(1)「ロシアのウクライナ侵攻の衝撃:現在の戦争論」戦争の違法化への路

中世のカトリック教会は戦争を「正しい戦争」と「誤った戦争」に分ける「正戦論」を唱え、戦争をはじめて理論的にまとめた。「正しい戦争」とは、正統な権威を有する者による、正しい理由に基づく最後の手段であった。教会の権威が崩れた17世紀以降の主権国家では、「正しい戦争」と「誤った戦争」の判断が難しいとの理由から、戦争を紛争解決手段として容認する「無差別戦争論」が唱えられた。19世紀以降ナポレオン戦争を契機に各地でナショナリズム運動が高まり、戦争の被害が甚大化したため、負傷兵を非軍人として保護する必要があるとして赤十字運動等の人道救援が発展し、戦争の方法を規制するための諸条約が規定された。しかし第1次大戦が勃発したことの反省から、戦争法規を精査する動きが高まった。1次大戦後に国際連盟が設立され、パリ和平条約が締結された。パリ和平条約では、国際紛争を解決する手段としての戦争が禁止された。だが第2次大戦が勃発したため、国際連合が設立された。国際連合では戦争に関して3つの規定がある。1つ目は①紛争解決手段としての武力行使の禁止。2つ目は➁安全保障理事会が平和維持のための武力行使を容認する権限を持つこと。これは、正しい戦争と誤った戦争を安全保障理事会が決定するという意味で正戦論の復活と言える。3つ目は➂自衛のための武力行使の容認。しかし、ロシアのウクライナ侵攻はこれら3つの規定に全て反している。まず①いかなる理由があろうとも武力行使は禁止されているが、ロシアはウクライナへの武力行使をしている。次に➁安全保障理事会の常任理事国5か国が世界の警察官として平和の維持をなす義務を有するが、その一か国であるロシアが隣国を侵略した。最後に➂ウクライナは自衛のための武力行使を容認されている。
 また、第2次大戦後、戦争放棄とともに、戦争の形態についてジュネーブ4条約・付属議定書が規定された。ロシアはジュネーブ4条約・付属議定書の批准国だが、①非戦闘員の保護➁軍事目標以外に対する攻撃禁止➂ダム・発電所といった施設への攻撃禁止④子供を親から引き離すことの禁止、の全ての規定に反している。

