G7広島首脳会議と日本外交
2.困難な「核なき世界」への日本の模索
渡邊 啓貴
日本国際フォーラム上席研究員/帝京大学教授
G7で「核なき世界」をどう論ずるか
広島選出議員である岸田首相が「被爆地広島での首脳会議」と喧伝し、メディアでも盛り上がった会議となったが、岸田首相が「ライフワーク」と熱弁をふるった「核なき世界」への実現に向けたメッセージに目新しいものはなかった。首脳の原爆記念館訪問や慰霊への献花など印象深い場面はあったが、広島ヴィジョンは期待にそうものではなかった。
日本国内では核軍縮、核廃絶に向けた新たな政策の可能性に注目が集まっていただけに、核軍縮に関する共同声明「広島ビジョン」で、核抑止論を肯定する文言が書き込まれた一方で、核兵器禁止条約(TPNW)への言及が一言もなかったことに対しては、核兵器廃絶関連団体の失望感は大きかった。
しかしウクライナでロシアが核兵器使用をチラつかせ、北朝鮮がミサイル発射実験を繰り返している今日の東アジア情勢からすると、G7がNPT(核兵器不拡散条約)の核兵器保有三か国を含み、日本の安全保障が米国の「核の傘」で保障されているという現実を前にして、「核なき世界」へのハードルはもともと高い。したがって欧米各紙もこの分野での日本外交の限界については認めているかのように、核廃絶関連に言及した記事は少なかった。厳しい批判もあまり見られなかった。
核兵器禁止条約(TPNW)にどのように対応するのか。非核保有国と保有国との「橋渡し」という政府が掲げてきたその役割についての言及は一切なかった。そもそも核廃絶のテーマをG7の枠組みで扱うことはもともと難しいところだ。議論の構造がG7に適したものではないことはもともと明らかだ。G7はNPT(核拡散防止条約)の側(核保有国)の米英仏が主力メンバーであり、他方で中ロ核大国がG7に出席していないのだから、NPT加盟国間での議論もここではできないのは当然だ。核兵器廃絶運動団体が指摘したような「核抑止」には触れながら、TPNWに一言も触れていないという日本政府への批判はもっともだが、もともとG7の舞台で核廃絶の前進に期待することには無理があった。TPNWについては、政府は従来からのノーコメントの態度を貫いた。
しかし日本は核保有国と非保有国との「橋渡しの役」を従来から言明してきたのだから、そのための努力の成果の一端は見せてほしかった。核保有国に対してと同時に、日本と同様に「核の傘」の下に置かれた西側諸国への廃絶のための協調や連帯感に向けた働きかけを模索する姿勢や提案はG7の枠組みでもあってよかったのではないかと、筆者は考える。具体的テーマとして、ロシアに対する核兵器先制不使用やウクライナ周辺での非核化地帯構想の提案などは、素直に考えると時宜にかなった提案でもある。日米安全保障体制への配慮はあるとしても正論は正論としてもう少し話題になってもよかったと思う。安倍政権時代に「先制不使用」は日本側から断ったという指摘もあるが、この議論は説得性がある議論だと筆者はかねてから思っている。
「橋渡し役」の模索---核兵器禁止条約にどうアプローチべきか
日本政府は従来TPNWには批准せず、「核保有国も参加するNPTに参加することで国際貢献を果たす」という姿勢、つまりNPTを軸に核兵器廃絶を目指すという立場を示してきた。
しかしそれでは日本が提唱する「橋渡し役」は十分に務まらない。一方の言い分だけ聞いたやり方は説得力に欠ける。その意味ではTPNWにどのようにアプローチするのか、という議論は喫緊の課題だ。その時にしばしば指摘されるのが。批准による正式参加が当面不可能であるならば、オブザーバー国として参加する選択である。
しかし筆者はこれはあまり感心しない。日本からすれば無関心ではないことを示すために好意的気持ちでオブザーバー参加するということではないかと思うが、それぐらいなら出ない方が良いと筆者は考えている。その理由は、不用意に出て行って、責任ある発言もできないのであれば、それは逆効果にもなりかねないからである。無策を露呈することになるだけならまだしも、「唯一の被爆国」として平和国家を標榜しながら、無責任という非難も負いかねないからだ。
それでは従来のような半ば無視したような姿勢でよいのか、というとそれもよくない。それは長い目で見て、日本外交の信用を傷つけることになるだろうし、平和外交のメッセージの象徴である「広島・長崎ブランド」を色あせたものにするからだ。
ではどうするか。ここでは日本の立場を正直に述べることでよいのではないだろうか。つまり日本は核兵器廃絶を強く望む。しかし東アジアにおける核兵器をめぐる国際情勢は予断を許さない状況だ。日米安保体制の下での米国による「拡大抑止」としての核の傘の議論は完全には否定できない。日米安保体制の根幹にかかわる議論を無視できない。この議論は欧州のNATO加盟国と同列の議論だ。その意味ではある程度説得力を持った議論でもある。しかし日本は欧州NATO加盟国とは違う。大げさではなく、「唯一の被爆国」として「核なき平和」の使命を帯びる重要な一国だ。やはりTPNWへのアプローチは不可欠であろうし、世界はその姿勢もまた日本の正しい姿とみなすであろう。であれば、TPNWに接近し、「橋渡し役」が可能な条件の提示をしてもよいのではないか。
日本はTPNWの作成の段階で意見を述べていない。今更という批判的な意見も出るであろうが、そこは勇気をもって日本の立場を述べてよいのではないだろうか。TPNWはNPT第6条核兵器保有国の核廃絶のための努力(核軍縮交渉の推進)が不十分であることを理由として核兵器即廃絶の方針を示している。しかしこの条約の文言通りでは日米安保条約も認めることはできないことになる。であれば、日本は動けない。「橋渡し役」は務まらないことになる。
しかしそこで止まるのではなく、「橋渡し役」を果たすとしたら核保有国と非保有国との交渉は不可欠だ。そのための段取りや、時間的スケジュールをより現実的なものとしていく工夫のある提案が日本にはできないだろうか。核軍縮への段階的条件として「核の先制不使用」のような提案の実現に向けた具体的プランを提示することでもよいと筆者は思う。いずれもこれ迄にさんざん議論した提案だが、交渉を続けることは決定的対立を回避する最良の手段である。日本が繰り返し、執拗にあるべき姿を提唱していく姿勢を示し、そのための具体的提案をしていくだけでも意味あることのように思われる。
アメリカとの交渉の重要性
いずれにせよ、日本外交に必要なのは現状を動かすための具体的な勇気ある提案である。極端に言えば、その提案が実現しなくともよいではないか。次のステップにつながるきっかけになるだけでもよい。グローバルな視野からより説得力ある提案をすることで存在感を示し、きっかけとなる行動や意見につなげていくことできるかもしれない。いやまずはそうした心持を持つこと、そこからかもしれない。
そしてそのために最も重要なことは、まずはアメリカと正面から具体的な対話をすることだ。アメリカは核兵器を使うことを基本的には欲していない。したがってアメリカが日本の防衛強化を後押しするのは、「抑止力」という言葉を使って「拒否的抑止力」の強化、通常兵器防衛強化による米国核兵器使用の敷居を上げることを意味する。だとすれば、核兵器使用の可能性を抑える方向での話し合いがより可能となる。その姿勢をきちんと中ロやほかの核保有国に対して日本が主張することで、実現は難しくとも日本外交の核軍縮に向けた「平和攻勢」の糸口の一つとなるのではないか。要は、「動け日本外交」。グローバルな視野からの勇気を持った外交である。それは発言するということであり、同時にそれなりの責任感を示すことでもある。