開会挨拶
渡辺 まゆ 日本国際フォーラム理事長

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始からちょうど1年8ヶ月経過したが、終結への見通しは立たないばかりか、ウクライナが反転攻勢を強める中で、プーチン大統領は侵略戦争を完遂する構えを見せている。戦争の長期化によりウクライナの被害がさらに拡大している他、戦争の長期化は、国際政治や経済、外交軍事などの各方面に渡って多大な影響を及ぼしている。今こそ我々はこの侵略戦争について、プーチン政権の内外行動の源泉から読み解き、今後のプーチン政権への対応などについて国民全体で議論する必要がある。そこで日本国際フォーラムの常設研究会「ロシアの論理と日本の対露戦略」メンバーで、近著『諜報国家ロシア』で山本七平賞を受賞し注目を集める気鋭のロシア専門家、保坂三四郎・エストニア外交政策研究所研究員、同主査・上席研究員の常盤伸・東京新聞編集員(元ロシア支局長)、同顧問の袴田茂樹・青山学院大学・新潟県立大学名誉教授のお三方をお迎えし、このテーマについて皆様方と縦横に議論したい。

報告A「諜報国家ロシアの隠された原理」
保坂 三四郎 エストニア外交政策研究所研究員

プレゼン資料
「諜報国家ロシア」はこちら

1.国家の行動の説明類型

社会科学による国家の行動の説明には、「構造」、「制度」、「概念」、「心理」の4つの類型がある(相互に関連もあり、互いを排除するものではない)。「構造」的説明の地理や歴史(タタールのくびき等)は変えられないので、人間が介入できない。「心理」も、指導者プーチンの頭の中は外部からは見えないので、何をどう改善したらよいかを教えてくれない。これらの中間で人間が介入できる変数が「制度」と「概念」である。ゴルバチョフのペレストロイカや「新思考外交」が共有されたアイディアとして国家を動かしたと見るのは、「概念」的説明である。一方、「制度」の視点からは、ロシアは西側と同じような憲法、自由選挙、議会、市場経済を整備した。しかし、ロシアは西側と同じような国にはならなかった。そこで私が注目するのは、従来の「制度」研究で見落とされていた、全体主義で生まれた秘密警察の存在である。

2.「防諜国家」

情報・保安機関にはさまざまな機能があるが、特に全体主義体制下で、体制維持のために防諜が重要な役割を果たしている国家を「防諜国家」と呼ぶ。スパイ探しに熱心で、政府機関、経済、社会、軍にまで情報保安機関の将校やエージェントが広く浸透する。1960~80年代の南米諸国には軍事独裁という政治形態がみられたが、防諜国家は軍事独裁とは違う。軍や兵士は民主国家でも必要なので軍事独裁が終われば帰る「バラック」がある。一方、秘密警察は民主的制度とは縁のない組織や慣習、要員であり、民主化の過程で帰る先がない(そのため、後述するように自己保存へ向かう)。
 ソ連では、共産党と国家保安委員会(KGB)が国家を統治したが、現在のロシアでは連邦保安庁(FSB)がKGBの役割を引き継いだ。ソ連は党がKGBを形式上監督し、KGBは党の最高指導機関の政治局の指示で動いたが、ロシアはプーチンという一人の人間がFSBを管理するというところに大きな違いがある。KGBは、一つ一つの部局が数千人を抱える非常に巨大な組織だが、1991年にソ連が崩壊してから各部局はほぼそのまま保存され、プーチン政権下でほとんどがFSBのもとに結集した。 

3.情報保安機関改革の失敗

ソ連末期に情報保安機関を改革しようという動きもあった。しかし、ウクライナのKGBアーカイブの秘密資料などを見ると面白いことが分かった。ソ連の民主化が始まったペレストロイカ期に、KGB自体が自己保存のために先行して「改革」を始めた。例えば、市場経済への移行に伴い、KGBはソ連のベンチャーや西側企業とのジョイントベンチャーに要員をさせた。1989~90年に比較的競争性のある選挙が初めて行われるが、KGB将校に出馬を奨励したり、当選した議員と仲良くなれという指示が出された。グラスノスチ(情報公開)では、新興独立メディアが秘密警察の批判を始めることを見越して、逆にKGBは積極的に自己アピールのためのプロパガンダを開始した。KGB将校がテレビに出演したり、ミスKGBコンテストを行ったり、世論がKGBを受け入れやすくるための工作を行った。その一方、KGB文書の公開を阻んだ。それらが功を奏したのか、ソ連が崩壊したとき、大部分のソ連人はKGB将校についてポジティブな印象しか持っておらず、KGBの完全な廃止を望む者は10%にとどまった。

