5月の広島G7についてはすでに様々に語られており、ややタイミングを逸した感があるが、あらためて広い視野からそこに見られた日本外交の模索すべき課題について考えてみることには意味があると筆者は思う。
 様々な閣僚会議が本会議の前に全国各地で開催され、メディアもその論点については熱心に報道した。その意味では国内的影響はあったと思うし、改めて国民にG7の重要性を再認識させる機会になったことは事実だ。それは多としたい。
 セッション1(ワーキング・ランチ)「分断と対立ではなく協調の国際社会へ」から始まり、「ウクライナ」、「パートナーとの関与の強化(グローバル・サウス、G20)」、「経済的強靱性・経済安全保障」「環境」「エネルギー」その他多岐にわたるほとんどの国際問題が俎上に上った。全体で9つのセッションが催され、長文の広島首脳会議コミュニケが発表された。関係各位の努力には敬意を表したい。
 しかし海外のメディアの報道は、首脳たちの慰霊碑への献花や原爆ドーム記念館訪問などの印象的な場面以外は、ゼレンスキーの訪日と中国問題に関する記述がほとんどだった。

ウクライナ支持の決起集会---「ゼレンスキーショー」

ゼレンスキーのオンライン参加の予定が大統領の日本訪問に変わったのは、ウクライナ側からの強い要望からであった。その背景には、G7という西側主要国が一同に会する場所でプレゼンスを示し、米欧諸国の強い支援を誇示することがその目的だった。同時に、ゼレンスキー大統領にはモディ・インド首相をはじめとして『グローバル・サウス』諸国の支援を得ようという狙いもあった。実際ウクライナはアフリカ全体で十カ国としか外交関係を結んでいない。
 日本が広島に「グローバル・サウス」諸国を招待した意図は、ウクライナ支援をめぐって中露に対抗した中立主義、冷戦時代の言い方で言えば「非同盟主義」の姿勢を維持しようとする「グローバル・サウス」諸国を西側に引き寄せようということにあった。そこに一枚かもうとしたのが、外交巧者ゼレンスキーだった。ゼレンスキーはG7への出席で効率的に世界の支持を得ようとしたのである。
 しかし岸田首相は、昨年だけでそれまでの22倍に上るロシアからの石油を輸入し、西側の対露制裁を実質的に無効にしているインドのモテイ首相を説得し、その政策を転換させることはできなかった。欧州諸国もロシア産の石油がブレンドされた石油をインドから輸入しているためこれはもともと難しいことでもあった。
 他方でゼレンスキーにもグローバル・サウスの中の親ロ諸国の説得は難しく、マクロン大統領が言ったような「ゲームチェインジャー」とはならなかった。しかしアラブ首長国連邦首脳はじめ湾岸諸国との対話も一気に行ったゼレンスキーにとって、この広島訪問はより広範な対話と国際世論を味方に付けた外交成果をもたらしたことは確かだった。
 日本政府はG7そのものよりもゼレンスキーの広島訪問にスポットが当たることを懸念して、通例最終日に発表されるはずの首脳会議コミュニケをゼレンスキーの会議出席前日の二十日に発表したが、その真意は、G7の内容そのものへの関心が霞んでしまわないための苦慮の方策だった。しかし主役がウクライナとゼレンスキーであったことは確かだった。ロシアにとって今回のG7は、ゼレンスキーを主役とする「プロパガンダ・ショー」だったと伝えられた。
 他方で広島から発せられるべき平和へのメッセージは、ウクライナのロシアへの徹底抗戦を支持する決起集会の様相を徹した。ウクライナ停戦・平和のための具体的な提案が明確に発出されなかったからであり、広島を舞台としながら日本はそのためのイニシアティブに一歩踏みこめなかった。

