるような活動を控えてほしいというのが、調査で明らかになったガザ住民の本音である。前述のイランとの関係も含めて、このようにハマスは他のアラブ諸国のなかで居心地の悪さがあり、かつ統治しているガザでもあまり支持されていない状況にあったのである。そのため、イスラエルに攻撃を行い、イスラエルから大規模な反撃を受ければ、これまでもガザではイスラエルから弾圧を受けるとハマスへの支持が強まったため、それを狙った可能性もあるだろう。
また2023年は、過去10年間と比べても、イスラエル人入植者がヨルダン川西岸地区での入植地を急速に拡大していた。そしてその入植者のイスラエル人の一部が武装し、現地のパレスチナ人を襲うというような事件が起こっていた。そこに対する不満や反発があったといえる。先ほどの報告でもあったように、第4次中東戦争から50年という節目も関係していたかもしれない。
他に、アブラハム合意以降のイスラエルと周辺アラブ諸国との国交正常化の動きに対して、イスラエルとの和平を考えるアラブ諸国の為政者と国民の間にくさびを打ち込む目的もあったのではないか。イスラエルとアラブ諸国が国交正常化するということは、占領地にいるパレスチナ人の問題が置き去りにされることを意味する。イスラエルとアラブ諸国が国交正常化するにあたり一番ネックとなるのが、占領地のパレスチナ人をどうするのかということであり、国交正常化はその問題に目をつぶり現状を固定化することに他ならないのである。あと一つ加えれば、イスラエル内政が混乱していたため、攻撃のチャンスとみた可能性もある。以上、ハマスによるイスラエル攻撃の理由を列挙したが、ハマスは初期の攻撃で戦術的に成功したといえるが、その後のイスラエルからの大規模な反撃で甚大な被害を受けているわけであり、なぜこのような自暴自棄的な行動をとったのかは明確ではない。
最後に米国について述べたい。米国は、イスラエルと周辺アラブ諸国の国交正常化の動きを取り持ってきた。そこには、中東から手を引きたいとの米国の思惑があり、さらにそのためにはパレスチナの住民の存在を見なかったことにするという、米国の「非リベラルな覇権秩序」があったのではないか。米国は、自由、民主主義、人権など価値については中東で達成することを求めない、米国の利益になるような政策であればたとえ人権侵害があろうと住民への弾圧であろうと見なかったことにする、「アラブの春」も含めて、米国はそのような政策をずっと続けてきたのではないか。今後、こうした米国がどのように関与できるのか懸念すべきところである。
(6)杉田 弘毅 共同通信特別編集委員
コメントとして、簡単に米国の視点からみたウクライナ、パレスチナ情勢について言及したい。 全体としてみると、米国がこれまで語ってきた所謂「リベラル・インターナショナル・オーダー(リベラル国際秩序)」の欺瞞が、この度の2つの戦争で白日の下にさらされた、ということであろう。ウクライナ戦争においては、最初のロシアの侵攻を抑止することに失敗したことから始まり、今は戦線が膠着して、境界線が動かない可能性も出てきている。このままだと、米国が掲げてきた武力による現状変更を認めないとする国際秩序の原則が崩れてしまうことになる。また、パレスチナ情勢についても、イスラエルとアラブ諸国のアブラハム合意を後押しすることで、経済発展を湾岸諸国とイスラエルの間で促し、その結果として中東を安定させる思惑であったが、それも頓挫してしまった。米国は、自由民主主義陣営入りを希求するウクライナへの全面的な支援に踏み切らず、専制国家ロシアの民主主義に対する「勝利」を結果的に受容するのではないか、と指摘されている。またガザ戦争においてもイスラエルの激しい攻撃を支持し、パレスチナ市民の犠牲の拡大をこれまた結果的に追認している状況である。こうした事態を見ると、米国とは自ら宣伝してきた「リベラルな国際秩序」の守護者ではなく、実は「非リベラルな覇権秩序」を促していると言える。ここに至った背景には、イラク戦争以降の米国の内向き世論が対外的なコミットメントを弱め、大統領・政府が世論に敏感であるゆえに、積極的な世界への関与ができなくなったことがある。
ただしそのような状況はあっても、米国の軍事力、経済力、技術力、またソフトパワーも含めた総合的な力はいまだ圧倒的に中国も世界も凌駕しているのは間違いなく、政治リーダーシップの復活や世論の変化で、米国が復活することは十分にあり得ることである。ただ繰り返しになるが、今回の戦争で、米国の対外政策の欺瞞性、二重規範が明確になったことは、今後の米国の覇権維持の努力にとってマイナスになるであろう。来年は大統領選挙の年である。バイデンにとって、これらの戦争に対するリーダシップの欠如はいかにも「弱い大統領」というイメージを国民に与えて選挙戦でマイナス要因となる。共和党候補の指名を獲得するとみられるトランプにとっては、そうしたバイデンの政策を批判だけをしていればよいわけであり、二つの戦争の泥沼化を、選挙戦を有利に進める材料として使うであろう。米大統領選では外交は長く争点にならなかったが、今回の選挙ではこの二つの戦争、そして対中国政策は珍しく主要課題として取り上げられ、米国の世界における役割について議論となりそうだ。
なお、今回の戦争で、米国内のイスラエル支持の動きに変化がみられた。米国内には強固なイスラエルロビーがあり、また市民の間ではナチスによるホロコーストに対する米国の対応が遅れたという贖罪意識が強く、中東情勢ではイスラエルの代弁者となり圧倒的なイスラエル擁護の対応を取ってきた。しかしながら今回のイスラエルの反撃に対して、特に第二次大戦の記憶がない若者世代から、これまでのようなイスラエル支持とは違う動きがみられている。そのため、バイデンもハマスによる10月7日の極めて残虐な攻撃直後に比べると、イスラエル擁護のトーンが下がるという一貫性のなさを示した。あくまでも、これまでの圧倒的なイスラエル支持と比べた場合という相対的な比較の話であるし、今回のイスラエルによるかつてない激しい反撃という特殊事情からかもしれないが、今後、米外交を見ていくうえでこうした世代間の違いについて注目していかなければならないだろう。
(7)パネルディスカッション
最後に、渡邊啓貴教授のもと、視聴者からの質問なども受けながらパネリストによるパネルディスカッション、総括が行われた。