4.現役予備将校、エージェント、アクティメジャーズ

KGBの浸透とは、KGB将校が自分の真の所属を隠して政府、メディア、研究所、大学まで保安担当として派遣されることを言う。この伝統はロシアにも引き続き残っている。その将校がハンドラーとして管理するのがKGBの「主要な武器」のエージェントである。ソ連時代の資料を見てみると、意外と少なく、人口の0.1%ほどであった。ハンドラーは一度リクルートしたエージェントを友人や家族と同じように親身に相談に応じて大事に扱うように教えられる。
 ソ連やロシアの対外政策では、外務当局が行う外交ではなく、情報機関が行うアクティメジャーズと呼ばれる非公然工作が重視される。西側のパブリックディプロマシーが自国に対する理解促進の活動であるとすれば、アクティメジャーズは標的国政府の汚職や腐敗を強調して国民の政府不信や不安を助長して、ロシアの主張を相対的に受け入れやすくする工作である。手法は「打ち解けた懇談」、「秘密」文書の公開、外国著者名での出版、ラジオ・テレビ番組や記者会見、集会やデモ、外国政府・議会への質問状など様々だが、日本で特定の議員がロシアの主張や情報に基づき国会に大量に質問主意書を出すのはその典型例である。
 専門的な視点からすれば、ロシアがオペレータ(真の情報源)であることを隠蔽した発信を偽情報やアクティメジャーズと呼び、プロパガンダ(真の情報源が見える公然の発信)とは区別するが、前者の担い手は、インフルエンス・エージェントと呼ばれる。ロシア又は外国の学者、記者などいろいろなパターンがあるが、情報の受け手は、それがモスクワ発情報ではなく、その学者や記者の愛国心などの個人的信念に基づく発信だと受け止めるので厄介である。アクティメジャーズを計画・実行するのはFSBや対外諜報庁、GRU(軍諜報)だが、大統領府にも特に旧ソ連諸国を対象とするアクティメジャーズを担当する部局がある。
 ソ連崩壊後、マルクス・レーニン主義に代わって、ロシアの「影響圏」を主張する「ゲオポリティカ」と呼ばれる地政思想、「大祖国戦争」(第二次世界大戦)の神話、元KGBエージェントをトップとするロシア正教会、ロシア語・文学をカバーにする「ロシア世界」などが情報保安機関の活動の思想的基盤となった。

5.全面侵攻後の変化

キーウを「3日」で陥落させるというロシアの目論見は失敗した。ロシア軍の威信は地に落ち、一方で対露制裁の強化により国内では不満が蓄積する。この国内不安を抑えるのが、体制を守るFSBである。6月のプリゴジンの反乱は、抑えきれないところもあったが、FSBは事前にその動きを察知し、プーチンはある程度のシナリオを描くことができた。
 今年9月11日、ロシア対外諜報庁前にチェーカーの創始者ジェルジンスキー像が新設された。12月20日は「チェキストの日」といて毎年祝われているが、今年の「チェキストの日」にルビャンカ広場のFSB前に1991年の八月クーデター後に撤去されたジェルジンスキー像が戻されるのかに注目している。

報告B「プーチンの国家主権理解とロシアの農民的心理」
袴田 茂樹 青山学院大学・新潟県立大学名誉教授

1.テーマ設定の背景

◆プーチン政権の「クリミア併合」(2014.3.18)、およびウクライナ侵攻(2022.2.24)の基本的な背景は、プーチン政権がウクライナを主権国家と認めず、「ウクライナ人とロシア人は同じナロード(国民)」だと主張していることにある。カザフスタンに対しても、プーチン大統領は同じように主権否定の発言をしており、ナザルバエフ前大統領、トカエフ現大統領の反発を生んでいる。
 2008年のロシアによるジョージア(グルジア)侵攻(グルジア戦争)の際は、ロシアはジョージアに対して、「特殊権益圏」を主張した。それに対しては、一部の専門家たちから、ソ連時代の「制限主権論(ブレジネフ・ドクトリン)」の復活だとの批判もあった。しかし欧米、日本など西側世界は、プーチン政権の地政学的な野心に対して、毅然とした対応をしなかった。そのことが、後の「クリミア半島併合」や今日のウクライナ東南部4州に対するロシアの軍事侵攻を生む背景となっている。