中国問題での温度差

もう一つの大きなテーマは中国だった。
 岸田首相は、ウクライナ情勢はアジアの明日の姿であり、とくに中国の台湾侵攻の可能性を強調した。中国の東・南シナ海での領海侵犯や北朝鮮の核兵器ミサイル発射の脅威を前にしてG7諸国のアジア情勢への関心を強めることがその狙いだった。
 「ルモンド紙(5月19日)」によると、岸田首相は、この春台湾有事問題で距離を置き、中立姿勢を示唆し物議をかもしたマクロン仏大統領とバイデン米大統領との接近を図ろうとした。仏『フィガロ』紙(5月22日)の記事では、米仏関係の摩擦は報道以上に実際には大きいと指摘する。ドイツ・EU諸国もフランス同様に中国との経済関係を反故にするつもりがない点では一致しているからだ。同記事は、日本はこうした欧州の立場を理解していないと指摘、日本の最保守派の産経新聞では、台湾をめぐる中立的な立場を示したマクロンの発言を安保理常任国として信じがたい発言だと批判したことまで取り上げて、日本の姿勢を批判的に伝えている。
 実はフォンデアライエン欧州委員長とミッシェル欧州理事会常任議長(大統領)は事前にEUのG7に臨む姿勢で合意していた(Euronews 5月22日)。対ロ制裁強化に向けてEUは第11回目の新たな制裁を決定するが、迂回貿易や対露物資供与などで間接的に制裁効果を緩和させているアジア第三国、コーカサス、中東諸国に対して厳しい対応をとること、新たな制裁対象には中国企業も含まれているが、欧州は中国との関係を損なうことなく、リスクの軽減(「デリスク」)に努めるべきであるとした。そして中国はロシアに対して最も影響力のある国であるという点でも一致した。
 中国は周知のように、今回のG7には「大いに不満」であり、「G7は中国に関係する諸問題を操作することに固執」し、「中国の信頼感を失わせ、攻撃した」と激しく公式表明で述べたが、簡潔な表現の論評に留まった。中国としても米欧を最大の貿易上の顧客とする以上、決定的な亀裂は望んでいないことは確かだ。
 ボレルEU外交安全保障上級代表も戦争終結のための中国のロシアに対する影響力に対する期待を表明した。中国からの李輝特使がウクライナ・ロシア・欧州各国を訪問し、中国の仲介策が開始されたころであったのでそうした期待も高まっていたからだった。G7に対抗して中国の主導で中央アジア首脳会議が開催されたこともG7を牽制したことも事実だった。

多極世界の中のグローバル・サウスの存在ーーリベラル・デモクラシー世界観の限界

上記二つの大きな課題とともに、岸田首相の配慮が見えたのは、「グローバル・サウス」を巻き込むことだった。それを通じてウクライナ戦争や新たな冷戦とも呼ばれる状況においてG7の立場を有利に展開できないかという試みであった。こうした中立的な諸国を西側に巻き込もうとした日本政府と外務当局の発想と努力は多とする。
 しかしそのことによってG7の存在感が揺らがなければよいと筆者は懸念する。つまり今やG20の方が重要なグループになろうとしているという見方も広まる中で、米欧のリベラルデモクラシーの主張が世界の趨勢ではないということを逆に露呈することにもなりかねないからだ。
 それは世界の多極化をあらためて顕在化させて見せたことにもなりかねなかった。実際米国のアジア系で初めて米国国際関係学会会長となった、アチャーリアは世界でリベラルデモクラシー的価値観の世界に生きる人口は米加欧豪日韓と東アジアの一部の諸国民に限られるとして世界は「マルチプレックス(多数劇場映画館)」のようになってきていると指摘する。
 しばしば論じられるように、リベラル・デモクラシーと一口に言っても米欧間での世界観には隔たりがある。欧州は多極的世界観を志向しており、その意味でインド・中国・ロシア・ブラジルなどとも世界観を共有する部分がある。それは一元的なアメリカの普遍主義的世界観、すなわち冷戦思考に通じる善悪二元論的な思考に対抗する。たしかに歴史的には一世紀以上前に欧州の勢力均衡を軸にした多極的世界は破綻し、第一次世界大戦が勃発した。その20年後またしても第二次世界大戦の口火を切ったのは欧州だった。アメリカの覇権的な世界観を頭から否定できない歴史的教訓であるが、冷戦史観が脆弱な安定であることも確かだ。ウクライナ戦争は21世紀に入ってからの中ロの発展を背景にした冷戦的世界を増幅させた。文字通り、われわれは世界観をめぐる議論が交錯する岐路に立たされている。
 日米関係重視が日本外交の最重要関係であることは確かだが、世界は米国流の世界観一辺倒ではない。今回「グローバル・サウス」諸国を招聘したが、岸田首相の思惑が成功したとは言えなかった。モディ・インド首相の巧みな全方位外交を思い知らされた結果となった。筆者自身が四半世紀以来提唱していることだが、日本外交はより広い視野からグローバルな主体的外交を模索する姿勢、つまり広範な外交見識を基礎とする「グローバル・プレイヤー」としての道を模索すべきであることをあらためて認識させることになったのではないだろうか。