(2)ウクライナとロシアの歴史的関係

ウクライナは歴史的に絶えず東のロシアと西のカトリック圏の文化・歴史・言語が混じり合ってきた。当初からロシアの一部であった、というロシアの主張は間違いである。
 ウクライナは10世紀のキーウ=ルーシー公国に端を発する。キーウ公国ウラディミール大公はキリスト教の洗礼を受け、ビザンツ帝国との交易で栄えた。スラブのキリスト教発祥の地がウクライナである。13世紀にモンゴル帝国によりキーウ公国は崩壊し、その頃モスクワ公国が勃興した。モスクワ公国はモンゴルの支配下に入り、200年の鎖国時代を経験した。東スラブでは聖書が早くからスラブ語訳されたことで、ラテン語・ギリシャ語は長い間モスクワに流入しなかった。近世にいたるまでヨーロッパの学問は、ラテン語とギリシャ語で成り立っていたのでそれらを理解しないモスクワの人々は、ローマ法をはじめとするヨーロッパの学術、文化を学ぶことができなかった。今でもロシアが西側と非常に異なった価値観を持つ所以はここにある。15世紀のビザンツ帝国崩壊後、モスクワ公国はスラブの盟主として、コンスタンティノープルに次ぐ第3のローマであると主張し、この頃からモスクワ公国は自国を「ルーシー」のラテン語読み「ロシア」と名乗り始めた。プーチンは、ロシアはキエフ=ルーシー公国の後継者であり、ウクライナは絶えずロシアと一体でなければならないと主張している。しかし、キエフ=ルーシー公国とモスクワは全く無関係であり、勝手にモスクワ公国がロシアと名乗ったに過ぎない。事実、16世紀モンゴルの衰退後に今のウクライナを支配したのはカトリック国であるリトアニア、ポーランドであった。その後17~18世紀になって初めてロシアがウクライナに進出し、影響を及ぼすようになる。
 第1次大戦後ロシア帝国崩壊の際ウクライナは独立運動を行うが、ロシアのボルシェビキ政権に潰された。1932年、スターリンはソ連の農業不作を補うためヨーロッパの穀倉地帯ウクライナの農産物を強奪した。ホロドモールと呼ばれる大飢饉である。ウクライナでは少なくとも400万人といわれる餓死者が出たが、この事実への言及はソ連統治下ではタブーとされてきた。ウクライナの独立後、ロシアへの怨念として噴出している。独ソ戦でナチスを解放軍として迎えた独立運動指導者バンデーラはロシアにおいては、反逆者とみなされており、プーチンはゼレンスキーを反ロシア・ウクライナ愛国主義者として、ネオナチ・バンデーラと呼ぶ。ゴルバチョフは自治権を認める事でソ連邦を維持したいと考えたが、1991年8月にウクライナが独立宣言をし、他の共和国もそれに続きソ連は崩壊した。プーチンは、ウクライナの独立宣言が無ければ自身の目指す大ロシアが維持できたと考えており、だからこそウクライナへの執着心が強い。
 独立後、西側から安価で良質の物品が流入し、ウクライナ経済が崩壊し、1994年のウクライナのGDPは、独立前の半額近くまで落ち込んだ。このことから東部においてはロシアを頼るとの親ロシア派があり西部のEU・NATO派と対立していた。さらに東部はロシア語、西部はウクライナ語と使用言語も全く異なり、東部と西部の対立傾向は2004年の選挙で東部は親ロシア、西部は親EU・NATOと綺麗に分かれたことにも表れている。
 しかし2014年のマイダン革命後に変化が見られた。親ロシア派のヤヌコビッチでさえEUとの経済連携の必要性を唱えたのだが、これにプーチンが反対し、経済連携協定を破棄させたことからウクライナ住民は、反政府運動をおこし、その結果、ヤヌコビッチは、ロシアに逃亡した。これに脅威を感じたプーチンは、ロシアはクリミアを違法併合し、ドネツクに傀儡政権を擁立したが、ドネツクの親ロシア派住民は信頼していたロシアによる侵略により住民が殺されたことに衝撃を受けた。この結果、2019年の選挙ではもはや親西側対親ロシアの構図は無く、EU・NATOへの加盟の在り方という政策面が争点となった。
 2022年2月ロシアはウクライナに侵攻した。ロシアはウクライナの反ロシアナショナリズムを理解出来ておらず、当初数週間でキーウを陥落させるというロシアの目論見ははずれ、ウクライナ側の抵抗を受け長期戦となっている。キーウ郊外ではロシア軍による大虐殺が起こり、今やウクライナ人はプーチンだけでなく、ロシアを絶対に許せないと考えている。国際刑事裁判所の管轄権を受託しているウクライナは、自国においてロシアが行った国際法違反行為を裁くことが出来るので、プーチンは子供を誘拐した罪で指名手配されている。
 日本はアジアで最大のウクライナ支援国であり、地理的に離れた日本が支援をすることの意味はウクライナ国民にも伝わっている。国連が機能しない中で、今後もG7で一体を保ちつつウクライナ支援を行うことが、日本の防衛にとっても重要である。

(3)ロシアのウクライナ侵攻の教訓

①世界の平和維持と安定に一次的責任を有しているロシアがウクライナに侵攻し、民間人と非戦闘員の殺戮、非軍事目標の攻撃という国連憲章・ジュネーブ条約に明確に反する行為を行っている。➁プーチンが非合理的判断でウクライナ侵略を行っているように、独裁者は非合理的理由で侵略を行う危険性がある。➂ロシアが再びウクライナを侵略しないという保証付きの和平が絶対である。ロシアは戦争を始めた犯罪、ウクライナ非戦闘員への殺傷、非軍事施設への攻撃を行った人道上の罪で裁かれるべきである。ロシアを勝たせることは国際秩序の崩壊を意味する。④ウクライナ戦争でプーチンは核使用をほのめかしている。その他中国、北朝鮮による核の脅威が日本周辺にはある。
 平和は外交力、経済力、軍事力から裏付けて作ってゆくものである。これまで日本の憲法論は、日本がいかに侵略国にならないかの議論が中心であった。しかし今後は日本がいかに自国を守り、世界の平和と安定に貢献していくのかの議論が必要だ。

(文責、在事務局)