◆2006年の6月1日に、ロシア外務省が対外政策の基本方針を「領土保全」から「自決権」に変えました。その自決権重視とは、「住民投票」なるものを実施したとして、隣国やその一部を「併合」したり、傀儡政権として「独立」させたりする可能性がある。この2006年の6月1日のロシア外務省の政策転換はその後の「クリミア併合」とか今日のウクライナの東南部4州の出来事を予想させるもので、私は強い警告を発したが、国内でも国際的にもほとんど問題にされなかった。

◆「ロシア農民の心理」を問題にしたのは、フランスのエレール・カレ―ヌ=ダンコース女史(今年8月4日に94歳で死去)との対話(2005 ヴァルダイ会議)がきっかけとなっている。2005年にバルダイ会議に招かれたが、当時招かれたのはほとんどが欧米のロシア問題、国際問題の専門家たちで、アジアからは私1人だった。その頃プーチンは、日本以外のアジアを遅れた地域と見て、欧米志向が強かったからだ。ダンコース女史は世界を代表するロシア研究者だが、そのとき、彼女と個人的に話をする機会があり、私はマキシム・ゴーリキーが「ロシア農民について」という論文を1922年に国外で出版していることを話題にした。彼はロシアの農民、つまり当時の一般のロシア国民を相当ネガティブに描いている。「ボリシェヴィキの残虐性」はロシア農民の性格だとも述べている。この問題提起にダンコース女史は強い関心を示した。

2.プーチン政権成立時にすでに「危険な軍事国家、警察国家」になる可能性を懸念

◆ソ連崩壊後の2000年3月に大統領選挙が行われプーチンが当選した(大統領就任は同年5月)。同年4月に私は、このプーチン政権の問題点について指摘した。2000年の初めというと、ソ連邦崩壊後の1990年代はエリツィン時代だが、ロシア人にとっては「屈辱の90年代」だった。つまり基本的な法秩序や規律がないカオス、アナーキー、無秩序な国だった。米国と競った超大国が、「対露支援」と言われたが、世界から支援される国に落ちぶれた。そのあと成立したプーチンは、法秩序が大事だとして、強い言葉で「法の独裁」という言葉も使った。それに対して私は年の4月に書いたある論文にプーチン政権について書いたが、以下はその締めくくりの言葉でである。
 「国際社会としても、ロシアの法治国家確立の努力は、むしろ支持しなくてはならない。……もし警戒するとすれば、今後プーチン政権がその基本課題の枠を超えて、反人権的で対外的にも危険な軍事国家や警察国家になるときである。もちろんこの可能性は排除できず、もしその兆候が現れたならば、そのとき国際社会はあらゆるアプローチを通じて、それを阻止すべきなのである。ロシアという国は、われわれの国の物差しで計ってはならない。」 これはプーチン政権が発足するときに、私が『フォーサイト』誌で述べた言葉である。

◆なぜ国際社会はプーチンの侵略行動を阻止できなかったのか
 なぜ国際社会は、プーチンの残虐なウクライナ侵攻(2014年の「クリミア併合と」今日のウクライナ東南部での戦争)を阻止できなかったかについて、ゴーリキーの「農民の心理」との関連で説明したい。「農民の心理」と述べたが、当時のソ連では大部分が農民だったので「一般のロシア国民の心理」と読み替えてよいと思う。ロシア国民の心理の基本的な特徴は、力を信じる、力の強い者を信じる、という傾向が極めて強いことである。ロシア国内では、今ロシア軍が対ウクラな戦を如何にうまく戦っているか宣伝されている。実際にはロシアはわずか数日で勝利すると思っていたのに、1年半以上経っても戦線は膠着している。これはプーチンの当初の目論見の大失敗だが、ロシアのメディアでは逆にプーチンがいかにうまく戦っているかと宣伝され、「強いプーチン」の宣伝一色だ。従って「強いリーダー・プーチン」のイメージが国民に強く浸透している。ゴーリキーの言う「ロシア農民の心理」とは、彼に言わせると「ボリシェビキの残虐性の基」だが、私の言葉で言えば、力の強い者を支持・信仰するという心理、あるいは全てを力関係で見て行動する心理傾向だ。
 では、なぜ世界はプーチンが帝国主義的というか侵略的な行動を始めた時に、国際社会は何故手をこまねいていたのか。一つは2006年の6月1日に、ロシア外務省が対外政策の基本方針を「領土保全」から「自決権」に変えた。その自決権重視とは、「住民投票」なるものを実施したとして、隣国やその一部を「併合」したりすることだ。この2006年の6月1日のロシア外務省の政策転換はその後の「クリミア併合」とか今日のウクライナの東南部4州の出来事を予想させるもので、私は強い警告を発しましたが、国内でも国際的にもほとんど問題にされなかった。もう一つは2008年のグルジア(ジョージア)侵攻のときに、メドベジェフ(プーチン)政権は、グルジアはロシアの「特殊権益圏」だと言った。しかし翌年2009年の1月に成立した米オバマ政権(現大統領のバイデンが副大統領)は、ソ連のロシアの行動を非難するどころか、彼が最初に打ち出した政策は「米国とロシアの関係のリセット」、つまり「関係改善」だった。オバマは2009年10月にノーベル平和賞を受けた。つまり世界がそういうオバマの対露政策を称えたわけである。ロシアを一番厳しく批判すべき時に、米大統領はロシアとの関係改善を求め、平和演説をして、世界もそれを讃えた。このような米国や世界の対露アプローチが、プーチンを増長させたと私は思っている。

