経済的威圧にどう向き合う:無力化へ販路・調達先分散を
久野 新
亜細亜大学教授
5月に開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)では、経済安全保障分野に特化した首脳声明が初めて採択された。特に「経済的威圧」への備えや対応で連携を強化すると明記した点は大いに注目された。
経済的威圧とは、経済的なコスト(痛み)を与える、またはそう脅すことで、外国政府の正当な選択に干渉しようとする試みだ。威圧自体は手段であり、通常その先には標的国の政策を変更・撤回させる、標的国の国際的な孤立や政権弱体化を狙う、あるいは強い外交姿勢を示して自国民からの政治的支持を得るといった上位の戦略的目標がある。
こうした試み自体は新しいものではない。戦後、経済援助や貿易の停止をちらつかせて内政干渉を試みた欧米諸国の行為を、一部途上国は「経済的強制」と呼び批判した。中東戦争ではアラブの産油国が親イスラエル諸国に石油の禁輸措置をとった。米国は不公正な貿易を行う国に対する一方的措置(通商法301条)を制度化し、活用してきた。
一方、西側諸国の懸念の矛先は、近年もっぱら中国の経済的威圧に向けられている。ただし、中国による経済的威圧も新しい現象ではない。アンドレアス・フックス独ゲッティンゲン大教授らは、特に2002年の胡錦濤(フー・ジンタオ)政権以降、中国共産党と対立関係にあるチベット仏教指導者のダライ・ラマが外国を訪れると、その国から中国への輸出が一時的に減ることを統計的に示した。
ではなぜ中国の経済的威圧に懸念が高まったのか。
第1に威圧件数の増加である。豪戦略政策研究所(ASPI)によると、10~22年に確認された中国の経済的威圧は91件にのぼり、特に10年代後半以降増えている(図参照)。標的となった国・地域は25にのぼり、威圧の手段は貿易制限や、中国人旅行客・留学生の標的国への渡航制限が全体の約7割を占める。
第2に経済・技術・軍事面で中国の存在感が増すなか、中国が「力による一方的な現状変更の試み」の手段として経済的威圧を用いているとの認識が拡大したことだ。威圧を試みる動機は多様だが、特に台湾、チベット、新疆ウイグル自治区、香港、そして領土・安全保障上の問題など、いわゆる中国の「核心的利益」を侵害・否定しようとする国が狙われる傾向にある。
91件の事例のうち、最多は台湾問題に起因する威圧だ(28件)。台湾はもちろん、台湾と国交を維持するパラオやエスワティニ、台湾との関係強化を目指したチェコやリトアニアも威圧の標的とされた。領土問題を巡っては日本も標的となった。10年に尖閣諸島沖で中国漁船の船長が海上保安庁に逮捕されると、中国は日本向けレアアース(希土類)の輸出を制限した。
近年、中国の共産党、企業、人民に批判や制裁を加える国も威圧を受けている。コロナウイルスの発生源を巡る独立調査を要求したオーストラリア、自国の通信インフラから華為技術(ファーウェイ)の機器を排除した米国やスウェーデン、同社副会長を逮捕したカナダなどが該当する。
第3に重要物資のサプライチェーン(供給網)の脆弱性と対中依存の高まりへの懸念だ。コロナ禍で中国から医療物資の輸入が滞ったことで、重要物資を中国に依存することへの懸念が顕在化した。また米中の戦略的競争が激化し、中国と西側諸国の信頼関係が失われていくなか、脆弱性や依存関係を悪用した「経済力の武器化」に対する警戒感が両陣営で高まった。中国側も、対中半導体規制を強化する米国こそ経済的威圧者だとの批判を展開する。
第4に中国特有の威圧の方法論だ。ベン・チャプニック・シンガポール国立大フェローらは、中国の経済的威圧の特徴として「もっともらしい大義名分」と「非国家主体」の活用を挙げる。
前者は、中国が威圧を加える際に、それが真の戦略的目標を実現するための手段とは認めず、また事前に対話や協議を要請することなく、消費者や渡航者の安全確保といった別の大義を掲げる傾向にあるとの指摘だ。ASPIのデータでも、32件の輸入制限事例のうち24件で農林水産物・食品が標的とされ、うち11件は検疫上の理由による措置だ。
後者は、中国では特定の国や企業への制裁を容認するようなメッセージを政府報道官や国営メディアが発信して、愛国的な消費者や企業による不買運動を扇動しているとの指摘だ。スウェーデン国立中国センターによると、08~21年に中国では90件の不買運動が確認され、約3割は党や公的機関の関与があったという。
西側諸国では、こうした透明性を欠いた中国特有の方法論を「ルールに基づく国際秩序への深刻な挑戦」と認識するようになった。
外国による経済的威圧に日本はどう対応すべきか。
第1に威圧事例の情報収集と分析、外国で不当な行政処分や不買運動に遭遇した日系企業が通報可能な政府相談窓口の開設、企業向け対応マニュアルの作成・頒布などを検討すべきだ。
第2に威圧により特定物資の販売や調達が困難になった際の悪影響を最小化すべく、販路や調達先を国際的に分散させる余地がないか、企業レベルでも平時からリスク評価や再検討をすることは有益だ。
第3に世界貿易機関(WTO)における多国間貿易秩序の維持、経済連携協定(EPA)のパートナー拡大、インド太平洋経済枠組み(IPEF)や経済安保推進法を通じた重要物資のサプライチェーン強靱(きょうじん)化は、いずれも威圧を受けた際に企業が代替的な販路や調達先を確保する際の後方支援となる。
実際に威圧に直面した場合はどう対応すべきか。福島第1原発の処理水放出を受け中国がとった日本産水産物の禁輸措置を巡り、日本政府は科学的根拠に欠くとして撤回を求めている。
また中国の措置は、偽情報を利用した経済的威圧だとする論調も少なくない。その真の戦略的目標としては、4つの分断(日本と国際社会、日本国内の世論、韓国国内の世論、日米韓の関係)、そして経済の低迷により中国国内で高まる不満のガス抜きといった可能性が指摘されている。
威圧を受けた際に最優先すべきは、損害を受けた無実の産業や企業の救済だ。日本政府は既に水産業者に対する販路開拓支援などの実施を表明した。販路の多元化を通じた威圧の無力化は過去に標的とされた豪州でも有効だったとされる。
そしてWTOの枠組みを活用し、公の場での問題提起や法的な解決を目指すべきだ。この取り組みは威圧の存在や問題点を第三国と共有するうえでも有効だ。
最後に、G7首脳声明で言及された威圧に対する同志国間の連携についても、具体策を早急に詰めるべきだ。威圧により行き場を失った標的国の商品を、同志国が購入しやすくなる仕組みができれば、これも威圧の悪影響を無効化するうえで有効だ。10月に開催される大阪・堺でのG7貿易相会合では、具体的な行動計画の提示が期待される。
2023年9月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載