3.プーチン政権の将来――遅かれ早かれ「第2のプーチン」

◆そもそも、来年の大統領選挙までに彼に何が起きる分からないし、もし無事に大統領選挙を迎えたら、プーチンが当選するのはほぼ間違いない。しかし当選した後は、憲法では12年間任期があるわけだが、何時、どのような形でプーチンが退任するかについては、実は誰も今は述べることはできないと思う。その任期中に事件、事故等も含めて何らかの形で退任せざるを得なくなるか、あるいはまた、もう一度憲法を改定して、皇帝のような形で終身大統領を務めるのか、それも分からない。プーチンが後継者を決める場合があるとしても、退任の直前までは口にしないだろう。後継者を口にしたら、プーチン自身の権力が弱まる、あるいは無くなるからである。ただ、何らかの形でプーチン政権が終わると、ロシア国民の心理から見て、遅かれ早かれ、「第2のプーチン」が現れるだろう。

4.ロシアはハマスと密接な関係――ハマスの背後にはイスラエルへの聖戦を唱えるイラン

◆2023.10:ハマス代表(M・マルズーク)の招待 M・ボグダノフ外務次官と会見
2022.5:ハマス幹部 モスクワ訪問、ラブロフ外相、カディロフ首長と会見
2022.5:イスマイル・ハニヤ(最高幹部 今はカタール在住)とラブロフ会談

◆反イスラエル過激派の背後にイラン革命政権
 ハマス(ガザ地区)、ヒズボラ(レバノン)、フーシ派(イエメン)などイスラエル撲滅を唱えるイスラム過激派をイランが財政的、軍事的に支援している。

◆イラン革命1979年2月とその理念
※イラン憲法前文
 軍隊:イランにおけるイスラム軍および革命軍は、単に国境を防御し安全を保障するためばかりではなく神の名において全世界に神の法が打ち立てられるまで、聖戦(ジハード)を闘い抜くためにも組織されるのである。(西修訳)

◆駐日イラン大使館サイトより
 ホメイニ師はパレスチナにおけるシオニスト政権(イスラエル)の樹立を悪魔の行為だとしました。 ……そして現在、ホメイニ師のイニシアチブにより、西アジアからアメリカ大陸、アフリカ大陸にいたる地球上の各地で、パレスチナ人と聖地を支持する声が響いています。( https://japan.mfa.gov.ir/jp/newsview/595779

◆アラブ諸国でもイスラエルと国交を樹立する諸国が出現
 エジプト(1979)、ヨルダン(1994)、アラブ首長国連合・バーレーン・スーダン・モロッコなど(2020)など
 ハマスはアラブ諸国に対し、イスラエルとの国交交渉の中止を呼び掛けている。
 ロシアはイスラエル国家を認めているが、イスラエルへの聖戦(イスラエル撲滅)を唱えるイランとも良好な関係を有している。中東問題が過激化して欧米や世界の関心や軍事・人道支援がそちらに向くことは、ロシアや中国にとって有利な事態である。

報告C「変容するプーチン体制」
常盤 伸 JFIR上席研究員/東京新聞(中日新聞)編集委員

1. ロシアの対外行動源泉とは?

ウクライナに全面侵攻しているプーチン政権の現状とその変容について述べたい。
最初に、本日のセミナー全体のテーマとも関連するが、ロシアの対外行動の源泉を考える手がかりとしてジョージ・ケナンの『ソ連の対外行動の源泉(X論文)』について触れたい。ケナンは、ソ連(ロシア)の政治行動を簡潔に、イデオロギーと環境の相互作用として説明し、この相互作用について心理学的な分析が必要であると述べている。ケナンの優れた点は、こうした方法論に基づき、長期的で忍耐強く、しかし非常に強固で慎重な封じ込め政策を提案したことであり、彼の見解は世界的に非常に強い影響力を持っている。

2.プーチン幻想

多くのロシアウオッチャーらはプーチンに対する幻想ともいうべき甘い認識を持っていた。三点にまとめる。まず第一にプーチンは「合理的なプラグマティスト」であり、「徹底した冷徹なリアリスト」。第二に、イデオロギーに縛られないという見方だ。イデオロギーへの言及は便宜上にすぎず、実際は完全にリアリスト的な行動をとっているという見方。第三にプーチンはバランス感覚があり均衡を保ちながら巧みに行動するという見方だ。これらは日本の一部のロシアウォッチャーや政治家に特に見られる欠陥である。ナイーブな視点が一種の先入観に発展し、プーチン政権の行動源泉を解明する視点が失われていたのではないか。

3.プーチニズムのイデオロギー

プーチン体制の中核はウクライナ侵略の首謀者とされるプーチン氏とその三人の側近だとみられる。プーチン氏のKGB時代の同僚のパトルシェフ安全保障会議書記、ボルトニコフ連邦保安庁(FSB)長官、そしてプーチン氏の友人でロシア銀行の事実上のオーナー、コヴァルチュク氏だ。彼らに共通する考えは、第一に帝国ロシアを完全に復活させたいという願望であり、第二に、伝統的な超保守的な価値観を守る。欧米を中心とした自由民主主義に基づく世界との対立であり「永久の戦争」だと考えている。第三に歴史観だ。つまり(ナチス・ドイツ戦)大祖国戦争勝利という歪んだ神話に基づく非常に攻撃的な愛国主義だ。
そのうえで現在のプーチン政治体制をフリーダムハウスやエコノミスト・インテリジェンスの調査などで客観的に評価してみると、プーチン政権下で民主主義や自由民主主義の水準は基本的に一貫して低下し続けたが、ウクライナ侵攻後はさらに急激に低下し、権威主義諸国の中の下位グループに入っている。

4.全体主義への要素

さてやや単純化していえばロシアの政治体制はレーニンらボリシェビキが1917年の10月のクーデターで政権奪取して以来、全体主義体制に基本転換した。政治学者故レオナルド・シャピーロは全体主義体制の基本的特徴として6項目を挙げた。①国家制度つまり公式の制度の破壊、②イデオロギー操作(扇動、宣伝)、それから、③指導者原理、カリスマ的な指導者。④大衆的な支持、⑤全体的な動員⑥法秩序の完全な従属化を指標として挙げた。
ウクライナ全面侵攻で、もはやプーチン体制には再び全体主義の諸要素が顕在化してき。だいたい7つぐらいの要素が挙げられる。まず①特異なイデオロギーだ。西欧を悪魔化するような「伝統的価値観」を掲げる。次に②一枚岩の政治体制だ。憲法上の体制、要するに制度はもう全く意味をなさなくなり、支配エリートの一定の意見表明も制限され、いわば限定的な多様性も終焉した。そして③政治弾圧も極限になってきている。④密告の奨励、⑤情報統制、⑥国民の動員も重要だ。さらに①にも関連するが、ウクライナ人を否定する様々な行動だ。

5.イデオロギー操作

最近私が特に注目しているのは、②のイデオロギー操作に属する具体的な行動だ。最も顕著なのは政権による国定歴史教科書作成、導入などソ連時代さながらのイデオロギー教育だ。国定教科書はソ連時代の1945年の大祖国戦争戦勝から現在までの期間について説明される。つまり超大国ソ連の歴史を非常に賛美して情報を歪曲して説明し、それによって、このプーチン的な愛国的な国民を育成してウクライナ侵攻にも動員して、帝国最形成に役立てようという狙いだ。違法なクリミア併合を称揚し、西側諸国の挑戦がロシアを強くしていると扇動し、西側と対決していることはプラスなんだと扇動し、全体主義のソ連を全面的に称賛しているのが特徴だ。
特別軍事作戦と称するウクライナ侵攻で死亡した兵士を英雄として写真付きで大きく紹介するプロパガンダを行っている。高等教育でも、かつてソ連時代に行われたようなイデオロギー教育を必須教育として始めている。「ロシア国家の基礎」という科目はスターリンによる有名な党員用教科書「レーニン主義の基礎」を想起させる。ロシアナショナリズム的なプロパガンダを叩き込もうとしているのである。イデオロギー教育は何も高等教育や学校だけではなくて幼稚園でも行われている。

6.プーチン体制は全体主義か?

それでは現在のプーチン体制は全体主義に変容したのか。確かにウクライナや欧州諸国が言うように政治的観点かみれば、非人道的な侵略を行いさらに変貌した現在のロシアは全体主義とも言いうる。一部の知識人はウクライナ侵攻後のロシアの体制は、「全体主義へ転換した。ロシア革命以来の革命だ」と指摘する。ただ、プーチン政権は、西側と本格的な戦争を宣言し、国民を動員している状態ではなく、一応特別軍事作戦という表現を使い、国民の動揺を抑えて平静を装っている。国民は平穏な生活を送っおり、動員にも限界がある。また個人崇拝のレベルはまだ高くなく、指導者原理というほどのレベルには達してない。従って、まだ権威主義から全体主義へ体制転換ではなく、権威主義体制の中に全体主義的な要素が入り込んでるという状態ではないかとみている。
ただ非常に危険な要素は非常に内包されている。今後の展開で、本格的な戦争、ウクライナとはではなく西側との本格的な戦争を宣言し総動員を行う場合、その場合、全体主義体制に移行していく可能性があるということではないか。

7.体制安定度を左右するファクターは?

今後のプーチン体制の安定度に影響するファクターについてアメリカの一部のシンクタンクが安定度トラッカーという名前で15ファクターを検討中だが、私は図にあるようにだいだい5つくらいに絞った。まずやはりウクライナ侵略戦争があり、その影響というのはもちろん一番大きい。現体制はプーチン大統領の個人的な独裁体制であるから、プーチン氏というファクター、(健康状態を含めた職務遂行能力)という要素は、非常に大きい。それかFSBを中心としたコントロール機能は、社会、政治諸組織への浸透を含め非常に強固だが果たしてどれだけ盤石なものかどうか。プリコジンの反乱は最終的に鎮圧され、本人も粛清されたと思われるが、一時は反乱部隊がモスクワの近郊まで到達するというような危機的状況にもなった。FSBがそれを防止できなかったことなどを見ても、体制維持にやや不安定要素もある。それからウクライナ侵略でロシア軍も相当なダメージを受けている。現場司令官クラスにかなり不満が鬱屈しており、ロシア軍の内部規律を変数としてみる必要がある。

8.プーチン支持の実態

国民のプーチン支持は非常に高い。欧米への高い反発、政権のプロパガンダもあり高いが、それでも今後の経済状態、生活水準、戦争の状態などがまだ変数としてある。プリコジンの反乱時の国民の様子を見てもわかるように熱狂的に支持してプーチンを守ろうというような動きはほとんどなかった。あくまでも消極的な支持にとどまっている。国民は非常に消極的な態度を示したことは重要な現象だ。

9.ソ連8月クーデターとロシア市民

これと対照的なのは1991年8月19日に起きた、ゴルバチョフ大統領を失脚させペレストロイカ以前に戻ろうとしたソ連保守派クーデター未遂事件でモスクワなどで多くの市民が見せた積極的な抵抗の行動だ。現在も続く旧KGBの原理である「チェキズム」の生みの親であり、チェキストの象徴であるジェルジンスキーの銅像が8月22日に市民らによって撤去された。翌23日、私もルビヤンカ広場に行きマイダン革命のような市民の凄まじい熱気を観じた。ジェルジンスキー像が本格的に復活するかどうかというのは保坂氏も指摘するように、今後の体制変容を見る上で確かに一つのメルクマールとなりそうだ

10.長期的な封じ込めが必要

今後のロシアは、どこに向かうのか簡単には占えるものではない。元NATO高官だったステファニー・パブスト氏はプーチンのロシアは現状維持の大国ではなく、「現状を変更しようとする国家」でありドイツ政府が、明確な対露方針で臨まないのは非常に危険だと指摘しその際に、ケナン論文のもとになったジョージ・ケナンの「ロングテレグラム」(長い電報)に言及している。報告の最初に述べた、ケナンが提唱した「非常に忍耐強く、強固で長期的な封じ込め戦略」が今こそ見直されるべきだ。

以上